2019年7月15日月曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第123回 唐樋 (因島中庄町唐樋)

 中庄町には唐樋(からひ)というバス停があり、そのあたりを唐樋と呼んでいる。唐樋という以上は、唐風の樋門があったということである。その地名は多くの人に知られており、長い歴史があることがわかる。しかし、今ではゴミ集積場の方が目立って、史跡とか名所とかいうイメージとは遠い。
 堤防の下から水を排出するところが樋門である。それに対して上からオーバーフローさせて流すものを「イデ」とか「イテ」と呼んだから重井町の伊手樋というのは、かつてそのようなものがあって、それが地名として残ったのだろう。
 樋門には三形態があるようだ。一つは岡山県の児島湖の締め切り堤防にあるようなもので、管理所があり、複数の職員によって維持されているような大掛かりなもの。二つはめ地元の委託された人が管理しているもの。三つめは排水口に上部に蝶番のついた鉄扉が垂直に垂れており、水圧差で自動的に開閉するもの。近年大幅に変更されたのが、二つめのものである。
 唐樋も二つめのものに属し、設立時が唐樋と呼ばれる形式のものだった。それは三つめのものと構造は似ていたが材質と人が開閉するのが、異なっていた。後に改良されて、上部に轆轤(ろくろ)すなわち、滑車を付けて上下に上げ下げするものに変わった。このようなものを南蛮樋と呼んだ。
 南蛮樋から材質や上下させる機構が時代とともに変わったが、基本的にはこの形で維持され、地元の委託された管理人(樋番人)によって維持されてきた。しかし、人件費の高騰はこの世界にも影響を与えないわけにはいかなかった。電動化と増水時の排水ポンプの設置である。かくして、両方が設置されると、維持管理のことを考えれば機械的な制御よりも排水ポンプによる電気的な制御の方に利があり、それが主流になるのは必然であった。潮の干満とは関係なくある水位に達するとセンサーが感知してポンプが作動しているようだ。(写真・文 柏原林造)