2015年9月4日金曜日

因島白滝山 一観居士因縁記7

白滝山研究目次 白滝山リンク集




たち、ものよきたてぐ、よきしきい何に

よらず、よきものをこのむもの何程

も、すんぶんなき、百目のふしんしてもよ   目=匁

きよふに思ふ人もあり、百貫目の

ふしんでもまたきにかなわぬ人も


あり、此うへい何ほどくの切のなきゆへ

に、すみさえすれば、ちさきがよしなか

れぞ、小家なればたてかへのときもしれ

ばいなし、大家なれば小家にたて

かへるお、わるいと思ひこれ子孫に


うれいなし、然りといへども中ぶんな

はかろだべし、これおかんにんの一ちと

するなり、右くらいもの着ることの

住居所これが人々かんよふの世

わたりなり、これなあんにんすれば


世をわたる所にあく風なしつゝ

のみ、あしき時はあく風出きたつて

無をわたる舟にもなみがいるやら

それしるやば火が出て舟をやくやら

いろのなん多しとしるべし




身を舟にして万物をのせているに

よつて、これ船と見るか又は身と

見るか、これわけかたきものなり、左

によつて常人は私身ばかり思ひ、他

人につきあいよふ、あししいわれとなれ


ば私よくばかりにて、自他平等な

る事なしゆへに、神儒仏の道を

たて、凡人をあわれみ、世をあんしん

にくららさし給ふ事なり、それゆへに

御上のおきてにも三道不残まも     不残=残らず




れかと津々浦々迄も残りなく

かく有がたき御代なられ哉、扨又

有うちには心得違のものあり、右

三道を一ツに読事せず、神をうち

儒をうち仏をうち、たがいにうち


あいする人も有り、これらは第一御

上をおそれず王法はもちろん定法

を智(しらずや)、何ぞ三道において別儀

あらん、皆々正法の一ツなり、誠ニ

日本ばかりにあらず、唐天竺も



一ばかり、然りといへども此一の開け

たる人、よにまれなり、真実の一

おひらけば道を得といふものなり、

こゝに予が愚なる語あり、万法は

道に有り、道ハ天にあり、かるが


ゆへに天をひらかざれば、道にあらず、

神儒仏共に道徳なり、然るによつ

て釈迦如来は成道とあり、孔子は

道といわれ、日本には唯一神道と

あり、これお得るには如来は明了