一観居士因縁記
「因島市史」p.914の概要を元に読んでみよう。
そも〵我等身の上能事越書 そもそも我ら身の上のことを書
して申さく、予ハ備後國御調郡 して申さく、予は備後の国御調郡因之嶋重井村之住百性傳六ト申 因の嶋重井村の住、百姓伝六と申す
者の家二生をうく、我が父母子 者の家に生をうく、我が父母、子
なき事をくや三、常々観卋音様 なきことをくやみ、常々観世音様
をいのり後ちにハ両親ともなひ西國 を祈り、後には両親ともない西国
三十三所の札納に順禮をす其 三十三所の札納めに順礼をす、その道中にて我をくわいにんすほどなく 道中にて我を懐妊す、ほどなく
安さん仕候處有る時予弐拾五才之 安産仕り候ところ、ある時予二十五才の
年父母申よふハ其方ハ早く西 年、父母申し呼ぶは、その方は早く西
國順礼を致候と被申候ニ付我レ 国順礼を致し候と申され候に付き、我
母に何がゆへ左様被申候哉と相たず 母に何がゆえさよう申され候やと相たず
ねけれバ母人我申るゝには其方ハ ねければ、母人が申さるるには其の方は
観卋音菩薩を祈り猶又西國もい 観世音菩薩を祈り、なおまた西国もい
たし其上に一子をさずけ被下なば たし、其の上に一子をさずけ下されなば
又一子にも西國順拝可被致哉と また一子にも西国順拝致されべくやと
願心いたし左或によつて礼を早く 願心いたし、さあるによって礼を早く
納む偏゛き様被申候ニ付予ハ観卋 納むべきよう申され候に付き、予は観世
音の御さずけ給ふかやと思ふにつけ 音の御さずけ給うかやと思うにつけ、
此年初めて菩提の心を發志てそ 此の年初めて菩提の心を発して、そ
れ廿五才の二月廿三日に出立仕り右 れ廿五才の二月廿三日に出立仕り、右
西國順礼致内より札所に皆々 西国順礼致す内より札所に皆々
掛札に観卋音の御誓願有ル 掛札に観世音の御誓願有る、
其語に云く 其の語に云く
種々重罪五逆消滅自他平 種々重罪五逆消滅自他平
➡️ 一観居士因縁記2