2026年6月23日火曜日

アメリカの理科教育について

         1997.12.4. 理科教育学講義「世界の理科教育」(修士課程)で受講生として発表


        

 アメリカは複雑な国である。 例えば、 その多様性は、「アメリカ合衆国はいわば『大なり小なり独立性を有し』 た、50の共和国から成る連合体だと考えねばならない」 (1)

と言われるように、アメリカと一括りにするのが、そもそも無理なのである。 だから、個々の報告事例は、 アメリカ合衆国のものと言うよりも、 対象とされた一地方のまたは州の事例だと思わなければならない。

 イギリスについて書かれた本を一冊読めば、イギリスのことが益々よく分かる。 ア

メリカについて書かれた本を一冊読めば、益々分からなくなる。 アメリカのもう一つ

の顔に出会って、面食らい、 そして自分の今までの理解に修正を加えざるを得なくな

る。

 できることならこの国の研究などに没頭しないほうが無難だと考えている人は案外

多いのではないだろうか。

 それでも、アメリカについて我々が研究しなければならないのはなぜだろうか。

確かに、アメリカのことを研究しないといけない理由がある。 その一つは、かつてそ

うであったが、今後もわが国の教育はアメリカの影響を受けるだろうからである。

それはなぜか。 歴史も伝統も国民性も、大きく異なるのになぜアメリカの教育の影

響をわが国の教育はかくも大きく受けるのであろうか。

ひとつは、アメリカが巨大な実験国家であって、 教育の面においても次から次へと

新しい試みを展開するからであろう。もう一つは、アメリカもわが国も発達した資本

主義の国だからである。 この「発達した」 という言葉が進歩を表すのか退歩を表すの

かは、私にはわからない。 しかし、確かに言えることは、欲望喚起型の大量消費社会

であるということである。

それはまた、科学技術に先導され、 基礎づけられた消費社会でもある。

「いまや技術は普遍的な人々の、というより一定の産業資本なりの要求に従属するも

のとなった。 「発明は必要の母である」という技術史の言明は、その転換を象徴する

標語である。」 (2)

アメリカで起こったことは、 遅かれ早かれ日本でも起こるというのは定説である。

健康産業 老人問題、 訴訟社会、精神科医の流行等々、その例は、多くある。 若者の

科学技術離れも、そのような傾向がある。 (3)

さて、三好信浩は、明治時代の日本と西洋との教育交渉の類型を次の三つの類型に

分けた。 (4)

1片面的交渉で西洋の教育モデルが日本に移植される場合

Ⅱ相互的交渉で、学生や教授の交換を通してなされる場合

I還元的交渉で、日本で教育実験をし、その成果を西洋に持ち帰る場合

しかしながら、 言うまでもなく日本の教育は1の片面的交渉が圧倒的に多い。 デュー

イの影響もまたしかりである。 II 、 Ⅲの要素を見逃さないような視点で海外の教育の

進展を見ることも大切である。

注)

(1) 松尾之: 『不思議の国 アメリカ』、講談社(現代新書)、 1988、p.13.

(2) 佐々木力: 『科学論入門』、岩波書店(岩波新書)、 1996, p.212

(3) 中山茂 『科学技術の戦後史』 岩波書店 (岩波新書)、 1995、pp.161-162.

「日本でもアメリカの後を追って、 理工系離れの傾向があらわれ始めたのかも知れない。」 (同書、 p.161)

「モノをつくってカネをもうけた人は、そのカネで金貸しをして余生を左うちわで暮らしたくなるということ

である。何も忙しくてつらい理工系の訓練を受けたいとは思わなくなる。 すなわち、 理工系離れである。」 (

書、 p162.) と近代化と繁栄のサイクルを概観している。

(4) 三好信浩『明治のエンジニア教育』 中央公論社 (中公新書)、 1983、p.13.

2. 問題の所在一私の課題

アメリカ教育を調べるに当たって、 私の関心のある領域は次の3点である。

1.わが国の戦後の生活単元学習理論に影響を与えたといわれる、 デューイの学習

2.現代化運動

3.現代の教育改革と科学的リテラシー

さらに詳しく問題点を列挙すれば、

1.については、 身の回りの物質の扱いがデューイの学習論からいかにして出てく

るのかということ。

2.については、身の回りの物質がアメリカの理科教育でも消えたのか、というこ

と。

3.については、身の回りの物質は、科学的リテラシーの学習を目標としたとき、

身の回りの物質が教材に成りうるのかということ。

このような、関心に基づきアメリカの理科教育を調べることにした。 しかし、これ

ではまだ問題が曖昧なので、さらに次のように問題設定した。

デューイの学習論については、

1 デューイの学習論はどのような背景で生まれたのか

2 デューイの言ったことと、 デューイの学習論には違いがあるのではないか。

(前者をデューイイの学習論、後者をデューイ的学習論と呼ぶことにしよう。)


注)

(1) 伊藤信隆: 『教育課程論』、 建帛社、 1983、 pp.48-50.

(2) デューイ著、 宮原誠一訳: 『学校と社会』、 岩波書店 (岩波文庫)、1957、p.19

5. 理科教育現代化運動

アメリカ合衆国における理科教育の現代化について、以下の点について確認してお

きたい。

①現代化運動はソ連による人工衛星スプートニク (1957.10) 成功よりも前から、そ

の動きは始まっていたこと。 (1)

②ブルーナーの 『教育の過程』 は、わが国では現代化の理論的な指導書として働い

たが、アメリカでは、この書物の出版のほうが後であるということ。 (2)

③わが国の現代化において、 CBA 化学の影響は大きいが当初から、 その方向に危

惧を抱いていた人もいたということ。 (3)

さて、現代化しなければならなかった=遅れていた、アメリカの理科教育とはどん

なものであったのだろうか。 (4)

このような問題点については、野上智行が 「1960 年代のアメリカにおける改革を

議論するために必要なアメリカのそれまでの科学教育史に関する研究がほとんどな

く、それを付けることから始めた結果」 だという研究にまさるものはなかろう。 (5)

そしてまた、 デューイの学習論を理科教育の立場から考察しているところも注目に値

する。 (6)

野上はそのデューイの考え方をフランクリンが自然科学をアカデミーに導入したと

きに引用した哲学者の考えとの類似を指摘し、 「アメリカの教育が 「科学」を導入す

る際に一貫してその生活における実用的価値を強調しようとする傾向を持っていると

解釈」 している。

その教育の思想的背景は何だったのか? それは実は、 デューイの教育論であった

のである。 (8)

もう少しこの現代化以前を見ることにする。 アメリカの戦後のカリキュラムは、 中

等教育が大戦を契機に大衆化され、 「そのカリキュラムはあくまで民衆のニーズに応

ずるよう、 徹底的に生活化され実際化され民主化されざるを得ない」 (9) ようになっ

た。 「1944年頃から早くも戦後の中等カリキュラムが論議され、 (中略)、 相次いで発

表されたが、 何れも進歩的なコア・カリキュラムの立場をとり、青少年の欲求をみた

す問題中心の生活カリキュラムを提唱するに至った。」 (10) というように、 アメリカ

では、戦後もデューイらの進歩的な学習論が主流であった。

注)

(1) 梅埜国夫、 『生物教育の現代化』、 教育出版センター 1996、 p.25.

(2)伊藤信隆: 『教育課程論』、 建帛社、 1983、 pp.53-54.

(3) 竹林保次: 「科学教育の脱皮への試み CBAのアウトラインとその考え方」、 『科

学の実験』 13 巻 1952 p.302

従来の化学の内容にくらべ、個々の化学物質について、その製法なり、 特性なり、 用途などがいっさい除か

れており、理論的な部分、たとえばコロイド、 浸透圧、 分子量の測定、 酸塩基の量的関係、 電気分解の法則な

どが省いてある。 つまり学習内容が片よりすぎてはいないかということである。 今日私たちの毎日の生活およ

産業として重要な化学製品 合成繊維、合成樹脂、 合成医薬、 農薬、化学肥料などについての正しい理解・

認識は社会人として必要がないのであろうか。 CBA コースを確実に習得すれば、これらの事がらは実社会でそ

の知識や正しい取扱いが容易に覚えられるものなのだろうか。 これは化学教育の目標論の問題となる。 現行の

学習指導要領には"自然科学が生活や産業に応用されており、人類の福祉に深い関係があることを認識させる”こ

とが目標の1つに挙げられている。この認識を養うには化学工業・化学物質などについての理解が前提となる。

これはやはり普通教育における学校の役割ではないだろうか。 この化学の価値に対する認識は教養ある社会人

として、きわめて必須のものであるはずである。!

(4) 梅埜国夫、『生物教育の現代化』、 教育出版センター、 1996、 p.32.

(5) 野上智行: 『アメリカ合衆国におけるゼネラルサイエンスの成立過程の研究』、 風

間書房、1994、 謝辞、

(6) 前掲書、 pp.330-360.

(7) 前掲書、p.338

(8) 鶴見和子:『デューイ・ こらいどすこおぷ』、未来社、1963、p.254.

「ソ連のスプートニクの打ち上げ以来、アメリカの科学の立ちおくれが問題になり、その原因はすべてデュー

その『進歩教育』にあると極論されるようになった。そして、アメリカは伝統的な体系的知識を注入する教育

にかえれという主張となってあらわれる。 (中略) 1930年代に 『御用学者』とみなされたデューイは、1950年

代には、その位置を転倒した。 それはデューイが変わったのではなく、 デューイの理論が歪められたことと、

アメリカの社会の動向が変わったことによる。」

学校理科研究会著: 『世界の理科教育』、 みずうみ書房、1982、 pp.56-57.

(9) 倉沢剛: 『米国カリキュラム研究史』、 風間書房、1985、p.805.

(10) 前掲書、p.814.

6. 現代化運動から現代までの概観

(1)

「現代化時代の教科書で現在も有効に活用されているのは BSSC 生物だけである。」

と言われるように、 現代化の波が静まるとアメリカは別の方向へと転換していく。

その後のアメリカの教育改革について、その要点を列挙すると次のようになる。 (2)

1950年代... 教育の効率的・能力主義的再編

スプートニク・ショック、国家防衛教育法、 カリキュラムの現代化。

1960年代・・・ equality 平等

公民権法、経済機会法

マイノリティへの入学定員割り当て、

(後半)強制バス通学制、 マグネットスクール、 APP、 大学紛争、暴力学園

現代化カリキュラムの破綻

1970 年代・・・学校の人間化

フリースクール、オールタナティブスクール、カリキュラムの多様化

「壁のない学校」 「ショッピングモール・ハイスクール」

1980 年代・・・卓越性 excellence の追求

教育再建による“強いアメリカ” の復活、 『危機に立つ国家 Nation at Risk』 1983

1980年代・・80年代の継続

まさに、「揺れる振り子 swing pendulum」(D・ラヴィッチ)である。

理科教育においても、 同じことである。 (3)(4) また、現代化以降の激しい展開は

シルバーマンの著書に詳しい。 (5)

注)

(1) 梅埜国夫、『生物教育の現代化』、 教育出版センター 1996、p.214.

(2) 藤田英典 『教育改革』、 岩波書店 (岩波新書)、 1997, pp.29-32.

「振子のようなアメリカの教育改革

アメリカでは、一九五七年、旧ソ連邦が世界で最初の人工衛星スプートニクを打ち上げたことが契機となっ

て(スプートニク・ショック)、 教育の効率的・能力主義的

再編を目指した改革が進められた。国家防衛教育法が制定され、科学研究に巨額の連邦資金が投入されるよう

になり、科学技術教育や職業教育の充実がはかられた。 また、 数学や理科を中心に、学問研究の成果を踏まえ

た教育内容の再編 ( 「カリキュラムの現代化」)が進められた。

ところが、一九六〇年代になると、人種差別撤廃を求める公民権運動が盛んになるなかで、 公民権法や経済

機会法が制定され、 平等という価値が教育政策の前面に出るようになった。 貧困層やマイノリティ (里仙人、ヒ

スパニック、アジア系など) の教育環境を改善するためにヘッドスタート計画が進められ、その進学機会を拡大

するために奨学金が拡充され、 大学進学機会を拡充するためにマイノリティへの入学定員割当制が導入された。

さらに、六〇年代後半以降、 学校における人種統合を促進するために、強制バス通学制 (バス通学によって白人

居住区にある学校にマイノリティの子どもを通学させ、 里仙人居住区にある学校に白人の子どもを通学させる

制度)が導入された。 しかし、 強制バス通学は、学校内でのトラブルの頻発を招き、 また、 それをきらった白人

中産階級は子どもを私立学校に通わせたり、 郊外に転出するなど、いわゆる「ホワイト・フライト」 (白人の逃

げ出し)を招いた。 そうしたなかで、強制バス通学のような強制的な人種統合策ではなくて、自発的な人種統合

策としてマグネット・スクールの導入拡大を進める地域も多くなった。 マグネットスクールとは、マイノ

リティの多い居住区にカリキュラムや教育施設を充実し、 あるいは、 高校で大学の授業を受けることのできる

APP (Advanced Placement Program) を導入するなど、特別に魅力のある高校をつくり、白人子弟の自発的な入学

を促進することにより、 人種統合を進めようとしたものである。

しかし、もう一方で六〇年代後半以降、 学習の遅れや教室秩序の混乱が目立つようになり、とくにハイスクールでは「暴力学園」化という事態が顕著になった。 その背景には、強制バス通学のような人種統合策があったことも事実だが、それ以上に、都市化の進行やベトナム戦争の拡大、人種差別撤廃運動の社会的ひろまりな

ど、社会全体に大きな変化があったことが重要である。 また教育界では、「カリキュラムの現代化」によって進められた教育内容の高度化、 大学進学率の上昇にともなって問題化するようになった進路指導・進路振分けの

問題、押しつけ的で定型的画一的な公立学校の在り方に問題の背景があると考えられた。かくして、七〇年

代には「学校の人間化」がスローガンとして掲げられるようになり、フリー・スクール、オールターナティブ

・スクールの運動が展開し、とくにハイスクールではカリキュラムの多様化

が進められた。 筆者が一九八三年に調べたところでは、日本でも 「壁のない学校」として紹介されたフィラデ

ルフィアのパークウェイ高校では、開講されている授業科目数は六〇四もあった。この高校にかぎらず、七〇

年代には、自動車の教習・整備や各種のボランティア活動も卒業単位に認めるハイスクールが多くなり、後に

「ショッピングモール・ハイスクール」と批判されることになった。

ところが八〇年代になると、 そうした七〇年代までの動向に対する反動ともいえる動向が教育政策を彩るよ

うになった。一九八三年、連邦教育省は『危機に立つ国家 Nation at Risk』 と題する報告書を公表し、 卓越性

(excellence) の追求、教育再建による"強いアメリカ”の復活をスローガンに掲げるようになった。経済の国

競争力を高め、日本やドイツに対抗するためには、 教育水準の引き上げが緊急の課題であるとして、種々の

が講じられた。 全米各州で、 ハイスクールの卒業水準が引き上げられ、 また、 教員の資質が重要であると

して、全米の優に過半数の州で現職教員の能力テストや力量審査が行われた。

以上のようなアメリカの改革動向の展開を、 教育史家D・ラヴィッチは 「揺れる振子 swing pendulum」と評

したが、ともあれ、八〇年代からの卓越性追求の基調は九〇年代になっても続いている。そして、九〇年代に

なって教育上の大きな争点になってきた問題が、 学校選択の問題、市場原理による学校教育の改善・活性化と

いう問題である。これらの問題については、 終章で検討する。

(3) 伊藤信隆 『教育課程論』、 建帛社、 1983、p.56.

:

| 1960年代から1970年代初期までの間、アメリカの高等学校で、学問中心カリキュラムの実践が行われ、 そ

のフィードバックによる評価がでてくる。 その評価の一つとして科学の非専門家、すなわち将来の一般市民や

家庭の主婦になる子どもたちにとって、 学問中心主義カリキュラムは必ずしもうまくからみあわなかった。

(4) 梅埜国夫、 『生物教育の現代化』、 教育出版センター 1996、p.214

| 1960年代に、 理科教育現代化の担い手として、華々しく旗揚げした PSSC CBA 等のプロジェクトが、いず

れも次第に衰退して消滅したり、他のプロジェクトに収収されてしまったりした中で、 BSCS だけが 30年以上

経った現在まで生き残っている」

(5) シルバーマン.C.E.著、 山本正訳 『教室の危機』 (上)、 サイマル出版会、1973、

7. 現代のアメリカの理科教育と科学的リテラシー

現代のアメリカの状況を記すことは難しい。 最近の動向を資料で記す。

D

奥田真丈: 「アメリカにおける中等教育の動向」、 日米教育協力研究日本側研究グルー

プ中等教育班: 『アメリカの中等教育 日米教育協力研究日本側報告書』、 1987、p.5

1983年4月

すぐれた教育に関する全国審議会の報告

『危機に立つ国家一教育改革への至上命令』

(A Nation at Risk: The Imperrative for Educational Reform)

上述の 「危機に立つ国家」 は、 ① 多種多様な国民の平等を保持すること、②教育の質

の高さを確保すること、③すべての国民の才能を最大限に伸長して、いわゆる「学習

社会」を建設することを究極の目標としている。 この勧告の骨子は次の通りであるが、

これこそ、今日におけるアメリカの教育改革の基本をなすものである。

勧告 A 教育内容に関すること

ハイスクールの卒業要件を強化し、在学中の4年間に、 1国語4年間 2教学3年 間 3理科 3年間 1 社会 3年間 5コンピュータ科学半年間、 の 「五つの新しい基礎 教科 (Five New Basics)」 の基本を身につけるように義務づけることとし、 大学進学希 望者については、それに加えて、2年間外国語を履修させること。 

勧告 B 水準と期待度に関すること 

生徒・学生の学業成績及び品行について、一層厳しい明確な達成基準を定め、生徒 ・学生に対する期待度を高めること及び 4年制大学がその入学要件を厳しくするこ 

ど。 

勧告 C 学習時間に関すること 

「新しい基礎教科」 の学習時間を大幅に増加し、1日当たり授業時間や年間授業時 日数を増やすこと。 

勧告 D 教職に関すること 

教員養成を改善し、 教員の給与を増額すること。 及びマスター教員制や職階制を開 発すること。 

勧告 E リーダーシップと財政に関すること 

教育者や公務員が教育改革の達成に必要なリーダーシップを責任をもって発揮でき るようにすること。 及び改革の実現に必要な財政上の支援を行うこと。 J 

賃料 

武村重和 「アメリカの理科教育国家基準 National Science Education Standardsは 日本の理科教育の危機に、どう生かせるか」 『理科の教育』 1997年3月pp. 148-151 

「アメリカの学習指導要領 Course of study 、 または、 教育課程、 Curriculum は、 伝統 的に市町村から州レベルまで小単位で作成されてきている。 特に、 教師の参加による 「授業改善」 の目的達成のための手段として作成されてきた地域のカリキュラム開発 は教師の専門的力量 資質の形成と再教育、 教育実践の成果としての学習者の学力の 向上と評価技術の向上などを目指したものである。 市レベル州レベルのコース・オ ブスタディ (学習指導要領) の作成・改訂運動は、1920年代から1930年代にかけ て、ブームになり、当時の教育研究の最高学府、コロンビア大学には、 約 20,000点 が集められ比較研究された。 

今回の National Academy press から出版されたアメリカの理科教育国家基準は、多 くの個人や団体で組織され、 大規模な国家的事業として作成されたものである。 国家 理科教育基準・評価委員会、国家科学アカデミーをはじめ、全米科学財団、アメリカ 文部省・アメリカ厚生省、アメリカ学術研究審議会など多くの機関や財団が参加して 作成された。 

国家基準は、次のような内容で構成されている。 

(1) 指導基準 Science Teaching Standards 

(2) 教員の資質向上基準 Professional Development standards 

P fill & Assessment Standards 

(4) MYWA 

(5) MKFC 

Science Content Standards 

Science Education program Standards 

(6) PUXA Science Education System Standards 

理科教育の目標は(中略) が、 「アメリカの子どもたちすべてが、科学的素養 Scientific Literacy を身につけることを目標とする」と述べている。 

MOD 

American Association for the Advancement of Science、 

#1 

Science For All America", Oxford University Press, 1989, pp. 209-210 

THE NEED FOR REFORM 

The necessity for strengthening science education in the United States has been widely acknowledged in the numerous education studies conducted in the 1980s. (A representative selection of reports is listed in Selected References at the end of this book.) 

Although the most powerful argument for improving the science education of all students may be its role in liberating the human intellect, much of the public discussion has centered on more concrete, utilitarian, and immediate justifications. 

Most of the education reports of the 1980s have been motivated by the confluence of two different growing public concerns' One concern is America's seeming economic decline. Our domestic affluence and international power-both based substantially on our scientific and technological preeminence-have been weakening in relation to those of other countries, especially Japan. The other concern consists of certain trends in U.S. public education: low test scores, students' avoidance of science and mathematics, a demoralized and weakening teaching staff in many schools, low learning expectations compared to other technologically advanced nations, and being ranked near the bottom in international studies of students' knowledge of science and mathematics. All of the reports and the mass media coverage of the reports have highlighted these educational deficiencies, and the nation has finally become aware that indeed there is a crisis in American education. 

Even while being deplored for themselves, the educational failures in the United States have come to be seen collectively as a major contributor to the economic failures. This view, whether entirely justified or not, has been implicit in most of the reports and explicit in others. Although each of the various reports has addressed the issues from a somewhat different perspective, all have been energized by the same set of disturbing economic and educational trends. 

Given this background, it is understandable that the reports emphasize, in one way or another, the need to improve the science and technology education of all students, as well as the need for various educational reforms of a more general nature. Taken together, the reports serve to underscore that in our postindustrial society, there is a strong connection 

between how well a nation can perform and the existence of high-quality, widely distributed 

education. There is now a clear national consensus in the United States that all elementary and secondary school children need to become better educated in science, mathematics, and technology. 

Science For All America、 pp.209-210 

改革のための必要性 (部分訳) 

アメリカ合衆国で科学教育を強くすることの必要性が、 1980 年代になされた多数の 教育 研究で認められた。 教育について 1980 年代に関する報告は、2つの異なる増 大する公的な心配の合流に動機を受けていた。 1つの心配は、アメリカのうわべの経 済の衰退である。 我々の国内の富と国際的なパワーは他の国 (特に日本)の人々に比 べて弱っていた。 我々の科学と、そして技術の優位に実質的には基づく両方で。他の 心配は、米国の公教育におけるある傾向から成り立つ: 低いテストの成績、 学生の科 学と数学からの逃避。 やる気を失ない、弱っている学校の教育スタッフ、 他の科学技 術的な先進国と比較して少ない学習時間、 そして、 科学と数学についての学生の知識 の国際的な試験で最低を占めた。 すべての報告とマスメディアがこれらの教育不足を 強調した。そして国家は、とうとうアメリカの教育の中の危機が実際にあるというこ とを知るようになった。 アメリカ合衆国での教育の失敗が、 経済の失敗の主な一因で あると見なされるようになった。 このような意見は、他の人の報告のほとんどに暗に 含まれていたし、 そして明白だった。 種々の報告の各々が幾分異なる見通しから問題 について論評したが、 全ては心を乱すような経済の、そして教育的傾向の同じセット であった。 

資料 

Wolfgang Graber, Claus Bolte (Eds.) 

Scientific Literacy An International Sympposium IPN 154 

p.257 

Sylvia A. Ware 

American Chemical Society, Washington, DC, USA 

Science for All: Implications in the Chemistry Classroom 

Introduction 

The term "science literacy" has been variously defined over the past 15 years (seee.g., NC, 1996; AAAS, 1993, 1989, Miller, 1983), but usually involves an expectation that students will display). 

a cognitive knowledge of science; 

an understanding of the nature and methods of science; and, positive attitudes toward the scientific enterprise. 

In the United States, over the past five years, there have been iwo 


major attempts to give precision to these expectations: the Project 3061 initiative of the American Association for the Advancement of Science (AAAS), and the National Science Education Standards devil- oped under the aegis of the National Research Council (NRC). In 1989, AAAS published Science for All Americans, which categorized the domains of knowledge that should be a part of every graduating seniors education (see Table 1). AAAS identified the many facets of science literacy as: 

# being familiar with the natural world and respecting its unity: being aware of some of the important ways in which mathematics, technology, and the sciences depend on one another. understanding some of the key concepts and principles of science,. having a capacity for scientific ways of thinking, knowing that science, mathematics, and technology are human enterprises, and knowing what that implies about their strengths and limitations,. and being able to use scientific knowledge and ways a thinking for personal and social purposes." 

In 1993, with the publication of Benchmarks for Science Literacy, AAAS added detail to its vision through the development of specific science literacy goals or benchmarks. The Benchmarks, which are intended as threshold levels of performance, are, nonetheless, very ambitious in their scope. They are not intended by AAAS to be 

p.258 

The Nature of Science 

The Nature of Mathematics The Nature of Technology The Physical Setting The Living Environment The Human Organism 

Human Society The Designed World The Mathematical World Historical Perspectives Common Themes 

Habits of Mind 

Table 1 Knowledge Base for Project 2061 (AAAS, 1989) 

viewed as "a curriculum, a curriculum framework, a curriculum design, or a plan for a curriculum." However, the AAAS is currently exploring what a curriculum based on the Benchmarks could look like, and developing ways to evaluate the concordance of existing curricular materials with the Benchmarks. 


The U.S. National Science Education Content Standards delineate a very similar (see Table 2), but less detailed vision of the knowledge base that students should master (ie.," know understand, be able to do ") prior to high school graduation. This knowledge base is considered challenging - but accessible to all students, many of whom should be expected to exceed the level of achievement defined 

by the Standards. 

Unifying Concepts and Processes 

Science as inquiry 

Physical Science 

Life Science 

Earth and Space Science Science and Technology 

Personal and Social Perspectives 

History and Nature of Science 

Table 2 Cognitive Domain in the U.S. National Science Standards 

(NRC.1996) 

『科学の読み書きする能力 scoence literacy 』 という用語が、過去の15 年の間、さま ざまに定義された。 (例えば、 NRC, 1996; AAAS, 1993,1989, Miller, 1983 参照) しかし 大抵、学生が示すだろう期待を含んでいなかった: 

科学についての認識的知識; 

科学の性質と方法についての理解、 そして 

科学の営為に対する積極的な態度 

過去の5年間、 アメリカ合衆国でこれらの期待に正確さを与える2つの主な試みが あった: AAAS がイニシアチブをとったプロジェクト 2061 と NRC の援助のもとで 開発された全米科学教育基準である。 

AAAS the American Association for the Advancement of Science 

アメリカ科学振興協会 

NRC the National Research Council 

全米科学教育基準 (NSES;National Science Education Standards) 

1989年、 AAAS は 『全てのアメリカ人のための科学 Science for All Americans』 を出 版して、その中で、 中等教育の卒業生の教育の部分であるべき知識の領域を分類した。 

(表1参照)。AAAS が science literacy の面をを以下のように確認した: 

「自然の世界をよく理解していて、そしてその調和を尊敬する; 数学、テクノロジ 一、 科学が互いに依存する重要な方法のいくつかを知っている ; 科学の鍵となる概念 と原理のいくらかを理解する ; 科学的な思考ができる能力を持っている ; 科学と数学 とテクノロジーが人間的な営為であると知っている、 そして、それが何を彼らの強さ と限界について暗に意味するか知っていること ; そして個人的かつ社会的な目的のた めに、科学の知識と科学的な思考方法を使うことができること。」 


1991年に、『科学読み書きする能力のための基準 Benchmarks for Science Literacy』 を出版して、 AAAS は具体的な science literacy の目標または基準をもって、そのビ ジョンを詳細にした。 それでもなおパフォーマンスの入門レベルとして意図している 基準、その広がりを非常に熱望している。それらが、「カリキュラム、カリキュラ ムのフレームワーク、カリキュラム計画、あるいはカリキュラムのための計画」 とみ 春されるために、AAAS は意図していない。 現在、しかしながら AAAS は、基準 Benchmarkes に基づくカリキュラムがどのようなものに見えるか、 現存する カリキュ ラム材料の用語を基準 Benchmarks と比べて評価する開発方法を調査している。 

米国国家科学教育内容基準が非常によく似たことを記述している。(表 2 参照) し かし、学生が高校卒業より前にマスターす(すなわち、知る、 理解する、できる) ベ きである基礎知識の詳細なビジョンはほとんど述べられていない。この基礎知識が、 やる気を起こさせるとみなされる。 ただ多くが、 標準によって定められる達成のレベ ルを上回るべきであると期待される全ての学生にとって利用可能である。 

科学の性質 

人間の社会 

数学の性質 

デザインされた世界 

テクノロジーの性質 身体のセッティング 生きている環境 

数学的な世界 

人間の有機体 

歴史的な見通し ありふれたテーマ 心の習慣 

表 1 Project 2061 の基礎知識 (AAAS 1989) 

概念と過程の統一 探究としての科学 

地球と宇宙科学 

科学とテクノロジー 

身体の科学 

個人的かつ社会的視野 

生命科学 

科学の歴史と性質 

表2 アメリカ国家科学基準の認識領域 (NRC,1996) 

8. おわりに 

アメリカ合衆国では、「カリキュラム研究」というと、 生活主義的な、 児童中心主 義の経験主義カリキュラムの研究を指す。 そして、その推進派を 「進歩派」 と言う。 それに対してヘルバルト流の教科中心の考え方を 「伝統派」と呼ぶ。 これらは、 自派 の主張を時代とともに改良しながら繰り返しているが、 「進歩派」 が主流である。 1960 年代の現代化は 「伝統派」 の巻き返しのようである。 

「経験主義=生活単元学習」 「現代化=系統性」 れはは、わが国の戦後の「生活単元学習」→ 「現代化=系統性」 学習、IA」の流れと並行関係にあるように見える。 (もちろん、アメリカ→日本と 

う影響関係を保ったままで。)しかし、わが国では、「生活単元学習」は根付かず、 

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「STS、 リテラシー」の流 「生活化、 総合 

悪夢として葬り去られた。 「生活単元」とは言わず、 「総合学習」という名前で、見直 されてきている。 このようなわが国とは異なり、アメリカでは、 ずっと経験主義的な 教育はなされているのである。 わが国が、教科主義の伝統の上で、戦後の生活単 元が一時的に行われ跳ね返したように、アメリカでは、 経験主義の伝統 (19世紀末 からの)の上に、 1960 年代の教科主義が一時的に行われ跳ね返したと見ることもで きる。ともに振り子のように振れているが、 基盤が異なるのである。 

アメリカの「進歩派」の経験主義的カリキュラム研究の中でもデューイの仕事が格 段に突出している。 それは理論的、 実践的にその研究に基礎付けを行っただけでなく、 その中に、心理学的要素、社会的要素をも取り込んでいたからである。アメリカ教育 において、 心理学的要素の占める役割の大きいことは、現在の構成主義学習論などの 隆盛からも伺えることである。 

アメリカの学校教育 












 




















  本稿は理科教育学講義「世界の理科教育」(修士課程)で受講生として発表した資料である。