2024年12月21日土曜日

出航

 出航

 

 三羽のユリカモメが白い腹をみせて数回旋回した。

 遠くで別の船の汽笛が長く尾を引いて鳴った。

 緑色の海水が船と桟橋の間を流れていく。ゆれる船の間から、白い泡がまわりながら昇ってきた。白い巨体が静かに振動を続けている。スクリューが海水を逆巻かせている。

 六甲の山並が初夏の日を浴びてまばゆい。

 六甲山の上に白い雲がかかっているほかは、雲ひとつなく、澄んだ青空がどこまでも広がっていた。

 神戸港メリケン埠頭では、マルセイユ行きの豪華客船「ベルサイユ」が、出航を目前にしていた。

「さあ、いよいよ出発よ。日本ともお別れよ。二人ともよく見て。これがニッポンよ。お母さんの生まれた国ニッポンよ。よく見ておいてね」

 長身の美紀は、和彦とリカを抱くようにしてしゃがみ、二人の耳元でささやいた。

 それは、二人に言うというよりも、むしろ自分に言っているようなものだった。今度日本へ帰って来るのは、いつのことだろう。ずっとずっと先か、あるいはもう永遠に帰れないのではなかろうか、と思ったりした。別に確かな根拠があるわけではない。ただ、漠然とそう思っただけである。

 しかし、それでもいいと思っていた。もともとフランスでずっと生活するつもりだったのであるが、夫のシュノンの都合で日本に帰っていたのだから。そのシュノンも今はパリにいる。

 シュノンからパリに来るように連絡があったのが三か月前のことだった。父も母もすでにいないし、たった一人の身内である弟も、今はニューヨークへ行っていないのだから、日本にこだわる必要はなかった。今回フランスに行けば、もう戻る必要はないも同然だった。

 でも、戻る必要がないというのと、戻れないというのはやはり異なるように思われた。今まではもう戻るまいと準備をすすめてきたが、今、日本を離れると思うと、やはりその船出は永久のものではないと、自分に言っておきたいような気持ちになった。そう思うと、かならず帰って来なければならないし、帰れないということはやはり不安の材料になるのだった。

 美紀はライトブルーのツーピースで、白のベレーの下からのぞいたロングカットの髪が亜麻色に輝いていた。さっきまでしていた濃紺のサングラスをはずすと、二〇代後半の、細長い顔が現われた。形のよい鼻、涼しげな目元と対照的な大きな瞳が海辺の太陽に輝いた。手袋をはずした手には、海辺の太陽が直接あたり、最初の日焼けの痕跡を印していた。

 五才になったばかりの和彦は、クリーム色のシャツにグレーの半ズボンで、白いハイソックスが太陽の光を足元で強く反射していた。

 三才のリカは、帽子、ワンピースとも真っ白で、黒い靴だけが、白いデッキの上で特別目立った。白い帽子の下からかすかに伸びた髪は金髪だったが、帽子の作る日陰の部分は黒っぽく見えた。

 銅鑼が鳴る。汽笛が鳴る。

 バンドが演奏する中を、静かに船は桟橋から離れていった。紙テープが延び、やがて切れて海水の中に落ちて一際鮮やかな色になった。そして、弱々しく曳かれていく。海面を遊泳する細長い小魚が餌と間違えて追った。ときおり、小魚の体が銀色に光った。

 見送りの人こそいないが、やはり、旅立ちというものは人を感傷的にするものらしい。何らフランスでの生活にも、長い船旅にも、不安はないのに、美紀は悲しくなった。頬をひとりでに流れる涙を、そっと拭いてから、二人を強く抱きしめた。

 美紀と二人の子供たちには、見送られる人こそいないが、埠頭では、この親子の出航を見送っている二人の男性がいた。一人は黒いサングラスをかけて、無地のグレーのスーツを着た男で、美紀と二人の子供たちが、間違いなくタラップを登り、出航したことをあたかも義務ででもあるかのように、人垣の間から、静かにうかがっていた。

 この男は、親子三人が神戸駅へ下りたときから、ずっとつけて来ていたのだが、もちろんだれにも気づかれてはいなかった。

 もう一人の男もやはりきちんとしたスーツを着ていたが、その色は淡いブラウンで、いかにも、もの静かな印象を与えた。この男は別のところで、デッキに立った美紀と二人の子供を寂しそうに見つめていた。

 もちろん、これら二人の男性のことを、美紀が知ろうはずはなく、また気がつきもしなかった。

 和彦とリカは他の客にあわせて、不特定の見送りの人波に向かって、いつまでも手を振っている。幼い二人にとっては、今日の日も、特別の日になるはずであったが、果たしてそのことがをいつまでも記憶の檻に閉じ込めておくことができるであろうか、美紀には自信がなかった。しかし、こうして無心に手を振り続けて、この日の出来事を無意識のうちに心の奥底に焼き付けていればそれでいいのかもしれないと思った。記憶の奥底に沈潜した像は時の流れで洗われ、定着されて、いつの日にか突然甦ってくることもあるし、こないこともある。それはそれでよいのだ・・・。

 バンドの演奏はいつまでも続いていた。

 青い空もいつまでも続いていた。ただ、六甲山の上にかかる白い雲が、心持ちうすくなったように、美紀には感じられた。

蛇っ子

 蛇っ子   -少年少女恐怖館ノ内-

 

 蛇はかしこい動物だから、よく人間に化けて学校の授業を聞きに来るんだよ、と言われていた。お婆ちゃんがこどもの頃はこういう話を信じていた子はけっこういたらしい。

「今でも人間に化ける蛇がいるのかなあ」

 千秋がつぶやいた。

「ははは、それはおばあちゃんが育った山奥の話だよ……。このごろは、蛇が人間に化けたという話は、とんと聞かんな」

 もし、蛇が人間に化けたらどんな顔になるかな、と千秋は思った。顔よりもスタイルのほうが想像できた。きっとスラリとして、かっこいいんだろうな、と思う。首も細くて・・・、それから口は大きくて、目は細いかな。さらに、目の奥から独特の光りを出すかな、とか想像してしまう。そんな子いたかな、順番に思い出そうとしていた。

 

 由香ちゃんという子は不思議な魅力をもった子だった。二年生になって転校してきた。運動がよくできて、いつも動きまわっている。そのせいでのどが乾くのか、いつも水を飲んでいる。水道の蛇口から直接飲んで、ここちよさそうに舌をだしてぺろっと口をぬぐう。切れ長の目がいっそう細くなって、かわいらしい。いかにもうれしそうな表情だ。しかし、この水を飲むところを人に見られるのは好きでないらしい。この前、赤い舌を出して、唇をなめているところに出くわしたら、じろっと睨まれた。一瞬背筋が寒くなった。こんな体験は初めてだった。人に睨まれただけで、こんな感じになるものだろうか、としばらくは頭の中から消えなかった。

 でも、由香ちゃんはかわいい。いつも、見ていたい。いつも見ていると、それだけで、こちらまで楽しくなる。そんな気持ちは、実は私だけでなく、私の友達の何人かは、同じように思っていた。みんな、かわいい、と言うのだ。

 そんな由香ちゃんが、突然病気になった。昨日から休みだした。今日も、来ていない。何だか、心の中にぽっかり穴が開いて、周りの世界が、ぼんやりと映っているようだった。と、同時に緊張から解放されたような、安らぎに似た気持ちにもなった。この気持ちは自分でも説明がつかなった

2024年12月16日月曜日

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第110回

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第109回

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第108回

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第107回

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第105回

 2025年1月21日火曜日 9:10 〜11:10  於:重井公民館

資料 『温故逍遥』1000円。

必要な方はご購入下さい。重井公民館など。当日会場でも販売いたします。

資料なしの参加も可能です。

村上水軍の基本的なところをまとめたものです。

これまでに言われたところを書いたに過ぎません。ただ村上氏の城跡と言われても混乱するので本家と分家に分けて見ました。

それでは、これで完成かというと、荘園と毛利氏との関係の2点が欠如しております。これは難しい問題で私が生きているうちにその2点を加味して書き換えることができるかどうかはわかりません。







活動の記録

因島文学散歩(第3水曜日、因島図書館)

20241218。8名。『放浪記』

松浦、東、土屋、矢葺、青木、大出、柏原、柏原

第104回定例会(毎月第3火曜日)、重井公民館。9:10 〜11:10

20241217。17名。資料『暑往秋収』。

映画鑑賞の記録

「少年時代」(監督:篠田正浩)

「駅馬車」

講演視聴の記録

佐藤優氏広島大学創立記念日特集

佐藤優氏同志社大学シンポジウム講演

佐藤優氏東京大地会




リンク

ふるさとの歴史を学ぶ会 









因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第106回

2024年12月2日月曜日

夕凪亭閑話2024年12月

 クリスタルホーム

2024年12月1日。日曜日。晴れ。3199歩。70.9kg。5時半に起きる。午後、山へ。久しぶりに外活動。暖かい日だった。


2024年12月2日。月曜日。晴れ。5758歩。70.7kg。6時に起きる。朝、藤井忠三さんのお子さま。10時から文化財青木整備。午後、買い物。昼寝。


2024年12月3日。火曜日。晴れ。2898歩。71.9kg。6時半に起きる。ゴミ出し。古文書。午後、山へ。竹の間に通路を作る。夜、姉を見舞う。


2024年12月4日。水曜日。晴れ。3625歩。71.9kg。6時に起きる。朝、医師会病院。買い物。午後、姉を見舞う。夜、せとうちタイムズ原稿書いて送る。


2024年12月5日。木曜日。晴れ。4680歩。70.7kg。6時に起きる。朝、姉を見舞ってから散髪。午後、土生、三庄。姉を見舞う。午後7時20分呼吸が止まった。生まれた海に近いところから2、3百メートルほど離れたやはり海に近いところだ。平均寿命には達しなかった。


2024年12月6日。金曜日。晴れ。3509歩。70.6kg。6時過ぎに起きる。今日は福山の古文書の会は欠席。朝から姉のところ。昼に帰って昼寝。夕方また行く。夜、息子帰る。


2024年12月7日。土曜日。晴れ。3222歩。71.2kg。5時に起きる。11時より湯灌。13時半自宅出棺。17時より通夜。


2024年12月8日。日曜日。晴れ。風強し。寒気。3475歩。71.6kg。2時半に起きる。9時より葬儀。10時半火葬。四国から おじさんとおばさんが来る。長男と長女と食事をしてそれから骨あげ。その後 昼寝夜読書と古文書


2024年12月9日。月曜日。晴れ。3019歩。72.1kg。4時半に起きる。午後蜜柑摘み。買い物。宅急便送る。古文書。宮城谷昌光。『天空の舟 上』、文春文庫、終わる。


2024年12月10日。火曜日。晴れ。2770歩。71.6kg。4時半に起きる。朝、ゴミ出し。古文書。午後、蜜柑摘み少し。やはり剪定が十分なされていないところは傷が多い。寒波が来た時、枯れるのがあるので、今から剪定をするのは理に合わないが、暖かくなったら忘れるので少しする。


2024年12月11日。水曜日。晴れ。2442歩。70.3kg。2時半に起きる。4時過ぎに再び寝る。朝、中庄。図書館。午後、論語の会。4人。石川雲蝶など。瀬戸内タイムズ原稿送る。夜初七日。町が暗い。各家庭の人数が減り、2階にはほとんど人が住んでなく、明かりがついていない。だから余計に町が暗い。おそらく10年後は悲惨な状況になるだろう。


2024年12月12日。木曜日。晴れ。2533歩。71.3kg。3時半に起きる。午後、ひこしの蜜柑摘み。2本4箱。少ない。古文書と読書。


2024年12月13日。金曜日。晴れ。3075歩。71.3kg。3時に起きる。朝、買い物。午後、古文書・


2024年12月14日。土曜日。晴れ。3141歩。71.3kg。4時半に起きる。朝、窓拭き。午後、図書館。古文書。


2024年12月15日。日曜日。晴れ。2712歩。71.35kg。7時に起きる。朝買い物。午後、庭木の剪定。古文書。


2024年12月16日。月曜日。曇り時々晴れ。5561歩。71.6kg。6時半に起きる。午後、庭木の剪定。古文書。佐藤優氏広島大学講演youtubeで見る。


2024年12月17日。火曜日。曇り時々晴れ。3322歩。70.9kg。4時半に起きる。朝、ゴミ出し。定例会17人。午後庭木の剪定。古文書。夜、公民館で伝統文化基金会合。馬上太鼓について。映画「少年物語」(篠田正浩監督)youtubeで見る。


2024年12月18日。水曜日。晴れ。3644歩。kg。5時半に起きる。10時から図書館で因島文学散歩。8人。帰りに買い物。昼寝。午後、庭木の剪定。瀬戸内タイムズ原稿送る。夜、7夜。


2024年12月18日。水曜日。晴れ。歩。71.05kg。5時半に起きる。朝、古文書学習会用資料作り。午後、映画「駅馬車」見る。庭木の剪定。



読書の記録

12月9日

宮城谷昌光。『天空の舟 上』、文春文庫、

 





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