2024年10月17日木曜日

ふるさとの史跡を訪ねて 381-390回 増補版

 ふるさとの史跡をたずねて(381)

過去七仏 その1(尾道市因島重井町白滝山)

 釈迦三尊像の裏をさらに山頂へ向かうと渦巻き状に配された西国三十三観音についで過去七仏がある。

 十六羅漢や釈迦三尊像に比べれば、いかにも素人の製作だとわかる。しかし、よく見ると十大弟子と似ている。ともに林蔵の寄進である。頂上の阿弥陀三尊像の中央にある阿弥陀仏も林蔵の寄進であるが、こちらは石工の製作であり寄進録には金額が書いてある。十大弟子と過去七仏には金額が書いてない。このことから自分で彫って寄進したと推定できる。

 後に紹介する頂上の美しい常夜灯が尾道石工の寄進である。寄進録には他の石工の金額の隣に書かれてあるが金額は書かれていない。このように現物寄進と金銭寄進のふた通りがあったのだろう。

 さて7人の立像を見ていると複雑な気持ちになる。釈迦が仏教を始めたのではなかったか。7人目を釈迦仏とすると、なぜそれ以前に仏が6人もいるのか?

 イエスや親鸞のように、既にあった宗教世界の傑出した指導者が後に教祖として崇められ、それが本人ではなく信奉者によって新しい宗教(宗派)の開祖とされたのと同様な構図を、仏教世界にも考えればよいということであろうか。

 安藤昌益は「釈迦はインドを仏国と名づけ、過去七仏が国の本を制立したとし、五時教の如来をもって法とした。聖徳太子は、釈迦のこの私法の真似をして、日本を神国と名づけ、国の始めを天神七代が創立したとし、地神五代をもって法としようとしたのである。」と書いている。(中央公論社「日本の名著」19、p.194)

                       (この項つづく)

































































           写真・文 柏原林造


➡️ブーメランのように(文学散歩)