2024年2月29日木曜日

夕凪亭閑話 2024年3月

クリスタルホーム

2024年3月1日。金曜日。晴れ。3111歩。67.8kg。5時に起きる。10℃。外気温6。曇っているが雨は降っていない。9時に出て福山へ。福山城でコピー。のち古文書学習会。夜、入力。古文書。
  春日
恍然路入早鶯天
夢落香雲午煙散
村巷遊人春尚浅
庭梅疎影夕日前
 下平一先

2024年3月2日。土曜日。曇り一時雪。3092歩。68.1kg。4時半に起きる。9℃。外気温6。古文書解読文入力。夕方、「空手還郷」完成届く。せとうちタイムズ購読料1月から6月まで3000円。
  偶成
浮世夢床暮雲深
追懐往時知此心
歳月相思書屋静
竹窓閑淡緑成陰
 下平声十二侵

2024年3月3日。日曜日。晴れ。3077歩。68kg。5時に起きる。8℃。外気温4。朝、古文書解読文送る。買い物。帰って山へ竹切り。午後昼寝。確定申告記入。三月資料。


2024年3月4日。月曜日。晴れ。7685歩。68.2kg。5時半に起きる。9℃。外気温5。朝、資料作り。10時から青木城跡文化財整備。午後、役員会。鯉の餌、1580円。
 書感
幾多天性一書生
世事悲風無限情
多望悠々年十六
半生昨昔壮心驚
 下平声八庚 


2024年3月5日。火曜日。雨。2013歩。68.2kg。4時半に起きる。12℃。外気温7。午後、来客。
   春夜
春宵細々読書情
夜色梅花灯影明
芳草幽庭孤館暮
蕭々晩刻待新晴
 下平声八庚

2024年3月6日。水曜日。晴れ。3703歩。68.3kg。5時に起きる。10℃。外気温3。朝、医師会病院。買い物。午後、公民館へ資料印刷依頼。のち山へ竹切り。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。
    暮春
暖風花茎暮鐘時
鶯声春心何処之
村外帰来潮水碧
樹陰夜色日西移
 上平声四支

2024年3月7日。木曜日。晴れ。7452歩。68.8kg。6時に起きる。9℃。外気温6。朝、金属ゴミ回収してもらう。山の草刈り。午後、確定申告終了、郵送。夕方、公民館資料完成。古文書。

 山寺春行

山門古木午時鐘

鳥語香雲花影濃

四面風流春鳥囀

寺中塔影夕陽春 

  上平声二冬


2024年3月8日。金曜日。朝雨、のち晴れ。2898歩。67.9kg。6時に起きる。11℃。外気温2。朝、散髪。帰って山へ竹切り。午後昼寝。古文書。

      春日漫行

紅々麗日百花繁

閑行青々竹裏内

緩歩道遥帰路晩

暖風鶯語緑陰村

 上平十三元


2024年3月9日。土曜日。晴れ。3381歩。67.25kg。5時半に起きる。9℃。外気温5。朝、山へ竹切り。午後、昼寝。夜、古文書。

 寓感

人生身世十年情

天性交情本不争

歳月光陰空入夢

索居誦読一心軽

 下平八庚


2024年3月10日。日曜日。晴れ。4023歩。68.3kg。5時半に起きる。8℃。外気温3。朝、買い物。帰って竹切り。午後、昼寝。夕方古文書。

 初春偶成

閑吟無頼訪梅花

詩景如煙滞淡霞

内外東風春尚浅

春光出谷夕陽斜

  下平声六麻。


2024年3月11日。月曜日。晴れ。4066歩。68kg。6時に起きる。7時のバスでJA病院へ。11時30分のバスで帰る。午後、昼寝。夜、古文書。

  花時遊

浮世歌舞一村春

人去無痕雨後塵

風光看花三月半

酔人暮色月光新

 上平十一真


2024年3月12日。火曜日。雨のち曇り。3430歩。68kg。午後、土生の方まで行ってくる。土生だけではないが、あまりに人がいないのに驚く。これでは食品スーパーと介護医療以外の産業が栄えることはあるまい。産業団地が散らばっているが、これらは外国人労働者頼みだから、基幹産業になり得ない。観光ブームのような面影が全国に蔓延しているが、疫病だけではなく、経済的理由により、過去何度も荒波をかぶり、倒産した観光業者は多い。観光客だのみの脆さを自覚すべきであろう。

網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)終わる。p.157 友貞の貞の字。p.241備後中庄の船の数。p.274荘園支配の為の城。p.307名主と庄屋。


2024年3月13日。水曜日。晴れ。3932歩。68kg。朝、買い物。帰って山へ竹切り。昼前、土生へ。午後、論語の会。3人。国境、藩境。欠席した弓削遍路の状況など。夜、古文書。せとうちタイムズ原稿書く。


2024年3月14日。木曜日。晴れ。5343歩。67.85kg。6時に起きる。11℃。外気温6℃。朝、山へ竹切り。午後、墓参り。精米。昼寝。夕方倉庫の整理。文芸評論の傑作と言っていい本をおもむろに開いて、昔のように楽しみながら感心していたのだが、だんだんと退屈になってきた。できるだけ似た表現を他の第三の書物から引いてきて、自分の感覚が客観性を帯びたものだと主張するやり方は、私が若い頃と少しも変わらない。その多読の告白にも似た作業に少々うんざりした。もちろん私が成長せずに老いたからに他ならない。

 人間の老いは、もちろん死への行程に他ならないのだが、一直線に降下するのではなくゆっくり降下しながら、あるいはほとんど降下していないように見えながら、時々、ガクンガクンと確実に下がっていくものであろう。

 だから時には、自分が病人であることを忘れるほど調子が良い時が訪れてもおかしくはない。しかし、それは錯覚であって、老化は確実に進んでいるのである。

    看花

新晴美景好春華

山寺午風帯晩霞

煙景香塵三月半

疎鐘遠近独看花

  下平六麻


2024年3月15日。金曜日。晴れ。5671歩。5時半に起きる。11℃。外気温9℃。朝、福山へ。ガソリン30.49L、5000円。午後古文書学習会。後、妻の実家墓参。元同僚と歓談。夜、古文書。暖かい春めいた日。

 春日山行

閑雲清境夕陽春

山寺仏光日没鐘

老樹無声春鳥囀

斜陽相擁一庭松

  上平二冬


2024年3月16日。土曜日。晴れ。3622歩。67.85kg。6時に起きる。朝、潮騒荘へ。昼前山へ竹切り。午後来客。のち、昼寝。夜、古文書入力。完成送る。

紅紅草色訪君時

麗日鶯声午景移

詩客清談農舎外

孤村郊外暮鐘時

 上平四支


2024年3月17日。日曜日。晴れのち雨。11284歩。67.4kg。5時に起きる。14℃。外気温12℃。9時過ぎに公民館。文化財協会、故郷の町を歩こう。一時小雨。帰って買い物。昼寝。古文書。

 春山行

春情雲舞湿鶯声

行楽烟空草欲萌

麗日徘徊花径暖

路遥天地故郷情 

 下平八庚


2024年3月18日。月曜日。晴れ。歩。67.4kg。5時半に起きる。12℃。外気温8℃。朝、山へ。午後、昼寝。古文書。

 夜読書

多年養拙座南軒

独坐何求夜色昏

不沈高情耽誦読

竹窓緩歩愛田園

 上平十三元


2024年3月19日。火曜日。晴れ。67.8kg。4時に起きる。9時より定例会。23人。午後、昼寝。草取り。古文書。

 悼友

人生漠々落花時

病魔無情無限悲

君去一身遺恨在

茫々万事去何之

 上平四支


2024年3月20日。水曜日。春分の日。雨のち曇り。68.4kg。6時に起きる。風強し。10時半から因島文学散歩の会。7人。帰りに買い物。午後、昼寝と古文書。

 山行

青苔奇岩歩深林

長途晩雲暮色深

松林村落雲影淡

幽魂風韻夕陽沈

 下平十二侵


2024年3月21日。木曜日。晴れ。5136歩。67.7kg。4時に起きる。朝山へ竹切り。午後、畑に肥料をまく。グリーンドクター2号、苦土石灰。昼寝。夕方、灯油を買いに行く。

   述懐

読書多感月微明

心事青雲無限情

落日彷徨春又逝

追懐如夢一書生

 上平八庚 


2024年3月22日。金曜日。晴れ。2705歩。6時に起きる。6℃、外気温0℃。9時に出て、福山へ。午後福山城。花見の屋台がちらほら。桜は蕾。古文書学習会。夜、解読文入力。


2024年3月23日。土曜日。雨。2305歩。6時に起きる。朝から小雨。昼前、藤井医院。夜、解読文入力終了、送る。

小林正博、『解いて覚える!くずし字・古文書ドリル』、潮新書、終える。表題の通り、読み終わったなどと言う類の本ではないだろう。これからも何度も繰り返して開き忘れたところを思い出さないといけないのは承知で、一通り覚えたという事で記録しておこう。古文書を練習するのと漢詩を覚えるのは時間の無駄のような気もするが、それでいいのである。人生において無駄な時間などというものは一瞬としてない。全ての時間が何らかの意味で有益なのである。もちろん死に至る時間はどんどん減っていき、有益だという意味を持った肉体もやがえて消失していくのだが。それでいいのである。


2024年3月24日。日曜日。雨。2071歩。67.35kg。6時に起きる。朝から雨。古文書など。島田荘司、『羽衣伝説の記憶』、光文社文庫を久々に読み返して見た。今回は最初から普通に読んだ。3回目か?。懐かしく思うとともに続編を再度読んで見たくなったが、どうしたものだろうか。時間がない。

      閑適

青灯雅興半窓風

塵外心閑西又東

隣舎鳥声人独歩

松門静裏仰蒼穹

  上平一東


2024年3月25日。月曜日。雨。2380歩。67kg。6時に起きる。12℃。外気温9℃。小雨。午後、小雨。朝から四月資料作り。

 逍遥

彩雲去訪夕陽紅

閑行朗詩句中 

帰夢暮山残照色

千林深浅寺楼東

  上平一東


2024年3月26日。火曜日。雨。4098歩。66.8kg。6時に起きる。13℃。外気温9℃。雨。朝、ゴミ出し。9時過ぎに公民館へ4月資料印刷依頼。昨夜の9時から絶食してバスを乗り継いで、尾道総合病院へ。帰りはサンドイッチをバスの中で食べる。瀬戸田行きバスで運動公園でおり、北インター入口のバス停まで歩く。

   雨水

多情一水白雲通 

寺寺古情至所同

処処午寒塵外地

車窓濃淡雨豪

  一東


2024年3月27日。水曜日。晴れ。4074歩。67.2kg。6時に起きる。8時過ぎに出て、神辺、井原ミニツアー。11名。

    春遊

 彩加春鳥画図中

 鶯語江南一径風

 漫歩鐘声春寺静 

 田圃満眼百花紅

   一東


2024年3月28日。木曜日。晴れ、午後雨。3829歩。68.2kg。6時に起きる。室温12℃。外気温6℃。中国新聞の連載小説、面白くないので今日から読むのをやめる。買い物。帰って山へ草刈り。午後、文化財協会役員会。宮城谷昌光『重耳』上、講談社文庫読み始める。

 歳月

流年志行一宵中

宿志風塵歳月空

百事夢魂憐節物

青雲未老古今同

   一東


2024年3月29日。金曜日。晴れ。6179歩。4時に起きる。室温12℃。再び寝る。朝、山へ草刈り。11時前に出てJA総合病院へ。5時半に帰る。

  偶感

行雲千里樹蒼々

落日孤身看月光

宿志多情耽読書 

孤身剰得幾星霜 

七陽


2024年3月30日。土曜日。晴れ。4699歩。67.2kg。3時半に起きる。室温17℃。野外気温13℃。朝、山へ草刈り。午後、しめ縄作り。

  春遊

浮世行楽一村春

美景千枝風色親

遊人徘徊清浄地

桜雲一路鳥声新

 上平十一真


2024年3月31日。日曜日。晴れ。2715歩。67.6kg。4時半に起きる。14℃。島田荘司、『北の夕鶴2/3の殺人』、光文社文庫、終わる。3度目のようだ。朝、買い物。帰って山へ草刈り。午後、昼寝。夕方庭の草取り。

  鶯鳴

春光村落一天晴

林下鶯児放数声

出谷徘徊春尚浅

清閑幽室暖風軽 

  下平八庚


読書の記録

3月12日

網野善彦、『東と西の語る日本の歴史』、講談社学術文庫

3月23日

小林正博、『解いて覚える!くずし字・古文書ドリル』、潮新書

3月24日

島田荘司、『羽衣伝説の記憶』、光文社文庫

3月31日

島田荘司、『北の夕鶴2/3の殺人』、光文社文庫

クリスタルホーム 

ふるさとの史跡を訪ねて 351-360回 増補版

 ふるさとの史跡をたずねて(351)

     石鎚神社(尾道市瀬戸田町高根)

 山の名前には地形にちなむ滝山のようなものの他に、蔵王山、浅間山、石鎚山、竜王山などというのがあるように、信仰の対象からついたものがかなりある。竜王山は雨乞いだから別格として蔵王、浅間、石鎚などの名前が全国にあることから、これらの山岳宗教に発する信仰が、かつては広く庶民の間に浸透していたのは想像をはるかに超えたものではなかったかと思われる。

 高根山の滝山観音から少し登ると石鎚神社の立派な石堂がある。もちろん南の石鎚山の方を向いて。お堂の中の像は、不動明王か役行者だろう。ここにも「奉寄進」の石碑があり「天保十己亥(つちのとい)年」と読める。1839年である。

 ここからなら、気象条件さえ良ければ多々羅大橋の生口島側、観音山の稜線の上あたりに石鎚山が見えるだろう。






ふるさとの史跡をたずねて(352)


平山画伯スケッチポイント18(尾道市瀬戸田町向上寺山)


 あの有名な耕三寺である。我々の世代には瀬戸田町と言えば耕三寺であった。向上寺の三重の塔がいくら国宝だと言っても、耕三寺のきらびやかな建物群の方に魅了された。それは学校の行事で耕三寺へ行くことはあっても向上寺へ行くことはなかったせいかもしれない。

 だから、平山画伯のスケッチポイント18で「瀬戸田町向上寺山より耕三寺遠望」を見つけた時、ホッとするとともに、時代の移りゆきを感じたものである。

 耕三寺には春夏秋冬の思い出があるのだが、やはり秋の行楽シーズンの人出の多さと、しおまち商店街の賑わいが懐かしい。そして訪れるごとに増えている新しい建物に出会うのも、頼もしく夢が膨らんだ。

 平山画伯のスケッチでは遠くから小さく描かれているので、あたかも遠い日の記憶を追想するような心象風景と重なる。

 このスケッチは若い人たちが見るよりも、年配の人にぴったりだと思う。

 なお今は世羅町ご出身の彫刻家杭谷一東さんの設計製作になる「未来心の丘」の、白亜の大理石群が瀬戸内の午後の陽を反射して、過去だけでなく未来への思いも我々に抱くことを要求している。ささやかな未来も考えてみよう。





ふるさとの史跡をたずねて(353)   


平山画伯スケッチポイント(尾道市因島土生町荒神)


 このあたりで因島へ戻ることにしよう。ホテル・ナティーク城山には平山画伯のスケッチポイントが2つある。

 今回は北側のテラスにある「土生港から遠望」である。中央の島が釣島。左端は生名島の一部である。その間に生口橋が見える。

 そして、この石板の設置されているのは長崎城跡である。すなわち連載初期の頃書いた村上水軍の因島来島伝説の「釣島箱崎浦の戦」の舞台を、村上氏ゆかりの長崎城跡からみているわけである。

 おのずとその頃へと思いが向かう。村上氏とは何であったのだろうか。なぜ因島を本拠地にしたのだろうか。潮流が村上氏の活動に向いていたので、すなわち因島が海の要衝であったからだと信じてきた。この頃、因島が荘園であったからではないかと思いはじめた。

 スケッチより広めの写真で現在のようす(昨年末)を残しておきたい。




ふるさとの史跡をたずねて(354)


平山画伯スケッチポイント12(尾道市土生町荒神)


 ナティーク城山にあるもう一つのスケッチポイントはエレベーターでホテルのロビーに向かうと、連絡通路を渡ったところにある。

 南の方に向かって、「因島土生町からの遠望 弓削島 坪木島 生名島」とある。ちょうど、工場の建物の間から南の海が見える。そこは愛媛県。村上水軍の時代であれば、伊予の国である。因島村上氏の初代はナティーク城山を最初の根拠地にした。今は伊予大島から来たという伝説にしたっがっておこう。いざとなれば南へ逃げれば良いという安心感があったのかもしれない。今考えても良い場所であったと思われる。

 ここに立って、南を見ては故郷を思い、北を見ては未来を思ったことだろう。未来・・と言っても戦国武士団の一翼になることなど、夢にも思っていなかったに違いないが、変わりゆく荘園に対してどのように対処するかも一つの課題であったに違いない。

 彼らが未来が見えなかったのと同様、われわれもその頃のことを具体的に描くことはできない。しかし目の前の海と島はほとんど今と同じようであったと思うことはできる。




ふるさとの史跡をたずねて(355)


平山画伯スケッチポイント10(尾道市因島重井町白滝山)


 白滝山八合目駐車場にも平山画伯のスケッチポイントの石板がある。と言っても、駐車場から白滝山へ登る方向とは反対なので、多くの人が見過ごしてしまう。登山道の方に行かずに北側の東屋の方へ行って、西側の眼下を見よう。そこまで行けばスケッチポイントの石板に出会うのであるが、わざわざここまで来なくても、駐車場の西隅に寄れば良いし、あるいは登山途中で振り返れば似た光景は見えるので、残念ながらせっかくのスケッチポイントが見逃されてしまうというわけである。

 さて、このスケッチポイント10は「因島山頂より内海遠望」と書かれており、松の向こうに小細島、細島。宿袮島などが描かれ、佐木島の奥に三原市がかすかに見える。右側の因島鉄工団地は白い工場が一部で茶色の大部分は造成されたばかりの土地だろうか。

 島の配置は変わらないが、沿岸部は少し変わっている。10年後、20年後に比較したら、変わってないところは美しいと思うだろう。




ふるさとの史跡をたずねて(356)


島四国85番八栗寺(尾道市因島重井町白滝山)


 島四国85番八栗寺にお参りするのであれば、自家用車の場合は、白滝山八合目駐車場から山頂を目指し、表参道と出会ったところで反対側に降りる。あるいは、フラワーセンター、因島ペンション白滝山荘、伝六墓所・・と表参道を登るのであれば仁王門・六地蔵の上の三叉路で右方向へ登る。

 切り立った岩場の上にあるのだから、年間を通してかなりの強風を受ける。一見、壁のない貧相なお堂のように見えるが、そのことを考えると、屋根さえ丈夫であれば、この構造は心強い。

 表参道からのルートの三叉路から右は、しばらく通行止になっていたが幸い回復し、また参道も整備された。

 本四国では源平の古戦場の屋島にある屋島寺と向かい合った五剣山にあるので、それにならって、大師堂山の上にある島四国84番屋島寺を見下ろす位置にある。




ふるさとの史跡をたずねて(357)


くぐり岩(尾道市因島重井町白滝山)


 奇岩である。スリル満点である。島四国85番八栗寺にお参りするのに下から登る時は、直前で。上からきて、さらに下に降りる場合は、まもなく、必ず通る岩の下の狭い道がある。このような洞窟に近い岩の下を通ることは決して珍しいことではない。しかし、大きな岩を支えているところをよく見ると下側が実に小さい。岩の下で丁寧に観察するのは気持ちがよくないので、さっと見るだけでも珍しいほどのわずかの部分で大きな岩を支えている。

 もし、この下を通っている時、大地震が起こったらどうなるかと、想像することは怖い。しかし、大丈夫である。この岩が崩れるほどの大地震であれば、どこにいても似たような結果になるだろうと、想像力を働かせてほしい。そうすれば、慌てて通過することはないと、変な自信がもてるであろう。




ふるさとの史跡をたずねて(358)


仁王像(尾道市因島重井町白滝山)


 くぐり岩からさらに下山を続けると、仁王門があり、下から見ると仁王像が左右一対として安置されている。もし、白滝山の他の石仏群がなくても、この仁王像だけでも、白滝山は霊山として崇められ、人々から畏敬の思いを捧げられたことだろう。

 だが、その白滝山石仏群の中でも最も気高く最も迫力に富んでいるこの石仏は、歴史的に見れば白滝山五百羅漢と呼ばれる石仏群とは関係がなかった。いや、白滝山五百羅漢の製作の中心人物であった尾道石工・太兵衛の作品であるから、全く無関係というわけでもなかったが。

 すなわち白滝山五百羅漢を作った余勢で、この仁王像が伊浜の重井八幡神社に奉納された。また同時に曹洞宗善興寺にもほぼ同寸の一対が奉納された。

 このことは何を意味するのであろうか? 当時の社会が安定しており、豊かな農村社会であった、などと書いても何もわからない。おそらく白滝山五百羅漢の完成の余勢以上の精神的な高揚と陶酔に似た心理が村民全体を覆っていたに違いないと、私は思う。

             (左)


             (右)
             

ふるさとの史跡をたずねて(359)


仁王門(尾道市因島重井町白滝山)


 仁王門の中にある左右の仁王像は白滝山五百羅漢完成後、白滝山石仏工事の中心であった尾道石工太兵衛が製作したもので、伊浜の重井八幡神社に奉納されていた。それが明治元年に神仏分離によって神社に仁王像はふさわしくないということで、立ち退きを要求された。それが現在表参道にある仁王像である。現在の姿しか知らない我々はいかにもそれが白滝山頂上付近の石仏群と一体のものであり、ちょうど五百羅漢の入口のような印象を持っているが、その厄介物であった仁王像一対の行き場として苦労されたのであろう。

 というのは神仏分離で神社からお寺へ移せばよいようなものであるが、実は重井村唯一の善興寺には同じ作者の仁王像が既に奉納されてあったからである。その結果として、この場所へ移動されたわけである。

 この巨大な石造物を重機のない時代にどうやって移動させたか、まず不思議に思われる。そしてまた、なぜこの中途半端な場所が山門になったのかと思うに違いない。

 これらのことを知る手がかりは全くないが、傾斜度を考えると、この位置が限度であったのだと思われる。すなわち、ここから五百羅漢が始まるという意味があったわけではなく、現在の位置から我々がそう思っているだけであろう。

 さらにまた立派な仁王門が明治42年に完成し、仁王像は風雨の侵食を免れることとなった。現在の仁王門は昭和の初めに改修された2代目であるが、違和感を感じることなく屹立している。


ふるさとの史跡をたずねて(360)

六地蔵(尾道市因島重井町白滝山)

 仁王門を抜けて表参道を登ると左右三体ずつ並んだ六地蔵がある。六地蔵が迎えてくれると書いた方がふさわしい。仁王像の厳しい顔に迎えてくれるという雰囲気を感じる人はあまり多くはないと思う。だから仁王門を過ぎてこの六地蔵に出会うと、出迎えてもらったという気持ちになる。 
 さて、それではどのような世界への出迎えなのかと考えてみると困ってしまう。これは白滝山だけの問題ではない。多くのお寺や墓地の入り口近くにはたいてい六地蔵があって、やはりその役目は「お迎え」だと
思っている人は多い。どの世界へのお迎えなのか考えてみよう。
 一般的には六道輪廻の六つの苦行からそれぞれの6人の地蔵さんが救済してくれるということになる。すなわち、閻魔大王の十王信仰の延長の世界である。だから道教と仏教の混ざりあった世界である。
 さて、ここの仁王像と仁王門が白滝山五百羅漢とは無関係に作られたと書いたが、この六地蔵もその延長だと思う。
 しかし、山頂のあのエキゾチックな羅漢像も、伝六が力を入れて広めた「功過自知録」も、極めて道教的世界の延長にあったものだから、ここに六地蔵があるのはまことに論理的には一貫したものになっている、と私は考える。







(  写真・文 柏原林造)





➡️ブーメランのように
(文学散歩)


2024年2月1日木曜日

夕凪亭閑話 2024年2月

クリスタルホーム 

2024年2月1日。木曜日。曇り時々雨。1963歩。69.3kg。6時に起きる。12℃。(外気温8℃)。初校終わる。


2024年2月2日。金曜日。曇り。2507歩。68.7kg。7時に起きる。10℃。(外気温4℃)。9時に出て福山へ。午後、古文書学習会。帰りに向島へチョコレートを買いに寄る。夜、古文書。伊藤俊一『荘園』、中公新書。


2024年2月3日。土曜日。曇り。午後雨。2206歩。68.8kg。5時に起きる。9℃。(外気温4℃)。古文書。よる、解読文送る。


2024年2月4日。日曜日。曇りのち晴れ。2787歩。68.8kg。7時に起きる。8℃。(外気温4℃)。朝、買い物。昼食後晴れたので山へ竹を切りに行く。


2024年2月5日。月曜日。雨。2677歩。68.8kg。5時半に起きる。8℃。(外気温4℃)。朝から雨。夕方やむ。午後、役員会。資料作り。古文書。


2024年2月6日。火曜日。晴れ。4238歩。78.9kg。5時に起きる。8℃。(外気温3℃)。朝、内科医院。午後、山へ竹切り。のち、デコポン摘み。夜、古文書、資料作り。


2024年2月7日。水曜日。晴れ。3183歩。68.85kg。5時半に起きる。9℃。(外気温3℃)。朝、ゴミ捨て。9時過ぎから医師会病院。喘息の薬を出してもらう。午後、買い物。帰って、山へ竹切り。昼寝。夜、古文書。


2024年2月8日。木曜日。晴れ。3055歩。69.2kg。6時に起きる。9℃。(外気温3℃)。朝、公民館へ印刷いら。山へ竹切り。午後、古文書。学習会資料作り。



2024年2月9日。金曜日。晴れ。2588歩。69.05kg。5時に起きる。9℃。(外気温4℃)。朝、福山へ。午後、古文書学習会。福山城へ。夜、入力。



2024年2月10日。土曜日。晴れ。2307歩。68.85kg。3時に起きる。11℃。(外気温4℃)。朝、買い物。午後、山へ竹切り。古文書入力。工藤敬一『荘園の人々』、教育社終わる。


2024年2月11日。日曜日。晴れ。3169歩。69kg。5時に起きる。朝、買い物。午後、山へ竹切り。夜、校正。古文書。


2024年2月12日。月曜日。晴れ。13744歩。69.15kg。5時に起きる。9℃。(外気温4℃)。8時40分に出て、岩子島四国遍路。12人。2時過ぎ終わる。帰って昼寝。夜、YAMAP作成。校正。


2024年2月13日。火曜日。晴れ。3251歩。69.5kg。4時に起きる。9℃。(外気温4℃)。朝、「空手還郷」最終校出す。山へ竹切り。午後、古文書。


2024年2月14日。水曜日。晴れ。2896歩。69.4kg。5時半に起きる。11℃。(外気温5℃)。朝、買い物。帰って、山へ竹切り。午後、論語を学ぶ会。4人。船霊と闘病。夜、瀬戸内タイムズ原稿、書いて送る。古文書。


2024年2月15日。木曜日。晴れ。午後、夜、雨。2437歩。69.4kg。4時に起きる。14℃。(外気温7℃)。朝ゴミ捨て。山へ竹切り。鶯鳴く。メジロの集団、移動。午後、昼寝。古文書他。


2024年2月16日。金曜日。晴れ。3273歩。69.45kg。5時半に起きる。14℃。(外気温10℃)。朝、ゴミ捨て。山へ竹切り。午後、昼寝。ラテン語。古文書。


2024年2月17日。土曜日。晴れ。2666歩。68.35kg。5時半に起きる。9℃。(外気温5℃)。朝、山へ。午後、昼寝。古文書。ラテン語。


2024年2月18日。日曜日。晴れ。3323歩。68.45kg。5時に起きる。8℃。(外気温2℃)。朝、買い物。午後、山へ。後、昼寝。古文書。

  鶯鳴
鶯児深浅鳥声新
天公清遊竹成隣
林下暖風今二月
早春半日草堂人

 上平十一真、平起式


2024年2月19日。月曜日。雨。1469歩。68.95kg。4時半に起きる。14℃。(外気温10℃)。雨は降っていなかったが星は見えない。やがて雨。古文書。網野善彦『古文書返却の旅』、中公新書、終わる。

 春夜雨

幽庭雨細暮寒生

灯火前林坐夜更

春草夜色閑話久

柴門芳草読書情

  下平八庚 平起式


2024年2月20日。火曜日。晴れのち曇り。2333歩。69.45kg。6時に起きる。霧。暖かい。9時より公民館で定例会21名。午後山へ。昼寝。古文書。

 山行

故山林下引清泉

山勢仰看又寂然

樹蔭長途吹万緑

山囲古木暮雲辺

  下平一先 平起式


2024年2月21日。水曜日。雨。2243歩。69.75kg。4時半に起きる。18℃、外気温10℃。朝、因島図書館で因島文学散歩。『放浪記』p.43まで。6人。午後、灯油を買いにいく。42L,5000円。古文書。

  春景

遊人帽影亦繁華

面目清明映彩霞

花天一路詩景好

濃春遠近夕陽斜

 下平六麻 平起式


2024年2月22日。木曜日。雨のち曇り。2698歩。69.45kg。5時に起きる。13℃、外気温7℃。朝、買い物。午後雨が止んだので山へ竹切り。夜、古文書。

   野歩

山南奇岩白雲辺

樵径渓声風颯然

日午孤村幽谷裏

松林坐草緑陰鮮

 下平一先 平起式



2024年2月23日。金曜日。小雨のち曇り。歩。4時半に起きる。10℃、外気温3℃。9時に出て福山へ。午後、古文書学習会。夜、解読文の一部を送る。

  春夢

閑行緩歩緑陰村

詩客鶯声叩竹門

風暖風煙春雨後

看花野色夢猶存

 上平十三元 平起式


2024年2月24日。土曜日。曇り。3804歩。69.15kg。朝、山へ。午後、昼寝。

 春午睡

新鶯半壁夢中聴

半日寒香一草亭

二月老梅孤月照

寒村淡日不知醒

 下平九青 平起式


2024年2月25日。日曜日。曇り。4002歩。68.4kg。5時半に起きる。雨が降っている。のちやむ。朝買い物。午後山へ。夕方昼寝。古文書。

   山行

春風清境午時鐘

古殿斜廊花影濃

人跡無声山木緑

香雲古木夕陽峯

  上平二冬 平起式


2024年2月26日。月曜日。晴れ。9396歩。68.4kg。5時に起きる。9℃、外気温7℃。8時半に家を出て、岩子島。111人。午後帰って昼寝。夜、古文書。

  春遊

鐘声鳥語問花期

遠寺野翁帰更遅

犬眠孤村芳草野

春郊行尋日西移

  上平四支 平起式


2024年2月27日。火曜日。晴れ。3435歩。68.4kg。6時に起きる。8℃、外気温5℃。朝ゴミ出しと郵便局。10時から中庄公民館。因島文化財協会会合。午後、買い物。古文書。公民館だより、原稿送る。

 春暮

探梅枝上鳥声新

小径暗香月半輪

昨夜春風花始開

黄昏林下一枝春

 上平十一真 平起式



2024年2月28日。水曜日。晴れ。2905歩。67.9kg。6時に起きる。鞆行き、不可能の旨ラインで連絡。午後、山へ竹切り。古文書。瀬戸内タイムズ原稿送る。

   偶成

由来一去個人名

久慕天質万里情

惜別行人愁不語

低徊近日一書生

 下平八庚


2024年2月29日。木曜日。雨。3018歩。67.7kg。4時半にに起きる。10℃。外気温6度。ずっと小雨。山にも行けず、家の中。3月資料作り。古文書学習会印刷原稿作り。

  春雨

書窓煙雨湿鶯声

寂々頻々夢亦平

紅花柴門芳草雨

幽庭灯下暮寒生

  下平声八庚平起式





 

  





読書の記録。

2月2日 

伊藤俊一『荘園』、中公新書

2月10日

工藤敬一『荘園の人々』、教育社新書

2月19日

網野善彦『古文書返却の旅』、中公新書

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