荘園の成立経路は、「大別すれば、墾田型、雑役免(ぞうやくめん)型、寄進地型の三類型とすることができる。」永原慶二『日本経済史』、有斐閣双書、p.65、昭和45年、
領主農民関係は「大別して、①荘園領主、②在地領主・荘官、③農民、としうるが、そのそれぞれもまた階層的構成をとっていた。」永原慶二『日本経済史』、有斐閣双書、p.67、昭和45年、
以下にその三者について詳しく書かれている。特に③農民の構造については、名主という存在が、江戸時代の庄屋制と似ており、(名前も東日本では庄屋のことを名主と呼んだ)その連続性が興味深い。
上記3種の役割と対応について、関口恒雄は「中世前期の民衆と村落」(岩波講座日本歴史5、1980 )のp.121で説明している。
「荘園は最初は、神仏の権威を借りて他者を排する寺社領の形式をとっていた。しかし間もなく、摂関家などの上流貴族が、次々に領域型荘園の立荘を開始した。」武光誠『荘園から読み解く中世という時代』、1922、河出書房新社、p.89
周辺の荘園
大田荘 工藤敬一『荘園の人々』、教育社、p.87
弓削荘
新見荘 工藤敬一『荘園の人々』、教育社、p.161