2015.3.8.左側は地蔵院。
2015.3.8.住吉神社、23番薬王寺あたりから。向うに小さく見えるのは大浜・大楠山。
2015.2.14.中庄・唐樋から。
広沢五郎についての資料。
幕府、東寺領備後因島雑掌朝祐の訴に依り、重ねて備後守護に令し、広沢五郎等の、安芸生口島の悪党を誘ひて濫妨するを停めしめ、又、安芸守護武田信武をして、悪党の交名を注進せしむ、
浄土寺文書、暦応4年3月28日(13410030280) 2条。大日本史料、6編6冊721頁
南党大館右馬亮、備後因島城に拠る、是日、北軍攻めて之を逐ふ、尋で、城主広沢五郎降る、
鼓文書、康永2年4月14日(13430040140) 2条。大日本史料、6編7冊613頁
森本繁、「村上水軍全紀行」、新人物往来社、p.2009
広沢五郎基次と大館右馬亮時氏が本拠とした。南朝方。
とのうらみち