2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2014年6月

2014年6月1日。日曜日。晴れ。
6月になった。そして暑い一日だった。30℃ぐらいか。
記憶への旅。論語、その2。
5.子曰、道千乘之國、敬事而信,節用而愛人,使民以時。
Zǐ yuē, dào qiān chéng zhī guó: Jìng shì ér xìn、 jiéyòng ér àirén、 shǐ mín yǐ shí. 
子曰く、千乗の国を道(おさ)むるに、事を敬して信に、用を節して人を愛し、民を使ふに時を以てす。
6.子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁。行有餘力、則以學文。
Zǐ yuē, dìzǐ rù zéxiào, chū zé dì, jǐn ér xìn, fàn'ài zhòng ér qīnrén. Xíng yǒu yúlì, zé yǐ xué wén. 
子曰く、弟子(ていし)入りては則(すなわ)ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親み、行ひて余力あらば、則ち以て文を学べ。
7.子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣。
Zi xià yuē,`xián xián yì sè, shì fùmǔ néng jié qí lì, shì jūn néng zhì qí shēn, yǔ péngyǒu jiāo yán ér yǒu xìn. Suī yuē wèi xué, wú bì wèi zhī xué yǐ. 
子夏(しか)曰く、賢を賢として色に易(かろん)じ、父母に事(つか)へては、能(よ)く其の力を竭(つく)し、君に事へて能くその身を致す。朋友と交り、言ひて信あらば、未だ学ばずと曰ふと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂はん。
8.子曰、君子不重則不威、學則不固。主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。
Zǐ yuē, jūnzǐ bù chóng zé bù wēi, xué zé bù gù. Zhǔ zhōngxìn, wú yǒu bùrú jǐ zhě,guò zé wù dàn gǎi.
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固(こ)ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿かれ。
 
続いて海潮音。これは新潮文庫で読んだが、今では青空文庫が便利である。

落葉 ( らくえふ )    ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉おちば かな。


佛蘭西の詩はユウゴオに繪畫の色を帶び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具へ、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレエヌに至りて音樂の聲を傳へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。
譯者
原文は、Paul VerlainePoemes saturniens(サテュルニアン詩集),  1866より、
V
CHANSON DAUTOMNE
Les sanglots longs
Des violons
De lautomne
Blessent mon cœur
Dune langueur
Monotone.
 
Tout suffocant
Et bleme, quand
Sonne lheure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure ;
 
 
2014年6月2日。月曜日。晴れ。
やや曇りがちの、梅雨前のお天気。今日まで30℃予報がでていたが、気温が予想外にあがらなかった。
鈴木大拙「禅学入門」(講談社学術文庫)終わる。「何といっても、禅は、畢竟するに、個人の内的経験にほかならぬのである。」(p.199)
記憶への旅。伊勢物語は大学に入ってから岩波文庫で通読して、その後新潮日本古典集成などで拾い読みした程度か。かきつばただの、都鳥のところなどは多少作り物めいた感じはまぬがれないが、旅愁がよく現れた名文だと思う。そこで、ここでそれらを載せてみようと思って開いてみると、初段もなかなかよいので、まずはそこから。
第 初(一) 段 初冠(うひかうぶり)
むかし、男、うひかうぶりして、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 おもほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。 男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。 その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。
  春日野の若紫のすりごろも
    しのぶの乱れかぎりしられず
となむ、おひづきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
   みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに
    乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける。
 
 
 
記憶への旅。漢詩の続き。
春望    杜甫
國破山河在 城春草木深
感時花濺淚 恨別鳥驚心
峰火連三月 家書抵萬金
白頭搔更短 渾欲不勝簪
Chūn wàng  dùfǔ
Guó pò shānhé zài  chéng chūn cǎomù shēn
Gǎn shí huā jiàn lèi  hèn bié niǎo jīng xīn
Fēng huǒ lián sān yuè  jiā shū dǐ wàn jīn
Báitóu sāo gèng duǎn  húnyù bùshèng zān
国破れて山河在り 城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書万金に抵る
白頭掻けば更に短く 渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
 
 
 
2014年6月3日。火曜日。晴れ時々曇り。
今日は雨予想。降れば入梅だろう。朝、ニュースで既に九州地方が梅雨入りしたそうだ。四国も。
記憶への旅。水滸伝は岩波文庫で読んでもうかなりになります。しかし、西遊記も三国志演義も途中で止まっています。水滸伝は読み返すこともありませんが原文がweb(www.gutenberg.org)にありますので、読んでみようと思いましたが、書き下し文がありません。露伴に注釈があったことを思いだし全集をみたら、33巻にありました。送り仮名は現代風に変えておきます。
 
第一回
楔子 張天師祈禳瘟疫 洪太尉誤走妖魔
Xiēzi zhāngtiānshī qí ráng wēnyì hóng tài wèi wù zǒu yāomó 
 楔子 張天師瘟疫を祈禳(きじゅう)し、洪太尉誤つて妖魔を走らす  露伴全集33巻p.54
 
  紛紛五代亂離間,一旦雲開復見天!草木百年新雨露,車書萬里舊江山。 
  Fēnfēn wǔdài luànlí jiàn, yīdàn yún kāi fù jiàn tiān! Cǎomù bǎinián xīn yǔlù, chē shū wànlǐ jiù jiāngshān. 
  紛紛たる五代乱離の間、一旦雲開けて復(また)天を見る! 草木百年雨露新たに、車書万里江山(こうざん)旧(ふ)りたり。以下、露伴全集33巻p.50
  尋常巷陌陳羅綺,幾處樓臺奏管絃。天下太平無事日,鶯花無限日高眠。
  Xúncháng xiàng mò chénluóqǐ, jǐ chù lóutái zòu guǎn xián. Tiānxià tàipíng wúshì rì, yīng huā wúxiàn rì gāo mián. 
  尋常の巷陌(かうはく)羅綺を陳(つら)ね、幾処の楼台管絃を奏す。天下太平無事の日、鶯花(あうくわ)限り無く日高くして眠る。
 
話説這八句詩乃是故宋神宗天子朝中一個名儒,姓邵,諱堯夫,道號康節先生所作;為歎五代殘唐,天下干戈不息。
Huàshuō zhè bā jù shīnǎi shì gù sòng shénzōng tiānzǐ cháo zhōng yīgè míng rú, xìng shào, huì yáofū, dào hào kāng jié xiānshēng suǒzuò; wèi tàn wǔdài cán táng, tiānxià gāngē bù xī. 
話説す、這(こ)の八句の詩は乃(すなは)ち是れ故(もと)宋の神宗天子の朝中の一個の名儒、姓は邵(せう)、諱(いみな)は堯夫(げうふ),道号康節先生の作るところ、五代殘唐の天下干戈(かんか)息(や)まざるを歎(たん)ずるが為なり。
那時朝屬梁,暮屬晉,正謂是:朱李石劉郭,梁唐晉漢周:都來十五帝,播亂五十秋。
Nà shí cháo shǔ liáng, mù shǔ jìn, zhèng wèi shì: Zhūlǐshí liú guō, liáng tángjìnhàn zhōu: Dōu lái shíwǔ dì, bō luàn wǔshí qiū. 
那(か)の時、朝(あした)は梁に属し、暮れは晋に属し、正に謂はゆる是れ、 朱、李、石、劉、郭,梁、唐、晋、漢、周、都来(すべて)十五帝、播乱(はらん)五十秋なりき。
 
次はリルケの詩です。
IM ALTEN HAUSE  古い家の中で
Im alten Hause; vor mir frei
seh ich ganz Prag in weiter Runde;
tief unten geht die Dammerstunde
mit lautlos leisem Schritt vorbei.
 
Die Stadt verschwimmt wie hinter Glas.
Nur hoch, wie ein behelmter Hune,
ragt klar vor mir die grunspangrune
Turmkuppel von Sankt Nikolas.
 
Schon blinzelt da und dort ein Licht
fern auf im schwulen Stadtgebrause.?
Mir ist, das in dem alten Hause
jetzt eine Stimme "Amen" spricht.
 
訳文はたとえば、星野慎一訳「リルケ詩集」(岩波文庫)p.16などにあります。
 
 
2014年6月4日。水曜日。雨。
本格的な雨。
鈴木照雄、藤沢令夫訳「プラトン全集5 響宴 パイドロス」を終わる。
記憶への旅。三島由起夫さんのライフワーク「豊饒の海」の巻頭から。「春の雪」の雪はヨのまん中が右に突き出している異体字。その「春の雪」が私の手に入ったのは昭和44年の3月25日で、高校二年から三年になる春休みに読んだ。終わったのは29日と書いている。高校三年生の私は学校から帰るとまず冒頭から何度も声に出して読んだり、旧漢字のまま書いたりして覚えていた。もちろん当時は既にほとんどの書物が新漢字新仮名遣いで、作家の意向で旧字体のものもあったわけである。奥付の一部も写しておこう。
   一
 校で日露戰役の話が出たとき、松枝清顯は、もつとも親しい友だちの本田繁邦に、そのときのことをよくおぼえてるかときいてみたが、繁邦の記憶もあいまいで、提灯行列を見に門まで連れて出られたことを、かすかにおぼえてるだけであった。あの戰争がをはつた年、二人とも十一歳だつたのであるから、もう少し鮮明におぼえててもよささうなものだ、と清顯は思つた。したりげにそのころのことを話す級友は、大てい大人からの受賣りで、自分のあるかなきかの記憶を彩つてゐるにすぎなかつた。   春の雪  ―豊饒の海 第一卷 ― 昭和四十四年一月五日發行 昭和四十四年三月五日九刷 定價六八〇圓
 
次は漢詩。
香爐峰下新卜山居草堂初成偶〃題東壁   白居易 
日高睡足猶慵起 小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽 香爐峯雪撥簾看
匡廬便是逃名地 司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處 故鄕何獨在長安
Xiānglú fēng xià xīn bo shānjū cǎotáng chū chéng ǒu tí dōng bì   báijūyì
rì gāo shuì zú yóu yōng qǐ   xiǎo gé zhòng qīn bùpà hán
yí'ài sì zhōng yī zhěn tīng   xiānglú fēng xuě bō lián kàn
kuāng lú biàn shì táo míng dì   sīmǎ réng wèi sòng lǎo guān
xīn tài shēn níng shì guī chù   gù xiāng hé dú zài cháng'ān 
香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶〃東壁に題す   白居易 
日高く睡足りて猶ほ起くるに慵(ものう)し  小閣に衾を重ねて寒を怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聽き  香爐の雪は簾(すだれ)を撥げて看る
匡廬(きやうろ)は便ち是れ名を逃るるの地  司馬は仍(な)ほ老を送るの官爲り
心泰く身寧(やす)きは是れ帰する処  故鄕何ぞ独り長安に在るのみならんや
清少納言や菅原道真との関連で有名な詩ですが、それを抜きにしても素晴らしい詩です。
 

 

 

2014年6月5日。木曜日。雨時々曇り。
記憶への旅。孫子の兵法は風林火山が孫子四如の旗で同じみであるので、そこのところと、さらに有名な部分を読んでおこう。訓読は世界の名著の町田三郎氏のものによるが、振り仮名等一部変えてある。
 
兵家 - School of the Military 
孫子兵法 - The Art of War 
孙子兵法
Sūnzi bīngfǎ 
 
第三 謀攻 - Attack by Stratagem  
Dì sān móu gōng 
故知勝者有五:知可以戰與不可以戰者勝,識衆寡之用者勝,上下同欲者勝,以虞待不虞者勝,將能而君不御者勝;此五者,知勝之道也。故曰:知彼知己,百戰不殆;不知彼而知己,一勝一負;不知彼,不知己,每戰必敗。
Gùzhī shèngzhě yǒu wǔ: Zhī kěyǐ zhàn yǔ bù kěyǐ zhàn zhě shèng, shí zhòngguǎ zhī yòng zhě shèng, shàngxià tóng yù zhě shèng, yǐ yú dài bùyú zhě shèng, jiāng néng ér jūn bù yù zhě shèng; cǐ wǔ zhě, zhī shèngzhī dào yě. Gù yuē: Zhī bǐ zhījǐ, bǎizhànbùdài; bùzhī bǐ ér zhījǐ, yī shèngyī fù; bùzhī bǐ, bù zhījǐ, měi zhàn bìbài.
故に勝を知るには五有り。戦うべきと戦うべからざるを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。將、能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は、勝を知るの道なり。故に曰はく、彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎(ごと)に必ず敗す、と。  世界の名著10、p.220参照。
第七 軍爭 - Maneuvering 
故兵以詐立,以利動,以分合為變者也,故其疾如風,其徐如林,侵掠如火,不動如山,難知如陰,動如雷霆。掠郷分衆,廓地分利,懸權而動,先知迂直之計者勝,此軍爭之法也。
Gù bīng yǐ zhà lì, yǐ lì dòng, yǐ fēn hé wèi biàn zhě yě, gù qí jí rú fēng, qí xúrúlín, qīn'è rú huǒ, bùdòng rúshān, nán zhī rú yīn, dòng rú léitíng. È xiāng fēn zhòng, kuò dì fèn lì, xuán quán ér dòng, xiānzhī yū zhízhī jì zhě shèng, cǐ jūn zhēng zhī fǎ yě.
故に兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合(ふひぐう)を以て変を為す者なり。故に其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しづ)かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷(いかづち)の霆(ふる)ふが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権に懸けて而して動く。迂直(うちょく)の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。世界の名著10、p.234参照。
 
ツァラトゥストラその2    Zarathustra's Vorrede. 1の後半です。 
Aber wir warteten deiner an jedem Morgen, nahmen dir deinen Überfluß ab und segneten dich dafür.
Siehe! Ich bin meiner Weisheit überdrüssig, wie die Biene, die des Honigs zu viel gesammelt hat; ich bedarf der Hände, die sich ausstrecken.
Ich möchte verschenken und austheilen, bis die Weisen unter den Menschen wieder einmal ihrer Thorheit und die Armen einmal ihres Reichthums froh geworden sind.
Dazu muss ich in die Tiefe steigen: wie du des Abends thust, wenn du hinter das Meer gehst und noch der Unterwelt Licht bringst, du überreiches Gestirn!
Ich muß, gleich dir, untergehen, wie die Menschen es nennen, zu denen ich hinab will.
So segne mich denn, du ruhiges Auge, das ohne Neid auch ein allzu großes Glück sehen kann!
Segne den Becher, welche überfließen will, daß das Wasser golden aus ihm fließe und überallhin den Abglanz deiner Wonne trage!
Siehe! Dieser Becher will wieder leer werden, und Zarathustra will wieder Mensch werden.«
      - Also begann Zarathustra's Untergang.
訳文は、世界の名著46、p.59-60などをご覧下さい。
 
2014年6月6日。金曜日。雨時々曇り。
曇りの予報だったのに霧雨のような雨がしばしば降っていました。やはり梅雨ですね。
百瀬明治「高僧百言」(祥伝社新書)終わる。日本仏教史の復習も兼ねた名言集です。一休、沢庵、一遍などの名文にも感心しました。機会をみつけて読んでみたいものだと思います。
記憶への旅、そして錆び付いた夢の数々。
創世記の冒頭です。ヘブライ語は右から書きます。右端のא ב ג ד ה は1から5を表し、読みは、アレフ、ベート、ギメル、ダレット、ヘーです。だから左端の1.から5.は蛇足です。池田潤「ヘブライ文字の第一歩」(国際語学社)p.13参照。בְּרֵאשִׁית(創世記bereshit)が1.の先頭にもでてきます。すなわち「はじめに」という最初の語句が「創世記」というタイトルになっているのです。論語の「学而」というのと似ています。
בְּרֵאשִׁית
1.א  בְּרֵאשִׁית, בָּרָא אֱלֹהִים, אֵת הַשָּׁמַיִם, וְאֵת הָאָרֶץ.
2.ב  וְהָאָרֶץ, הָיְתָה תֹהוּ וָבֹהוּ, וְחֹשֶׁךְ, עַל-פְּנֵי תְהוֹם; וְרוּחַ אֱלֹהִים, מְרַחֶפֶת עַל-פְּנֵי הַמָּיִם.
3.ג  וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים, יְהִי אוֹר; וַיְהִי-אוֹר.
4.ד  וַיַּרְא אֱלֹהִים אֶת-הָאוֹר, כִּי-טוֹב; וַיַּבְדֵּל אֱלֹהִים, בֵּין הָאוֹר וּבֵין הַחֹשֶׁךְ.
5.ה  וַיִּקְרָא אֱלֹהִים לָאוֹר יוֹם, וְלַחֹשֶׁךְ קָרָא לָיְלָה; וַיְהִי-עֶרֶב וַיְהִי-בֹקֶר, יוֹם אֶחָד.  
1 bərē’šîṯ bārā’ ’ĕlōhîm ’ēṯ haššāmayim wə’ēṯ hā’āreṣ:
2 wəhā’āreṣ hāyəṯâ ṯōhû wāḇōhû wəḥōšeḵə ‘al-pənê ṯəhwōm wərûḥa ’ĕlōhîm məraḥefeṯ ‘al-pənê hammāyim:
3 wayyō’mer ’ĕlōhîm yəhî ’wōr wayəhî-’wōr:
4 wayyarə’ ’ĕlōhîm ’eṯ-hā’wōr kî-ṭwōḇ wayyaḇədēl ’ĕlōhîm bên hā’wōr ûḇên haḥōšeḵə:
5 wayyiqərā’ ’ĕlōhîm| lā’wōr ywōm wəlaḥōšeḵə qārā’ lāyəlâ wayəhî-‘ereḇ wayəhî-ḇōqer ywōm ’eḥāḏ: f
 
Genesis Chapter 1 
1 In the beginning God created the heaven and the earth.
2 Now the earth was unformed and void, and darkness was upon the face of the deep; and the spirit of God hovered over the face of the waters.
3 And God said: 'Let there be light.' And there was light.
4 And God saw the light, that it was good; and God divided the light from the darkness.
5 And God called the light Day, and the darkness He called Night. And there was evening and there was morning, one day.
 
続いて、道元禅師の「正法眼蔵 辧道話」の2です。
 この三昧(ざんまい)に遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人々(にんにん)の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり。一多のきはならむや。
 かたればくちにみつ。縦横きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持たる各々(かくかく)の方面に知覚をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する各々の知覚に方面あらはれず。
 
2014年6月7日。土曜日。曇り。
いつ降ってもおかしくないような曇り空。はやいところではもう紫陽花が咲いている。我が家はまだだ。
錆び付いた夢を思いだしていたら、般若心経のサンスクリットを見たくなった。あの独特の梵字は現代インドでも使われているヒンディと共通の文字だが残念ながらワープロで打てない。文字をくっつけるのだが、不必要にくっついたり、あるいはくっつけようと思ってもくっつかなくて、私には無理だ。ローマ字表記のものは、岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」の174頁にあるのでこれを参考にすればよいだろう。
ランボーは小林秀雄訳で読んだのだが、青空文庫に中原中也の訳があるので、「酔ひどれ船」の一部を載せておこう。

BATEAU IVRE  より

Arthur Rimbaud 
Comme je descendais des Fleuves impassibles,
Je ne me sentis plus guidé par les haleurs ;
Des Peaux-Rouges criards les avaient pris pour cibles,
Les ayant cloués nus aux poteaux de couleurs.

J’étais insoucieux de tous les équipages,
Porteur de blés flamands ou de cotons anglais.
Quand avec mes haleurs ont fini ces tapages,
Les Fleuves m’ont laissé descendre où je voulais.

Dans les clapotements furieux des marées,
Moi, l’autre hiver, plus sourd que les cerveaux d’enfants,
Je courus ! Et les Péninsules démarrées,
N’ont pas subi tohu-bohus plus triomphants.

La tempête a béni mes éveils maritimes.
Plus léger qu’un bouchon j’ai dansé sur les flots
Qu’on appelle rouleurs éternels de victimes,
Dix nuits, sans regretter l’œil niais des falots.
 
酔ひどれ船 中原中也訳


私は不感な河を下つて行つたのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れてゐるのであつた、
みれば罵り喚く赤肌人あかはだびと 等が、彼等をまと にと引ツ捕へ、
色とりどりの棒杭に裸かのままで釘附けてゐた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿えいめん の荷役には
とんと頓着してゐなかつた
曳船人等とその騒ぎとが、私を去つてしまつてからは
河は私の思ふまま下らせてくれるのであつた。

私は浪の狂へる中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎ぼつ として漂つたことがあつたつけが!
怒濤を(めぐ) らす半島と(いへど) も
その時程の動乱を けたためしはないのであつた。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子うき よりももつと軽々かろがろ 私は浪間に躍つてゐた
犠牲者達を永遠にまろばすといふ浪の間に
幾夜ともなく船尾とも の に目の疲れるのも気に懸けず。
次いで漢詩。
黄鶴樓  崔顥
昔人已乘黄鶴去  此地空餘黄鶴樓
黄鶴一去不復返  白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹  芳草萋萋鸚鵡洲
日暮鄕關何處是  煙波江上使人愁
Huáng hè lóu   cuī hào
xī rén yǐ chéng huáng hè qù   cǐdì kòngyú huáng hè lóu
huáng hè yī qù bù fù fǎn   báiyún qiānzǎi kōng yōuyōu
qíng chuān lì lì hànyáng shù 
  fāng cǎo qī qī yīngwǔ zhōu
rìmù xiāng guān hé chù shì   yānbō jiāngshàng shǐ rén chóu 
黄鶴樓  崔顥(さいこう)
昔人已に黄鶴に乗って去り   此の地空しく余す黄鶴楼
黄鶴一たび去って復た返らず   白雲千載空しく悠悠  
晴川歴歴たり漢陽の樹   芳草萋萋たり鸚鵡洲
日暮郷間何(いづれ)の処(ところ)か是れなる  煙波江上人をして愁へしむ
 
2014年6月8日。日曜日。晴れ。
梅雨の蒸し暑い日。
記憶への旅。
シェイクスピアはやはり繰り返し読む価値はあります。まずは、ロミオとジュリエットの冒頭のコーラスから。テキストいろいろあると思いますが、朝日新聞の小説記者夏目漱石になる前の帝大講師としての夏目金之助が授業にももっていき、またロンドン留学中にベーカー街に通い個人教授をしてもらったW.JCrag先生が歴代の編集者に菜を連ねているThe  Arden Shakespeareがよいと思います。坪内逍遙訳が青空文庫にありますから、それをかかげておきましょう。
THE PROLOGUE
         [ Enter CHRUS]
Chrus Two households, both alike in dignity
(In fair Verona, where we lay our scene)
From ancient grudge break to new mutiny, 
Where civil blood makes civil hands unclean.
From forth the fatal loins of these two foes 
A pair of star-cross'd lovers take their life,
Whole misadventured piteous overthrows 
Do with their death bury their parents' strife.
The fearful passage of their death-mark'd love,
And the continuance of their parents' rage,
Which, but their children's end, nought could remove,
Is now the two hours' traffic of our stage;
The which if you with patient ears attend,
What here shall miss, our toil shall strive to mend.
                                                              [Exit.]
序詞役じょしやく  る。

序詞役 威權ゐけん 相如あひし く二名族めいぞく が、
ところ ははな の※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ローナにて、
ふる き怨恨うらみ をまた もあら たに、
 で をあら ふ市内鬪爭うちわげんくわ 。
かゝる怨家ゑんか の胎内たいない より薄運はくうん の二情人じゃうじん 、
惡縁あくえん むご くやぶ れて を宿怨しゅくゑん ととも にうづ む。
 のかげ の附纒つきまと ふあやふ きこひ の履歴りれき 、
子等こら が非業ひごふ に てぬるまでは、
如何いか にしても けかねし親々おや/\ の忿いかり 、
 れぞいま より二時間じかん の吾等われら が演劇えんげき 、
御心みこゝろ なが く御覽ごらん ぜられさふらはゞ、
たら はぬところ は相勵あひはげ みてつぐの ひまう さん。
序詞役じょしやく はひ る。
 
 
2014年6月9日。月曜日。晴れ。
昨日と同じく蒸し暑い日。昨日よりもさらに暑かった。今年一番の暑さ。
記憶への旅。ラテン語はかなり若い頃からやっているが、その割には上達しなかった。驚いたことにラテン語というのはカエサルの「ガリア戦記」がほぼ正統的なラテン語であるということだった。だから、その冒頭をあげておく。やはりカエサルは天才だったのだ。ところで帝王切開のことを英語でCaesarean sectionと云い、カエサルが帝王切開で産まれたという伝説は有名なものであるが、塩野七生さんの「ローマ人の物語」では否定されていた。どうやら語源が逆らしい。姓のカエサルというのが「切る」→「分家」から来ているということだ。
C. IVLIVS CAESAR 
Commentariorum Libri VII de Bello Gallico
cum A. Hirti Supplemento 
C. IVLI CAESARIS COMMENTARIORVM DE BELLO GALLICO LIBER PRIMVS
[1] Gallia est omnis divisa in partes tres, quarum unam incolunt Belgae, aliam Aquitani,
tertiam qui ipsorum lingua Celtae, nostra Galli appellantur.
ガリアは全部で三つにわかれ,その一にはベルガエ人,二にはアクィーターニー人,三にはその仲間の言葉でケルタエ人,ローマでガリー人と呼んでいるものが住む。
Hi omnes lingua, institutis, legibus inter se differunt.
どれも互いに言葉と制度と法律が違う。
Gallos ab Aquitanis Garumna flumen, a Belgis Matrona et Sequana dividit.
ガリー人はガルンナ河でアクィーターニー人から,マトロナ河とセークァナ河でベルガエ人からわかれる。
Horum omnium fortissimi sunt Belgae, propterea quod a cultu atque humanitate provinciae longissime absunt, minimeque ad eos mercatores saepe commeant atque ea quae ad effeminandos animos pertinent important, proximique sunt Germanis, qui trans Rhenum incolunt, quibuscum continenter bellum gerunt.
なかでも最も強いのはベルガエ人であるが,その人々はプローウィンキアの文化教養から遠くはなれているし,商人もめったにゆききしないから心を軟弱にするものが入らないのと,レーヌス河のむこうのゲルマーニー人に近いのでそれと絶えず戦っているためである。  近山金次訳「ガリア戦記」(岩波文庫)
 
次は、漢詩。
風楓夜泊     張継
月落烏啼霜満天  
江楓漁火對愁眠  
姑蘇城外寒山寺  
夜半鐘聲到客船
Fēng fēng yè pō     zhāng jì
yuè luò wū tí shuāng mǎntiān,
jiāngfēng yúhuǒ duì chóumián.
Gū sū chéng wài hán shānsì,
yèbàn zhōng shēng dào kèchuán. 
月落ち烏(からす)啼いてて霜天に満つ 
江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺
夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る
 
2014年6月10日。火曜日。晴れのち曇り。
午後になって曇り、蒸し暑さはやや衰えた。
 
記憶への旅。西行は芭蕉だけでなく多くの人が憧れた人で、その歌にも独特のものがあります。
まず、三夕として有名なところから。
秋ものへまかりける道にて
心なき身にもあはれは知られけり鴫たつさはの秋のゆふぐれ
 
そして、辞世のような感じがするが、若い頃の歌。

ねがはくば花の下にて春死なむそのきさらぎのもち月のころ
 
四国八十八カ所のうちの文学史跡として最大のものは、白峰寺の崇徳院の御廟でしょう。
讃岐にまうでて松山と申す所に院おはしけむ御跡尋ねけれどもかたもなかりければ
松山の波にながれてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな
松山の波のけしきはかはらじをかたなく君はなりましにけり
白峯と申す所に御墓の侍りけるにまゐりて
よしや君むかしの玉の床とてもかゝらむのちは何にかはせむ
 
次は漢詩。
尋胡隱君   高啓  
渡水復渡水
看花還看花
春風江上路
不覺到君家
Xún húyǐnjūn gāo qǐ
dù shuǐ fù dù shuǐ
kàn huā hái kàn huā
chūnfēng jiāng shànglù
bù jué dào jūn jiā 
胡隠君を尋ぬ   高啓
水を渡りまた水を渡り
花を看(み)還(ま)た花を看る
春風江上の路
覚えず君が家に到る
 
 
2014年6月11日。水曜日。曇り一時小雨。
梅雨の六月も三分の一を終わり、三分の二に入った。昨日よりもさらに雲が多く、いつ降ってもおかしくはないが、昨日も今朝も小雨の予報は空振りだった。
記憶への旅。史記をもう一度読むとしたら、侠客列伝とか刺客列伝がいいと思うが、それはいずれとりあげるとして、まずは孔子世家十七から。新釈漢文大系では吉田賢抗著、史記七(世家下)にある。書き下し文はそれに従うが、少し変えてある。

1.孔子生魯昌平郷陬邑。其先宋人也。曰孔防叔。防叔生伯夏。伯夏生叔梁紇。紇與顏氏女野合、而生孔子。禱於尼丘得孔子。魯襄公二十二年、而孔子生。生而首上圩頂。故因名曰丘云。字仲尼、姓孔氏。
Kǒngzǐ shēng lǔ chāngpíng xiāng zōu yì. Qí xiān sòng rén yě. Yuē kǒng fáng shū. Fáng shū shēng bó xià. Bó xiàshēng shū liáng hé. Hé yǔ yán shì nǚ yěhé, ér shēng kǒngzǐ. Dǎo yú ní qiū dé kǒngzǐ. Lǔ xiānggōng èrshí'èr nián, ér kǒngzǐ shēng. Shēng ér shǒu shàng wéi dǐng. Gù yīn míng yuē qiū yún. Zì zhòng ní, xìng kǒng shì. 
孔子は魯の昌平郷(きやう)の陬邑(すういふ)に生まる。其の先は宋人なり。孔防叔と曰ふ。防叔、伯夏を生む。伯夏、叔梁紇(しゆくりやうこつ)を生む。紇、顏氏の女(ぢよ)と野合して、孔子を生む。尼丘(ぢきう)に祈り孔子を得たり。魯の襄公二十二年、孔子生まる。生れて首上圩頂(しゅじょううちょう)なり。故に因つて名づけて丘と日ふと云ふ。字は仲尼、姓は孔氏。
 
次は漢詩。そろそろ、すでに載せたものとまだ載せてないものの記憶が曖昧になってきた。重複があれば、気づいたところで消すとしよう。藤村の雲白く遊子悲しむもこの詩からきているのでしょうね。
送友人  李白

青山横北郭 白水遶東城 
  
此地一爲別 孤蓬萬里征  
  
浮雲遊子意 落日故人情  
  
揮手自茲去 蕭蕭班馬鳴  
Sòng yǒurén   lǐbái

qīngshān héng běi guō báishuǐ rào dōngchéng

cǐdì yī wèi bié gū péng wànlǐ zhēng

fúyún yóuzǐ yì luòrì gùrén qíng

huīshǒu zì zī qù xiāoxiāo bān mǎmíng 

友人を送る  李白
青山北郭に横たはり 白水東城を遶る
此の地一たび別れを爲し 孤蓬萬里に征く 
浮雲遊子の意 落日故人の情
手を揮って茲(ここ)より去れば 蕭蕭として班馬鳴く
 
 
2014年6月12日。木曜日。晴れ。時々少雨。
タマネギの収穫をした。退職後の農作物第一号。小さいのが9つ。確か苗が140円だったから、水道代を入れなければトントンであるその後へ、なると金時を10本植えた。第2号である。こちらは、331円だった。大きいのなら3個、小さいのなら6個が経済ラインである。去年植え替えてすぐに枯れたコンニャク芋が芽を出した。芋が2つ、新芽が6つ。植え替えた。これらは、海の家の畑のはなし。
記憶への旅。漢詩。今日はちょっと変わった古詩。
子夜呉歌 李白
長安一片月 萬戸擣衣聲
秋風吹不盡 總是玉關情
何日平胡虜 良人罷遠征
Zǐyè wú gē  lǐbái
cháng'ān yīpiàn yuè wàn hù dǎoyī shēng
qiū fēngchuī bù jìn zǒng shì yù guān qíng
hérìpíng hú lǔ liáng rén bà yuǎnzhēng
子夜呉歌(しやごか)  李白
長安一片の月 万戸衣を擣(う)つの声
秋風吹きて 尽きず 総(す)べて是れ玉関の情
何(いづ)れの日か胡虜を平げ 良人(りやうじん)遠征を罷(や)めん

2014年6月13日。金曜日。晴れ。
福山の庭にもコンニャク芋の芽が芽吹いていた。こちらは植え替えずにそのまま成長させてみよう。ひとつの芋からふつうひとつの芽だと書いているが、複数あるときはどうすればよいのだろうか。切り落とすのだろうか?
記憶への旅。漢詩。今日は日本人の漢詩。桂林荘雑詠は4首からなる。そのうちの有名な2首。
桂林荘雑詠示諸生  広瀬淡窓
休道他郷多苦辛  
同袍有友自相親  
柴扉暁出霜如雪  
君汲川流我拾薪 
桂林荘(けいりんそう)雑詠諸生に示す  広瀬淡窓(たんそう)
道ふこと休(や)めよ他郷苦辛多しと
同袍友あり自(おのづか)ら相親しむ
柴扉暁に出づれば霜雪の如し
君は川流(せんりゅう)を汲め我は薪(たきぎ)を拾はん
 
桂林荘雑詠  広瀬 淡窓
思白髪倚門情  
宦学三年業未成  
一夜秋風揺老樹  
孤窓欹枕客心驚  
遙かに思ふ白髪門に倚るの情
宦学三年業未だ成らず
一夜秋風老樹を揺がし
孤窓(こそう)枕を欹(そばだ)てて客心(かくしん)驚く
 
 
2014年6月14日。土曜日。晴れ。
梅雨入りしても雨が降らないのはいつものことであるが、今年も初めに少し降ってしばらくは雨らしい雨がない。それにもかかわらず高温多湿で梅雨独特の不快な日々が続く。
井上靖「孔子」(新潮社)終わる。遠い昔の異国の話でありながら、違和感がないのは、禅と儒教が日本人の考え方に大きく影響を与えているからだろうか、と思ったりした。
  "甚しいかな、吾が衰えたるや。久しいかな、吾れ復た夢に周公を見ず" と、仰言いました。この時、子は六十三歳であったかと思います。(p.77) 
63歳という年齢はそういう年齢であるらしい。
記憶への旅。漢詩。文選より古詩。
敕勒歌
敕勒川 陰山下
天似穹廬籠蓋四野
天蒼蒼 野茫茫
風吹草低見牛羊
Chì lēi gē
chì lēi chuān yīnshān xià
tiān shì qiónglú lóng gài sìyě
tiān cāngcāng yě mángmáng
fēngchuī cǎo dī jiàn niú yáng 
 
敕勒の歌
敕勒(ちょくろく)の川 陰山(いんざん)の下(もと)
天は穹廬(きゅうろ)に似て四野(しや)を籠蓋(ろうがい)す
天は蒼蒼(そうそう) 野は茫茫(ぼうぼう)
風吹き草低(た)れて牛羊(ぎうやう)を見る
 
2014年6月15日。日曜日。晴れ。
湿度が高く、日中は少し暑い。
記憶への旅。
登岳陽樓   杜甫
昔聞洞庭水 今上岳陽樓
呉楚東南坼 乾坤日夜浮
親朋無一字 老病有孤舟
戎馬關山北 憑軒涕泗流
Dēng yuèyánglóu   dùfǔ
xī wén dòngtíng shuǐ jīn shàng yuèyánglóu
wú chǔ dōngnán chè qiánkūn rìyè fú
qīnpéng wú yī zì lǎobìng yǒu gū zhōu
róngmǎ guānshān běi píng xuān tì sì liú 
岳陽楼に登る   杜甫
昔聞く洞庭の水 今上る岳陽樓
呉楚東南に坼(さ)け 乾坤日夜浮かぶ
親朋一字無く 老病孤舟有り
戎馬(じゅうば)關山の北 軒に憑(よ)りて涕泗(ていし)流る
 
 
2014年6月16日。月曜日。晴れ。
今日は雲が多く気温がやや低い。
記憶への旅。
題壁   釋月性
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到處有青山
 
壁に題す    釈月性
男児志を立てて郷関を出づ
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むること何ぞ墳墓の地を期せん
人間(じんかん)到る処青山あり
 
将東遊題壁   将(まさ)に東遊せんとして壁に題す とも。周防(山口県)の幕末の僧。
 
 
2014年6月17日。火曜日。曇り。午後小雨。
朝から曇り。やや肌寒い。午後になって小雨が降り出した。
荒井献「イエスとその時代」(岩波新書)を読む。
記憶への旅。
静夜思   李白
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故鄕
Jìngyè sī   lǐbái
chuáng qián kàn yuèguāng
yí shì dìshàng shuāng
jǔ tóu wàng shān yuè
dītóu sī gùxiāng 
静夜思(せいやし)    李白
床前(しょうぜん)月光を看る
疑ふらくは是れ地上の霜かと
頭(かうべ)を挙げて山月(さんげつ)を望み
頭を低(た)れて故郷を思う
 
 
2014年6月18日。水曜日。雨後曇り。
小雨が降り続くが午後は断続的に降り、夕方にはやんだ。でも二日間でかなり降ったようだ。おかげで薩摩芋が元気になった。今のところ10本とも順調。
記憶への旅。
別詩  范雲
洛陽城東西
長作經時別
昔去雲似花
今來花似雪
Bié shī     fàn yún
luòyáng chéng dōngxī
zhǎng zuò jīng shí bié
xī qù yún shì huā
jīn lái huā sì xuě 
別詩(べっし)  范雲
洛陽城の東(ひがし)西(にし)
長らく時を経(ふ)るの別れを作(な)す
昔去(さ)るとき雪(ゆき)花(はな)の如く
今来(きた)るとき花(はな)雪(ゆき)に似たり
 
2014年6月19日。木曜日。晴れ。
梅雨の雨が遠ざかり、梅雨にはめずらしくさわやかな日。ただし、日なたは暑い。
山名哲史「声に出して読む般若心経」(明日香出版社)読む。
記憶への旅。
京師得家書 明・袁凱
江水三千里
家書十五行
行行無別語
只道早還鄕
Jīngshī dé jiā shū   míng   yuán kǎi
jiāngshuǐ sānqiān lǐ
jiā shū shí wǔháng
háng háng wú bié yǔ
zhǐ dào zǎo hái xiāng 
京師に家書を得(う) 袁凱 
江水三千里
家書十五行
行行別語無し
只(ただ)道(い)ふ早く郷に 還れと
 
2014年6月30日。月曜日。晴れ。
6月の頁が重くなった上に、PCを開くことが少なくなって書かずにいたらもう6月も終わりである。ちょうど、HP作成用のPC、エディター、それにFTTPも変更しする潮時のようなので、7月から変更することにしよう。だから、6月の夕凪亭閑話は新しいエディターでは変更しないほうよいだろう。
 
 
今年42冊目。
鈴木大拙「禅学入門」(講談社学術文庫)。
今年43冊目
鈴木照雄、藤沢令夫訳「プラトン全集5 響宴 パイドロス」(岩波書店)。
今年44冊目
百瀬明治「高僧百言」(祥伝社新書)。
今年45冊目
井上靖「孔子」(新潮社)。
今年46冊目
荒井献「イエスとその時代」(岩波新書)。
今年47冊目
山名哲史「声に出して読む般若心経」(明日香出版社)。
 
 
 
 
映画等
今年32本目。
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