2026年7月10日金曜日

安全な化学実験のために

 安全な化学実験のために

柏原 林造(理科)

 化学の授業では,できるだけ生徒実験ができるように教材を配列してあるし,設備・器具も整えてある。しかし,実験には事故はつきものであり,片時たりとも油断してはならないものである。事故というものについて考えてみたい。

 随分前のことだが,NHKのテレビコラムという番組があって,柳田邦男さんが事故が起こるという文章を英語で言うとき意志未来willを使い,shallではないのだと,指摘されていた。英和辞典を開いてみると,「Accidennts will happen.[どんなに用心しても]事故は起こるもの。」(旺文社英和中辞典)とある。想定できるあらゆる危険性を取り除いて,どんなに注意しても事故は起こる。事故とはそういうものなのである。これが事故というものなのである。

 化学の実験では,それぞれの実験において危険なところ,特別注意すべきところが,おおむね決まっている。あらかじめ指導され,その注意に従い,用心しながら実験を行う。それでは,用心しておればそれでいいのかというと,そうではない。それでも起こるのが,事故というものなのだ。

 よくテレビで,大事故が起こったあとで,「危ないところだと思っていた」とか「何時起こるかひやひやしていた」といかにも常識人らしく言う人の談話が放送されることがある。被害者や当事者や,あるいは遺族の立場に立てば,そこまでわかっていたのなら,何故改善要求を出すなりしてくれなかったのかと,その無責任さに腹が立つことだろう。

  家庭でも社会でも,予想される危険性は改良改善され,随分安全で快適な社会になったと,多くの人が思っていることだろう。しかし,それでも事故は起こっているし,永遠に無くなることはないであろう。

  安全でより快適な社会になればなったで,危険予知能力は低下するのは,人間が機械ではなく動物なのだから,当然のことである。だから,安全に関しては,これで十分ということはあり得ないし,マニュアル化されたもので十分ということもあり得ない。

  このことは,化学の実験に限らず,日常生活のあらゆる場面で出会うことである。常に安全ということについて考えていきたいものである。

 ただ単に手先の器用さとかだけでなく,意識の問題も考えれば,化学実験に関しても,今まで安全にやれたからと言って,今後もずっと安全に実施できるとは限らないのであり,耐えず教材の見直しは必用なのである。

   それでも事故が起こったら,それぞれの立場で迅速な対応をするし,原因究明もするが,起こったことに対しては運命として諦めるしかない。しかし,諦めきれないことのほうが圧倒的に多いのもまた事実である。

 しかし,最近異変が起こった。以前実施していたことで今は行っていない実験が何例かある。それは,現在の生徒にとって危険だと判断したためである。


空海と水銀

  島田荘司さんの作品で一番な好きなのは「羽衣伝説の記憶」である。これは「北の夕鶴2 3の殺人」の続編にあたり、さらに「涙流れるままに」「龍臥亭事件」と続くのだが・・。二番目に好きなのが「暗闇坂の人喰いの木」で、これは気持ちの悪い怖い話だがゴシックロマンの傑作である。その中に水銀を動脈注射すると剥製になるというような話が出てくる。島田さんの講演会には二度行った。最新科学の知識を本格推理に使うべきだというのが持論のようで、昨年の「アルカトラズ幻想」でも重力と恐竜の話が出てきて、よく調べておられるのに感心する。(別の作者のガリレオシリーズも、科学技術満載で、これはこれでおもしろい)。だから、水銀の話もほんとうだとは思うが、謎のままだった。

 以前、四国八十八ヶ寺巡りを車で二回行った。高野山へはその間一度参詣した。四国では、西行が訪ねた崇徳上皇陵(「雨月物語・白峰」)、平賀源内の墓、屋島、義経上陸の地、紀貫之住居跡なども近くにあった。また、内子から岩屋寺へ向かう険しい山道では大江健三郎さんの小説に出てくる森のイメージが膨らんだ。とはいえ、四国遍路というのは弘法大師空海のゆかりのお寺を巡るのものであるから、空海関係の本を読むことになった。

 司馬遼太郎さんの「空海の風景」は良い入門書である。空海の難しいところは史実としての空海と、弘法大師伝説とをどう見極めるかということにあるが、史実とかけ離れた伝説は空疎だし、伝説から完全に独立した空海伝があるとも思えない。そういうことを考えながら、読めば読むほど聞きしにまさる大変な人物であることがわかった。天才である。書も文章もすごい(難しい)。おそらく経典も他の書籍も読めばたちどころに理解できたのだろう。それに謎の多い人物である。そして夥しい弘法大師伝説。満濃池の改修(これは史実らしい)や井戸や水に関する伝説から、土木技術に熟知していたのではないかと思う。また、食べ物や病気に関する奇跡の話も多い。そして、伝説は今も作り続けられている。これは空海に限らず、安倍晴明でも西行でも信長でも、秀吉でも・・小説やブログで。

 空海と水銀に関する伝説が特に気になったので調べてみると、それらの多くが、松田壽男「丹生の研究―歴史地理学からみた日本の水銀―」(早稲田大学出版部)と「古代の朱」(ちくま学芸文庫)に拠ることがわかった。丹生という地名、丹生神社の存在地を訪ね、古記録や土質の化学分析から古代の水銀生産地を推定するという実証的な研究である。古代の水銀の重要性については、奈良の大仏の金メッキに水銀が使われたということでよく知られている。帚木蓬生さんの「国銅」(新潮社)にも描かれている。すなわち、金を水銀に溶かして、大仏の表面に塗り、水銀を蒸発させれば金が残る。同じ原理で金鉱石から金を取り出すこともできる。水銀は硫化水銀HgSとして産出する。これは赤に近い色をしていて、辰砂とか朱砂と呼ばれ顔料(色素)としても利用されたが、加熱すれば水銀になる。

 過日、井原市の丹生を訪ねた。近くの猪が掘り返した山肌は見事な赤土で、肥沃な土壌だと思われた。因島の痩せ土ばかり見ている私は思わず羨望の念を抱いた。

 松田博士の研究から、高野山が水銀産地だったことがわかる。また、中央構造線付近は鉱山資源の豊富なところで、水銀も産出したことが明らかである。ここから空海と水銀とのかかわりが示唆される。現に、高野山の金剛峯寺には丹生明神社も存在する。有名な「高野の御山にまだおはします」(「梁塵秘抄」)というのは、入定・即身仏という大師信仰の中心をなすもので、空海は仏となって高野山の奥の院の御廟で今も生きているという信仰である。

 松田博士は水銀の防腐効果に関連してイタリア、スペインのミイラで水銀を注射した跡のあるものを紹介されている。島田さんの水銀の話もこのことかと、二十年以上たってやっとわかった。

「空海の風景」にバイリンガルのはしりのような人だと書いてある。また、司馬さんは「花神」の終わりのほうで語学は技術だと言う。このことは明治の教育史にも出てくるので司馬さんのオリジナルな見解ではないと思うが、明治時代のみならず、空海の時代も、また現代でも当てはまるだろう。

 水俣病以来、水銀はすっかり悪者になってしまったが、物理的にも化学的にも素晴らしい性質をもった金属であることには変わりはない。超伝導はオランダの物理学者オンネスが一九一一年に水銀で発見した。これらの業績でオンネスは一九一三年にノーベル物理学賞を受賞した。水銀産地だった空海の高野山は熊野古道などとともに二〇〇四年に世界文化遺産に登録された。

理科教育における化学教材について

  理科教育における化学教材について                     

                                            柏原林造

1 化学教育の目標

 中学校の1分野と高等学校の化学分野における教材開発と指導法について述べる。

  まず,化学教育の目標について考える。 高等学校化学の目標は以下のようになっている。「化学的な事物・現象についての観察・実験などを行い,自然に対する関心や探求心を高め,化学的に探究する能力と態度を育てるとともに基本的な概念や原理・法則を理解させ,科学的な自然観を育成する。」1

  化学の目標は,これに課題研究などを行うことが加わる。また,中学校の理科1分野の目標で,化学に関係のあるものは,次のように記されている。

  (1)物質やエネルギーに関する事物・現象に対する関心を高め,その中に問題を見いだし意欲的に探究する活動を通して,規則性を発見したり課題を解決したりする方法を習得させる。」

(3)化学的な事物・現象についての観察・実験を行い,観察・実験技能を修得させ,観察,実験の結果を考察して自らの考えを導き出し表現する能力を育てるとともに,身の回りの物質,化学変化と原子,分子,物質と化学反応の利用などについて理解させ,これらの事象に対する科学的な見方や考え方を養う。」

(4)物質やエネルギーに関する事物・現象を調べる学習を通して,日常生活と関連付けて科学的に考える態度を養うとともに,自然を総合的に見ることができるようにする。」2 

  これらのことから,中学校,高等学校における化学の授業では,実験,観察,課題研究,探究活動などを通して化学の概念,原理,法則などを理解するとともに,科学の方法を修得し自然観を深めることが求められている,ということができる。


2 化学教育の内容

  以上の目標を達成するために,さまざまな教材を用いて,授業が行われる。まず,概念,原理,法則については,中学校,高等学校の学習指導要領に記載されている「内容」に基づく。いま学習指導要領の「内容」から化学教育で必要とされる概念を整理し,分類すると次のようになる。

    1,化学の基本概念

    原子,分子 イオン,物質量,化学結合 化学反応式など

    2,理論的・物理的な内容 

     状態変化,溶液,気体の法則,熱化学

    3,無機物質

    4,有機化合物ならびに高分子化合物

  化学教材とは,これらの内容であり,また,実際に扱われる材料とその扱い方である,ということができる。

  例えば,気体の性質では,ボイルの法則,シャルルの法則,気体の状態方程式,分圧の法則,気体の溶解度,理想気体と実在気体などが,教材である。これらは単元に属する個々の学習内容に該当するものである。また,これらを指導するために実際に用いられる,具体例,実験器具,薬品,モデル,練習問題なども教材ということができる。すなわち,ある単元を指導するのに「何を使って」指導するかというとき,その「何を使って」というのがまさに教材である。

  ボイルの法則では,圧力と体積に関する法則を指導するのに,ボイルや,気体に関する科学史的知識,われわれの日常生活に見られる圧力と体積との関係,例えば,エアークッションやタイヤなど。さらに実験によるデータの収集と解釈,ならびに一般化,そして計算問題となる。また,併せて,圧力に対する基本概念の理解が必要であるので,その説明が必要となる。

  以上のことから,化学教材の開発とは,何を用いてその内容を指導するかということに,尽きる。そして,前述したように,化学教育の内容は多様であるとともに,理論的な内容から各論的な内容にまで多岐に渡っているので,その教材も多様となり,扱い方もまた多様となる。

 ここでまとめると,次のようなものを我々は教材として使っていることがわかるだろう。

  我々の回りの現象や,商品など。歴史上の事例(科学史),既習の知識や体験。実験器具,試薬,実験(教師実験,生徒実験)。 写真,映像教材,図表。例題,演習問題。

 なお,このような教材という用語の様々な場面での使われ方については,梅埜國夫によって考察されているので,参照されたい。3 

 以上,現在中学校,高等学校で化学教育と呼ばれているいるものの内容等を化学教材の立場で概観したが,化学教育の目標とは何か,ともう一度振り返ってみることにしよう。結局,「化学教育の目標は物質の化学的性質を理解すること」に尽きる。物質の性質としては,物理的性質と化学的性質がある。化学反応の起こりやすさが化学的性質である。化学的性質を理解するには,沸点や融点,密度などをはじめとする物理的性質の理解も不可欠になる。また,物質の構造も理解しなければならない。元素概念,原子の構造,酸化還元反応,酸と塩基,気体の性質,等々と化学教材はまことに多岐にわたるが,これらの教材の学習意図は,すべてここに収斂する。化学的性質とりわけ化学反応性である。各教材(あるいは各単元といってもよい)が,この化学反応性の理解にどう役立つかと考えれば自ずとその教材の意義が浮かび上がる。もちろん一つの教材には一つだけの目標がある訳ではなく,複数の目標・意義を伴うものであるあるから,それらを明確にしておくことも必要である。 

 

3 身の回りの物質を用いた教材開発とその課題

「かつて,化学工業が教材化されていた時代,その内容は,いわゆる各論的であった。現代化の思潮の時代を経て,化学教材の内容は,今度は総論的な傾向を示し,《教室内の化学》になって自然や生産との結びつきが弱かった。」と大竹三郎が記すように,現在の化学教育は《教室内の化学》になって,工業製品はもとより,身近に使われている化学物質ですら等閑にされている。ここに身の回りの物質の教材化が必要となる根拠がある。

  加藤俊二は「目の前にある物体の中に物質を意識することこそ物質を理解する第一歩である」と主張し,「日々接する物質」を教材として扱うことの意義を強調した。学生が目の前に見ているチョークが,既修の炭酸カルシウムや硫酸カルシウムであるのに,そのことに気づかないということのアンバラスを指摘した。硬貨もまた同様である。

「日々接する物質」すなわちいわゆる「身の回りの物質」を教材として扱う場合の留意点について考察しよう。

 ここでいう「身の回りの物質」とは,次のような意味である。われわれは物質に取り囲まれて生活している。それらの物質ははっきりいって混合物である。しかし,主成分として中学校高等学校で学習する物質を含む場合が多い。主成分とは,単に最も含有率の多い物質というだけでなく,その物質の主たる機能を発揮する中心となる物質という場合もある。例えば,ベーキングパウダーにおける炭酸水素ナトリウムの場合である。その他,食品,生活雑貨等,化学の教材としてよく活用される商品は多い。

 それでは,「身の回りの物質」を教材にして何を教えるかということになる。それは,我々が「日々接する物質」の中に,今学習している物質が主成分として含まれており,それらを調べるということである。すなわち,主成分の存在を確認したり,化学的性質特に化学反応性を調べたりすることである。このことによって体系化された化学の世界が,どこか遠い世界の話しではなく,今,目の前で「日々接する物質」の世界の出来事だと理解できる。

 しかし,「身の回りの物質」を教材として用いる場合,問題はないのであろうか。例えば,製品を単純化して扱うあまり,生徒にその製品がその物質だけからできているという印象を与えかねない。既に述べたように,我々の周囲にある物質はほとんどの物が混合物である。そのことを承知の上で教師は,その主成分を,あたかも純物質かの如く利用してはいないか。

  また,教材として用いる身の回りの物質の動作原理には複雑なものが多い。ややもすすると,ここでも単純化して教材として扱いがちである。教材として扱うことで,複雑な動作原理を見失っていないか,絶えず疑ってみることが大切である。

 そしてまた,我々が入手できる製品は,日々改良が加えられている。様々な添加物が加えられ成分構成も変遷する。時には動作原理すら変わることもある。逆にいえば,教師の知識が古くなることである。

  例えば,電池や洗剤はその例である。次から次から製品化される各種の製品の中で,教材としてどれをどのように扱うか。最新の情報の入手とともに,教材としての扱い方の工夫も改良されなければならない。


8 実験指導について

 化学の授業における実験の意義は大きい。実験は科学的方法の修得だけでなく,実物を見るという大きな意義がある。したがってできるだけ,生徒実験を行うことが望ましい。しかし,生徒実験としては危険な場合,実験装置や器具が十分にない場合や薬品が高価な場合,時間の都合などで,教師実験(演示実験)に代える場合もある。いずれにしても,安全性や環境問題への配慮が肝要であるとともに,実験の目的を明確にしておくことも大切である。


9 安全への配慮

  最後に,いかなる教材を用いようとも,化学教育では安全への配慮が最優先されねばならない。生徒の生活環境の変化とともに生徒の実態も刻々と変わっている。薬品や器具の使用法の説明,安全への配慮は生徒の実態に応じてなされることが肝要である。と同時に安全ゴーグル,安全ピペッター等の使用を義務づけたい。また,テフロン活栓のビュレット,分液ロート等,やや高価な製品を使用することによっても,不慮の事故は随分と防げるということも明記しておきたい。


参考文献


1)高等学校学習指導要領p81  

2)中学校学習指導要領p.45 

3)日本理科教育学会編,理科教育講座7,p.173  ,東洋館出版社,1992

4)日本理科教育学会編,理科教育講座7,p.162 ,東洋館出版社,1992

5)加藤俊二,「物質の理解」,化学同人,1975



*発表誌不明。『理科の教育』?


化学指導法の改善(Ⅵ)生活単元理科と高校化学

 










化学指導法の改善(Ⅱ)電子の描像


 








2026年7月5日日曜日

第一火曜会 第1回

「原文」と「書き下し文」があります。原文の行に合わせて漢字で書きます。 

  旧漢字は新漢字にする。

  点(、)丸(。)は書き下し文に合わせる。

  原文のページが変わるところは1行開ける。












山高水長図記巻上

       江湖翁鴻雪爪著

   雲遊三絕

天保乙未春、余雲遊至長崎。意此地港市、俗多狡獪、

無足与語者。何図接三絕也。何謂三絕。曰黃泉。曰秋

帆。曰山水。山水以幽麗勝、秋帆以雅量著、黄泉以禅

機聞。余之參黄泉于皓台寺、問曰、不慕諸聖、不重己

霊時如何。泉曰く、大海枯竭。余曰、猶是餘一滴。泉曰、上

座、莫沈没。余曰、細腰、至餓死。泉咲点頭。時黃泉、講維


摩経。緇素来聴、秋帆亦与焉。余因与秋帆交。會余罹   緇くろ、し

病、而克苦如平日。秋帆、諭余曰、苦学傷身、吾甚不取 尅か(つ)、コク、克剋

焉。延余其别墅、悃款周到、視如一家人。余従其言、日

喫牛乳、坐脚湯、摂養数月、覚体中稍佳。是時、世、罕知

牛乳脚湯之効者。秋帆夙に攻洋学諳療法。故有此言。

而内典既説牛乳坐湯之徳。乃知洋法亦原仏教也。

秋帆氏高島、為郷右族。善筆礼、特精火術、為我邦、唱

洋砲之鼻祖也。黄泉吾門碩德。梵相奇古、犀眸象準、

一見知其為老古錐矣。而稲槎之山、悠悠乎与我心


遠、鶴湾之水洋洋乎与我道清。使余懸錫三者、非

茲三絶也歟。丁酉春二月二十日、竟辞去、路、経山陽   歟欤

帰美濃。是歳海内飢饉、途聞大塩平八挙兵。


 岡鹿門曰、師之大悟、恐不在黃泉之点頭而、在開

 大塩挙兵。

 依田学海曰、此篇、師経歴勝地、巧写無遺。加以時

 事点綴其間、如隠、如現、使読者尋繹、不倦。第一節、

 先点海内飢饉、大塩挙兵、以伏後節。多少曲折、用

 意不測。


 矢土錦山日、台湾之役、余亦以事抵長崎。滞留月

 餘、瓊浦風光、曽経遊覧。而黄泉秋帆、早既帰道山   瓊たま、ケイ

 矣。及読高文、更増人琴之感。



頭注


江馬天江日以山水

入三絶之一着想極

奇(可)


江馬 天江(えま てんこう、文政8年11月3日〈1825年12月12日〉 - 1901年〈明治34年〉3月8日)は書家・漢詩人・医師。幕末から明治期の京都を代表する文人。


松秋琴曰好問答

(スケッチの讃)

瓊浦昔游

地回頭半已

忘為君写

鴻爪旧夢

墜蒼茫

洲居士

ちょう‐さんしゅう〔チヤウサンシウ〕【長三洲】

[1833~1895]幕末明治漢学者書家豊後

ぶんごの人。名は炗ひかる。字あざなは世章。奇兵隊参加。維新後は文部大丞・文部省学務局長・東宮侍書などを歴任漢詩南画にもすぐれた。著「三洲遺稿」など


依田学海曰従黄泉

過度秋帆▫︎不費カ

秋琴曰秋帆一代人

物翁之相得無


岡鹿門曰説治病猶

不離仏所謂頭頭皆

禅機者

学海曰付会仏説是

本色語与前参禅相

映帯覚不寂莫


又日一結不説破有

無窮趣味



我琴四款一或

阿旗們回說非

學海四附會佛說是

本色語与消参相次忱


依田 学海は、日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家。幼名は幸造、信造。通称は七郎、右衛門次郎。諱は朝宗。初め字を百川といったが後にこれを本名とした。学海は雅号で、柳蔭とも号した。 『学海日録』の著者。漢文の作文、特に記事文に優れ、その著作『譚海』は、菊池三渓の『本朝虞初新誌』と並び称される。 
生まれ1834年1月3日
死去1909年12月27日

岡 鹿門(おか ろくもん、天保4年11月2日1833年12月12日)- 大正3年(1914年2月28日)は、幕末期の仙台藩士、明治時代の漢学者は千仭(せんじん)、は振衣、初名は敬助、鹿門は。幕末から明治を代表する漢学者の一人で、多くの門人を数える。

仙台藩の番士として将来を嘱望され、江戸に出て昌平黌に学び、のち舎長となる。同窓の重野成齋松本奎堂松林飯山南摩羽峰と深く交わり、大坂で私塾「雙松岡塾」を開いて尊王攘夷論を唱えた。清川八郎本間精一郎などを教育した。慶応2年(1866年)に藩校・養賢堂指南役。

戊辰戦争に際して、奥羽越列藩同盟に反対した[1]ことから仙台藩主及び藩士の怒りを買い、投獄された。

明治維新後は太政官修史局、東京府等に務めたがほどなく辞任し、芝愛宕下の旧仙台藩邸を利用して私塾「綏猷堂」を開き、門弟の教育活動に当たり、福本日南尾崎紅葉片山潜国分青崖など多くの偉人が門を叩き、福沢諭吉の薦めで啓蒙活動を開始した。

晩年には、大陸経論の志を抱き始め、李鴻章を尋ねて支那改革論を説き、大陸浪人として活躍。初期の興亜会にも関与した。


矢土 勝之(やづち[1] / やつち[2] かずゆき、1849年3月30日(嘉永2年3月7日[1][注釈 1])- 1920年大正9年)11月28日[1][2][3][4][5])は、明治から大正期の漢詩人・官僚政治家衆議院議員。字・実夫[1]、号・錦山[1][6]

伊勢国飯野郡阿波曽村(三重県[2]飯野郡射和村大字阿波曽[6]飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町)[注釈 2]で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた[1][2][3][5]

太政官に出仕[2][3][5]東京岩倉具視伊藤博文の知遇を得た[1]。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(三重県第4区、自由党)で当選した[1][7]。1902年(明治35年)8月の第7回総選挙(三重県郡部、立憲政友会)では落選し[8]、衆議院議員に1期在任した[2][3][5]

森春濤の高弟で[4]、その子森槐南らと交友した[1]。伊藤博文没後は故郷に隠棲し[4][6]、1920年11月、尿毒症併発により山田赤十字病院で死去した[4]


高島 秋帆は、江戸時代後期から末期にかけての砲術家。高島流砲術の創始者。「火技之中興洋兵之開祖」と号することを認められた。 
生まれ1798年9月24日, 長崎県 長崎市
死去1866年2月28日

黄泉無著(こうせんむぢゃく、生没年未詳)は、江戸時代後期の臨済宗の僧。字は、黄泉。尾張国愛知郡山崎村生まれ。