2020年8月17日月曜日

浄土寺文書











『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.583
『因島市史』p.70第34図 p.68注六 
備後国因島地頭職
停止有河孫五郎入道一
以下輩濫妨、任両度
勅裁全所務可被致御
祈祷忠之由
天気如此、依執達如件
 建武二年三月十五日 宮内権大輔(花押)
 空教上人御房











三九

『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.598
注進 浄土寺願
  備後国因島中重井三津庄地頭方年貢   法文申
    合
  中庄分
一、名之塩




『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.600

 重井庄分
一、名々塩 
     已上塩佰伍拾弐俵
     打石梁拾陸石    陸=六
      代銭拾弐貫佰陸拾文 俵別八十文宛
一、色々銭納物
      已上銭玖佰玖拾陸文
 三津庄分
一、公田拾三町小弐拾歩
        分加徴米陸石伍斗壱舛玖伍夕
一、新田肆町壱段大肆拾歩          肆(し)=四


五七
『尾道市の文化財』p.200


五八
『尾道市の文化財』p.200




五九

『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.624
浄土寺領備後国因島地頭職事、去二月
十九日将軍安堵御下文并今月四日御
教書説、拝見仕候之段被仰下之旨太田
弥五郎相共従彼所打凌下地乃為倭詩
取亢進之作以  可有御披露作恐惶
謹言
 建武三年三月七日 淡治守平春治


六〇


『広島県史古代中世資料編Ⅳ』p.625
浄土寺領備後国因島地頭
職事、将軍家安堵


建武三丙子三月 日



進上