2021年12月9日木曜日

因島からの手紙

生誕120年記念「井伏鱒二の青春」未公開書簡を展示

生誕120年「井伏鱒二の青春」展が、ふくやま文学館(TEL084-932-7010)で開催されている。3月4日まで。

会場には、福山中学校時代の同級生である高田類三宛の未公開書簡が展示されている。そのなかには、因島三庄町千守の土井医院に寄宿中の井伏が出した葉書も含まれている。

午前9時30分~午後5時▽月曜休館▽一般500円(高校生まで無料)。

因島時代の展示コーナー

因島からの手紙 2通の葉書に小さな字でびっしりと

作家井伏鱒二が因島から友人に宛てた葉書2通が展示されている。葉書といっても、小さな字でびっしりと書かれたもので、封筒による手紙と変わらない。

井伏鱒二は学生時代に三庄千守の土井医院へ半年ほど住んだ。その時の見聞を元に「因ノ島」や「岬の風景」が書かれた。また他の作品でも度々因島のことが出てくる。

井伏が住んだ頃の土井医院は、まだ東側に道路はなく、窓のすぐ外に三庄湾が見えた。岬というのは鼻の地蔵さんで有名な地蔵鼻、すなわち三ケ崎のことである。日の出も満月も百貫島とともに見えたであろう。また、土井医院のすぐ近くに地元では城山(じょうやま)と呼ばれている千守城跡があり、「海賊だから八方睨みのきくところに城をかまえたのであろう」と書いている。

土井医院跡(2018年1月撮影)

みかんのことがよく出てくる。持って帰るのはいけないが、そこで食べるのなら畑になっているみかんを誰が取って食べてもよいと書いてあるので、何かの間違いだろうと思ったが、近くで育った人によるとそうであったらしい。

井伏の舞台は、三庄だけではない。北端の重井まで行っている。

「私がこの島にいた六箇月間に、重井村には病人が一人も出なかった。長寿村であった」とも書いてある。大正10年(1921)。

今から百年ほど前のことである。かつて重井では亡くなる前日まで草取りをしていたという老婆がたくさんいた。家の周りは畑だらけ。ちょっと歩けば草取りをしている老婆を何人も見かけたであろう。統計をみなくても、長寿村であった。

因島で読むせいか、因島のところを選んで読むせいか、井伏作品は明るい。因島で、雨の日が少ないのと同じだ。手紙を読んでいて太宰治が井伏の弟子だったということを思い出した。通じあうものは多くあったのだろうが、作品への表現の仕方が異なっていたということだろうか。

因島図書館には井伏鱒二の全作品が揃っている。膨大な作品群から因島のところを探し出すのは大変なことである。ところが幸い、兵庫教育大学の前田貞昭教授が作成された目録で、すぐに探し出せるのだ。また因島図書館では井伏作品を中心に因島関連作品を読んでいるグループもある。

百年前の因島を井伏鱒二がどう書いているか、多くの人に見てもらいたいと思う。また今回展示されている未公開の手紙も。

(因島文学散歩の会代表・柏原林造) 2018年1月20日