2015年8月23日日曜日

因島重井町 村上神社

重井村上氏は系統が異なるのか、氏神を異にする講がある。一本松北の丸小山を氏神とするのが東の村上講であるが、さらに2つに分かれる。青木城を氏神とするのが西の村上講である。
 西の村上講 ⏩備前屋
 また、これらとは別に長右衛門家を祖とする村上氏もある。⏩長右衛門

丸本屋系 ⏩丸本屋

丸子山にある2つの祠のうち、東側にあって西を向いているのが丸本屋系の村上講である。

小祠の文字は「村上新左衛門義光」である。
2015.1.10.  総覧4 村上義光の祠。丸本屋の祠。丸本屋系の村上氏の氏神さまということになる。
因島村上氏に村上義光という人物はいない。同音の3代吉光(吉充)、6代吉充はいるが、いずれも「新左衛門」の呼称はついていない。「新左衛門」とも呼ばれるのは6代吉充の弟の敬吉(隆吉)と7代吉亮である。以上は、「因島市史」p.240と「因島史考」p.117による。なお代数の数え方は「因島史考」によった。

ちょっと気になる文章に出合ったので記しておく。
「因島村上氏最後の武将吉光(吉充)は、亀岡佐方で余生を送り、同村の長本寺に「照厳院殿泰如宗連大居士 元和9年(1623)2月29日歿、村上備中守義光)と記された位牌が祀られている。そして同所の村上語氏宅の上方には村上義光の墓がある。」村上安弘「わが家のルーツとロマン」p.47  (乱丁があり、うしろのほうのp.47) 前後の記述から松岡進「瀬戸内水軍史」に依ったものであろうと思われるが、松岡氏の著書を参照するまで、備忘のため記しておく。

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東の村上講その2
こちらは少数の家で行われている。丸本の分家である。増十、魚六、やしろ屋、良秀、格、清明、勇、などの各家である。当初は17軒あったということである。

2015.1.10.



一方、青木の地王社を氏神とするのが西の村上講である。備前屋から大元屋が生じる。この西の村上講というのは備前屋、大元屋を祖とする各分家の講である。
備前屋

2014.12.3.青木城址。竜王神社。竜王神社と石碑に書いてあるから、これが正式な名称であろう。