2021年10月26日火曜日

夕凪亭閑話 2021年11月

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2021年11月1日。月曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。
古文書学習会資料原版50枚完成。柿の収穫。庭木の剪定。著作準備。重井小の先生来訪。夜、12月資料。


2021年11月2日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県4人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。
朝、柿を摘みやっと終わる。午後来客。12月資料作り。古文書。


2021年11月3日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県8人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。
朝、買い物。庭木の剪定。原稿整理。増補版追加。夜、せとうちタイムズ原稿書く。



2021年11月4日。木曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市2人。三原市0人。
第29回エクスカーション。9時45分因島北インターバス停より尾道へ。浄土寺、西国寺など。7人。8500歩。4寺過ぎ帰る。12月資料作り。古文書。


2021年11月5日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県3人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。
朝、福山へ。午後、古文書学習会。夜、まとめを送る。


2021年11月6日。土曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市2人。三原市0人。
朝、部屋の模様替え。午後、来客。
夜、古文書、論語。


2021年11月7日。日曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市2人。三原市0人。
朝、午後、庭木の剪定。部屋の移動。ブログの更新。


2021年11月8日。月曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市6人。三原市0人。
朝、庭木の剪定。午後、役員会。


2021年11月9日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝、灯油を買いにく。コープメモリアルへ。庭木の剪定。資料綴じ。郵便局。


2021年11月10日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝、買い物。午後論語を読む会、4人。
夜、せとうちタイムズ原稿を書く。



2021年11月11日。木曜日。晴れ。5098歩。
昨日のコロナ感染者、広島県4人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝、せとうちタイムズ原稿送る。今日は寒いのでコタツで昼寝。古文書。


2021年11月12日。金曜日。晴れ。5812歩。朝、庭木の剪定。午後、墓参。古文書。
昨日のコロナ感染者、広島県8人。うち尾道市1人。福山市5人。三原市0人。


2021年11月13日。土曜日。晴れ。5068歩。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。10時より亡母納骨。会食。買い物。庭木の剪定。古文書。12月資料作り。


2021年11月14日。日曜日。晴れ。5013歩。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝庭木の剪定。午後、久保田権四郎翁頌徳祭。夜、古文書。ブログ更新。


2021年11月15日。月曜日。晴れ。5152歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、庭木の剪定。午後墓参、郵便局。昼寝。夜、資料作り。ブログ。


2021年11月16日。火曜日。晴れ。7935歩。
昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
8時半よりふるさとの歴史を学ぶ会19人。11時半より三庄、観音寺三十三観音。狸藪。17人。


2021年11月17日。水曜日。晴れ。5145歩。
昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
朝、因島図書館で因島文学散歩の回。8人。今回で『論語と算盤』終わる。帰りにはローズで買い物。午後昼寝。夕方庭木の剪定。夜、せとうちタイムズ原稿。


2021年11月18日。木曜日。晴れ。5331歩。
昨日のコロナ感染者、広島県3人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
朝、せとうちタイムズ原稿送る。庭木の剪定。午後墓参。昼寝。夜、古文書。


2021年11月19日。金曜日。晴れ。5550歩。
昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、福山。午後古文書。天満屋。帰って散歩。夜、古文書の記録、送る。


2021年11月20日。土曜日。晴れ。5944歩。
昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
午前中、公民館町民文化祭。墓参。午後、昼寝。庭木の剪定。夜、資料作り。


2021年11月21日。日曜日。晴れ。5067歩。
昨日のコロナ感染者、広島県3人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
朝、買い物。公民館。午後、庭木の剪定。
夜、資料作成。


2021年11月22日。月曜日。雨。夜止む。5130歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
一日中家にいる。資料作成。古文書。
加地伸行『論語』、講談社学術文庫、終わる。


2021年11月23日。火曜日。晴れ一時小雨。5246歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、昼寝。昼食後藤の葉が落ちているので片付け、1時過ぎに公民館へ行くも文化祭に来ている人はいなかったので帰って剪定。3時前に行き片付けて帰る。昼寝をして夕食後、庭木の剪定。夜、藤谷さんの著作の校正。そのあと三好信浩氏の『私の万時簿』を読んでいたら、業績のところに渋沢栄一の名があったので、大学院時代にコピーして作った論文集で探すと、該当の論文があったので見る。


2021年11月24日。水曜日。晴れ。5465歩。
昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
朝、買い物。帰ってみかん摘み。午後、 JAへ支払い。十三時より重井公民館。論語を読む会。4人。墓参。帰って、庭木の片付け。夜、瀬戸内タイムズ原稿を書く。



2021年11月25日。木曜日。晴れ。5204歩。
昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市2人。三原市0人。
朝、瀬戸内タイムズ原稿を送る。日中はずっと家の片付け。夜、三好信浩氏の『私の万時簿』を読んでいると「学問」への情熱というようなものが伝わってくる。そして、今書いているエッセー風なものへの反省として自分に当たってくる。学問的流儀からエッセー風なスタイルへとシフトしているのを忘れていた。それは意識してエッセーであると断っているのだが、それよりはるかに前に、タイムズの連載を始めた時からすでに始まっていたではないか。その辺のデータを写すのではなく、自分なりのものを書こうとしたこと自体が、エッセーを指向したものだった。
今日は三島由紀夫さんの命日。1970年だからあれから51年が経つ。広島市南大河内町の英数学館の寮にいた。隣が銭湯で三時半の開店と同時に行っていた。そこのテレビのニュースで知った。ショックだった。入試が近づいており、本や新聞を買い漁る余裕がなかったのが残念。弟へ電話して週刊誌や雑誌の特集号を買うように頼んだのを思いだす。


2021年11月26日。金曜日。晴れ。5297歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝から福山へ。妻眼科へ。引野天神社へ参る。午後、古文書学習会。帰ってジュンテンドー。夜、古文書。


2021年11月27日。土曜日。晴れ。5982歩。
昨日のコロナ感染者、広島県4人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝、墓参。朝、来客。午後来客。夜、論語。


2021年11月28日。日曜日。晴れ。6362歩。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市6人。三原市0人。
朝、白滝山、水軍城案内。昼食後、向島、尾道へ。帰って買い物。夜、資料作り。
1日の歩数を、5000歩以上を目標としてから体の調子が良い。昨日は夕方、5000歩を越えたたので、家の周りを歩いて6000歩を越えるようにした。無理をせず、でもできるだけ沢山歩くのが良いだろう。


2021年11月29日。月曜日。晴れ。6176歩。
昨日のコロナ感染者、広島県3人。うち尾道市0人。福山市3人。三原市0人。
朝起きて、公民館だより原稿を書いて送る。それからビン・缶ゴミを出してくる。剪定、昼寝。蜜柑摘み。剪定。夜、資料作り。
司馬さんの『街道をゆく8』(朝日文庫)を読んでいる。2/3ほど進んだ。できるだけ早く終わるように努力しよう。最近の3冊目か。昔よく読んでいて、しばらくして皆忘れているので読むのをやめた。常識というか、あるいはどうでも良い知識のつもりで気楽に読むことにして、読んでは次の一冊を書うことにした。老化の進んだ頭の潤滑油ぐらいの効果はあるだろう。


2021年11月30日。火曜日。晴れ。夜雨、6084歩。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市4人。三原市0人。
朝、ゴミ出し。剪定。蜜柑摘み。午後も剪定。夕方から雨。
司馬遼太郎、『街道をゆく 8種子島みち ほか』、朝日文庫、終わる。









読書の記録
11月22日。加地伸行、『論語』、講談社学術文庫
11月30日。司馬遼太郎、『街道をゆく 8種子島みち ほか』、朝日文庫









2021年10月21日木曜日

ふるさとの史跡をたずねて 増補版 241-250回

ふるさとの史跡をたずねて(241)

因島船渠碑(尾道市因島土生町平木区)

 因島警察署(現在は尾道警察署因島分庁舎)の南西は因島病院の駐車場でかつて日立会館のあったところだ。

 その日立会館の海側に無造作に自転車を駐めて映画を見に行った。たいていが定期考査の最終日の午後だった。「猿の惑星」「007は二度死ぬ」「天地創造」「華麗なる賭け」「ドクトル・ジバゴ」、そして幾つかのマカロニ・ウエスタンなどなど。半年か一年遅れのものだったが今から思えば悪くない選択だった。と言っても自分で選んで見たのではない。メダカが群れるように、合流してついて行っただけである。というような50年以上も昔のことを思い出しながら歩いていると、宮島さんの前に巨大な石碑があった(写真)。



 戀(恋)田清三郎、弓場定松、橘富太郎の三氏が明治29年に因島船渠を作ったと書いてある。この石碑の文字は大正5年9月に書かれている。

 一方、昭和43年に発行された『因島市史』では確定できるような記録がないと書いてある。大正5年なら関係者の記憶や、多くの記録もあったことだろうから間違ってなかろうと思う。

 ところで、この巨大な石碑は50年ほど前もここにあったのだろうか。まったく記憶にないということは、まったくこういうものに興味がなかったということでもあるが。


                               ◇虹の都・光の湊


ふるさとの史跡をたずねて(242)

升浜道路改修記念碑(尾道市因島中庄町浜床)


 220回で紹介した浜床団地入口の「切切念郷」の久保田権四郎翁顕彰碑は大山トンネルを経てしまなみ海道へ行くのに通る幹線道路沿いであるから、多くの人がその前を通っていることだろう。そしてその大きな石碑に目を奪われるから、その下にある道路改修碑を気にかける人は少ないと思う。

 この小さな石碑には、上部に二段にわたって右から「字(あざ)升浜道路改修記念碑」と書かれている。その下には小さな文字で寄付者名が金額とともに並ぶ。注意してみると、最初の二行は「大正十三年一月建」、「一、金六百五十円本村補助」と読める。



 丸池の手前あたりから浜床まで、土生新開の北端にある道路だろうか。主に江戸時代に行われた干拓地の道路が明治時代以降に改修されのは、さらに沖に干拓地ができることと、人口の増加が考えられるし、また交通機関の発達も考慮せねばならない。この時代は荷車が通れるような道路にすることが主な狙いだったと思われる。こういう状態がしばらく続き自動車が通るようになるのはもっと後の時代である。

 また、道路の発達と人口増加は関連性は高いのであるが、この周辺の人口が増加するのはもっともっと後のことであるから、この道路改修の主たる狙いは今でいう農道のようなものだったのかもしれない。

 土生新開は江戸時代よりも前の干拓地であるが、江戸時代にさらに東の鼠屋新開ができて、田んぼや畑が増え、最近ほどではないにしても明治時代になってから周辺人口も少しずつ増えていたであろう。そして元の海岸線と土生新開の境目が道路らしくなったのではないかと想像する。そして道路が整備されればさらに家も増えた。




ふるさとの史跡をたずねて(243)

鼠屋新開道路改修記念碑(尾道市因島中庄町新開)

 前回浜床の大正十三年の道路改修記念碑が新開池の道路整備であったが、同様のものが少し東にもある。鼠屋新開にある道路改修記念碑で「本村字自鼠屋新開至油屋新開唐樋道路」と中央に描かれている。

 また左側面には「大正四年八月建之」と描かれており





前回のものと比較すると、干拓地は西から東へと伸びておりながら、道路改修費は東側の方が少し早いということになる。普通なら干拓地が沖へ沖へと伸びれば、それを追うように人が移動するのであるが、ここでは逆転しており、興味深い。


 これは中庄湾を挟んで存在していた中庄村と大浜村が鼠屋新開、油屋新開によって、結ばれたことによる経済効果の表れではないかと思われる。その一つは大浜村からの移住者が多かったのではなかろうか。この近くに村境があり、村境内であれば同じ村内の移動であったから他村への移住というほどの抵抗はなかったと思う。それに峠を越えれば近い。現代人の感覚とは異なると思えばよい。


 現地の方のファミリーヒストリーをお聞きしたわけではなく、あくまでも私個人の想像ではあるが。



ふるさとの史跡をたずねて(244)

 旅順戦勝記念埋立地碑(尾道市因島中庄町徳永)

 因島中庄町徳永の入川橋の所は、164回でも少し書いたが、4歳の私が昭和30年に何回か訪れており、それより古い記憶はほとんどないので、私の最古の記憶を甦らせる特別の地である。

 そこには多くの石碑があるのだが、今回は川べりにある旅順戦勝記念埋立地碑という珍しい石碑について紹介するが、正面に書かれた文字(写真)を解釈するのは難しい。




明治38年1月2日の旅順開城の勝利を記念するということと埋立が決議されたことが書かれている。そして39年4月にこの石碑を建てた。

 戦勝記念と言ってもまだ日露戦争が終わったわけではない。有名な日本海海戦に勝利するのは明治38年の5月末である。バルト海を明治37年10月に出港したバルチック艦隊が到着する前に、難攻不落の旅順要塞を落とし、旅順港を押さえておくことが至上命令だった。

 苦戦を重ねたが1月1日にロシア軍が降伏を申し入れ、2日に戦闘は中止された。この勝利で戦況に希望が見えてきたわけだ。旅順港を支配下に置いたということを祝して、入川港の一部の埋立工事に着手し、翌年5月に竣工してこの石碑を建てたということだろう。

 裏面には亀山峰樹二代目村長のほか助役、収入役、書記、村会議員12名の名前が記されている(写真)。



 おそらく、この石碑はその埋立地にあったものが、後にここへ移されたものだろう。



ふるさとの史跡をたずねて(245)

入川橋寄付碑(尾道市因島中庄町徳永)

 前回の旅順戦勝記念埋立地碑の隣に入川橋寄付碑がある。中央に「入川橋寄付者」とあり、その両側に宮地知輿(与)市、村上竹吉の二人の名前が大きく書かれている。そして周囲に60数名の人名がやや小さく書かれている。金額などは書かれていないのだから、なぜこの二人だけか大きな字で書かれているのかわからなかった。

 右(北)面に「人夫村中 大正三年十二月 寄付者世話人席順抽籤」とあり、世話人5名の名もある。

 ということは大きな文字の二人を含めて籤(くじ)引により決めて、全員の氏名を記したようだ。二人だけ大きな文字になっているが、これはバランス上そうしただけなのかもしれない。

 上記のことから大正三年十二月に入川橋が架設されたことがわかる。毎年のように各地で道路改修が行われているが、自動車が出始めるのはまた後のことだから、荷車の普及が急成長していたのではないかと思う。道路改修というと道幅の拡張が主となるのだが、荷車が普及すれば山道や峠道を避けて、多少遠回りになっても、段差のない道が要求されたことであろう。また新開池の活用が広がるとともに道路網の整備が必要となり、河川に架かる橋が沖へと増えていくのも必然だった。



資料

右(北)面「人夫村中 大正三年十二月 寄付者世話人席順抽籤 世話人 村上竹吉 横山直三郎 村上卯太郎 小林佐吉 横山開治」


ふるさとの史跡をたずねて(246)

           写真・文 柏原林造

電燈寄付票碑(尾道市因島中庄町徳永)

 前回の入川橋寄付碑のさらに右側(北側)に「電燈寄付票」と書かれた石碑がある。



表面には寄付額に応じて三段に分かれて氏名が書かれている。上段が近40円から20円で金額と氏名。中段が「金拾円宛」の氏名、下段が「金五円宛」の氏名である。

 左面(南面)に「大正十年七月寄付 電燈建設及基金積立」とあるから電気事業が始まった頃のものである。



『因島市史』等によると、大正4年6月因島電気株式会社が創立されて、田熊町の扇屋新開に発電所が置かれた。はじめは30kwの発電機で田熊、三庄、土生長崎から供給が開始され、その後発電機を増設し、大正5年頃に中庄、重井と各村へ拡張された。

 石碑との年代のズレはどう解釈したらよいのだろうか。単純に考えると、中庄村への給電の拡張には地元負担が要求され、大正10年7月頃から中庄村の大部分で電燈の使用が可能となった。そしてそれ以前には、ごく一部で中庄村でも使用が可能だったということだろうか。


資料

左(南)面「大正七年寄附 電燈建設及基金積立 発起者 世話人 小林佐吉 横山開治 村上卯太郎 村上和三郎? 田頭悌□郎」 



ふるさとの史跡をたずねて(247)

奥古江油屋新開道路改修碑(尾道市因島中庄町新開)

 丸池の東側に島四国8番熊谷寺がある。その隣にも道路改修碑がある。最上部は右から横書きで「特別寄付者」とある。その中央の下に「字」とあり、その下に2行にわたって「自奥古江」「至油屋新開」、そして1行で「道路改修之碑」と書かれている。



 それぞれの字(あざ)は広いからどこを改修道路の起点と考えるかは、石碑だけからでは難しい。

 しかし、242回の升浜道路改修碑、243回の鼠屋新開道路改修碑の工事と接するのではなかろうか。特に後者は大正4年8月で、今回のは右面に大正3年10月とあるから、その関連性は高い。



 大正3年は1914年であるから、百年以上も前の話で、道路そのものもその後拡張されたり直線になったりしているだろうから、当時のことを想像するのは難しいが、広大な干拓地の発展の歴史が伺える貴重な石碑である。 

 なお左面(南面)には「関係反別五町三反六畝七歩」とあるが、風化して読みにくい。


ふるさとの史跡をたずねて(248)

警鐘台・敷地等寄付碑(尾道市因島中庄町新開)

 私の世代では半鐘台、一世代前の言葉では警鐘台と呼ばれた施設は、地域の安全は地域で守るしかなかった時代を象徴するものであったが、現在は多くの地域で撤去され人々の記憶から遠ざかった。

 因島中庄町浜床の石碑の前から新開の丸池へ向かうと、途中の三叉路の近くに、かつて半鐘台があったことを示す石碑があった。



 右側の石碑には警鐘台、警鐘、敷地の寄付者、世話人の名前が書かれており、大正14年8月に建てられたものである。また「人夫新開組中」とあり、地元の方が設置作業に協力したことがわかる。

 その左の石碑には「消防喞筒一台 喞筒倉庫 敷地」の寄付者、世話人の名前が書かれていて、昭和6年4月に建てられている。「喞筒」の漢字の読める人は多くない。消防ホースの先端のノズルが想像されるが、それだけでは石碑に記すこともあるまい。「喞筒」はポンプのことである。もちろんポンプだけでは消火活動はできない。ホースとノズルのついた一式だったのだろう。

 昭和6年の消防ポンプがどのようなものだったか知らないが、おそらく車輪のついた人力ポンプで荷車の上に載せたような格好をしていたのではないかと想像する。

 それはともかく警鐘台も消防ポンプも中庄村の事業ではなく、地元住民の篤志によって設置されたことがわかる。


ふるさとの史跡をたずねて(249)

ガソリンポンプ等寄付碑(尾道市因島重井町公民館)

 前回の消防喞筒(ポンプ)は人力ポンプだと思うが、昭和4年にはガソリンポンプもあったことがわかる石碑が重井公民館の東側駐車場の入口にある。



 昭和4年12月に建てられたもので、中央に「ガソリン喞筒及警鐘台寄付録」と書かれている。その隣には「一、金千円村費補助」「一、金千七百五十円寄付」とあり、寄付者は百円が12名、五十円が11名で合計金額と合う。石碑にはさらに、消防旗の寄付者一名と世話人6名の名前が記されている。

 昭和4年にガソリンポンプを購入したのは画期的なことであったのだろうが、これは村で唯一のもので、村内のそれぞれの地区には、人力の消防ポンプが設置されていたものだと思う。というのは昭和30年頃に、私はその人力の消防ポンプの一つを見たことがあり、その後ガソリンポンプに変わっていったのか、それが最後だったからである。

 その昭和4年に購入したガソリンポンプは見たことはないが、この時建てられた警鐘台というのは、善興寺参道の東側、現在の東側の駐車場にあって、小学生の頃よく見ていた半鐘台のことだろう。私の記憶では時報や災害時のサイレンが上についていたと思う。多少は補修されたものであろうが、昭和4年に建てられたものだと思っている。が、今は存在しない。

ふるさとの史跡をたずねて(250)

光平線道路改修記念碑(尾道市因島中庄町)

 因島消防署から大山トンネルへ向かう県道120号線の左手に写真のような大きな石碑があるが車を運転していたら見る暇はないと思う。青影山への登山口にある仙境地蔵菩薩堂の県道を隔てて反対側である。



 中央に縦書きで「中庄村光平線道路改修記念碑」と書かれている。登山道が東から西へまっすくに上がって行く。この道路のことであろう。上面には右から「皇儲御成婚記念 大正十三年竣工」と二段にわたって書かれている。「皇儲」というのは、難しい。消防喞筒も苦労したが、今回はさらに難しい。皇太子御成婚記念という意味だろうが、右から2番目の文字は「太子」とは読めない。解読した手続きは長くなるので結論だけ書くと「こうちょ」と読んで天皇のよつぎ、皇嗣、皇太子のことである。

 所在地も光平区か山口区か大江区かわからない。三地区の境界付近であり、地図だけではどちらに属するのかわからない。


   (写真・文 柏原林造)


➡️ブーメランのように(文学散歩)

2021年10月1日金曜日

夕凪亭閑話2021年10月

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2021年10月1日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県38人。うち尾道市0人。福山市2人。三原0人。
5時前に起きる。
朝、母発熱。9時過ぎに尾道笠井病院、先生と面談。
午後、10月資料できる。


2021年10月2日。土曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県25人。うち尾道市1人。福山市2人。三原0人。
5時前起きる。9時半より、第27回エクスカーション。8人。弓削、三山。
母危篤。途中でエクスカーションを省略して帰る。はなの苑へ。5時半に帰る。9時過ぎ母死去。夜中、自宅へ帰る。


2021年10月3日。日曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県23人。うち尾道市0人。福山市4人。三原0人。
本日午前中、弔問客。11時納棺。午後5時より通夜。


2021年10月4日。月曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県40人。うち尾道市0人。福山市7人。三原1人。
減ったように見えて世間は油断しているが減ってはないではないか。
11時より葬儀。夜、古文書、11月資料作り。



2021年10月5日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県13人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
水道、ガス、電気の名義変更。JA。位牌の記入依頼。夜、古文書。


2021年10月6日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県12人。うち尾道市0人。福山市2人。三原0人。
5時に起きる。資料綴じ。古文書。冊子届く。支払い。せとうちタイムズ原稿。


2021年10月7日。木曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県27人。うち尾道市0人。福山市4人。三原0人。
これは増加傾向を示すのか。注意が必要だ。
5時前に起きる。せとうちタイムズ原稿送る。古文書。10月資料綴じ作業。午後来客。


2021年10月8日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県16人。うち尾道市0人。福山市2人。三原1人。
5時に起きる。福山へ。午後、古文書。


2021年10月9日。土曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県11人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。


2021年10月10日。日曜日。晴れ。
朝、山へ。冊子の修正。古文書。


2021年10月11日。月曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県12人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
朝、山。午後、役員会。一の宮。田熊へ。
午後、古文書。


2021年10月12日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
朝、山へ。午後、はなの苑へ荷物を取りに行く。


2021年10月13日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
5時に起きる。山へ。9時より買い物。市役所諸手続き。午後論語を読む会。夜、せとうちタイムズ原稿。


2021年10月14日。木曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県26人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。また出たぞ。
朝、山。せとうちタイムズ原稿送る。総合支所。午後、JA。夜、古文書。

2021年10月15日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県30人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
午後、福山で古文書。


2021年10月16日。土曜日。晴れ。夜雨。
昨日のコロナ感染者、広島県28人。うち尾道市1人。福山市3人。三原0人。
11月資料作り。古文書。


2021年10月17日。日曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県22人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
朝、21℃。急に寒くなる。
夜、少しストーブ入れる。
午後、三庄、土生、中庄。買い物。
資料作り。


2021年10月18日。月曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県16人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
朝、20℃。急に寒くなる。
朝、コープメモリアル。午後、田熊。土生公民館。夜、資料作り。


2021年10月19日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市1人。三原0人。
5時に起きる。19℃。
8時半に重井公民館。ふるさとの歴史を学ぶ会。22人。11時半に土生公民館に集合して、生名へ。南側へ回ってから西から立石山へ。


2021年10月20日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
5時半に起きる。20℃。寒い。
朝、文学散歩。『論語と算盤』3回目。8人。帰りに買い物。午後一宮掃除。4時から藤井医院。夜、瀬戸内タイムズ原稿。



2021年10月21日。木曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県14人。うち尾道市0人。福山市0人。三原1人。
6時に起きる。20℃。朝、せとうちタイムズ原稿送る。9時、半四郎へ本をもらいに行く。午後一宮。小学校四年。来客。


2021年10月22日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県9人。うち尾道市0人。福山市2人。三原1人。
6時に起きる。18℃。
朝、買い物。郵便局。夕方、庭木の剪定。



2021年10月23日。土曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県11人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
5時半に起きる。18℃。
午前、午後とも庭木の剪定。古文書。


2021年10月24日。日曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
5時半に起きる。18℃。8時から防災訓練。
日中も午後も庭木の剪定。夜は資料作り。


2021年10月25日。月曜日。雨。
昨日のコロナ感染者、広島県5人。うち尾道市0人。福山市0人。三原0人。
6時に起きる。朝から雨。9時半からコープメモリアル。午後、郵便局。JA。残りはコタツで本を読みながら昼寝。こうしてだんだんと眠りの時間が起きている時間より長くなって、起きなくなることを死という。
70歳を超えたということは、長くても生きられる時間は20年というところだろう。いや、これはよくて20年。10年ももたないかもしれない。広瀬淡窓の全集が3巻だった。と言っても上巻で600ページほどだから、今の感覚でいえば6巻ぐらいか。3巻ぐらいなら、これまでのものを整理すればできるかもしれない。誰も編集してくれないし、編集してもありかがわからないのだから、自分で編集すべきだろう。


2021年10月26日。火曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市1人。
8時40分に出て、エクスカーション生口島、牡蠣山へ。11人参加。終了後、ドルチェへ。

2021年10月27日。水曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、買い物。公民館だより原稿。午後、論語を読む会。夜、せとうちタイムズ原稿。


2021年10月28日。木曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、せとうちタイムズ原稿送る。11月資料午後公民館へ印刷へ出す。

2021年10月29日。金曜日。晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県7人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。
朝、衆議院と広島県知事の期日前投票へ行く。午後、古文書。夜、記録。



2021年10月30日。土曜日。晴れ。夜小雨。
昨日のコロナ感染者、広島県8人。うち尾道市0人。福山市1人。三原市0人。
朝9時より父の七回忌法事。午後、K君より電話。夜、12月資料作り。



2021年10月31日。日曜日。小雨のち晴れ。
昨日のコロナ感染者、広島県19人。うち尾道市0人。福山市6人。三原市0人。
朝、買い物。お寺。古文書印刷原稿作り。夜も。