三
五
『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.583
『因島市史』p.70第34図 p.68注六
備後国因島地頭職
停止有河孫五郎入道一
以下輩濫妨、任両度
勅裁全所務可被致御
祈祷忠之由
天気如此、依執達如件
建武二年三月十五日 宮内権大輔(花押)
空教上人御房
三九
備後国因島中重井三津庄地頭方年貢 法文申
合
中庄分
一、名之塩
『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.600
『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.598
注進 浄土寺願備後国因島中重井三津庄地頭方年貢 法文申
合
中庄分
一、名之塩
『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.600
重井庄分
一、名々塩
已上塩佰伍拾弐俵
打石梁拾陸石 陸=六
代銭拾弐貫佰陸拾文 俵別八十文宛
一、名々塩
已上塩佰伍拾弐俵
打石梁拾陸石 陸=六
代銭拾弐貫佰陸拾文 俵別八十文宛
一、色々銭納物
已上銭玖佰玖拾陸文
三津庄分
一、公田拾三町小弐拾歩
分加徴米陸石伍斗壱舛玖伍夕
一、新田肆町壱段大肆拾歩 肆(し)=四
五七
『尾道市の文化財』p.200
五八
『尾道市の文化財』p.200
五九
十九日将軍安堵御下文并今月四日御
教書説、拝見仕候之段被仰下之旨太田
弥五郎相共従彼所打凌下地乃為倭詩
取亢進之作以 可有御披露作恐惶
謹言
建武三年三月七日 淡治守平春治
『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.624
浄土寺領備後国因島地頭職事、去二月十九日将軍安堵御下文并今月四日御
教書説、拝見仕候之段被仰下之旨太田
弥五郎相共従彼所打凌下地乃為倭詩
取亢進之作以 可有御披露作恐惶
謹言
建武三年三月七日 淡治守平春治