2025年1月1日水曜日

夕凪亭閑話2025年1月

 クリスタルホーム

2025年1月1日。水曜日。晴れ。3806歩。71.25kg。5時半に起きる。 庭木とレモンの剪定。峯松神社へ初詣。映画『釈迦』見る。


2025年1月2日。木曜日。晴れ。3648歩。71.35kg。6時に起きる。今日も良いお天気なので畑仕事。八朔を摘む。夕方、孫が来る。なかなか4000歩に達しない。夜、パスカルについて少し。

映画「旋風の中に馬を進めろ」を見る。


2025年1月3日。金曜日。晴れ。4002歩。71.2kg。6時に起きる。朝、岡山高島屋へ長女の車で行き、松井君の作陶展を見る。一番街で昼食を食べて帰る。


2025年1月4日。土曜日。曇り時々晴れ。4077歩。72.5kg。7時に起きる。八朔摘み。夜、年賀状書く。



2025年1月4日。日曜日。曇り。4916歩。72.5kg。6時に起きる。朝、買い物。帰って八朔摘みと剪定。大根へ肥料を撒く。


クリスタルホーム

2024年12月29日日曜日

銀色の網


 

「あら、園田君でしょう?」

 お互いの目があった。園田武弘も、すぐに思い出した。大学時代の同級生だ。

「多岐元さんだった、かな?」

「そうよ、多岐元です。今は山野だけどね。この辺に住んでるの? 不思議ね。ちょっと待って。レジ済ますから」

 三ヶ月ほど前にオープンした複合ショッピングセンターの一画にある食品スーパーだった。園田にとっては勤務先とアパートの途中にあり、帰宅時にしばしば立ち寄っていた。

 いつもより早いせいか、少し混んでいた。


 ここは園田が生まれたところとは違う。園田は尾道で生まれて育った。県は異なるが近くでもあるので、岡山県で就職した。でも、なぜ多岐元がここにいるのか思い当たらなかった。結婚してここにきたのかと思った。

「懐かしいわね。いろいろとお話してみたいわ。でも、今日はこれからお仕事なの。そうね」と言いながらバックから手帳を出して、「明後日の午後だったら空いているわ。土曜日の二時ごろいかがかしら。お仕事は?」 こう言いながら、手帳のカバーから名刺を取り出した。

「そこの南城高校に勤めてるよ。午後ならだいじょうぶ」

「よかった。すぐ近くよ」

 多岐元は、白い名刺を園田に渡すと、「きっと来てね。じゃあ、ごめんなさいね」と言って足早に出ていった。名刺には山野杏子と印刷してあった。

 彼女はただ普通に言ったのだろうが、園田には実に優雅に聞こえた。乾いた唇の間から覗いた象牙色の歯は、細い小皺の浮いた目元とはやや不釣り合いだが、光っていた。

 

 園田は土曜日の午後、名刺に書かれている場所を訪ねた。

 緑の山を背にした白いマンションだった。東側には池があった。周囲を覆う木々が水に写って長閑な佇まいをみせていた。小さな水鳥の数羽が群れていた。岸に近いところには枯れた芦が水面からまばらに出て、褐色の茎が風に揺れていた。十月の午後だった。何もかもが静かだった。

 三階だった。エレベーターもあったが、階段を上がった。壁面に塗られたペンキが午後の日を反射していた。階段には紙くず一つ無く、丁寧に管理されていることがわかった。部屋の前に行って止まった。部屋番号を彫ったプレートから少し上に、白いプラスチックケースで覆われた門灯があった。園田が目を上げたとき、ケースの横で、透明な糸が小刻み揺れて銀色に光っていた。

 園田と多岐元とは大学の同じ学科の同級生だった。農学部の造園科だった。

 園田は卒業後、大手の種苗会社の開発部に勤めたが、一年で辞めた。大学に戻って聴講生になった。農業科と理科の教員免許をとり、今は高校で生物を教えている。このように、卒業後のことを話した。

 多岐元はガーデンプランナーを志していたが、幼児期より習っていたピアノの腕を生かして、音楽教室を開いていると言った。

 夫は病死し、年子の兄と妹の二人の子どもがいると言った。

 マンションに住んでいながら、玄関をはじめ至る所に配置された観葉植物が、彼女の趣味なのだろうと園田は思った。多岐元が生活の資は音楽から得ていても、園芸からすっかり足を洗っていたわけではないということがわかって、園田はうれしかった。みんながみんな、自分の専攻に直結する仕事につける訳ではない。しかし、せっかく選んだ進路である。進路選択には偏差値とか、いろいろあって、すべての人が思い通りの進路を選んでいるわけではないが、選んだ以上、それが自己のアイデンティティになっているはずである。だから、専門そのものに直結した仕事ではなかったにしろ、何らかの関連した仕事につくべきだと思っていた。

 窓の外にも緑の葉っぱや高く伸びた茎が見えたから、ベランダにも植物が置いてあるのだろうと園田は思った。

 園田自身は、高校で生物を教えていても農学部を卒業したということは園田の考え方の根っこになっていて、消えるものではないと思っている。だから、多岐元が植物に囲まれた生活をしていることに、尊敬に似た感情をもった。

 園田にとって、大学一年の時の彼女の印象は、はなはだ薄い。彼女は合唱部に入っていたということくらいは知っていた。三年になると、専門科目と実習が増えたから、ほとんど同じ講義を受講した。卒業研究の研究室は異なったが、同じ棟だったから顔を合わす機会はしばしばあった。 

 その後のことは彼女自身がさっき語った。合唱部で二年先輩だった歯学部の学生と結婚し、歯科医師の妻になった。夫は大学病院と公立病院で研修し、故郷の山口県に帰って歯科医院を開業した。しかし、開業四年目に脳卒中で亡くなった。夫は次男だったし、夫の両親は長男が面倒を見ていたので、多岐元は子どもをつれて実家のある高梁市に戻ってきたということだった。姓は結婚したときのままだから、今は山野杏子だと言った。

 高梁に帰って、両親と同居して、ピアノを教えていた。小学生や中学生が大部分だから、夕方から夜に仕事は集中していたが、両親の協力で子どもたちのことは、何とかやれた。しかし、先々のことを考えて、長男が小学校に上がるときに、倉敷に来た。倉敷なら実家のある高梁まで近いし、ピアノ教室を開くにも何かと都合がいいと思ったからだ。多岐元が倉敷に住んでいることは園田にとっては意外な感じだったが、そう説明されて、確かにそうかもしれないと思った。女手一つで子どもを育てようと思ったら人口の多い市街地のほうが便利だろう。

「それで園田君は、結婚はしてるの?」

「いや、まだだよ」

「ああ、よかった」

「なぜ?」

「だって、強引にお誘いしたでしょう。だから、奥さんに何と言って来るのかと気になっていたの。悪かったかなと思ったりして・・心配だったの」

「取り越し苦労をさせたね。心配ご無用。気楽なもんだよ」

「だったら、いろいろ相談させてもらっていい? 子どものことなど」

「構わないよ、僕でよければ」

 その時、ドアのノブを回す音がした。何回も回しているようだ。なんだ、開いてたんだ。だから、回したらしまったから、どうなったんだと思ったよ。

 子どもの声だ。独り言のように言った。

 男のが子が入ってきた。ランドセルではなく、薄っぺらな手提げ袋を二つもっている。塾から帰ってきたということが一目で分かった。

 山野がお帰りと言うと「ママいたの」と笑顔を返した。

「ママの大学時代のお友達なの。高校の先生よ。ご挨拶しなさい」

「こんちわ。翔太です。妹は美香だよ。もうすぐ帰るよ」

 朗らかで、物怖じしない性格のようだった。園田は一瞬緊張したが、すぐにくつろいだ。

 玄関のほうでドアを開ける音がした。今度はすぐにやんだ。帰ったわよ、と呼びかけるように言う。

 少女はただいま、と言って入ってくるとみんなを見た。園田と眼があった。山野が先ほどと同じように言った。

「美香です。よろしく」

 翔太とほとんど同じくらいの身長だった。見ただけなら、どちらが上かわからない。 

 園田も、同じように、「園田と言います。よろしく」と言ったら、美香が笑った。

「高校の先生なら何でもできるよね」

 翔太は園田の方を向いてから、母親の同意を求めるように言った。

 園田はちょっと不安になった。サッカーとか野球を教えてくれと言われたら、どう答えようかと思った。一緒に遊ぶことくらいならできるが、指導はできない。一週間もすれば、指導のネタが尽きてしまう。

 多岐元が翔太を見て、何が言いたいのというような顔をしていた。

 さいわい翔太は初対面の園田を困らせるようなことは言わなかった。いったん自分の部屋に戻ると、ミニカーををもってきた。壊れて動かないと言った。

 外からだけではわからない。工具がないかと園田が言うと、翔太はまた奧の部屋に入ってからドライバーセットをもってきた。いずれも大きすぎて使えなかった。精密ドライバーと瞬間強力接着剤があれば何とかなるだろうと思った。

 園田は、今度来るときに、修理に必用なものを持ってくるよ、と言おうとして、一瞬躊躇した。ここに来る口実を作っているようで、山野にずるい男だと思われるのではないかと勘ぐった。しかし、先ほど、相談したいことがあると彼女のほうから言ったんだから、そんなことは気にしなくてもいいのではないかと思い直し、そのように言った。

「申し訳ないわね。でも、うれしいわ。また来ていただけるのだから」と山野は笑った。

 園田は安堵した。 

「いつがいい? 塾がない日がいいだろう」

「明日」

「明日は無理だな」園田は明日は精密ドライバーを買いに行こうと思った。

「明後日は塾だね。その次」

 カレンダーを見ながら翔太が言った。

 三日後に来ることになった。    

「食事を準備しておくわ。子ども達と食べて帰って」

 山野はさわやかに言ったが、一面では哀願しているようでもあった。

 

 山野のところを辞して、園田はふと不安になった。まだ、子ども達とは初めてあったばかりだ。それなのに、いくら大学時代の同級生だがらといって、食事までご馳走になっていいものか。子どもたちは何と思うだろうか。父親のいない家庭に、若い男性がやってくる。子ども達は単なる大学時代の友人だと理解できるのだろうか。あるいは、感覚的に母親と自分たちだけの親密な関係の中に他人が割り込んで来たことを拒否したりしないのだろうか。

 あるいは、自分が考えすぎで、山野も子ども達もそういうことに拘泥しない性格なのだろうか。様々な思いが交錯する。しかし、一方では約束してしまった。それを反故にする訳にはいかない。

 園田は翌日ホームセンターに行き、精密ドライバーと瞬間接着剤を買った。さらに遠回りをしてホビーショップへ寄って、先端の細いラジオペンチを買った。これと既にもっている工具セットがあれば、何とか修復できるのではないかと思った。

 約束の日は午後から雨が降り出した。池の傍の空き地に車を駐車して傘をさした。七時前だった。部屋の前で止まると、門灯のケースの上を見上げた。予想通りだった。網状に広がった銀色の糸は美しかった。

 山野はいなかったが、翔太と美香が待っていた。山野からのメモを翔太は見せた。少し遅くなるので待つ必用はないから、三人で食事をしてくれということと、忙しいだろうから、自分が戻るのを待たなくて、帰ってもらって構わないと書いてあった。

 食卓の上にはサラダを盛った皿にラップをかけたものが四つ。お皿が四枚とスプーンと箸が準備してあった。炊飯器と鍋はすぐに眼に入った。

 子どもたちがまだ食事をしていないことは明らかだった。

「まず、ミニカーの修理をするよ。済ませてから、食事にしようと思うがいい? お腹空いたかな?」と言いながら美香のほうを見た。

「だいじょうぶ」美香は首を振った。

「どれくらいかかるの?」翔太がすかさず口をはさむ。

「すぐ終わるよ」

 園田は二人の子ども達のためにも素早く済ますのがいいだろうと思って、言い終わらぬうちに工具と瞬間接着剤を取り出した。

 精密ドライバーで分解してみると、最後のギアが摩耗していた。園田は、小学生のときによくやった、姑息な手段を使うことにした。車軸を二つのラジオペンチで少しだけ曲げた。車輪は動き出した。これは応急処置だ。いつまでも持つものではない。今度動かなくなったら、ギアボックスを買い換え、車軸を元に戻せばよい。

「よし、終わった。これでしばらくはだいじょうぶだ」

 園田はねじを締めて元のように復元した。

「おじちゃん、すごいね。ありがとう」こう言って、翔太はミニカーを動かした。直ったのを確認すると奧の部屋持っていった。園田はその間に工具を片づけた。

「さあ、ごはんにしよう」

 戻ってきた翔太は、そう言いながら、鍋のかかったクッキングヒーターのスイッチを入れた。蓋をとるとかき混ぜた。少しかき混ぜてから、強さを最低の位置に合わせた。

 キッチンの周辺は山野の性格か上手に整頓されていた。食器戸棚に収まった多くの食器を見ながら、園田は自分の一人住まいとの差異を感じた。ここには家族がいることがわかった。

 夫は亡くなったと言ったが、その夫を含めた四人の家族が住んでいる空間だと感じた。たった三人で四人分の存在感があった。幼い兄妹と若い山野だけで、この雰囲気を創り出す力に感嘆した。かといって、そこが醸し出す雰囲気が自分を排除しようとするものではないことも感じられた。

 翔太と美香は遅い夕食をしながら、よく笑った。園田が日々の生活について尋ねても、楽しそうに語った。

 カレーを食べ終わった頃、山野が帰ってきた。山野はお茶を入れながら子ども達の話に加わった。

「おじちゃん、美香には何してくれる?」

「何って?」園田には意味が飲み込めなかった。思わず吹き出しそうになったが我慢した。

「お兄ちゃんには、ミニカー直してあげたでしょう。次に、美香には何してくれるの?」

「何してくれると言ってもね・・・」園田は返答に窮した。

「美香、それでは園田君わからないわ。美香がしてほしいことをはっきり言ったら」

「それじゃ、映画に連れって」

「映画?」山野は顔を赤らめた。

 子どもたちの休みのときはほとんど仕事で、しばらく映画もご無沙汰だということを山野は語った。ご迷惑でなければ、連れて行っていただけると助かるわ。ピアノ教室は土日が中心でしょう。だから、子どもたちとはすれ違いなのよね。

 土曜日、日曜日はピアノ教室を中心に動いているようだった。

 この前の土曜日はたまたま、通ってくる子どもの学校行事があって休みになったので空いていたのだ、と山野は語った。

 

 こうして園田は翔太と美香と三人で映画にいった。二人が喜ぶのを隣りで見るのは楽しかった。それに映画の内容も、大人がみてつまらないというものではなかった。アニメ映画はよくできていた。ストーリーには、意外性も備えていて、そこそこに楽しめた。

 映画の報告が一段落つくと、翔太と美香はテレビを見始めた。

「園田君は食事はどうしてるの?」

「外食と自炊が半々くらいかな」

 まあ、大変ね。よかったら、時々食べにきてよ。そうだ、火曜日金曜日は私が特に遅くなるの。だから、この時だけでも食べにきていただくと助かるの。どう、お互いにプラスだと思わない。

 一月ほど前まで、高梁の母が来て子ども達の面倒を見てもらっていたのだが、父の具合が悪くなって、母がそちらに帰る日が多くなったと言った。

 子どもたちだけで食事をさせていけないとは思っていたの。でも、仕方がなかったの。だから、園田君が時々来てくれると助かるのよ。ご迷惑かしら。

 

 山野とその子ども達との親密さが増すに連れて、園田はある種の充実感を自分がもっていることを自覚した。そして、胡桃のことを思い出した。胡桃は中学校時代の同級生だが、別々の高校に行った。園田は、胡桃の通う短大が自分の通う大学と近いことを入学後間もなく知った。いつしか二人は親密な仲になっていた。

 一年後、胡桃と歩いていた。国道沿いの歩道には商店が並んでいた。やがて、歩道は国道から別れ、両側に商店の並ぶアーケード街に連なる。

 そのアーケード街に入る手前の一画に、寄り添う母子の像があった。そこにはいくらかの花束が手向けられていた。

 園田はいつも見慣れているのに、その日は立ち止まって静かに眺め、説明板を丁寧に読んだ。胡桃が笑顔のままで待っていたので、少し時間をかけて丁寧に読んだ。

「あら、ごめんなさいね。おじゃましちゃって・・」

 若々しい女性の声に振り返ると、胡桃は小さな幼児を両腕で支えていた。そばにベビカーを押した若い母親がいた。ベビカーには生後何ヶ月も経っていないと思われる乳児が、穏やかな寝顔で横たわっていた。 

 園田はその朗らかな声につられて、その母親のほうに顔を向けた。子育ての苦労など微塵も感じさせることのない、幸せに満ち足りている爽やかな笑顔であった。

「いいえ、ちっとも」

 胡桃も微笑んだ。美しい笑顔だった。母親の幸福感が伝染したのか、胡桃も喜びに溢れていた。あどけない幼児のしぐさが、若い二人の女性にこれほどの幸福感をあたえるものだろうか、と園田は改めて思った。

 幸福に満ちあふれた胡桃の笑顔を見て、園田は幸福な気持ちになった。胡桃の優しさを改めて知ったと思った。   

 彼女もいつかこの母親のように子どもを産み、今以上の幸福感に満ちた笑顔を作るに違いない。通りすがりの母子に対してさえこのような笑顔ができるのだから、まして自分の子どもなら、これ以上の輝きを彼女は放つに違いない。

 あるいは、彼女もそんな光景を想像したのかもしれない。何年後か自分も、こうして幼子を連れて幸せで充実した日々を送っていると・・・・。

 その日を境に園田の胡桃への情熱は急速に冷めていった。そして二人はまもなく別れた。胡桃の未来に自分のそれを重ねることが出来なかったのだ。それから十年近い歳月が経っていた。風の便りで、胡桃は既に結婚していて、二人の子どもを育てながら、実家近くの幼稚園に勤めているということを知った。

 

 

 しばらくして、山野が、今度の日曜日、ピクニックに行きたいと言った。日曜日のピアノ教室は十時から正午までと午後三時から五時までだった。それぞれ別のところにある教室だ。午前中のほうは小学校の参観日になり、午後のほうは秋祭りと重なったので休みになった。園田にもぜひ行ってほしいと頼んだ。

 

 その日の朝、園田が玄関の上を見上げると、珍しく蜘蛛がいた。クサグモに似ていた。植木に運ばれてきたものかもしれない。これまでは、いつも夜に見るせいか蜘蛛は見えなかった。

 蜘蛛がいたが獲物はいなかった。しきりに網の間を動いては止まり、動いては止まっていた。網の修復をしているのだろうと思った。取り除いておこうかと思ったが、蜘蛛は益虫だし、注意して見ないとわからないほどだから見苦しいというものではない。しばらくそのままにしておこうと思った。蜘蛛は害虫である昆虫を補食するので益虫なのだ。とはいえ、農作物にとって害虫となる昆虫も、他の動物たちと互いに食う食われるの関係で繋がり、他の生命を維持するための糧となっているのだから、それなりの役割を果たしている。一方的に害虫と呼ぶのは人間中心の考え方に過ぎない。

 杏子は弁当を作って、待っていた。園田の車で四人は鷲羽山へ向かった。昼前に早めの食事をして、午後は遊園地へ廻った。遊具を順番に楽しんだが、ジェットコースターの前までくると、杏子は、私は無理だわと言った。園田に翔太と美香を預けて、下から見ることにした。三人が乗ったジェットコースターが近くを通るたびに杏子は手を振って歓声を上げた。

 帰りの車でも杏子は疲れた顔一つせず、園田に丁寧にお礼を言った。そして、「ついでだから、夕ご飯もご一緒しましょうよ。ね、いいでしょう」と甘えるように言った。

 途中で、買い物して帰りたいと杏子は言った。園田は杏子の指示通りに車を進めた。よく行く食品スーパーではあるが、これまで来たことのない店舗だった。駐車場は混んでいたが、幸い出入り口に近いところが空いていた。

 園田は、車で待ちながら玄関上の蜘蛛の網のことを思いだした。

 帰った時はまた見事なクモの巣ができているに違いないと思った。どんな虫があの網に飛び込むのだろうか。他の生命を生かすのが昆虫の宿命なら、銀色に輝く美しい網に捕らえられるのも悪くはなかろう、と園田は思った。

 翔太と美香はさきほどまではしゃいでいたのに、疲れが出たのか二人とも黙って、軽く目を閉じている。やがて、両手にポリエチレンの袋をかかえた杏子が戻ってきたので、園田は降りてトランクを開けた。一つの袋の中で缶ビールとワインの瓶が接していたので、園田はぶつからないように位置をずらせた。

2024年12月25日水曜日

動物隔離棟

 動物隔離棟

 

 農林水産省動物検疫所 関西空港支所 検疫第2課(関西空港検疫場,霊長類検疫施設)

 

 檻に入ったマカクザルは,赤いうつろな目で無機的に広がる青い空を見ていた。猿というのはだいたいが赤い目をしているので,目が合った運搬係も,そのことを気にとめることはなかった。この猿たちのほとんどは大学の医学部に送られる。

 検疫隔離棟には,既に別の猿の檻があり,他の動物が近づいたのを察したのか,一際高い声で鳴いた。キンシコウという動物園行きの猿だということは,さきほど運んだときに確認してある。

 種類の異なる猿が出会うのは珍しいことではなかったが,このような,他の種類が近づいたからといって,高い声を張り上げるのを聞いたのは初めてだ。

北斗アニマルファーム

広島・北斗アニマルファーム  4月18日(日) 

 

 このところ急に太陽が明るさを増したようだ。山々の新緑がまぶしい。名川沙耶子は、サングラスを通してほぼ南中しかけた太陽を仰いだ。キャノンに70ミリを装填して、肩に吊っている。それにバッグの中に200ミリのズームを入れてある。この重さも、今では気にならない。

 白と茶のタイルが市松模様に配されている。それに続く入場ゲートの隣に小さく見えているのが管理棟だ。白のタイルには森の緑が段だら模様のように映っている。茶のタイルのほうは、太陽光を斜めに照り返して黒く見える。


 市松模様のタイルの上を歩くと、幼いときによくした、ケンケンパという遊びを思い出した。思わず口元からケンケンパという言葉が洩れ、市松模様に合わせて腰が浮き立つのを必死でこらえた。ケンケンパ、ケンケンパ・・・、心の中で何度も反芻して、努めて自然に振る舞った。遠くからはこのタイルは近くの山の緑を反射して凝った色の鏡のように見えたが、近づくとありふれた茶と白のツートーンだった。それでも、あまりすり減ってないせいかピカピカと輝いて気持ちがよい。バッグが前後に揺れるが、これはいつものことだ。

 受付専用の小窓があるわけではない。管理室と書かれた建物の入り口のアルミ製のガラス戸を半分開け、瀬戸内海タイムズのものですが、というとすぐに近くにいた薄いグリーンの作業着を着た中年の男性が寄ってきた。かなり長身である。沙耶子は名刺を出した。まわりの男性も同じような、薄いグリーンの作業着を着ている。ここの制服のようだ。別に現場にいるわけではなく、たいていの人がこの管理事務所でデスクワークをしているに違いない。が、現場作業に適した作業着を着るということにどのような意味があるのか、沙耶子には想像できなかった。男は、こちらへと、応接椅子に誘導した。薄茶の人工皮革だ。手摺りや枠が木製で、これなら長持ちしそうだと思われた。応接椅子が二セットあった。そのうちの西側の、入り口から見ると左手にあるほうに案内された。男は名刺を差し出しながら名前を名乗った。管理課長という肩書きだ。どうぞおかけください、という声を聞くやいなや沙耶子は腰を下ろした。男が何か?と、言わんばかりに無言で顔を上げたので、沙耶子は、促されるように口を開いた。

「あの、キンシコウのことを記事にしたいのですが・・・、ご連絡をありがとうございました。」

 キンシコウのことは、昨日の夕刻、動物園のほうから社に電話があった。

 中国原産で、孫悟空のモデルになった猿だという。『西遊記』は読んだことはないが、孫悟空の話は何度も聞いたり、テレビやアニメ映画で見たりした記憶がある。猿、といっても、話し、飛び、闘うのだから、多分に擬人化されたもので、そのモデルと深いつながりがあるとは思えない。しかし、一応は孫悟空のモデルとしていつも紹介される。来る前に調べた図鑑にも、孫悟空のモデルだと書いてあったので、そのことについては、従っておいてもいいと思った。

「非常に珍しい猿ですから、しばらくは置いておきたいのですが、今回は1週間しかないので残念です。」

 市内の幼稚園には案内を出したので、連日団体で訪れているという。

 担当者には話がついているということで、名川沙耶子は案内者なしで、一人で事務所を出た。

 北斗アニマルパークは、初夏を思わせる日差しに輝いていた。黒いアスファルトが、銀色に光っている。中国から送られてきた孫悟空のモデルだと言われているキンシコウ(金糸甲)の公開は、1週間ということで、唯一の日曜日である今日は、大賑わいだった。

 まもなく、一段と賑わっているところが目についたので近づくと、予想に反せず幼稚園児が集まっていた。珍しい熱帯産の色鮮やかな野鳥は、檻から出されているのに、逃げることもなく、嘴を忙しそうに動かしながら、止まり木の上を行ったり来たりしている。その隣の子どもたちで賑やかなところが、キンシコウのコーナーだった。幼稚園児は飼育係の誘導で、直接猿に触れて喜んでいた。

 動物に触れる機会の少ない子供たちにとって、凶暴性の少ない動物との触れ合いコーナは、子供たちに人気があるだけでなく、大人の多くも珍しい体験がきっと子供たち成長の糧になると信じて疑わない。若い母親たちには、学校でニワトリや兎を飼育した経験はあるが、家庭では限られたペットしか飼育の経験は少ない。だからよけいに、こういうところでは、子供たちに思い切り遊ばせたいと思っている。

 飼育係に鎖で繋がれているとはいえ、愛嬌を振りまいているところは、人気者になる素質十分である。同じ猿でありながら、こうまで、異なるものであろうか。

 キンシコウはまるで、その鎖が眼中にないかのように屈託がなかった。

「瀬戸内海タイムズです。写真とらせてもらってよろしいですか」左腕の深緑の腕章を少し持ち上げて、飼育係りのほうに示した。

 飼育係は「ええ、いいですよ」と笑顔をつくるとすぐにまた、子供たちのほうへ目をやった。

 この動物園には、もう何回か取材に来ている。管理棟では名刺を出すが、園内ではそれぞれの飼育係とはこの程度の挨拶で済ます。今日の飼育係の男性は名川沙耶子にとっては、初めてだった。沙耶子よりは少し年上であろうか。作業着に、やはり同じ灰色の帽子を被っているので、少し若く見えているのだと沙耶子は思った。

 動物園がこんなに賑わうのは、子供の日以来だということだ。

 名川沙耶子は、園児と猿の両方の表情をねらってシャッターを押した。猿の方は、愛嬌のある表情が溢れていたから、どのアングルからでも満足のいくものが撮れそうだった。しかし、同じフレームの中に、それにマッチした園児の表情を入れようと思うとタイミングが難しい。やっと入ったと思うと、逆光になって猿の毛が後光のように見えて、使いものにならなかった。

 

 それでも、今回の取材が楽しかったのは、子供たちが伸び伸びとしていたことによる。

 どうやら、こんなに子供たちが伸び伸びしているのにはもう一つの理由があった。リスザルである。リスかサルか?と、問われればやはりサルだと人は答えるに違いない。しかし、サルにしては小さい。特に頭部が異常に小さい。丸い頭部はまるで毬栗頭の幼児のように愛らしい。目は絶え間なく左右に動く。動きも敏捷だ。まるでリスのように木から木へ、枝から枝へと移り、ときに飛ぶ。いやこれはサルの動作だ。違う違う、どちらでもない。いや両方に似ている、というのが正直な感想か。

 隔週で掲載している教育特集が、悲観的な話題が多いので、気が滅入ってしまいがちだが、今日の子供たちを見ていると、そんなことも忘れて、晴れ晴れした気持ちになった。

 

 圓舎を出ると強い紫外線を浴びながら、帰路についた。アスファルトで舗装された道は、直射日光があたって輝いている。地面の上には暖められた空気が上昇して陽炎のようにゆらめいていた。

 名川沙耶子は、もっと詳しく取材すべきだったと思った。キンシコウが日本に3匹しかいないというのも、どこの動物園にいるのかも聞かなかった。そして、それがいつのことで、現在ほんとうに他の3頭が生きているのかも、確認していなかった。

 

 また、やっしまった。思い出すのは、鹿田のことである。鹿田から学んだ教訓を、忘れていたのだ。気をつけていても、ときどき忘れてしまう。名川沙耶子は鹿田のことを思い出した。

 名川沙耶子が、最初に社会部に配属されたときのデスクであった、鹿田多賀夫からは、取材の初歩から習った。

 取材してきた全てを記事にしたときだった。他にないのかと、鹿田は尋ねた。ええ、これがすべてです、と佐恵子が言うと、鹿田は不思議そうな顔をした。見る見るうちに怒りの表情に変わったが、言葉を発せぬままに、元の表情に戻ると、いいか、よく聞いておけ、と言って、懇々と語り始めた。書きたいことを念頭において取材することも確かに必要なことだが、当面書く当てのないことでも取材はしておかなければならない。記事にできるのは、せいぜいその十分の一ぐらいのつもりでおれ、というものだった。言われてみれば、ごもっともなことである。

 しかし、実行するとなるとなかなか大変である。ついつい、取材しながら記事の輪郭を頭の中で組み立ててしまう。そうすると、相手に尋ねることも明確になるし、取材の効率もよい。そうして記事ができたような気持ちになる。気持ちになるだけではない。帰ったときには、だいたいできている。

 足らないところは、後で電話すればいいか、と思いながらスロトッルを回した。ヘルメットの縁を打つ風が冷気を含んで心地よかった。 

突発

 突発     420日                  

 

 窓を開けなくても暑くもなく、また寒くもない時候になった。桜の花こそ散って、緑の葉が豊かに樹木を覆っているが、スイトピー、桜草が、煌びやかに日の光を反射している。

 木口一枝は、今の季節が最も好きだった。なぜなら、自然の色彩と園児たちの表情が完全にマッチしているからである。園長になって三年目の春である。そろそろ自分なりのカラーを出してみたいと思っている。もちろん、二年間に何もしなかった訳ではない。節電によって浮いた経費を草花に費やして、一年中何かの花が咲いているようにしたのも、その一つである。また、先生方の仕事を減らすために、文書を減らした。しかし、このようなことではなくて、教育観ともいうべきものを、もっと全面に出してみたいと、昨年の秋ぐらいから考えていた。

「みんなで七人ですね。今の季節では、多いようね」


 さくら組担任の、川口佐恵が、欠席した園児の名前を記入し終わるのを待って口を開いたのは、園長の木口一枝である。

「昨日が3人ですし、何か流行っているのかも知れません」と、言って川口佐恵は慌ただしく、園児室のほうへと帰っていった。「はい、ご苦労さま」と、見送って園長席に戻ったが、少し気になった。慌ただしく出ていくのは、いつものことであったので、驚くにあたらないが、欠席者の数については、気になる。かといって、教育委員会に連絡するほどのことはない。

 去年の園務日誌を取り出した。スチールの園長机の後ろに並んだ黒い紐で綴じた書類の中から、最も新しい一冊を取り上げた。この頃は休みはそんなに多くない。「零、一、零、零、一・・」と同じ週の欠席者を、月曜日から数えた。

やはり、今年は多すぎる。念のため一昨年のも開いた。さらに前後二週間についても調べた。

 昨日三人休んだ。今日は七人休んでいる。

 冬場の風邪のシーズンならともかく、このようなことは珍しい。もっとも、麻疹などのような病気が流行すれば、園児が一度に休むこともないではないが・・・

 教育委員会から届く流行注意報なども特別なものは来ていない。これも念のため綴じてある書類を当たってみた。一月にインフルエンザについての流行注意,二月に麻疹の流行についてのものがあるだけだった。

 

 昼前になって三人が嘔吐した。

 

 園医の島本に電話した。三人が嘔吐した。

「今朝から保育園で何か食べさせたものはありませんか?」

「ええ,そういうのは一切ありませんわ」

「そうですか,それで様態のおかしいのは、園児三名だけですね」

「現在いる園児では、3人だけだが、他に7人が休んでいる。いつもより多い。」

「・・・帰らせたほうがいい。それも、個別に」

 感染症の流行の可能性があるので、園児を帰したほうがいい。それもできるだけ別々で。

すぐに、行く。

 園医に電話がかかった。園長から、電話がかかったとき、ちょうど外来はとぎれていたので、すぐに行くことにした。道々、考えた。もし、子供たちが園で何も食べずに、同時に3人も嘔吐したのなら、同じような病気に感染した可能性がある。

 

  園児はすぐに、入院した。入院か、通院かという迷いも何もあったものではない。医師の目の前で、見る見るうちに衰弱してゆく。こんなことは、初めてだ。小児科医として数年勤めてきたが、このような病気は診たことがない。患者対医師の場合は、患者を前にして弱音を吐くことは、自己の方針として極力避けてきた。もちろん、明らかに他の科に変わるべきときは、積極的に勧めてきたが、このような場合には明確な方針があった。しかし、今回の場合はどうだろうか。正直言って、手遅れに違いはない。でも、・・・診断すらつかないのだ。

最後の会話

最後の会話


「おはよう」

 ものうそうに,オメガ3321がオメガ2876に声をかけた。

「ああ、おはよう」と同じように、オメガ2876が答えた。

 静かな夜明けだ。浅い眠りからから覚めた二人は、いつものように平穏な会話を始めた。

 二十一世紀の終末近くなって人類は最後の目標ともいうべきコミュニオン3計画に成功のメドがついた。

 二十一世紀の初頭から、人間のもつ種々の機能を人口頭脳つきマニュピレーターが代用するようになった。

 ここで、その進歩の跡を少したどってみよう。進歩の跡それ自体も、人工頭脳つきマニュピレーターの巨大なメモリーの中に格納されているのであるが、ここではそのメモリーを引き出すこなしに、著者のの見解に基づいて、あらましを記しておくことにする。

 実は、このようなことは人口頭脳つきマニュピレーターにとってはいともたやすいことで、「コンピュータの歴史」という検索をかけて、そのプリントアウトの大きさや観点など、必要事項を入力すれば、たちどころに希望のものが打ち出されることになっている。 しかし、そのようなあまりにも整然としたものであるのも、ある意味では面白みに欠けるのでここでは著者の独断で、この本の読者に必要最小限の範囲でアウトラインを要約しておこうと思う。

  エム342とエム248は二人だけで,相談した。そろそろこの面倒な会話から、自由になってもいいのではないかと、最初に言い出したのはエム248のほうである。しかし、いまではもうエム342のほうが熱心にこの考えを遂行しようとしているのだ。

 夜半近くなって二人の意見が一致した。

 エム248がほんの短いパルスを発したのと同時に、オメガ2876とオメガ3321へ送られる栄養輸送チューブのバルブが閉じられた。

 まもなく、オメガ2876とオメガ3321の会話が次第に緩慢になって、ついに誰にも聞き取ることのできないほどの弱さになった。

 この瞬間をもって、かつてホモ・サピエンスと呼ばれていた種の使っていた言語は宇宙空間から永遠に消えた。

 それ以後、この宇宙には1と0の符号だけが行き交うだけになった。

 

 花吹雪

   花吹雪


 虹の章 (0~16)        0205

 東から西へ向かって流れる千町川は、その流れがあるかなきかに停滞している。

 淡い初秋の陽が川面でわずかに反射し、柔らかい日差しは川底の小魚を照らした。鮒に似た小魚が数尾群れをなして、藻を漁っている。このあたりでは「はえ」と呼んでいる。 はえの群れはときおり餌を見つけると、その餌に飛びかかっていく。そのとき身体の線がキラッキラッキラッと銀色に光った。

 千町川からは何本もの水路がまっすぐ伸びている。水路の両端は緑の雑草が繁り、それが風に揺れながら水面に写っている。

 このあたりは、吉井川の下流に開拓された大平野で、水の流れはほとんどない。それでも、上流の井堰からは、四季を通じて近くの水路へ水が流されているので、いつも水は清く澄んでいる。

 疏水のところどころでは、田舟と呼ばれる小さな舟が捨てられたように浮いている。長方形の底の浅い舟で、木膚は乾いて白っぽくなっている。

 田舟の底に雨水がたまっている。棹が一本無造作に措かれ、先端がその濁った水の中に浸かっている。

 その舳先に赤トンボが一尾、羽を広げて休んでいる。さっきからずっとそうして、まるで死んだように動かない。


  明治十七年(一八八四年)

 その年はいつになく残暑が弱く、秋の訪れが早かった。

 九月の半ばだというのに、既に空の色は秋空の色だ。

 用水の水は澄み、田舟が等閑(なおざり)に置かれている。その用水路から、南のほうへと小高い丘が伸びて、上のほうが竹薮の濃い緑に覆われている。緑色の笹の一部は、珍しく、立ち枯れて薄茶の葉裏を見せている。その一端は太陽を写して、黄金色に揺れている。その緑の竹薮に抱えられるようにして、低い瓦屋根の家がある。一応南向きに建てられてはいるが、前面から東側にかけて欝蒼と茂った竹が折れ重なるように曲がっているから、夏でも幾分か日影を作って涼しいくらいであった。しかし、その分だけ冬は寒かった。 七歳になる娘の松香が傍らで遊んでいる。さきほど、妻の実家から、男子が誕生したという知らせを受けた。菊蔵は男子が欲しいと思っていた。男でも、女でも、どちらでもいいものの、家を継がせる男子が一人は欲しいと思っていた。だから、男の子が生まれたという知らせを聞いたとき、喜びももちろんあったが、それと同時に、今度はうまく育てなければ、という気持ちが強かった。というのは、去年長男を失っていたからだった。

 しかし、考えてみれば、育つ育たぬは後の話で、まずは丈夫に生まれてきたことはめでたいことだった。

 (家の中から、か細いがしかし、どこか元気そうな生まれたばかりの赤ん坊の泣き声が聞こえた。その声を聞きながら、)

 生まれたばかりの男の子といっても、その顔形をどう想像してよいものかわからなった。松香をはじめて見たときのような、稚い顔ではないかと思ったりした。

 ふと畠の上を見ると、さっきから秋赤羽が夥しく群れをなして飛んでいる。おや、もうこんな時候になっていたのか、と思った。そういえば、朝夕の冷え込みが、いつもより少し早いような気がする。それに日中の陽も九月の半ばにしては弱い。例年だともっともっと残暑が強い。しかし、今年は、午後になると、急に陽も弱くなり、夕刻にでもなれば、稲穂を揺らす風が、どこからともなく冷気を運んでくる。いつまでも、薄着のままでいるわけにいかず、知らずしらずのうちに、上着を羽織っていた。

 しかし、気候のせいか、家の前の薮もいつもよりよく茂っているように思える。

 秋空も濃いが竹の緑も濃く、竹薮はずっとずっと前より緑めいているような感じを起こさせる。

 ……この子もこの薮のように丈夫に伸びてくれればいいが、と思う。そうだ「茂」がいい。と菊蔵は思った。そして、すぐに

「次男だから、茂次郎はどうだろう」

 と口に出して言った。

「うん、いい。いい。茂次郎だ。こりゃあいい。」

と一人で悦にいった。

 茂次郎という名前にしたとき、菊蔵の胸の中は、何か希望とでも呼んだらいいような、明るさが満ちてきた。この子に限って、立派に成人するという、確信のようなものが、みるみるうちに、盛り上がってくるのだった。 自分でも気がつかないうちに、顔がほころんでいた。

 少し坂を降りて、水路まできたとき、風が微かに吹いた。青い空を写した水面を、小さな波が走った。陽にあたっている、何も乗せていない田舟が小さく揺れた。そしてへさきに止まっていた秋赤羽が、思い出したように軽く飛び立った。透明な羽が赤くすけて、空を舞った。

「もう、秋か」

 菊蔵はさっきと同じことを言った。それから、首を少し上げて、空を見、振り返ってから、家の東の竹薮のほうに目を転じた。

 竹薮の上に七色の虹の帯が大きく円弧を描いているのが見えた。

 芸事には何でも興味をしたが、自然の移りかわりなどには、あまり見とれたことのない菊蔵にも、このときの虹はとりわけ長い間あきれたように見続けた。久しぶりにのんびりと家の前の竹薮を見たことになる。

 虹はこの地方では、よくかかった。午後になって雨が上がると、よく虹が出た。だから、虹などさして珍しくも何ともない。しかし、今日の虹はとりわけ美しいと思った。

 初秋の澄んだ空気が、いっそう美しくしたのかもしれない。また、竹薮の向こう、東のほうへ秋のそよぎも、今日の虹にうまく対照した。いままさに黄金色に変わろうとしている田んぼの稲穂は黄緑色の穂先を少し傾けている。今年は台風が来なかったので、ほとんど折れた茎はなく、きれいにそろって、細波のように秋風になびいていた。

 そしてそのそよぎが、水路に写った。水路は空と、そよぐ稲穂は、水とたわむれているかのように、水面をたゆとうた。


  二


 千町川の両側には、人と荷車がかすかに通れるほどの土手があり、四季おりおりの野草が見るものの目を楽しませた。

 田んぼはまだ、稲の切り株が残されたままだが、ところどころに緑色の若草が芽吹き、まもなく訪れる田植えの季節を待っている。 千町川や千町川から田んぼの中に入る疏水には、鮒やハエがたくさんいる。めだかやどじょうもいる。少し注意すれば、雷魚や鯰もとれる。男の子ならば竹棹を利用したり、ざるを使って思い思いの小魚を獲るのがこの時期の楽しみである。たいていは土手の上から、うまい具合に、篭を水中に浮かして藁縄を巧みに操って、引きあげたときには、何尾かの小魚が入っている。


  二 


 姉の松香は、やさしい人であった。無口で男の子と遊びたがらない茂次郎をつれて、お宮や権現さまへ、遊びに連れていってくれた。だから、おのずと茂次郎の遊び相手も女の子が多くなった。

 「かーごめ、かごめ、かーごの中のとーりーは……」

 春の淡い日が西に傾きはじめ、うっそうたる巨木におおわれ、昼でもうす暗い妙見様の境内は、いっそう日の光が乏しくなった。遠くで、烏がねぐらに急いで、鳴きながら飛んでいった。

 しかし、村の子供らは、まだ帰ろうとしない。自然、松香と茂次郎も帰らない。

 西の空を茜色に、夕日が染める。ひつじ雲が静かに流れる。その雲の向こうに、何があるのだろうか。茂次郎は、子供心に思った。屋根の丸いお城があるのかもしれない。あるいは長い長い煙突が何本もたった、へんてこりんな家がたくさんたくさんあって、人々が忙しそうに働いているかもしれない。そして、こちらが次第に日暮て夜になると、そちらの街は、これから少しずつ明るくなって、人々は動きははじめるのかもしれない。……と思ったりする。そういう思いをめぐらしているうちに、日が沈んでいくのがわかるかのように、あたりを夕闇がおおいはじめる。茂次郎はその暗さに気が付くと急に怖くなり、松香の傍に近寄りたくなった。

「姉やん、もう帰ろう」

「そうしょうか。ほなら帰ろう」

 松香も、そろそろ帰ろうと思っていたらしく、すぐに茂次郎に同調した。

「みんな、またね」

 と松香は他の子供たちに言うと、茂次郎の手を引いて、急ぎ足で家路についた。

 妙見様の森から出ると少しは明るくなったが、それでも秋の夕暮は早い。二人の長い影法師が、枯れて薄茶色になった草の茂った道を揺れながら移動した。