2023年7月21日金曜日

第2章 教育史

因島誌(目次)
第5編 教育

第1章 明治以前の教育 リンク  
第2章 教育史 
第3章 小学校 
第4章 中学校
第5章 高等学校
第6章 その他の教育機関 
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第2章 教育史


1868明治元年戊辰 
1869明治2年己巳
1870明治3年庚午
1871明治4年辛未 
1872明治5年壬申 学制

学制(明治五年八月三日文部省布達第十三・十四号)

第二百十四号
今般文部省に於て学制を定め追々教則をも改正し布告に及ぶべきにつき自今(じこん・いまより)以後一般の人民華士族農工商及女子必ず邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す。人の父兄たるもの宜しく此意を体認し其愛育の情を厚くし其子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。高上の学に至ては其の人の材能に任すといえども幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざるものは其父兄の越度たるべき事。
右之通被 仰出候条地方官ニ於テ辺隅小民ニ至ル迄不洩様便宜解釈ヲ加へ精細申諭文部省規則ニ随ヒ学問普及致候様方法ヲ設可施行事
明治五年壬申七月 太政官

明治五年八月三日文部省布達第十三号別冊
第二十一章 小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ区分スレハ左ノ数種ニ別ツヘシ然トモ均ク之ヲ小学ト称ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小学小学私塾幼稚小学ナリ
第二十七章 尋常小学ヲ分テ上下ニ等トス此ニ等ハ男女共必ス卒業スヘキモノトス教則別冊アリ

下等小学教科
 一綴字読並盤上習字
 二習子字形ヲ主トス
 三単語読
 四会話読
 五読本解意
 六修身解意
 七書牘解意並盤上習字
 八文法解意
 九算術九々数位加減乗除但洋法ヲ用フ
 十養生法講義
 十一地学大意
 十二理学大意
 十三体術
 十四唱歌当分之ヲ欠ク
 上等小学ノ教科ハ下等小学教科ノ上ニ左ノ条件ヲ加フ
 一史学大意
 二幾何学罫画大意
 三博物学大意
 四化学大意
 其他ノ形情ニ因テハ学科ヲ拡張スル為メ左ノ四科ヲ糾酌シテ教ルコトアルヘシ
 一外国語学ノ一二
 二記簿法
 三画学
 四天球学

 下等小学ハ六歳ヨリ九歳マテ上等小学ハ十歳ヨリ十三歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス但事情ニヨリ一概ニ行ハレサル時ハ斟酌スルモ妨ケナシトス
 小学教則概表(明治五年十一月十日文部省布達番外)
小学教則概表(明治五年十一月十日文部省布達番外)

第四十章 小学教員ハ男女ヲ論セス年齢二十歳以上ニシテ師範学校卒業免状或ハ中学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルコトヲ許サス
以上三章ハ其目的ヲ示ス数年ノ後ヲ待テ之ヲ行フヘシ後章ハ現今ノ位ニ応シテ之ヲ許スモノトス
第四十六章 小学校教員ハ男女ノ差別ナシ其才ニヨリ之ヲ用フヘシ


1873明治6年癸酉 
小学教則改正(抄)(明治六年五月十九日文部省布達第七十六号)

小学教則

第一章


 小学ヲ分テ上下二等トス下等ハ六歳ヨリ九歳ニ止リ上等ハ十歳ヨリ十三歳ニ終リ上下合セテ在学八年トス



10月善興寺内に振徳学舎を設置。教師、沼田良蔵。大師堂に信誠舎を設置。




 明治6年10月〜明治10年2月。善興寺内の振徳学舎配置図
   教員室4坪、教室32坪、便所2坪  総計38坪

1874明治7年甲戌
1875明治8年乙亥 

小学学齢ヲ定ムル事(明治八年一月文部省布達第一号)

小学学齢ノ儀自今満六年ヨリ満十四年マテト相定候条此旨布達候事
8月振徳学舎を重井小学校と改称。就業年限4ヶ年程度。信誠舎を大師堂分教場と改称。細島に分教場設置。3ヶ年程度 
1876明治9年丙子
1877明治10年丁丑 2月 
山の神に校舎を新築し5月に移る。大師堂分教場を廃す。


明治10年2月新築の山の神の校舎配置図。
   教室34坪、土間5坪。







1878明治11年戊寅
1979明治12年己卯 

教育令(明治十二年九月二十九日太政官布告第四十号)
第三条 小学校ハ普通ノ教育ヲ児童ニ授タル所ニシテ其学科ヲ読書習字算術地理歴史修身等ノ初歩トス土地ノ情況ニ随ヒテ罫画唱歌体操等ヲ加へ又物理生理博物等ノ大意ヲ加フ殊ニ女子ノ為ニハ裁縫等ノ科ヲ設クヘシ
第十三条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス
第十六条 公立小学校ニ於テハ八箇年ヲ以テ学期トス土地ノ便宜ニ因リテハ此学期ヲ縮ムルコトヲ得ヘシト雖モ四箇年ヨリ短クスへカラス此四箇年ハ毎年授業スルコト必四箇月以上タルヘシ


(卒業証書の写真:「重井の電話史談」、p.140)



1880明治13年庚辰
教育令改正(明治十三年十二月二十八日太政官布告第五十九号)
第三条 小学校ハ普通ノ教育ヲ児童二授クル所ニシテ其学科ヲ修身読書習字算術地理歴史等ノ初歩トス土地ノ情況ニ随ヒテ罫画唱歌体操等ヲ加ヘ又物理生理博物等ノ大意ヲ加フ殊ニ女子ノ為ニハ裁縫等ノ科ヲ設クヘシ但已ムヲ得サル場合ニ於テハ修身読書習字算術地理歴史ノ中地理歴史ヲ減スルコトヲ得
第十三条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス
第十六条 小学校ノ学期ハ三箇年以上八箇年以下タルヘク授業日数ハ毎年三十二週日以上タルヘシ但授業時間ハ一日三時ヨリ少カラス六時ヨリ多カラサルモノトス

1881明治14年辛巳

小学校教則綱領(抄)(明治十四年五月四日文部省達第十二号)

第一章 小学科ノ区分

 第一条 小学校ヲ分テ初等中等高等ノ三等トス

 第二条 小学初等科ハ修身、読書、習字、算術ノ初歩及唱歌、体操トス

 但唱歌ハ教授法等ノ整フヲ待テ之ヲ設クヘシ

 第三条 小学中等科ハ小学初等科ノ修身、読書、習字、算術ノ初歩及唱歌、体操ノ続ニ地理、歴史、図画、博物、物理ノ初歩ヲ加ヘ殊ニ女子ノ為ニハ裁縫等ヲ設クルモノトス

 第四条 小学高等科ハ小学中等科ノ修身、読書、習字、算術、地理、図画、博物ノ初歩及唱歌、体操、裁縫等ノ続ニ化学、生理、幾何、経済ノ初歩ヲ加ヘ殊ニ女子ノ為ニハ経済等ニ換ヘ家事経済ノ大意ヲ加フルモノトス

 第五条 小学科ノ区分ハ前三条ノ如ク定ムト雖モ土地ノ情況、男女ノ区別等ニ因テハ某学科ニ増減スルコトヲ得但修身、読書、習字及算術ハ之ヲ欠クコトヲ得ス

一 三章掲クル所ノ小学科ノ区分、学期、授業ノ日及時、各等科程度ニ基キ課程ヲ設クルノ一例ヲ示ス左表ノ如シ
小学初等科
小学初等科
小学中等科
小学中等科
小学高等科
小学高等科






1882明治15年壬午 2月重井小学校校舎を須越に移転。5月学校の等位を中等科と定む。









1883明治16年癸未
1884明治17年甲申
1885明治18年乙酉


教育令改正(明治十八年八月十二日太政官布告第二十三号)
第九条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス
第十ニ条 小学校及小学教場ノ学期ハ三箇年以上八箇年以下タルヘク授業日数ハ毎年三十二週日以上タルヘシ其授業時間ハ一日三時ヨリ少カラス六時ヨリ多カラサルモノトス但土地ノ情況ニ依リ午前若クハ午後ノ半日又ハ夜間ニ授業スルコトヲ得ヘシ其授業時間ハニ時ヨリ少カラサルモノトス


1886明治19年丙戌 
重井小学校細島分教場を廃す。

小学校令(明治十九年四月十日勅令第十四号)
 第一条 小学校ヲ分チテ高等尋常ノ二等トス
 第二条 小学校ノ設置区域及位置ハ府知事県令ノ定ムル所ニ依ル

 第三条 児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トシ父母後見人等ハ其学齢児童ヲシテ普通教育ヲ得セシムルノ義務アルモノトス

  明治19年4月10日 小学校令(勅令第十四号)児童六年より十四年に至る八ケ年を以て学齢とし、父母・後見人は、其の学齢児童をして普通教育を得しむるの義務あるものとす。

小学校ノ学科及其程度(抄)(明治十九年五月二十五日文部省令第八号)
 勅令第十四号小学校令第十二条ニ基キ小学校ノ学科及其程度ヲ定ムルコト左ノ如シ
 小学校ノ学科及其程度
 第一条 尋常小学校ノ修業年限ヲ四箇年トシ高等小学校ノ修業年限ヲ四箇年トス
 第二条 尋常小学校ノ学科ハ修身読書作文習字算術体操トス土地ノ情況ニ因テハ図画唱歌ノ一科若クハ二科ヲ加フルコトヲ得

 第三条 高等小学校ノ学科ハ修身読書作文習字算術地理歴史理科図画唱歌体操裁縫女児トス土地ノ情況ニ因テハ英語農業手工商業ノ一科若クハ二科ヲ加フルコトヲ得唱歌ハ之ヲ欠クモ妨ケナシ

1887明治20年丁亥   
1888明治21年戊子 4月学校の等位を尋常科と定め、重井尋常小学校と改称。初代校長森房澄江。5月分教場を善寺境内に置く。7月分教場を峰松次郎七邸内に置く。
1889明治22年己丑 郷新開に校舎を新築。3月30日竣工式。





 
1890明治23年庚寅

小学校令(明治二十三年十月七日勅令第二百十五号)
第一条 小学校ハ児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クルヲ以テ本旨トス
 第二条 小学校ハ之ヲ分テ尋常小学校及高等小学校トス
第三条 尋常小学校ノ教科目ハ修身読書作文習字算術体操トス
 土地ノ情況ニ依リ体操ヲ欠クコトヲ得又日本地理日本歴史図画唱歌手工ノ一科目若クハ数科目ヲ加へ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルコトヲ得
 第四条 高等小学校ノ教科目ハ修身読書作文習字算術日本地理日本歴史外国地理理科図画唱歌体操トス女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルモノトス
 土地ノ情況ニ依リ外国地理唱歌ノ一科目若クハニ科目ヲ欠クコトヲ得又幾何ノ初歩外国語農業商業手工ノ一科目若クハ数科目ヲ加フルコトヲ得

 第五条 尋常小学校ノ教科ト高等小学校ノ教科トヲ一校ニ併セ置クコトヲ得

1891明治24年辛卯
1892明治25年壬辰 
1893明治26年癸巳 
重井尋常小学校に11月高等科併置。業年限3ヶ年。(重井尋常高等小学校に校名変更。)

1894明治27年甲午
1895明治28年乙未 高等科業年を4ヶ年に改める。
1896明治29年丙申
1897明治30年丁酉
1898明治31年戊戌
1899明治32年己亥
1900明治33年庚子


小学校令改正(抄)(明治三十三年八月二十日勅令第三百四十四号)
第二条 小学校ハ之ヲ分テ尋常小学校及高等小学校トス
尋常小学校ノ教科ト高等小学校ノ教科トヲ一校ニ併置スルモノヲ尋常高等小学校トス市町村、町村学校組合又ハ其ノ区ノ負担ヲ以テ設置スルモノヲ市町村立小学校トシ私人ノ費用ヲ以テ設置スルモノヲ私立小学校トス 
第三条 尋常高等小学校ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ授クヘキ部分ニ対シテハ尋常小学校ノ規定ヲ準用シ高等小学校ノ教科ヲ授クヘキ部分ニ対シテハ高等小学校ノ規定ヲ準用ス但シ文部大臣ニ於テ別段ノ規定ヲ設ケタル場合ハ此ノ限ニ在ラス
第十八条 尋常小学校ノ修業年限ハ四箇年トシ高等小学校ノ修業年限ハ二箇年、三箇年又ハ四箇年トス
 第十九条 尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、体操トス
 土地ノ情況ニ依リ図画、唱歌、手工ノ一科目又ハ数科目ヲ加へ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルコトヲ得
 前項ニ依ソ加フル教科目ハ之ヲ随意科目ト為スコトヲ得
 第二十条 高等小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操トシ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フ
 修業年限二箇年ノ高等小学校ニ於テハ理科、唱歌ノ一科目若ハ二科目ヲ闕キ又ハ手工ヲ加フルコトヲ得
 修業年限三箇年以上ノ高等小学校ニ於テハ唱歌ヲ闕キ又ハ農業、商業、手工ノ一科目若ハ数科目ヲ加フルコトヲ得修業年限四箇年ノ高等小学校ニ於テハ英語ヲ加フルコトヲ得

 前三項ニ依リ加フル教科目ハ之ヲ随意科目ト為スコトヲ得
第三十二条 児童満六歳ニ達シタル翌月ヨリ満十四歳ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス
 学齢児童ノ学齢ニ達シタル月以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヲ以テ就学ノ始期トシ尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス


10月重井尋常高等小学校高等科校舎築。






1901明治34年辛丑
1902明治35年壬寅 秋校舎増築









1903明治36年癸卯
1904明治37年甲辰
1905明治38年乙巳
1906明治39年丙午
1907明治40年丁未

小学校令中改正(明治四十年三月二十一日勅令第五十二号)
小学校令中左ノ通改正ス
 第十三条 削除
 第十八条 尋常小学校ノ修業年限ハ六箇年トス
 高等小学校ノ修業年限ハ二箇年トス但シ延長シテ三箇年ト為スコトヲ得
 第十九条 尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操トシ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フ

 土地ノ情況ニ依リ手工ヲ加フルコトヲ得


1908明治41年戊申 小学校令改正。小学校義務教育6ヶ年。高等科2ヶ年。

         4月尋常小学校の修業年限を6カ年とし、高等小学校の修業年限を2カ年とする。1909明治42年己酉 9月校舎増築





 
 
1910明治43年庚戌
1911明治44年辛亥 
重井尋常高等小学校校舎増築。

1912明治45年壬子 


参考

重井尋常高等小學校 明治六年善興寺を校舎に充て振徳學舎といふ尋いで大師堂に信誠舎を置く、八年八月振徳學舎を重井學校といひ、信誠舎を分教場とす、別に細島に分教場を置く、十年二月校舎を新築し大師堂分教場を廃す、十五年二月須越に移轉す、十九年細島分教場を廃す、二十二年郷新開に新築す、二十六年十一月高等科併置す爾来數囘増築擴張して現今に至る。
澤井常四郎編、「御調郡誌」、御調郡教育會、大正14年、p.95 、「第三社會」


明治六年四月に一六小区(因島)の小学舎号を「振徳舎(重井村善興寺)研機舎(田熊村浄土寺)」と称し、
青木茂編、「因島市史」、p.892。 図340では「研幾舎」。










1912大正元年
1913大正2年




1912大正元年壬子
1913大正2年癸丑
1914大正3年甲寅
1915大正4年乙卯
1916大正5年丙辰
1917大正6年丁巳
1918大正7年戊午
1919大正8年己未 
1920大正9年庚申
1921大正10年辛酉
1922大正11年壬戌 5月校舎大改築。 
1923大正12年癸亥 2月重井尋常高等小学校校旗制定。3月校舎新築落成式。講堂新築。






1924大正13年甲子
1925大正14年乙丑
1926大正15年丙寅 

1926昭和元年丙寅
1927昭和2年丁卯 
1928昭和3年戊辰
1929昭和4年己巳
1930昭和5年庚午
1931昭和6年辛未 
1932昭和7年壬申
1933昭和8年癸酉
1934昭和9年甲戌
1935昭和10年乙亥 
1936昭和11年丙子 
1937昭和12年丁丑
1938昭和13年戊寅
1939昭和14年己卯
1940昭和15年庚辰
1941昭和16年辛巳 

 昭和16年3月1日 小学校令改正。第三条初等科の修業年限は六年とし、高等科の就業年限は二年とする。
         

国民学校令交布。4月御調郡重井村立国民学校と改称。
1942昭和17年壬午
1943昭和18年癸未
1944昭和19年甲申

1945昭和20年乙酉
1946昭和21年丙戌
1947昭和22年丁亥 
学校教育法(昭和二十二年三月二十九日法律第二十六号)

第十九条 小学校の修業年限は、六年とする。
 昭和223月29日  学校教育法(法律第二十六号)第一九条 小学校の修業年限は六年とする。 第三七条 中学校の修業年限は、三年とする。 

学習指導要領 一般編‐試案‐(抄)(昭和二十二年三月二十日)
各教科時間表

各教科時間表



六・三・三・四制発足。
「広島県御調郡重井村立重井小学校」と校名変更す。高等科は中学校となる。5月「先生と父母の会」を設立する。7月三原女子師範教生実習。12月重井村PTA結成 会長岡崎紀。 
1948昭和23年戊子 5月両親学級開設。
1949昭和24年己丑 2月新教育研究発表会。(3月第1回教育研究会を開催)。7月11月広大三原分校教生実習。 
1950昭和25年庚寅
1951昭和26年辛卯 
学習指導要領 一般編‐試案‐(抄)(昭知二十六年七月一日)
教科についての時間配当の例

教科についての時間配当の例



広大三原分校教授池田勝人先生講演会。
1952昭和27年壬辰 10月重井村教育委員会発足。11月教育促進学校研究発表会。隣接地に因北分校校舎竣工。
1953昭和28年癸巳 5月市制施行。これより「因島市立重井小学校」と校名変更。6月子ども銀行農協長賞受賞する。
1954昭和29年甲午 2月両親学級研究会。5月重井小学校子供会白滝市誕生。因島市立重井幼稚園併設。11月優良子ども銀行として全国表彰される。
1955昭和30年乙未 1月子ども銀行因島市長賞受賞。11月第1回教育促進学校研究会。
12月第2回教育促進学校研究会。
1956昭和31年丙申 1月第3回教育促進学校研究会。1月小学校優良子ども会として全国表彰される。
1957昭和32年丁酉 2月教育促進学校研究大会。文部省倉沢栄吉視学官視察来校。
1958昭和33年戊戌 
小学校学習指導要領(昭和三十三年十月一日文部告示第八十号)
各教科および道徳の授業時数

各教科および道徳の授業時数



10月子ども銀行日銀総裁・大蔵大臣賞受賞。子ども銀行因島市長より表彰される。
1959昭和34年己亥 1月校旗制定。 校歌制定。作詞者作曲者来校。4月幼稚園独立。 
1960昭和35年庚子 2月広島県道徳教育研究校及び特別教育活動研究会開催。
1961昭和36年辛丑 4月NHK白滝市長選挙取材。 ?月広大教授末吉悌次先生講演。
1962昭和37年壬寅
1963昭和38年癸卯 3月基礎学力(国語・算数)研究会開催。 三原教育事務所長前原学校教育課長視察。
1964昭和39年甲辰 2月白滝市10周年記念特別教育活動研究会開催。
1965昭和40年乙巳 
1966昭和41年丙午 11月科学教育研究会開催。 
1967昭和42年丁未
1968昭和43年戊申
1969昭和44年己酉
1970昭和45年庚戌
1971昭和46年辛亥
1972昭和47年癸子 4月校舎ならびに屋内体育館落成。





1973昭和48年癸丑 9月プール完成。
1974昭和49年甲寅
1975昭和50年乙卯
1976昭和51年丙辰
1977昭和52年丁巳 
1978昭和53年戊午 
1979昭和54年己未 学校給食共同調理場完成(小田ノ浦)
1980昭和55年庚申
1981昭和56年辛酉
1982昭和57年壬戌
1983昭和58年癸亥
1984昭和59年甲子
1985昭和60年乙丑
1986昭和61年丙寅
1987昭和62年丁卯
1988昭和63年戊辰
1989昭和64年己巳

1989平成元年己巳 
1990平成2年庚午 
1991平成3年辛未 
1992平成4年壬申
1993平成5年癸酉
1994平成6年甲戌 
1995平成7年乙亥 
1996平成8年丙子
1997平成9年丁丑
1998平成10年戊寅
1999平成11年己卯 
2000平成12年庚辰
2001平成13年辛巳
2002平成14年壬午
2003平成15年癸未
2004平成16年甲申
2005平成17年乙酉
2006平成18年丙戌 1月10日。尾道市に編入。この時点で「尾道市立重井小学校」となるはずであるが、公式文書未見。
2007平成19年丁亥
2008平成20年戊子
2009平成21年己丑

2010平成22年庚寅
2011平成23年辛卯
2012平成24年壬辰
2013平成25年癸巳
2014平成26年甲午 
2015平成27年乙未
2016平成28年丙申
2017平成29年丁酉
2018平成30年戊戌
2019平成31年己亥

文献:
井上一次編著、「白滝教育7百年のあゆみ」、重井町文化財協会、
因島市立重井小学校編、「子供の町 白滝市の歩み」、1965
因島市退職校長会県教育会因島支部編、「因島の教育 半世紀」、平成13年
「因島教育研究史」(奥付なし、木村紀礼他編、昭和42年頃発行か?)

因島市重井町文化財協会、「重井町史年表」、1979・6

峯松勅夫編、「重井町史年表(再編)」、重井町文化財協会、平成5年
峯松勅夫編、「重井町史年表(改訂版)」、重井町文化財協会、平成11年









******************未整理


小学校史 その1

 寺小屋や私塾によって行われていた庶民教育が明治維新後、公教育となり、やがて義務教育となる。

 明治の公教育の精神は明治元年3月14日の「五ヶ条の御誓文」に発し、制度としては明治5年8月3日太政官布告の「学事奨励に関する仰出書」、及び同日発布の文部省布達十三別冊「学制」による。なお、これはフランスの制度を規範としたものであった。

 広島県では、明治6年4月12日白浜権参事官通達で小学校設立願を提出させた。一六小区の因島では、「振徳舎」(重井村善興寺、教師沼田良蔵)と「研機舎」(後に「尚純舎」に変更)(田熊村浄土寺、教師村上万之助)の二か所が許可された。なお、田熊村では慶応元年に私塾の「久敬舎」が大田熊に開設されており、前身となった。

 以上が因島における公教育の始まりである。(参考:「因島市史」p.891)

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料第7回p.110、vol1(2016)



明治5年の「学制」に始まった公教育としての小学校は、明治12年(1979)の「教育令」で見直されるので、これまでの期間が「学制の時代」と呼ばれる。明治5年という国家としても模索の時代であったのだから、教育の場においてはそれ以上に、試行錯誤に満ちていた時代だと想像される。

 この間の重井のようすを見てみよう。

明治6年(1873)10月 善興寺内に振徳学舎を設置する。教師、沼田良蔵。大師堂に信誠舎を設置する。明治6年10月~明治10年2月の間使用された善興寺内の振徳学舎は教員室4坪、教室32坪、便所2坪。総計38坪。[p.124]

明治8年(1875)8月 振徳学舎を重井小学校と改称。就業年限4ヶ年程度。信誠舎を大師堂分教場と改称。細島に分教場設置。就業年限3ヶ年程度。 

明治10年(1877)2月  山の神に校舎を新築し5月に移る。教室34坪、土間5坪。大師堂分教場を廃す。


この間の関連法案の一部を記す。 

明治5年(1872)

学制(明治五年八月三日文部省布達第十三・十四号)

第二百十四号 今般文部省に於て学制を定め追々教則をも改正し布告に及ぶべきにつき自今(じこん・いまより)以後一般の人民華士族農工商及女子必ず邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す。人の父兄たるもの宜しく此意を体認し其愛育の情を厚くし其子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。高上の学に至ては其の人の材能に任すといえども幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざる




ものは其父兄の越度たるべき事。右之通被 仰出候条地方官ニ於テ辺隅小民ニ至ル迄不洩様便宜解釈ヲ加へ精細申諭文部省規則ニ随ヒ学問普及致候様方法ヲ設可施行事 明治五年壬申七月 太政官

明治五年八月三日文部省布達第十三号別冊

第二十一章 小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ区分スレハ左ノ数種ニ別ツヘシ然トモ均ク之ヲ小学ト称ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小学小学私塾幼稚小学ナリ

第二十七章 尋常小学ヲ分テ上下ニ等トス此ニ等ハ男女共必ス卒業スヘキモノトス教則別冊アリ

下等小学教科

 一綴字読並盤上習字 二習子字形ヲ主トス 三単語読 四会話読 五読本解意 六修身解意 七書牘解意並盤上習字 八文法解意 九算術九々数位加減乗除但洋法ヲ用フ 十養生法講義 十一地学大意 十二理学大意 十三体術 十四唱歌当分之ヲ欠ク 

 上等小学ノ教科ハ下等小学教科ノ上ニ左ノ条件ヲ加フ

 一史学大意 二幾何学罫画大意 三博物学大意 四化学大意

 其他ノ形情ニ因テハ学科ヲ拡張スル為メ左ノ四科ヲ糾酌シテ教ルコトアルヘシ

 一外国語学ノ一二 二記簿法 三画学 四天球学

 下等小学ハ六歳ヨリ九歳マテ上等小学ハ十歳ヨリ十三歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス但事情ニヨリ一概ニ行ハレサル時ハ斟酌スルモ妨ケナシトス

 小学教則概表(明治五年十一月十日文部省布達番外)[p.124]

第四十章 小学教員ハ男女ヲ論セス年齢二十歳以上ニシテ師範学校卒業免状或ハ中学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルコトヲ許サス

以上三章ハ其目的ヲ示ス数年ノ後ヲ待テ之ヲ行フヘシ後章ハ現今ノ位ニ応シテ之ヲ許スモノトス

第四十六章 小学校教員ハ男女ノ差別ナシ其才ニヨリ之ヲ用フヘシ

明治6年(1873) 

小学教則改正(抄)(明治六年五月十九日文部省布達第七十六号)

小学教則 第一章 小学ヲ分テ上下二等トス下等ハ六歳ヨリ九歳ニ止リ上等ハ十歳ヨリ十三歳ニ終リ上下合セテ在学八年トス

明治8年(1875)

小学学齢ヲ定ムル事(明治八年一月文部省布達第一号)

小学学齢ノ儀自今満六年ヨリ満十四年マテト相定候条此旨布達候事

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料第7回p.125、vol1(2016)




明治5年から明治11年までの、いわゆる「学制」の時代についてみる。

 大浜村では、明治6年設置の養成舎を明治8年に大浜小学校と改称している。校舎は見性寺である。

 中庄村では、明治6年1月6日に小林敬哉宅に久敬舎、3月19日に成願寺に温和舎が創設。明治7年3月外浦に小学校設置。明治5年に鏡浦に開郷舎が設置。

 椋浦では明治5年3月金蔵寺内を借り受け校舎にあてて椋浦学校を設置。

 三庄村では明治8年8月1日に六行舎を創設した。

 土生村では明治6年3月1日に対潮院に土生学校を創立している。明治7年に中畝に移転し、2教室であった。(明治5、6年における外浦、鏡浦、椋浦の町村名は不明)。

       因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料第8回p.142、vol1(2016)


 明治5年から明治11年までの、いわゆる「学制」の時代7年あまりの後、明治12年(1879)9月29日「太政官布告四〇」で「日本教育令」が発布された。これは明治13年(1880)の「改正教育令」、明治18年の「再改正教育令」を経て明治19年(1886)年の小学校令まで続く。「小学校令の時代」以前が「教育令の時代」である。まず大枠である、法令についてみよう。

明治12年(1979)の 教育令:学齢8箇年(最低4箇年)。 

教育令(明治十二年九月二十九日太政官布告第四十号)

第三条 小学校ハ普通ノ教育ヲ児童ニ授タル所ニシテ其学科ヲ読書習字算術地理歴史修身等ノ初歩トス土地ノ情況ニ随ヒテ罫画唱歌体操等ヲ加へ又物理生理博物等ノ大意ヲ加フ殊ニ女子ノ為ニハ裁縫等ノ科ヲ設クヘシ

第十三条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス

第十六条 公立小学校ニ於テハ八箇年ヲ以テ学期トス土地ノ便宜ニ因リテハ此学期ヲ縮ムルコトヲ得ヘシト雖モ四箇年ヨリ短クスへカラス此四箇年ハ毎年授業スルコト必四箇月以上タルヘシ


明治13年(1880)の改正教育令:学齢8箇年(学期3箇年以上8箇年以下)

教育令改正(明治十三年十二月二十八日太政官布告第五十九号)

第三条 小学校ハ普通ノ教育ヲ児童二授クル所ニシテ其学科ヲ修身読書習字算術地理歴史等ノ初歩トス土地ノ情況ニ随ヒテ罫画唱歌体操等ヲ加ヘ又物理生理博物等ノ大意ヲ加フ殊ニ女子ノ為ニハ裁縫等ノ科ヲ設クヘシ但已ムヲ得サル場合ニ於テハ修身読書習字算術地理歴史ノ中地理歴史ヲ減スルコトヲ得

第十三条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス

第十六条 小学校ノ学期ハ三箇年以上八箇年以下タルヘク授業日数ハ毎年三十二週日以上タルヘシ但授業時間ハ一日三時ヨリ少カラス六時ヨリ多カラサルモノトス

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料第9回p.16、vo21(2017)



因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料第10回p.32、vo21(2017)






18回

小学校史 その13    第三次小学校令の時代3    

 明治40年(1907)には既に述べたように小学校令の中改正が行われた。

小学校令中改正(明治四十年三月二十一日勅令第五十二号)

小学校令中左ノ通改正ス

 第十三条 削除

 第十八条 尋常小学校ノ修業年限ハ六箇年トス

 高等小学校ノ修業年限ハ二箇年トス但シ延長シテ三箇年ト為スコトヲ得

 第十九条 尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操トシ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フ

重井小学校の状況について見てみよう。

明治41年 小学校令改正。小学校義務教育6ヶ年。高等科2ヶ年。4月尋常小学校の修業年限を6カ年とし、高等小学校の修業年限を2カ年とする。

明治42年 9月校舎増築(下図)。(図の右下は二階部分で写真右奥か?)

 

『白滝教育百年の歩み』p.32





























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