村上水軍研究目次 千守城跡
因島三庄町の千守城は大目付篠塚伊賀守の居所だったと言われる。
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松岡進「瀬戸内水軍史」p.256には、
笠松山城主とある。
また、p.257には
「魚島にある篠塚伊賀守墓所」の写真と、「魚島のてんてこ踊りは、篠塚伊賀守が島民に集団戦斗の訓練をした名残の踊りであるといわれる。昔は、東西二隊に別れて遭遇戦を演ずる様式であった。」と記されている。
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村上公一「村上海賊史」p.119には、次のようにある。
このとき、笠松山城主、篠塚伊賀守は城からのがれて、今張の浦にでて、湊の海岸にあった漁船に乗って沖の島(魚島)までのがれた。(以下、続く)
この件は、「太平記二」(岩波書店、日本古典文学大系35)p.387に出る。諸本によっては「隠岐島」「隠島」「隠ノ島」などがあり、岩波大系本では「隠ノ島」。注十九参照。