1976年(昭和51年)日記 1−3月米子市
4−12月広島市
1976年4月 (昭和51年)広島市西十日市
1976年4月13日。火曜日。
私はここで自分のノートというものも含めて私の人生に一つの転換を為したことを報告しなければならない。
ちょうど,いや一年以上の歳月が過ぎた。人間とは成長というようなものよりむしろ,個人を環境との相互作用が様々な思考を生むように思われる。すなわち,個人の,あるいは資質の進歩ではけっしてなく,環境が変わり,それへの対応が変わるのである。
1976年4月14日。水曜日。雨。
何処にいってしまったのか,黒の万年筆がないのだ。やはり書きにくい。
雨が降る
広島の町に雨が降る
きのうも雨
そして今日も雨
時は春
春の雨が降る
今日も
広島の町に
雨が降る
1976年4月15日。木曜日。晴れ。
久し振りに青空だ。本日は,日経,流通,産業・・・と全ての新聞配達日になっているので,めんどうであったが,晴れていたので,昨日,一昨日ほどの困難はなかった。
1976年9月26日。
終わった。やっと終わった。
全て終わったのだ!!
何と今日は9月26日。
長い間ノートを留守にしていたものである。
あとはどうにでもなれ! だ。
1976年10月4日。月曜日。
昨日。
三島由紀夫原作「午後の曳航」の映画を観る。
1976年10月8日。金曜日。
晩鐘が風にのり
重く村々にこだまする。
旅人も徒足(かち)を速め
烏も塒へ急ぐ。
夙に夕陽は去り
黄昏が浸透する。
そして,今日も終わった。
1976年10月9日。土曜日。雨。
1976年10月15日。土曜日。
三島由紀夫「女流立志伝」(全集6)を読む。
1976年10月19日。
1976年10月21日。(昭和51年)
「オーメン」「スカイライダー」 を見に行く。
1976年10月22日。(昭和51年)
田代三良「高校生」(岩波新書1106)終わる。
1976年10月22日。(昭和51年)
広島市西十日市
ノート第二号に入る。
読書はまずまずであるが,スピードが遅い。
もっと,早くなければ。
人生五十年。急げ急げ!!
1976年10月31日。
(アルバイトの給料支払明細書が出てきた。)
51年10月分 自10月1日至10月31日
基本給12000、食事手当15500、区域手当3000、合計30500。控除なし。差き支給額30500。
1976年11月5日。晴れ。
その数は
さようにもなれ
さようにもあらで
誤解は時として
美しくもあれ
はかなくもある
見果てぬ夢を追ふことが
おろかなりとて
いひまひで
三島全集を連日読んでいる。