2015.3.31.大山。
力行之碑
大山者因島南北之滋系也然路険而地
僻田畝不拓人偲莫屍焉明治二十六年
中庄村釜田之民松浦作太郎決転撃家
而来浣地克勝困苦共乏浚拓○棘而歳
培杵橋○来三十有七年地積B一町歩 Bは刀に又
騫結○謂C○○自建力行之碑将使後 Cは日に助
世子孫者所感奮輿起云爾
昭和戊辰大帛之歳十一月吉旦
従六位勅六等村上芳○撰並書
功績記念碑
所在地 中庄町山口大山奥池の右側の山手
制作年月日 昭和二十一年十月吉日
碑の高さ 一六〇糎
横幅 一一五糎
高さ 三十糎
台座厚さ 七〇糎
横幅 一一〇糎
奥行 五五糎
碑文の内容は十一行書かれている
その内容を要約すると次のように
書かれている。
松浦作太郎氏は、明治二十七年から明治三十七年間大山の畑を一町部開墾しみかんの栽培に努力した人である。
中庄文化財協会編、「中庄・外浦石造物」、中庄文化財協会、平成七年、p.165による。
上記、「明治三十七年間」は誤解しやすい。碑文にあるように明治27年から37年間の意味であろう。
「力行」は文字から想像されるように努力するという意味であるが、現在ではあまり使われない。海外移住史を読んでいると、「力行会」という海外移住を促進した団体名が出てくるので、開拓・開墾のイメージが喚起される。この顕彰碑にふさわしい文字である。
2015.2.21.奥池。向うに松浦氏の住んだ集落。釜田から、一軒だけ移ったのだろう。数軒の家が見える。手前の右側が大山峠。
なお、この「力行の碑」の右側に「落人の墓」と書かれた石碑があり、また、少し下に下ると地蔵堂がある。
2015.3.31.力行の樋のうしろに「落人の墓」が2基。意外と新しい。
2015.3.31.新しいはじである。といっても、もう50年近くなる。なかのしょうみち