頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。
咄汝海龍王敢拒王師東 運糧咄汝北條虜比
我平家白面豎天子節刀在手中陸屠猾
賊海屠龍莫嗤相公面假鬚猙獰猶存舊
人奴々握
枝安卻収当日余筆自
写千兵万馬看
山陽外史
万年神在處兆庶子来心此
水流今古何人測浅深姦
雄欺裔冑不遁大陽望
草莽臣㐮
平地生雲気
横天畳木陰
万年神在處
兆庶子来心
此水流今古
何人測浅深
姦雄欺裔冑
不遁大陽望
草莽臣㐮
鴨何月暗 春長留家何亭
少
一
桜
帰来勉一 秋川弓夕陽
今日訪居
世息
冨也
山陽外史㐮