2022年6月3日金曜日

ふるさとの史跡をたずねて 増補版 271-280


 ふるさとの史跡をたずねて(271)        

平田道路改修記念碑(尾道市因島鏡浦町)


 島四国25番津照寺の近くにも平田道路改修碑がある。と言っても少し山道に入るので丁寧に書いておこう。平田道路そのものが、外浦町と鏡浦町を結ぶ山道であるのだから、その山道沿いにある。かつて歩き遍路道として峠道が利用されたが、現在は海岸沿いの水軍スカイラインを通る人が大部分であろうから、そちらからの方向を示す。すなわち鏡浦港側から津照寺にお参りしたら、北側の三叉路に出て山の方へ上がっていく。程なく道は二本に分かれるので、左側の道を進む。電話線の下である。津照寺を出て、5分もしないうちに石碑が見えてくる。



 正面には右から大きく「道路改修碑」と書かれており、その下に縦書きで金五十円から順に金額と寄付者の氏名が49名書かれている。そして最後に「いろは順」とある。これは同額の場合の順序であろう。同額の場合には順序に苦労するのはどこも同じであろう。「いろは順」と言う表現は初めてで、興味深い。

 右側の面には「大正八年一月建之」と書いてある。


20220613

下から登ってくると、この面がまず目に入る。また裏面には「発起人」として13名の名前が書かれている。



 なお平田は「ヘイダ」と読むのが正しいようである。そしてこの平田道路について、古い本には「県道なるも車は通れない」と書いていたものもあるが、今も県道なのであろうか。


世話人 

川崎寅太郎 吉平力太郎 楽平□市 宮地福松 宮地萩次郎 吉本清四郎 門藤□松

川本久行 岩本清右衛門 川崎善次郎 吉平勇助  宮長舘一 大石留吉  


ふるさとの史跡をたずねて(272)

           写真・文 柏原林造

昭和橋住吉神社道路改修碑(尾道市因島外浦町三区)


 外浦町の本因坊秀策囲碁記念館から直線距離にして南東方向へ約100メートルのところに、赤い木製の鳥居の千兵衛神社がある。探し物をするのにご利益があるそうだから、高齢者にはありがたいところである。その近くに道路改修碑がある。

 あるいは島四国22番平等寺から23番薬王寺へと遍路道を歩くと、赤い鳥居の前で右に回ってすぐのところだと書いた方がわかりやすいかもしれない。



 その石碑の中央には「自昭和橋至字住吉 道路改修碑」と書かれているから、その近くから住吉神社方面へ伸びる道路の改修記念碑だとわかる。石碑の文字によると、それが昭和二年四月竣工であり、総工費が五百五十円だった。

 下の方には世話人10人の氏名が書かれている。

 またこの石碑の右隣にも少し小さな石碑があり、「一、金壱百円 寄附 村上善右衛門 昭和二年四月 道路改修費之内」と書かれているから、世話人の一人である善右衛門氏がおよそ五分の一を負担されたということがわかる。

 昭和元年は大正15年の年の年末7日間だったから、昭和の文字も目新しい頃の石碑である。




世話人 村上善右衛門 松原儀市 田頭良平 松原増五郎 村上美三郎

    村上清一 松原芳作 笹野登一 吉田延秋 中山太郎 

   

ふるさとの史跡をたずねて(273)

西奥道路改修碑(尾道市因島外浦町二区)


 前回の千兵衛神社のところからさらに南側へ、奥山方面に向かってゆるやかな坂道を登る。すなわち島四国22番平等寺を目指して登り、左手に平等寺を見ても、さらに登る。一番奥の民家を過ぎると農道がさらに続く。その民家に寄り添うように左側に道路改修碑がある。



 正面の上には右から「西奥道路改修碑」と横に書かれている。その下にはまず二段分三行に渡って「大正十四年竣工」「人夫百四十人 村補助」「一、金五百十九円   

 段別割」と書かれている。その後、特別寄付として15名の氏名と金額が書かれていて、そのあと「以上金学順」とある。その総額は329円である。また、最下段には世話人として12名の氏名が書かれている。

 さらに左側面には合計15円として大阪の人二名の氏名が書かれている。

 この石碑からさらに山側へ道路が伸びているから、その道路を利用する畑の所有者が土地の面積に応じて負担した金額が、段別割の519円であろう。工事人の延べ人数140名の日当を村費で補い、他は村内外の人たちの寄付で補ったということである。

 ここから下は暗渠になっているが、かなり大きな川が町内を貫流しているから、川沿いの道路であり、その補強も当然行われたものだと推定できる。




ふるさとの史跡をたずねて(274)

外浦青年支部事業記念碑(尾道市因島外浦町住吉神社)


 次は島四国23番薬王寺を目指そう。あるいは、外浦町の住吉神社を目指すと書いても同じことである。神社に入るとすぐに、右手の山側に石碑が並んでいる。

 その一つに珍しい石碑があった。



「外ノ浦青年支部事業記念碑」と書いてある。次の行には「自海岸至住吉神社道路改修費寄付者」とあるから、これも道路改修碑の一つと考えてもよいだろう。百二十円、百円、百円の三名の氏名の次に「一、金五百二十円 外百四十一名」とある。

 また、右側面に発起者2名の氏名が記されている。左側面には「大正元年十二月竣工」とある。そしてまた、裏面には世話人9名の氏名が書かれている。

 以上のことから大正元年に海岸から住吉神社までの道路改修が行われ、ほぼ村内全世帯の寄付金が当てられたと考えてもよいだろう。そして青年支部の方たちが総出で工事に当たったのだろう。海岸というのは現在の県道のところである。しかし、青年支部というのがわからない。町内会の青年支部というような位置付けであろうか。あるいは後の青年団活動の前身となる団体だったのだろうか。







〔面面〕

外ノ浦青年支部事業記念碑

自海岸至住吉神社道路

改修費寄付者

一、金百二十円 吉田源右衛門

一、金百円   井上豊三

一、金百円   田頭宮吉

一、金五百二十円 外百四十一名 

〔右側面〕

発起者  吉田源右衛門

     井上豊三

〔左側面〕

大正元年十二月竣工

〔裏面〕

世話人 

 田頭栄太郎 松原幸三郎 中山善次郎 松原徳吉 田頭良平

 市河勝市 井上勅松 田頭雅市 笹野登一


ふるさとの史跡をたずねて(275)

久保田鉄工寄付碑(尾道市因島外浦町)


 外浦町の本因坊秀策囲碁記念館の隣にあった石切風切神社の跡は駐車場になっているが、巨大な本因坊秀作碑は残っている。広い駐車場の一角にあるので、以前よりよく目立つ。後ろに回って見ていて、周囲を囲む寄付者名の書かれた玉垣に「久保田鐡工尼崎工場」と書かれているものがあった。



従業員一同などと書かれていないし、工場そのものも久保田権四郎さんの持ち物なのだから、権四郎さんの寄付と考えてよいだろう。秀策碑には大正十四年と書かれている。その頃、「クボタ石油発動機」が脚光を浴びていた。

 久保田権四郎さんに関係するものは、本連載でも度々書いてきた。そのうちの16回分が因島高校の『百周年記念誌』に再録されている。島内各公民館に寄贈されている。機会があればご覧いただきたい。

 ・・ということで、ここは因島の生んだ二人の偉人に思いを寄せることのできる、貴重な場所である。



ふるさとの史跡をたずねて(276)

権現道改修碑(尾道市因島三庄町二区)


 島四国34番種間寺へは、三庄町善徳寺から変電所横の峠道の三庄町側のほぼ最高部を横切って、百凡池の横を通るのが初期の遍路道であったが、現在では峠道を東へかなり下がって、南側の山が切れたところで、南へ入る。

 種間寺は権現宮の中にある。隣のため池が権現池である。権現宮は19世紀の初めごろ熊野三社権現が岡本氏によって勧請され、修験道の道場として親しまれてきたものである。このことは187回で紹介した。

 石段の手前に道路改修碑がある。



 石碑の裏面には「大正十一年五月成工」の文字とともに、3人の世話人名が記されている。

 正面には「権現道改修」とあり、寄付者名があるのだが、「金壱百円正金」が1名。5名は百六十円から三十円まで、金額の下に「敷地」とあるから、土地提供者で、当時の時価で面積を金額に換算したものであろう。

また、その次に「金壱百九十三円人夫 通組信者中」とある。「通り」が二区の地名である。地元の信者の方が労働奉仕をし、延べ人数と当時の日当から算出した額だと考えられる。


権現道改修 寄附人 金壱百円正金   岡本惣平 金壱百六十円敷地 宮地兵太郎 金壱百円  同  毛利己之助 金六十円  同  岡本好子 金五十円  同  宮地縫吉 金三十円  同  光法兵助 金壱百九十三円人夫 通組信者中



「大正十一年五月成工」



「世話人 宮地悦太郎 柏原鋼吉 宮地兵太郎」


参照:https://yamap.com/activities/18177212


ふるさとの史跡をたずねて(277)

弘法大師像(尾道市因島土生町荒神区)


 島四国45番岩屋寺は、因島病院の前から、東へバス道路を横切り、さらに商店街を横切って、因島公園の方へ登る。島四国44番大宝寺のある同じ名前の大宝寺の前をさらに登ると大きな岩の横にある。

 明治45年に作られた因島88ケ所は本家の四国88ケ所札のイメージに近づけようと数々の工夫が凝らされているのだが、その中でも傑作の一つがこの岩屋寺であろう。

 その大岩は磨崖仏となっており、弘法大師立像が描かれている。右には「弘法大師 明治四十五年」、左には「施主村井才吉」の文字がある。


写真では見えないが左側の側面(内側)には「地主本家小林坂太郎 石工金本才兵衛」と彫られている。



 また、その大師像の右奥には不動明王の磨崖仏がある。これは45番岩屋寺の御本尊が不動明王であるからであろう。



その他の写真

 


ふるさとの史跡をたずねて(278)

弘法大師像(尾道市因島土生町赤松奥)


 前回の弘法大師像は少しだけですが腑に落ちないものがありました。それは言葉で言い表せない記憶の混乱です。敢えて書けば、「こんなところにあったかなぁ?」という感じです。別の場所だったが・・いや大岩大神の位置と勘違いしているのかな・・などと色々考えて、古い写真を見たりしていると、何と同じような大師像がありました。(写真)



前回の写真を誤って載せたのではありません。よく見て下さい。明治の文字がないでしょう。

 この弘法大師像のある場所を説明するのが、また難しい。土生公民館の東側の道を南へ進みます。少し坂になっています。元土生保育所を過ぎたあたりが赤松峠で、かつて一本松があったそうです。また、タヌキが出たとも言われています。そこには「平木氏発祥之地」と「金之神」の2つの石柱があります。そこから東へ少し入ると丘があります。その丘の上に「因島龍神」の鳥居や大きな岩があります。下記地図の赤星印。これらを併せて播磨石磨崖仏と呼んでいるようです。

 その岩の一面に彫られている磨崖仏です。右端に「弘法大師 大正八年三月」左端には「寄附者 村井才吉」と彫られています。隣には不動明王らしき磨崖仏もあります。





ふるさとの史跡をたずねて(279)

八坂寺磨崖仏(尾道市因島土生町宇和部)


 赤松奥の磨崖仏を出したら、次は当然のこととして八坂寺の大岩を紹介しないといけなくなる。こちらは島四国47番だから、場所の説明は省略する。位置的には土生公民館の山側であるが、直線道路がないのでぐるりと回って行く。そこには複雑な大きな岩があって、鉄の梯子があり、岩の上にも石仏があるし、その下の岩の隙間にもたくさんの石仏が並べられている。

 島四国の岩屋寺については、前に書いたが、こちらの方がもっと良かったかなと思う。明治45年頃に因島の地区ごとに札所が割り当てられた時、ここを岩屋寺にしようという意見があったことは当然考えられる。しかし、そうすると土生町南部が少なくなるので現在のようになったのだろう。

 さて、この八坂寺であるが、鉄の梯子のある正面が壮観であり、人々の目はここに集中する。しかしこの大岩の右側(南側)も見ていただきたい。周りの岩が大きいので小さく見えるが大作である。文字は見られないが、阿弥陀如来像だと言われている。



 この大岩の上にはさらに別の岩が重なるように載っているが、形から想像するに元はくっついていたのではないかと思う。正面から見ると上の岩は4枚の岩があるように見える奇岩である。



ふるさとの史跡をたずねて(280)

馬頭観音像(尾道市因島土生町郷区焼家谷)


 赤松奥の磨崖仏と島四国八坂寺の磨崖仏を書いたので、三点セットという訳ではないが、やはり三子松の馬頭観音を紹介しないといけなくなる。スマホで地図を出すと、八坂寺はすぐに出てくる。そして驚くことに「赤松峠播磨石磨崖仏」という文字が、画面を大きくしたり小さくしたりしていたら出てきた。赤松奥の磨崖仏のことである。だが、今回の馬頭観音像は出てこない。

 もう随分前のことになるが9回の三子松のところで出てきたため池の近くである。ここへ行くには天理教因南分教会の北側の道を東へひたすら進んでいただきたい。と、書いても、実際は複雑である。因島南中学校の南西にため池がある。池の名前の載っている地図はなく「長加八池」と以前書いたが、「長加入」という地名があるから「長加入池」と書くべきかもしれない。

 このため池の南側の道路を天理教会のところまで辿り、そこから入っていただきたい。そしてため池の隣をまっすぐ進み、家と倉庫の間を通過し正面の法面(崖)の岩を見ていただきたい。因島はもちろん全国でも珍しい(と思う)馬頭観音座像がある。




「廿九番まつお寺」と彫ってあるので、西国33観音の「松尾寺」と呼んでもおかしくはない。

 なぜ、ここに馬頭観音があるのだろうか。地主の方が馬を飼われていたか、馬に愛着があったのか。あるいは西国29番松尾寺の寺伝にあるような、海で流木につかまり命拾いをした体験がありその謝意か。私の想像である。いずれにせよ、明治5年の制作だから、詳しいことはおそらくわからないだろう。























                         写真・文 柏原林造

➡️ブーメランのように(文学散歩)

本館 白滝山 いんのしまみち 



2022年6月1日水曜日

実業作文一万便 下

 


実業作文一万便 巻下
篠田正作著
普通門

寿旦を賀する文
御令椿御事古希之御高齢に被
為成奉慶賀候、乍薄儀御祝とし
て(亭)盆栽一個呈上仕候間御西存
可被下候、謹言



二 同返事
家父儀古希之祝として珍敷盆
栽貴意に懸けられ難有奉謝候、
右御礼申上候也、頓首

三入学を賀する文
御令息御事其校へ御入学被成
候由、学問実地兼修に今日に候
へバ御恐悦此事に御座候殊に

御性質御利発ニ被為在候得ハ
日々御進歩不遠御成業之程奉
期候、此書近日発兌之所にて御
参考書其の相成様存候ニ付、聊
御祝として進呈仕候、御叱被
下候ハヽ本懐に存候也。不馨。

四 同返事
陳ハ豚犬事此度入学致候ニ付





藤村歌碑

 島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の歌碑



千曲川旅情のうた

小諸奈(な)る古城之(の)本(ほ)と里(り)雲白く遊子

か奈(な)しむ みと里(り)なす者(は)こへ者(は)もえす

王(わ)可(か)くさも 志(し)く尓(に)よし無し 志(し)ろ可(か)ね之(の)

ふすま之(の)お可(か)へ 日尓(に)とけてあは雪流る

あたゝ可(か)き光者(は)あれと乃(の)尓(に)み津(つ)る香里(り)も

志(し)らす あさく乃(の)み春者(は)可(か)すみてむき之(の)色

僅可(か)尓(に)青し 旅人乃(の)むれ者(は)以(い)く津(つ)可(か)畠中之(の)

道越(を)以(い)そきぬ 暮れゆけ者(は)あさまも見えす

うた可(か)奈(な)し佐久之(の)草笛千曲川いさよふ

波之(の)岸ちかきやと尓(に)乃(の)本(ほ)里(り)津(つ)尓(に)こ里(り)酒

尓(に)これる飲みて草まくら志(し)者(は)し奈(な)くさむ

                     島 崎 藤 村 

 信濃路之(の)おもひて尓(に)旧詩 之(の)

 一つ越(を)志(し)るす  

夕凪亭閑話2022年6月

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2022年6月1日。水曜日。晴れ。4385歩。72.3kg。昨日のコロナ感染者、広島県455人。うち尾道市15人。福山市64人。三原市13人。朝、裏山の竹の新芽切り。買い物。資料作り完成。夕方、公民館へ印刷依頼。広道、雑木切り。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。「波濤万里」の編集。表紙表完成。



2022年6月2日。木曜日。晴れ。6262歩。72.35kg。昨日のコロナ感染者、広島県615人。うち尾道市15人。福山市67人。三原市9人。朝、瀬戸内タイムズ原稿送る。8時から五人で府中市へ。首なし地蔵、石州街道街並み、戸出の備後一宮。信岡家住宅。帰って昼寝。夜、古文書。



2022年6月3日。金曜日。晴れ。1556歩。昨日のコロナ感染者、広島県614人。うち尾道市7人。福山市71人。三原市11人。朝から福山。午後、古文書学習会。暑い。夜、エアコンを入れる。解読文入力終わる。深夜は寒くなる。



2022年6月4日。土曜日。晴れ。2615歩。72.35kg。昨日のコロナ感染者、広島県574人。うち尾道市8人。福山市63人。三原市12人。古文書、昼寝。草取り。夕方、「風のささやき」納本される。夜発送準備。八幡浩二『福山藩』(現代書館)終わる。



2022年6月5日。日曜日。曇りのち雨。3513歩。昨日のコロナ感染者、広島県483人。うち尾道市11人。福山市59人。三原市17人。古文書。午後、来客。復刻写真集の編集。



2022年6月6日。月曜日。晴れ。3900歩。kg。昨日のコロナ感染者、広島県440人。うち尾道市5人。福山市52人。三原市11人。朝、来客。午後役員会。6月資料印刷できる。閉じ作業。午後、土生へ。観光協会他。夜、綴じ作業。



2022年6月7日。火曜日。晴れ。4699歩。71.9kg。昨日のコロナ感染者、広島県341人。うち尾道市3人。福山市28人。三原市12人。午後、土生へ。観光協会。写真集作業。



2022年6月8日。水曜日。晴れ。3455歩。72.1kg。昨日のコロナ感染者、広島県351人。うち尾道市4人。福山市34人。三原市12人。朝、買い物。文化財だより配布。午後、論語を読む会。夜、綴じ作業。せとうちタイムズ原稿書く。



2022年6月9日。木曜日。晴れ。5062歩。72kg。昨日のコロナ感染者、広島県578人。うち尾道市6人。福山市62人。三原市12人。朝、瀬戸内タイムズ原稿送る。山の竹の新芽切り。夕方も。古文書。資料綴じ作業終了。



2022年6月10日。金曜日。晴れ。3555歩。71.75kg。昨日のコロナ感染者、広島県553人。うち尾道市2人。福山市64人。三原市20人。朝、竹の新芽切り。藤井医院。午後、来客。夕方、再び山へ。



2022年6月11日。土曜日。雨時々曇り。2056歩。72.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県475人。うち尾道市10人。福山市54人。三原市10人。朝から雨。小止みのとき竹切り。古文書。慰問写真帖の原稿書き。



2022年6月12日。日曜日。晴れ。2569歩。71.5kg。昨日のコロナ感染者、広島県438人。うち尾道市8人。福山市59人。三原市15人。朝、竹の新芽切り。夕方、除草剤。古文書。


2022年6月13日。月曜日。晴れ。10315歩。72.2kg。8時から島四国外浦、鏡浦、椋浦。4人。昼過ぎに帰る。昼寝。古文書。夕方、山へ竹切り。


2022年6月14日。火曜日。雨時々曇り。2505歩。72.5kg。昨日のコロナ感染者、広島県272人。うち尾道市3人。福山市32人。三原市6人。朝から雨。止んだ時を狙って山の竹切り。古文書。



2022年6月15日。水曜日。雨時々曇り。4437歩。72.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県312人。うち尾道市4人。福山市55人。三原市8人。10時から因島図書館。因島文学散歩の会。8人。午後、第30回エクスカーション。甘崎城跡、海渡り。夜、瀬戸内タイムズ原稿を書く。



2022年6月16日。木曜日。晴れ。4699歩。71.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県421人。うち尾道市4人。福山市50人。三原市6人。朝、山の竹の新芽を切る。午後、大浜、中庄、三庄、土生。夕方、山へ竹切り。夜、古文書。



2022年6月17日。金曜日。晴れ。6026歩。71.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県381人。うち尾道市9人。福山市38人。三原市8人。朝から福山。午後、古文書学習会。夜、解読文をワープロ入力。送る。



2022年6月18日。土曜日。晴れ。5713歩。70.8kg。昨日のコロナ感染者、広島県396人。うち尾道市4人。福山市39人。三原市16人。朝、山の竹きり。夕方、広道の雑木切り。古文書。



2022年6月19日。日曜日。晴れ。7415歩。72.3kg。昨日のコロナ感染者、広島県357人。うち尾道市8人。福山市26人。三原市2人。朝、裏山の竹の新芽切り。午後、外浦町写真撮影。来客。夕方、畑に除草剤を撒く。久下実『広島藩』、現代書館、終わる。



2022年6月20日。月曜日。晴れ。3472歩。72kg。昨日のコロナ感染者、広島県337人。うち尾道市5人。福山市34人。三原市3人。朝と夕方、山の竹の新芽切り。古文書。



2022年6月21日。火曜日。雨。2709歩。72.6kg。昨日のコロナ感染者、広島県218人。うち尾道市6人。福山市23人。三原市3人。朝から雨。ふるさとの歴史を学ぶ会。17名。第二部は中止。午後2人来客。夕方雨やむ。夜、古文書。7月資料作り。寝るとき雨降り出す。



2022年6月22日。水曜日。雨。3356歩。kg。昨日のコロナ感染者、広島県276人。うち尾道市9人。福山市33人。三原市2人。朝から雨。午後、論語を読む会。その前に墓参。夜、せとうちタイムズの原稿書く。古文書。



2022年6月23日。木曜日。晴れ。3171歩。72.1kg。昨日のコロナ感染者、広島県404人。うち尾道市11人。福山市37人。三原市1人。朝せとうちタイムズ原稿送る。10時から重井公民館で中国新聞社の取材。午後、古文書。夕方、ゴーヤ植える。夜、古文書。岩波文庫『万葉集 上』p.25まで。これは昭和47年4月に広島大学に入学した年の最初の学期で、履修した教養課程の国文学2単位のテキストであった。国文学は源氏と万葉が同時にあって、どちらを取ろうかと珍しく悩んだのであるが、結局万葉集の方がとっつきにくいだろうと思って選択した。これで良かったと思う。岩佐正教授で前期後期合わせて4単位を履修した。その時のテキストである。全てを読んでないので、残っている部分を読通そうと思う。




2022年6月24日。金曜日。晴れ。3151歩。72.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県339人。うち尾道市12人。福山市26人。三原市9人。雑草に水をやりやり抜いていく。まずトマトなり夏野菜。土地替えてくれと叫ぶ茄子。網登る後に続けとゴーヤ言う。棘キウリそれに勝れる味ありや。12時前に出て、福山へ。古文書学習会。4時過ぎに帰る。夜、解読文入力。



2022年6月25日。土曜日。晴れ。3208歩。72.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県304人。うち尾道市10人。福山市32人。三原市3人。朝、解読文完成送る。昼前来客。午後昼寝。古文書。



2022年6月26日。日曜日。晴れ。3513歩。72.1kg。昨日のコロナ感染者、広島県332人。うち尾道市9人。福山市42人。三原市5人。古文書。公民館だより原稿書いて送る。午後、来客。



2022年6月27日。月曜日。晴れ。8501歩。72.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県321人。うち尾道市8人。福山市28人。三原市7人。朝、8時から島四国三庄町北部。3人。午後、昼寝。古文書。



2022年6月28日。火曜日。晴れ。3365歩。71.7kg。昨日のコロナ感染者、広島県216人。うち尾道市11人。福山市23人。三原市2人。朝、竹切り。古文書と昼寝。資料作り。夜も。



2022年6月29日。水曜日。晴れ。5604歩。72.4kg。昨日のコロナ感染者、広島県309人。うち尾道市10人。福山市27人。三原市5人。朝、竹切り。水路の掃除。買い物。午後、公民館で郷土の本コーナー作り。夕方広道雑木刈り。夜、資料作り。せとうちタイムズの原稿・



2022年6月30日。木曜日。晴れ。6093歩。72.2kg。昨日のコロナ感染者、広島県480人。うち尾道市22人。福山市38人。三原市14人。朝竹切り。水路の掃除。朝、せとうちタイムズ原稿送る。中国新聞に掲載される。古文書。7月の資料作り。夜も。あとがないぞ。4日には出せるように集中しよう。今日で今月は終わる。これで一年の半分が終わる。







読書の記録

6月4日

八幡浩二『福山藩』(現代書館)。

6月19日

久下実『広島藩』(現代書館)。

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2022年5月30日月曜日

因島重井町 重井小学校アルバム目次

しげいみち 小学校史 アルバム目次 町誌アルバム目次 重井中学校アルバム 

明治時代

  1905年(明治38年) (尋常科20回卒業生)

  1906年(明治39年) (尋常科22回卒業生)

  1907年(明治40年) (校舎全景)

  1909年(明治42年) (校舎竣工式)

 

 

大正時代

  1915年(大正4年)(高等科21回卒業生)

  1916年(大正5年)

             (尋常科32回卒業生)

  1917年(大正6年)

  1919年(大正8年)

  1922年(大正11年)

  1924年(大正13年)

     1926年(昭和元年大正15年)

 

昭和時代

 

 戦前

  1931年(昭和6年)

     1940年(昭和15年)

  1942年(昭和17年)

  1943年(昭和18年) (東浜)

 戦後

     1948年(昭和23年)教職員

  1949年(昭和24年)教職員

  1954年(昭和29年)から10年間 白滝市のあゆみ

 

  昭和30年度

  

  1956年(昭和31年)    白滝市紹介新聞記事

  1959年(昭和34年)

  1960年(昭和35年)

  1961年(昭和36年)

       1962年(昭和37年)

  1963年(昭和38年)

  1963年(昭和38年)4月修学旅行

  1964年(昭和39年)

                                               (因島学習園)

  1965年(昭和40年)

    1965年(昭和40年)2月24日 白滝市10周年記念式典

  1966年(昭和41年)(教職員、卒業生)

  1967年(昭和42年)

  1968年(昭和43年)

  1974年(昭和49年) (航空写真)

  1990年(平成2年)

    1990年(平成2年)運動会

       2019年4月9日(令和元年)入学式

       2019年6月9日(令和元年)小中合同運動会

      2019年6月19日ふるさと学習

 

 

 テーマ別

 校舎配置図

 

 

 

 

 

しげいみち 小学校史 アルバム目次

2022年5月23日月曜日

論語私義

論語私義  ー私の好きな論語の言葉ー

第1章 論語の読み方

セレクション

 論語100選

 分野別 名言

 論語を読む会 @重井公民館

          

第2章 論語の学び方

          

第3章 論語の本

 注釈本

 

 解説本

   和辻哲郎「孔子」

   井上靖「孔子」

   下村湖人「論語物語」

    

四書五経

四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、

五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいい、五経を以て四書よりも高しとする

 (朱子が言い出した。?しかし日本の儒学の基本となった。)

 『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。

感想である。

学んで時にこれを習う、また楽しからずや。

 孔子が葬式等の礼法の仕事についていたという説に従えば、これは孔子のそういう事柄を学習し、時に実習をすることに満足していたということである。しかし私はたの多くの人と同様に新しいことを学んだら、時々復習するのが楽しいと解釈する。そして楽しいということは、何を学んでも楽しいというのではなく、楽しいことを選択して学ぶのである。そうして入れば学ぶのも楽しい。そしてさらに時々思い出して復習しておればなお楽しくなる、という意味だ。学んで楽しくなるようなことを学ばなければならない。


人知らずして慍らず。

 無名の芸術家への応援歌である。

 元はといえば孔子の負け惜しみではないかと思う。


学ばざるを伝えしかと、

 教えしかと、と読み替えて、教師時代は冷や汗を流したものである。退職後は文字どおり「伝えしかと」と我が身に突き刺さる。




20220622

為政第二



二之十二

子曰、君子不器。

子し曰いはく、君子くんしは器ならず。

 水は方形に従う。器は形がある。決まっている。それに対して君子は融通無碍である。

 松本清張の「砂の器」はすぐに壊れること。脆い。主人公の戸籍を偽造した人生のはかなさを象徴。





13

子貢問君子。子曰、先行。其言而後從之。

子貢しこう、君子くんしを問とう。子し曰いはく、先まづ行おこなう。其その言げんや而しかる後に之これに從したがう。

不言実行。



二之十四

子曰、君子周而不比。小人比而不周。

子曰ク:「君子ハ周シテ而不㆑比セ、小人ハ比シテ而不㆑周セ。」子曰く、君子は周して比せず。小人は比して周せず。
周が公平、比が分け隔て。周も比もどちらも集まる、会する意がある。義によって集まるのが周、利害によって集まるのが比。

周は円周。どこも同じ。
比は比較のひ。比べる。三角比はその違い。割合。