昭和29年(1954年) 5月 白滝市子ども会発足
昭和28年に因島市制発足。御調郡重井村は因島市重井町となった。市とはどんなものかを児童に理解させるために児童会を白滝市と名付けた児童会活動で、当時の登里豊校長の発案によるものだった。資料は『子供の町 白滝市の歩み (白滝市10周年記念)』(因島市立重井小学校、1965年2月)による。
創設当時の学校経営 登里豊 校長
昭和29年4月1日、御調郡重井村立重井小学校は、因島市立重井小学校に校名が変更されました。
このことは、子供達にとつて大きな意味をもつことはいうまでもありません。
目に見える校舎も、校庭の樹木も、友達も町のようすも、何等の変化も受けないですむもので しょうか。
目に見えない力は動きつつあります。国替えともいうべき政治の在り方が変化したことによって、動き出した生活に、敏感であるべき子どもが、とり残されるはずはなく、亦とりのこさせては、いけない大事なことであります。
民主政治は、住民の、住民による、住民のための政治でありますから、昔のように、為政者の交替によつて、急転する政治ではありませんが、政治機構、経済構造に大きな変革をもたらすことは当然であります。
町づくり、村づくりの根本である教育がこの社会変革を見逃してはなりません。動いている生活の波をとらえ、しっかりした課題を、築いていくことが、重井教育の課題であったのです。
柏原伝六、村上長右衛門の先人を出し、新開、だんだん畑へと生活を開拓したことなど伝統ある重井人のよさを、しつかり身につけた自主的な子どもと動きつつある社会に適切な順応しつつ、 力強く社会を建設していく力をもつた社会性、豊かな子どもをどのようにして教育していくかが、 当時の私の念頭にあつたことであり、全職員の共通した目標でありました。
一つの世界の開托は、次の世界の発見を求めてやまないものであります。人間は永遠に新しい世界と生活を、求めてとどまるところを知りません。
教育の道も亦 、天国に通じる階段のようなもので、一段一段とふみしめながら、永遠に続いているのであります。一段一段が永遠に続いているのでありますから、当然この一段、この一瞬の生活を見のがさない努力が必要になってきます。
ふみしめた現実生活の中にころがっている小さな抵抗を、何とか除去しようと意識し、努力するところに、子どもは子どもなりに、社会の一員として自分の位置づけを自覚し、子どもらしい行動を表現し、子ども自身のものとして、何かを学びとろうと構えるのだと思います。この構えがあつて、はじめて教育活動は真のものとなると信じます。
己れの足で立ち、課題に立ち向う素質としての学力は、全教科の学習の中で培われ、生活指導の場で身について参ります。そこに教育構造があり、一致点に白滝市教育の発生を見ました。
その構造は、又学校教育としての、歴史性と、伝統性の上に立ちます。重井小学校は、終戦後歴代の校長を中心に実験学校や研究校としての成果を挙げた学校であります。
歴史のある学校としての誇りをもち、自分たちの学校として、限りなく愛する活動の中に、新しい学校を生み、他の多くの学校を尊重しつつ、そのよさを学んで、より立派な自校にしていく力が表われると考えた私たちは学校生活の一挙手一動作を、自分のものとする教育のしくみにする方法として、白湾市教育に着手しました。
どこまでも、これは方法手段でありますから、年が変わり、子どもが変わるにつれて工夫改善される性格をもつていることを念願しつ、当時の同志は、互いに励ましつつ、精いつぱいの努 力をしたのです。(p.4)
巻末のあとがきを載せる。著者は不明。
後記
子どもの町として白滝市が誕生した頃は、町民というか市民というか在籍の児童数が800を超えており、学級数が18、職員の数も20人に余っていた。あれから十年、昭和四十年度には、12学級400の児童数になってしまう。町は淋しくなるだろうか。栄枯は世の常とはいえ、十年にして半減はきびしい。もつともこれは大人の世界でのことで、子どもの町には、数による消沈は考えられない。いつそう意気さかんである。 (中略)
十年たてば、苔もだいぶたまる。伝統のはくはつくかも知れないが、みずみずしさは失 われてくる。何よりもおそろしいことは、惰性に流されることである。去年のまま、来年 の通りにやつておれば間違いなしと、安易な浅瀬のみを捨おうとする。生気の見られぬ教育ほどうら淋しいものはない。白滝市は十年の歴史を重ねたのだが子どもたちは年々に新 しいのである。私たちは自重しなければならない。
白滝市十年の歩みをふりかえつて、生かすものを生かし、新しいものを生みだす勇気を もっことが必要であろう。生かすものの第一、それは白滝市創設の精神、つまり、創造へ の勇気、ということである。 1965.2 (p.114)
白滝市年譜(p.12)
昭和29年度
5月 白滝市創設、
6月 広島大学三原分校教授池田勝人先生を迎え、生活指導校内研究会を開く
昭和30年度
5月 白流市制記念祭
6月 特別教育活動研究会
6月 安松因島市長白滝市議会見学のため来校
11月 中国新聞社より白滝市探訪のため来校
11月 促進学校第一回研究会
11月 白滝市子供貯蓄組合大蔵大臣より全国表彰を受く
1月 優良子供会全国表彰受賞
1月 子供貯蓄組合因島市長より表彰を受く
1月 促進学校第二回研究会
昭和31年度
5月 白瀧市制記念祭
1月 甲立小学校より学校参観のため、職員児童来校
1月 白滝市子供会毎日新聞社より表彰を受く
昭和32年度
5月 白滝市制記念祭
9月 白滝市子供会活動を朝日放送が全国向け放送紹介
11月 倉沢視学官視察のため来校
昭和33年度
10月 白滝市郵便局大蔵大臣より優良子供銀行として全国表彰を受く
11月 白滝市郵便局因島市長より優良子供銀行として表彰を受く
12月 豊田郡大長農協郵便局活動見学のため来校
2月 山陽テレビ取材のため来校
昭和34年度
4月 佐伯郡大古小学校PTA子供会見学のため来校
12月 大浜小学校児童会参観のため来校
1月 学習研究社より白滝市子供会活動取材のため来校
昭和35年度
4月 校歌指導のため作曲者来校
6月 白滝市子供会活動取材のため、中国新聞社より来校
11月 白滝市文化祭
2月 特別教育活萄研究発表会
昭和36年度
5月 白滝市制記念祭
11月 白滝市文化祭
11月 学習研究社より取材のため来校
昭和37年度
5月 白滝市制記念祭
5月「家の光」より白滝市子供会活動取材のため来校
5月 高田郡向原小学校より職員児童来校交歓会(児童各家庭に宿泊)
昭和38年度
5月 土生小学校児童会役員交歓会のため来校
9月 NHKテレビ局より取材のため来校
9月 関西テレビ局より取材のため来校
1月 NHKより取材のため来校
1月 ラジオ中国より取材のため来校
3月 学習研究社より教育賞を受ける
昭和39年度
9月 広島テレビより取材のため来校
11月 白滝市郵便局優良子供銀行として県知事賞を受ける
白滝市創年譜(p.12)
昭和30年度
5月 白流市制記念祭
6月 安松因島市長白滝市議会見学のため来校
11月 中国新聞社より白滝市探訪のため来校
11月 白滝市子供貯蓄組合大蔵大臣より全国表彰
1月 優良子供会全国表彰受賞
1月 子供貯蓄組合因島市長より表彰
昭和31年度
5月 白瀧市制記念祭
1月 白滝市子供会毎日新聞社より表彰
昭和32年度
5月 白滝市制記念祭
9月 白滝市子供会活動を朝日放送が全国向け放送紹介
昭和33年度
10月 白滝市郵便局大蔵大臣より優良子供銀行として全国表彰
昭和31年1月
11月 白滝市郵便局因島市長より優良子供銀行として表彰を受く
12月 豊田郡大長農協郵便局活動見学のため来校
2月 山陽テレビ取材のため来校
昭和34年度
4月 佐伯郡大古小学校PTA子供会見学のため来校
12月 大浜小学校児童会参観のため来校
1月 学習研究社より白滝市子供会活動取材のため来校
昭和35年度
4月 校歌指導のため作曲者来校
6月 白滝市子供会活動取材のため、中国新聞社より来校
11月 白滝市文化祭
2月 特別教育活萄研究発表会
昭和36年度
5月 白滝市制記念祭
11月 白滝市文化祭
11月 学習研究社より取材のため来校
昭和37年度
5月 白滝市制記念祭
5月「家の光」より白滝市子供会活動取材のため来校
5月 高田郡向原小学校より職員児童来校交歓会(児童各家庭に宿泊)
昭和38年度
5月 土生小学校児童会役員交歓会のため来校
9月 NHKテレビ局より取材のため来校
9月 関西テレビ局より取材のため来校
1月 NHKより取材のため来校
1月 ラジオ中国より取材のため来校
3月 学習研究社より教育賞を受ける
昭和39年度
9月 広島テレビより取材のため来校
11月 白滝市郵便局優良子供銀行として県知事賞を受ける
『子供の町 白滝市の歩み (白滝市10周年記念)』(因島市立重井小学校、1965年2月)による。
学校・児童の活動に合わせて年度ごとに示してある。
昭和31年1月
機構図
昭和40年(1965年)2月
白滝市制10周年記念「特別教育活動研究協議会」を開催す。
2月24日、白滝市子ども会十周年記念式典行う。因島市長麓新助氏来賓として来校。
昭和42年4月NHK〝白滝市活動〟を録画する。
5月“明日は君たちのもの"全国放送をする
昭和43年2月特別教育活動研究会
10月優良子ども銀行として文部大臣賞を授与される
