たち、ものよきたてぐ、よきしきい何に
よらず、よきものをこのむもの何程
も、すんぶんなき、百目のふしんしてもよ 目=匁
きよふに思ふ人もあり、百貫目の
ふしんでもまたきにかなわぬ人も
あり、此うへい何ほどくの切のなきゆへ
に、すみさえすれば、ちさきがよしなか
れぞ、小家なればたてかへのときもしれ
ばいなし、大家なれば小家にたて
かへるお、わるいと思ひこれ子孫に
うれいなし、然りといへども中ぶんな
はかろだべし、これおかんにんの一ちと
するなり、右くらいもの着ることの
住居所これが人々かんよふの世
わたりなり、これなあんにんすれば
世をわたる所にあく風なしつゝ
のみ、あしき時はあく風出きたつて
無をわたる舟にもなみがいるやら
それしるやば火が出て舟をやくやら
いろ〱のなん多しとしるべし
身を舟にして万物をのせているに
よつて、これ船と見るか又は身と
見るか、これわけかたきものなり、左
によつて常人は私身ばかり思ひ、他
人につきあいよふ、あししいわれとなれ
ば私よくばかりにて、自他平等な
る事なしゆへに、神儒仏の道を
たて、凡人をあわれみ、世をあんしん
にくららさし給ふ事なり、それゆへに
御上のおきてにも三道不残まも 不残=残らず
れかと津々浦々迄も残りなく
かく有がたき御代なられ哉、扨又
有うちには心得違のものあり、右
三道を一ツに読事せず、神をうち
儒をうち仏をうち、たがいにうち
あいする人も有り、これらは第一御
上をおそれず王法はもちろん定法
を智(しらずや)、何ぞ三道において別儀
あらん、皆々正法の一ツなり、誠ニ
日本ばかりにあらず、唐天竺も
一ばかり、然りといへども此一の開け
たる人、よにまれなり、真実の一
おひらけば道を得といふものなり、
こゝに予が愚なる語あり、万法は
道に有り、道ハ天にあり、かるが
ゆへに天をひらかざれば、道にあらず、
神儒仏共に道徳なり、然るによつ
て釈迦如来は成道とあり、孔子は
道といわれ、日本には唯一神道と
あり、これお得るには如来は明了