宮窪(p.33)
追而御折帋拝見候
今度上口御行付而
諸警固指上候、就夫
御馳走之事申入候、
条々之理之通承知候、
於旨儀者万端御両使
御返事申入候条、可有
御披露候、随而郡内
表鉾楯之儀付而
従湯付無事被成、御
下知由候、尤肝要候、
但通倚武吉被仰
談弥無異儀様御才
覚専要候、於我等茂
不存疎意候、将又豊
前蓑島之内御本知
(折り目)反対
之事蒙仰無余
儀存候、児周被仰談
弥吉田可被仰届事
肝要候、猶毎事御
両使申含候間不能
細筆候、恐々謹言
左馬佐
三月三日 隆景(花押)
(上書)
武吉 御辺報
就御進退之儀自湯月重畳
御懇被被渡通得其心候、然間
於備中東庄之内百貫之地
先以進置候、全可有御知行候
何茂連々可申談候、恐々謹言
九月廿日 隆景(花押)
村上源八郎殿
御宿所
宮窪(p.35)小早川隆景宛行状
今度通昌不慮之御覚悟不及是
非候、然処御父子三人之御事以無
非候、然処御父子三人之御事以無
二之御心底被引分御入魂之段外実
大慶候、仍御方連々申談候辻誠
此時候条一所可進之置候、聊以不
可有相違候、猶久修江申渡候、恐々
謹言 已上
卯月十四日 隆景(花押)
村上源八郎殿
御宿所
御宿所
差出人 小早川隆景
名宛人 村上源八郎(景親)
発行日 天正10年(1582)卯月14日
名宛人 村上源八郎(景親)
発行日 天正10年(1582)卯月14日
小早川隆景書状(p.45)
尚々掃部殿無何事候、
可心安候
幸便之条令申候
幾度申候而も去夏
中川橋あさとの
所ニ御在陣候て毎事
唐人と御取相御紛
骨之段併外実珍
重候御辛労之通細々
可申入を遠国在陣
之故相過候、当時開寧
御出之由候、何篇弥無御
(2行重ね)
油断御肝煎尤ニ候、恐々
謹言
左衛
十二月十七日 隆景(花押)
村三兵
御陣所
以下因島村上家文書
15小早川徳寿隆景書状(p.26)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.557
寔(まこと)青陽之御嘉祥、
千秋万歳自他以幸
甚ニ候、仍御太刀一腰畏
悦之至候、何様御祝儀
従是可申入候、猶御使
者申候、恐々謹言
正月十一日 徳寿
村上加賀守殿
御返報
因島村上家文書20小早川隆景書状(p.33)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.560
向島一円之事、任承旨致
同心候、以宇賀島一着之上可有
御進退候、神茂御照覧候へ
聊不有相違候、弥御入魂
此節候、恐々謹言
卯月十日 隆景(花押)
村上又三郎殿
御陣所
- ー 小早川又四郎
村上又三郎殿 御陣所 隆景