2019年4月6日土曜日

いんのしまさくら祭



【地域特派(通信)員@因島】
いんのしまさくら祭 
 巨大な鯖大師の前で

 因島土生町のホテルいんのしま前広場で、4月7日(日)午前10時から15時まで「いんのしまさくら祭」が行われる。ひまりや因島水軍太鼓などのステージイベントの他フードブースもある。
 桜だけでなく風景も素晴らしい。さらに、そこの巨大な弘法大師像もこの機会に是非見ていただきたい。
 さて過日の、逃走犯が全国一周の自転車旅行者に扮していたということは、今ではそういう人たちが大して珍しくなくなったことを示している。義経・弁慶の逃避行が勧進聖に扮したという有名な勧進帳の話も、同様に勧進聖の関所越えが珍しくなかったことを示す。なお、弁慶が白紙の勧進帳を読む見せ場は創作だと思うが、もし史実だとすれば、弁慶の前歴を暗示していると考えるのも自然だ。
 高野山を本拠とする勧進聖を特に高野聖と呼んだ。しかし、彼らは身分的には低く都から参詣する貴人たちの応対もできず、真言密教僧らと共に住むこともなく、谷間のお堂などに住んだ。そこがやがてお寺となり、現在の宿坊になっているものもある。
 彼らが自分たちの地位を上げる方法は二つあった。一つは名家の出身である聖を頭領にすることであり、もう一つは自分たちの本拠地である高野山の素晴らしさ、すなわち空海の偉大さを喧伝をすることであった。
 高野聖の歴史は長い。彼らは宗教だけでなく芸能や文芸などにも大きな影響を与えた多才な集団であったから、鉱山関係の才能をもった者もいた。地形から水脈を見つけるのも容易だっただろう。弘法大師の生まれ変わりだと称し、怪しげな呪文を唱え、杖で叩いところを掘らせば水が湧いた。・・こうして全国に弘法清水だの井戸ができた。空海とは縁のない地で。
 そのような高野聖か遊行僧が因島の近島にも立ち寄って伝えたのか、鯖大師伝説が残っている。鯖を乞われて断わり、後で見ると腐っていたという新訳聖書にも出てくるような話で、昔話の典型であろう。
 さて、その鯖大師の話が有名なものだから私も巨大な弘法大師像を鯖大師と呼んで、ブログにもそう書いて喜んでいた。ところが、弘法大師像と鯖大師像は違うというのである。たしかに鯖大師像はお堂の中にあり、鯖を掲げている。
 でも遍路姿の大師も鯖大師も、広告や包装にある「写真はイメージです」のイメージだから、どちらでもいいのではなかろうか。また鯖大師といえば弘法大師しかいないのだから、弘法大師を鯖大師と呼んでも悪くはない。

 せっかくだから、この大きな大師像とご対面してみるのもよいだろう。さらに時間が許せば、少し登って海が見えるところまで行ってみるのもよい。西側の生名島との間が県境である。午後の陽を反射する海面が刻々と変わる。さらに潮が引くと海底の色がさざ波の間に見え隠れする。また、ときおり定期船が通過すると白い波の尾をひき、やがて消えていく。いつまでも飽きない光景に時の経つのも忘れるだろう。[因島ふるさとの歴史を学ぶ会代表・柏原林造]