1、大学へ入ってから読書をすれば良いというが、それは間違いである。確かに大学になって自分で本を選んで今まで読んだことのなかった小説を読んだりする人は多い。しかし、それでは手遅れである。高校生のうちに読むようになっていないと、大学に入って読む本は大したものではない。二十歳近くなってしまえば感性などというのは、若い頃に比べれば枯れたようなものだから 、枯れた感性に響くようなものしか読まないことになる。それは勉学のためであったり、実用のための本に限られてくる。真の人格を形成するための本を読もうと思ったら高校生の頃に乱読すべきである。
2 ひのえうま
令和ひのえうま である。丙午と書くのだが、ひのえうまと読める人の方が少なくなったのではないかと思う。そこで今回は煩をいとわず、ひのえうまと書くことにしよう。昭和ひのえうまから60年経った。あの頃を振り返ってみた。
まったく意味はないのだが、ひのえうまという言葉から火を吐く馬を連想したのか、ひのえうまの年に生まれた女性は婚期が遅れるという俗説が蔓延した。その結果、出産を控えた女性が多く出生率が下がったという現象が生じた。その理由は情報化社会の発展で小さな話題があっという間に日本全国に広まるという今も続く社会になっていたということである。また、その反面、情報化社会は民間の俗説・迷信を追放し、その20年後には、ひのえうまという言葉は社会から忘れ去られたのだから、その出生率の低下などまったくの取越苦労に過ぎなかったということになる。・・それほど60年の社会の変化は激しかった。
昭和ひのえうまを覚えている人が次のひのえうまを経験することはあり得ないのだが、120年前の出生率の低下の理由もほとんど理解できなくなっているに違いない。過去の60年の変化のスピードは多くの分野で20年、いや10年程度、あるいはそれ以上に縮まって起こるであろう。身近なもので言えば、この紙媒体とお金である。その変化の先は、電子媒体、電子決済と現在は呼ぶようであるが、この言葉もすぐに変わってしまうであろう。また、その危険性を指摘する人もいるが、その変化を誰も止めることはできない。昭和ひのえうまを覚えている世代は、紙媒体と現金決済の消失を惜しみつつ見送るしかないと思う。
令和ひのえうま である。昭和ひのえうま から60年経った。 令和ひのえうま を意識する前に、昭和ひのえうま についてあれやこれや思い出していた。というのは、昭和ひのえうま・三月吉日 と日付のある村上勘兵衛さんの書の写真が知人から送られてきたからである。重井中学校にあった、と書かれていた。私はその当時中学生であった。そして卒業式で来賓として来られていた和服姿の勘兵衛さんを一度だけ見た記憶がある。三回来られていたのかもしれないが、記憶にあるのは一度だけである。だからその時、校長室で書かれたのであろう、と私は想像した。そしてあの頃、ひのえうまが話題になったことを思い出した。
れいわ