鏡浦峠・平田道路。
因島水軍スカイラインができるまで鏡浦・外浦間の主要道だった峠道。おそらく、水軍スカイラインができていなければ、車が通れるように拡張されていたのだろうが、狭いままで残った。・・・と書いて、数日して大変なミスに気づいた。水軍スカイラインができるまで、この峠道しかなかったと勘違いしていた。小学校の五年生だったと思うが、遠足で鏡浦海岸へ行っている。そのとき確か、梶の鼻の道を通ったことを思い出した。水軍スカイラインのできるはるか前のことである。ということは、この峠道は水軍スカイラインが出来る前にすでに役目を終えており、今の水軍スカイラインの鏡浦道へ役割を譲っていたということになる。こう考えれば、これはこれで柳田国男さんの言うとおり、峠道は交通手段の発達とともにより遠くより低くなるように移動するという原則に当てはまる。おそらく、荷車や自転車は梶の鼻を回ったのであろう。水軍スカイラインができるずっと前から。
2015.2.1.峠道とは反対側の灌漑池。
2015.2.8.峠は切り通しになっている。その崖の上に石碑。同じ因島の大浜村の出身者で久保田鉄工(現クボタ)の創業者久保田権四郎氏の寄附記念碑。
切り通しの峠。峠の向こうは鏡浦町。鏡浦側は外浦越のページに。