ロスコウが書いたノートではない。私のロスコウについてのメモである。「小学化学書」と書かれた教科書が(一)(二)(三)と3冊ある。中表紙には「明治七年十月 小学化学書 文部省」と書かれており、前書きである「原序」があり、その末尾に「千八百七十三年 ロスコウ 識」とあり、この本がロスコウが1873年に書いた本の翻訳書であることがわかる。現在の生徒では中学校理科の第一分野の化学分野に該当するが、戦前には現代の中学校はなかったので小学校の高学年で教えられたのであろうか。すなわち、日本の初等教育の化学の教科書がロスコウという人が書いた本の翻訳書だったということになる。あくまでの小学校用の教科書であって、一般向けの化学書の初めではない。化学書は江戸時代に蘭学者・蘭方医によって訳されていた。しかし、長い伝統はなく初等教科書を書くだけの人材は育ってなかったということである。それでは、なぜロスコウの著作が翻訳され使用されたのか、ということが問題となる。
ロスコウの「小学化学書」については、板倉聖宣『日本理科教育史』、第一法規出版、昭和45年が詳しい。
同書p.95 「小学化学書」の原著はScience Primer叢書の第2冊 Roscoe : Chemistry であって、当時一流の科学者が書いた最初の初等科学入門書ともいえるものであった。
このシリーズについては以下のアブストラクトに示すようにNature誌でも紹介されている。
Science Primers
Nature , 6 3–4 (1872)
Abstract
THESE little books illustrate an imperfectly accepted truth, that systematic elementary teaching is a late and not an early product of educational energy. The best headmasters of our schools have discovered the fallacy latent in our ancient belief that the ablest men are required to teach the oldest boys, and have in one or two famous cases acted on their discovery. It is easy for a young man fresh from University honours to pour his knowledge into minds which have been well prepared, and which approach more or less to the level of his own; but to teach a class of little boys, to realise their difficulties and to appreciate their ignorance, to understand the perplexity which oppresses them in the presence of statements long since axiomatic to ourselves, requires a mature and versatile intelligence, a mind which can communicate childish knowledge as readily and as joyously as it solves recondite problems; a combination of rare gifts with long and conscientious training.
Science Primers:
“Chemistry,”. by Prof. Roscoe.; “Physics,” by Prof. Balfour Stewart. (London: Macmillan, 1872.)
寺川智祐著『アームストロングの理科教育論の研究』(1985、風間書房)は、我が国の中学高校の理科の授業で生徒実験と呼ばれているものを提唱したイギリスの化学者、教育者アームストロングに関する包括的な研究であるが、その索引によると4箇所でロスコウが言及されている。ロスコー(1833生)はアームストロング(1848生)の半世代前の化学者で、それぞれの時点でロスコーがどういう地位にあったかがわかる。p.25、65、122、310。