2022年5月10日発行しました。
頒価1000円。
問い合わせ先 柏原林造 電話090-3635-2422
(一社)因島観光協会でも発売していただいております。
2021年12月5日。日曜日。晴れ。6016歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、買い物。帰ってから庭木の剪定。夜、資料作り。司馬遼太郎、『坂の上の雲二』、全集25、終わる。
2021年12月6日。月曜日。晴れ。6249歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。10時より文化財協会青木城跡整備。午後、庭木の剪定、みかん摘み。夜、資料作り。ほぼ完成。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.102まで。
2021年12月7日。火曜日。晴れ。6113歩。 昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝から庭木の剪定。12月資料完成。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.130まで。
2021年12月8日。水曜日。晴れ。6258歩。 昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、買い物。12月資料打ち出し。公民館へ印刷依頼。午後、重井公民館で論語を読む会。4人。帰って歩く。夜、瀬戸内タイムズの原稿を書く。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.140まで。
2021年12月9日。木曜日。晴れ。6105歩。 昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道0市人。福山市0人。三原市0人。朝ゴミを出して寝る。昼前に起きて庭の掃除。午後来客。夕方山の雑木刈り。みかんん摘み。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.148まで。
2021年12月10日。金曜日。晴れ。6096歩。 昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、福山市役所でマイナンバーカードの申請。午後古文書。夜古文書入力。「きんこ」とはナマコのことである。初めて知った。「豊饒の海」「ツアラトゥストラ」「論語」を三冊の本とする。「暁の寺」「天人五衰」を全集で拾い読み。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.157まで。
2021年12月11日。土曜日。晴れ。6404歩。
昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、巳午の法要。午後、みかん摘み。庭の剪定。夜息子帰ってくる。古文書まとめ送る。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.176まで。
2021年12月12日。日曜日。晴れ。6251歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝買い物。午後、みかん摘み。剪定。スマホへのアプリの入れ方を息子に教えてもらう。
2021年12月13日。月曜日。晴れ。6231歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。10時頃から外仕事。蜜柑摘み少し。切った竹の手入れ。夕方、公民館へ印刷物を取りに行く。夜資料綴じ。県立図書館の納品資料作り。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、p.215まで。
2021年12月14日。火曜日。晴れ。7223歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。9時頃から蜜柑摘み。剪定。竹の処理。午後も。加地伸行『論語』、角川ソフィア文庫、ビギナーズクラッシック、終わる。
2021年12月15日。水曜日。晴れ。6017歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、因島図書館で因島文学散歩の会。8人。「さざなみ軍記」1回目。帰りに買い物。午後、みかん摘み。剪定。山の手入れ。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、(これは「人類の知的遺産」の1冊の文庫化)p.75まで。
2021年12月16日。木曜日。晴れのち雨。6003歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。夜になって本格的に降る。朝、瀬戸内タイムズ原稿送る。新しいMacBook Air届く。13.3インチ。yahooメールの設定ができた。朝も午後も山の手入れ。ネットが早い。スマホの録音、ナビ図など取り込みができた。
2021年12月17日。金曜日。晴れ時々雨。2411歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝から福山。午後、古文書学習会。終わって井原市。墓参。夜、古文書解読文を打っておくる。
2021年12月18日。土曜日。晴れ。6117歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、起きると庭が少し白くなって夜のうちに雪が降った様だ。8時過ぎに福山から因島へ。内科医院へ。高血圧の薬。保湿剤1本。午後、山へ。夜、1月資料作り。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.97まで。
2021年12月19日。日曜日。晴れ。6634歩。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、みかん摘み。馬神へ下見。午後買い物。帰って、剪定。夜、1月資料作り。
2021年12月20日。月曜日。晴れ。6526歩。71.50kg。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。午前午後とも山へ竹切りに行く。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.130まで。
2021年12月21日。火曜日。晴れ。8745歩。71.40kg。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。8時過ぎに出て公民館。ふるさとの歴史を学ぶ会。12人。11時半より馬神5人。3時前に帰り山へ竹切り。夕方、水道ポンプ故障。夜1月資料作り。
2021年12月22日。水曜日。晴れ。6177歩。71.70kg。昨日のコロナ感染者、広島県0人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。ただし、広島県の人が東京で感染。広島で療養中。朝、買い物。山の竹切り。午後、重井公民館で論語を読む会。4人。夜、一太郎2021インスツール。せとうちタイムズ原稿書く。
2021年12月23日。木曜日。晴れ。7388歩。72.35kg。昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。ただし、広島県の人が東京で感染。朝ゴミ捨て。八朔、レモン、みかんの収穫終了。山の竹切り。夜、古文書。
2021年12月24日。金曜日。晴れ。8438歩。71.65kg。昨日のコロナ感染者、広島県3人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。デコポン摘み。山の竹切り。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.159まで。
2021年12月25日。土曜日。晴れ。6099歩。71.35kg。昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。今日から寒波到来。朝からデコポン摘み。朝ポンプ修理してもらう。午後、山の竹切り。夜、論語。
2021年12月26日。日曜日。晴れ。寒い。初雪。6221歩。71.25kg。昨日のコロナ感染者、広島県5人。(1人はオミクロン株)。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝から冷たい風が吹いているので、デコポン摘みも竹切りもしない。10時ごろから買い物。昼寝。二階の補修。夜、資料作り。夜、水道を少し開けて凍結防止。
2021年12月27日。月曜日。晴れ。寒い。6101歩。71.05kg。昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。昨日ほどではないが寒い。朝、氷が張っていた。雲が多く太陽が雲で隠れると寒い。風はあまりない。今日も外作業はお休み。昼寝。2階の整備など。夕方来客。夜、資料作り。古文書。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.171まで。
2021年12月28日。火曜日。晴れ。寒い。6070歩。72.30kg。昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。昨日より少し暖かくなったので昼前からデコポン摘み。午後も。山の竹切り。夕方、孫たち来る。y夜、資料作り。古文書。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.201まで。
2021年12月29日。水曜日。曇り。時々小雨。6626歩。72.50kg。昨日のコロナ感染者、広島県1人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、少しデコポン摘み。買い物。小雨。二階の整備。夕方、孫と散歩。夜、古文書。資料作り。
2021年12月30日。木曜日。晴れ。6104歩。72.40kg。昨日のコロナ感染者、広島県2人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。9時ごろから買い物。帰ってデコポン摘み。午後も。全て終了。夜古文書。資料作り。金谷治、『孔子』、講談社学術文庫、p.217まで。
2021年12月31日。金曜日。晴れ、時々雪。6200歩。72.35kg。昨日のコロナ感染者、広島県6人。うち尾道市0人。福山市0人。三原市0人。朝、畑の管理。午後、灯油を買いに行く。牛糞とセメントを買いに行く。夜、資料作り。
読書の記録
1202井上清、『明治維新』、中央公論社、日本の歴史20
1205司馬遼太郎、『坂の上の雲 二』、全集25
1973年(昭和48年)日記
1976年(昭和51年)日記 1−3月米子市
4−12月広島市
1976年4月 (昭和51年)広島市西十日市
1976年4月13日。火曜日。
私はここで自分のノートというものも含めて私の人生に一つの転換を為したことを報告しなければならない。
ちょうど,いや一年以上の歳月が過ぎた。人間とは成長というようなものよりむしろ,個人を環境との相互作用が様々な思考を生むように思われる。すなわち,個人の,あるいは資質の進歩ではけっしてなく,環境が変わり,それへの対応が変わるのである。
1976年4月14日。水曜日。雨。
何処にいってしまったのか,黒の万年筆がないのだ。やはり書きにくい。
雨が降る
広島の町に雨が降る
きのうも雨
そして今日も雨
時は春
春の雨が降る
今日も
広島の町に
雨が降る
1976年4月15日。木曜日。晴れ。
久し振りに青空だ。本日は,日経,流通,産業・・・と全ての新聞配達日になっているので,めんどうであったが,晴れていたので,昨日,一昨日ほどの困難はなかった。
1976年9月26日。
終わった。やっと終わった。
全て終わったのだ!!
何と今日は9月26日。
長い間ノートを留守にしていたものである。
あとはどうにでもなれ! だ。
1976年10月4日。月曜日。
昨日。
三島由紀夫原作「午後の曳航」の映画を観る。
1976年10月8日。金曜日。
晩鐘が風にのり
重く村々にこだまする。
旅人も徒足(かち)を速め
烏も塒へ急ぐ。
夙に夕陽は去り
黄昏が浸透する。
そして,今日も終わった。
1976年10月9日。土曜日。雨。
1976年10月15日。土曜日。
三島由紀夫「女流立志伝」(全集6)を読む。
1976年10月19日。
1976年10月21日。(昭和51年)
「オーメン」「スカイライダー」 を見に行く。
1976年10月22日。(昭和51年)
田代三良「高校生」(岩波新書1106)終わる。
1976年10月22日。(昭和51年)
広島市西十日市
ノート第二号に入る。
読書はまずまずであるが,スピードが遅い。
もっと,早くなければ。
人生五十年。急げ急げ!!
1976年10月31日。
(アルバイトの給料支払明細書が出てきた。)
51年10月分 自10月1日至10月31日
基本給12000、食事手当15500、区域手当3000、合計30500。控除なし。差き支給額30500。
1976年11月5日。晴れ。
その数は
さようにもなれ
さようにもあらで
誤解は時として
美しくもあれ
はかなくもある
見果てぬ夢を追ふことが
おろかなりとて
いひまひで
三島全集を連日読んでいる。
- 沼隈町パラグアイ移住史研究(6) -
1.はじめに
沼隈町移住団が入植したフラム移住地について述べる。ただ、名称の変更が何度か行われており、はなはだ紛らわしいので注意が必要である。
まず、現在の名称等をパラグアイ日本人会連合会のホームページ1)から把握する。この中の「日系社会」-「各地の日系社会」の項では、ラ・コルメナ移住地、アマンバイ移住地、エステの日系社会、イグアス移住地、ラ・パス移住地、ピラポ移住地、チャベス移住地、エンカルナシオンの日系社会、アスシオン日本人会の9項目に分けて紹介されている。この中のラ・パス移住地のことである。
さて、そのラ・パス移住地の項、すなわち 「日系社会」-「各地の日系社会」- 「ラ・パス移住地」2)には、次のように記されている。
「現在のラ・パス移住地は、移住開始当初はフラム移住地と呼ばれ、戦後のパラグアイの移住地としては日パ混合の国際移住地であるチャべス移住地に続いて2番目、戦前のラ・コルメナ移住地から数えると3番目の移住地として、パラグアイ初の日本海外移住振興株式会社の直轄移住地として設立されました。」2)(「ラ・パス移住地の歴史」)
そして、この「ラ・パス移住地」の中には、富士地区、ラ・パス地区、サンタロータ地区がある。
その、ラパス地区には次のような説明がある。「ラ・バス移住地」- 「ラ・パス地区」
「1967年12月にラ・パス町が発足しましたが、その後1971年にフラム自治体が発足したあとは発展的解消しています。」2) (「ラ・パス地区」)
ということで、はなはだ複雑であるが、沼隈移住団が入植した当時の呼び名では、フラム移住地に富士地区、ラ・パス地区、サンタローサ地区があり、そのラ・パス地区に沼隈移住団は入植した。
沼隈移住団が入植したフラム移住地は,既に見たようにパラグアイではラ・コルメナ移住地,チャペス移住地についで古い三番目の日本人入植地である。本稿では,フラム移住地について,沼隈町移住団を中心に,他地区との関係を述べる。
2.パラグアイの日本人移住地
パラグアイに日本人が集団で入植したのは,ラ・コルメナ移住地である。戦前昭和11年からで,昭和16年9月までに123家族790名とパラグアイ拓殖組合事務所要員15家族54名が入植した3)。
ラ・コルメナ移住地は,パラグアイ国首都アスシオン市から東南方向に120キロメートルの方向にあり,他の移住地に比べ,極めて首都に近い移住地ということになる。また,中央鉄道イミビチ駅の南方約20キロメートルというところであり,パラグアイの日本人移住地の中では恵まれた位置にある移住地といえる4)。
ラ・コルメナ移住地の成立については『ラ・コルメナ二十周年史』5)に詳しい。
ラ・コルメナ移住地からの転住者の一部がパラグアイ第二の都市エンカルナシオン市周辺にも住んで野菜栽培をおこなっていた6)。しかし,この地が集団移住地として認可されたのは戦後のことである。これがチャベス移住地である7)。
3.フラム移住地の歴史
チャベス移住地が1955年に満植となり、後続の人たちが入植したのが後にフジ地区と呼ばれた地区の一部であった。1955年6月24日に12家族が入植した。これがフラム移住地の始まりとなる8)。
日本海外移住振興会社とフラム土地会社との間で土地買収の契約がが1956年12月15日に正式に調印された9)。
したがって、この日をフラム移住地の発足としてもよいが、実質は上記の通りである。
1956年12月28日沼隈町移住団5家族30名と佐賀県の4家族26名がエンカルナシオンに到着。翌1957年1月25日にラ・パス地区に入植を開始した10)。
なお、サンタローサ地区は1957年6月高知県大正町と福岡県の25家族が入植した11)。
4.まとめ
パラグアイ移住団が入植したフラム移住地(現在はラ・パス移住地)はパラグアイ第二の都市エンカルナシオンの近くにある移住地で、ラ・コルメナ移住地、チャベス移住地に続く第3の日本人移住地であり、富士地区、ラ・パス地区、サンタローサ地区から成る。そのラ・パス地区に沼隈移住団は1957年1月25日に入植した。
その後のフラム移住地の発展・変遷については稿を改めたい。
参考文献
1) http://rengoukai.org.py/
2) http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/idonde-estamos/colonia-la-paz
3) パラグアイ日本人移住五十周年記念祭典委員会記念誌編集委員会、『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』、パラグアイ日本人移住五十周年記念記念誌行委員会、1987年(以下『栄光への礎』と略記)、p.209
4)前掲書3)、『栄光への礎』、p.208
5)二十周年史刊行会、『ラ・コルメナ二十周年史』、ラ・コルメナ二十周年史刊行会、1958年
6)前掲書3)、『栄光への礎』、p.224
7)前掲書3)、『栄光への礎』、p.225
8)前掲書3)、『栄光への礎』、p.248
9)前掲書3)、『栄光への礎』、p.248
10)前掲書3)、『栄光への礎』、p.249
11)前掲書3)、『栄光への礎』、p.256、p.297