整理番号RJB1975a
山岡望、『化学史談 Ⅳ ブンゼンの88年』、内田老鶴圃新社、1975
ロスコーの生涯
ブンゼンを紹介し、ブンゼンを宣伝し、ブンゼンを謳歌するについて、功績最も重かったのは、イギリスのSir Henry Enfield Roscoe である。しかしこれは当然である。何となれば、ブンゼンに師事した多くの人々の中、ブンゼンに交わること最も親しく、その最大の信任を得たものはロスコーであったからである。
山岡望、『化学史談 Ⅳ ブンゼンの88年』、内田老鶴圃新社、1975、p.13
ロスコーはブンゼンの一番弟子であった。これは素晴らしいことである。今では、ブンゼンといえば化学実験に使うガスバーナ、それも最近ではこれをブンゼンバーナーと呼ぶ人はいなくなったが、その発明者であることと炎色反応の発見者であることぐらいしか思いつかないが、大化学者で、何でも自分で作る人だった。そんなブンゼンの一番弟子なのだから、エリート中のエリートであったと思ってよいだろう。
さて、年譜的には記すと、同じページから抜き出して、
1833年、ロンドンに生まれる。父は判事、祖父は銀行家で政治家。
4歳、父逝去。
16歳、University College(ロンドン)に入学。グレーアム、ウィリアムソン等に学ぶ。
1853年、ハイデルベルグのブンゼンの下に留学。光化学の研究に協力。
1857年、帰国、Qwens College(マンチェスター)教授。フランクランドの後任。
以上、『化学史談 Ⅳ ブンゼンの88年』、p.13から