2026年6月3日水曜日

増補版451〜460回

ふるさとの史跡をたずねて(451)

平山画伯スケッチポイント39(今治市大三島上浦町)

 島の生活というものはおもしろいもので、いつも目にしている近くの島々でも、何かの理由がなければめったに訪ねることがない。そして一生訪ねない島の方が多いのである。

 生口島の西北部で育った平山郁夫画伯にとって大三島は対岸の島で夕日の沈む島であった。だから対岸の地は幼い頃から多くの想像をかきたてたことであろう。

 そういう意味では大三島でのスケッチは多いが、このスケッチポイント39「大三島上浦町 盛漁港」には特別の思いが込められたものだと思う。

 しかし、海岸は遠くから見ると多くの夢を誘うが、実際にその場所に行くのは意外に難しい。幸いここまでくると、大久野島経由忠海行きのフェリー桟橋があって海辺に出られる。

 残念ながら貨物船も漁船も停泊していなかったが、かすかに大久野島が見える。その向こうは画伯がかつて戦後通っていた旧制忠海中学校のあったところだから、こちらの方向を描く必然性があったのだろう。




ふるさとの史跡をたずねて(452)

二番札所極楽寺(尾道市因島大浜町一区)

       


 因島八十八ヶ所の二番札所極楽寺は大浜公民館の前にある。一番霊山寺からは海岸道路を南へ歩くのが景色も良いし間違えることもなくて良いと思う。

 この道も所々岬の先端を回った名残の旧道があったりして、島の破壊の歴史を知ることができる。いたるところでこのように自動車道が拡張されるたびに海に面した美しい光景が壊されたことがわかる。

 それはさておき因島大橋の真下を通り速い潮流や遠近の島々をゆっくり眺めるのも楽しい。

 ただ、これが初期の遍路道かというとそうではなく、山道があって、その途中には遺跡やお堂があったようであるが残念ながら現在は通れない。

 さて半島の付け根の大きな堤防が近づいたら右手に二番札所が見えるだろう。公民館の前よりやや東に寄ったところである。

 周辺には235回(『暑往秋収』p.40)で書いた「倉谷新開竣工記念碑」の他、「第弐番大師堂新築寄付者」を記した石碑もある。

 時間があれば、ゴミステーションの横を通って立派な堤防の上を少し歩いてみるのも良いだろう。




ふるさとの史跡をたずねて(453)

三番札所金泉寺(尾道市因島大浜町三区)

       


 因島八十八ヶ所の番札所金泉寺へ向かうには国道まで出て左折する。要するに広い道まで出て南へ向かうのである。少し行くと川があり第三久保田橋がかかっている。さらに南へ行くと、保育所の跡に「週末カフェC0G0」(大浜地域未来交流館)がある。その手前に第二久保田橋がある。橋と言っても川はほとんど見えないので注意が必要だ。元幼稚園の建物が目立つのでその手前だと思えばよい。そこで直角に右折して、まっすぐ進めば間違いなく金泉寺へ着く。ここまでは車を利用しようと歩き遍路をしようと、初心者でも簡単に行けて、島遍路の楽しさを味わうことができるだろう。

 境内には現在のお堂とそれ以前のお堂の建設寄付碑がある。それには大出氏の姓が書かれてあり、重井町に通じる道路に近いから重井村から移住してきた最初の大出氏がこの辺に住んだと想像するのは容易だ。そのせいか、ある案内書に旧姓大出の久保田権四郎氏の生家があると書いてあったが、そうではなかった。久保田記念公園なら近くにある。

 さてその寄付碑の隣の3体の石仏に注目したい。金泉寺のご本尊の釈迦如来が中央にある。右が大日如来、左が薬師如来である。釈迦三尊像としては異例であるが、横一列ではないので釈迦三尊像だと思わない方が良いのではなかろうか。








ふるさとの史跡をたずねて(454)

四番札所大日寺(尾道市因島大浜町七区)

         

 四番札所大日寺については、65回福泉寺(『温故逍遥』65)、181回不動明王(『空手還郷』81)と同じ場所を目指せば良いのであるが、前回の3番金泉寺からの順路を記したいと思う。

 車の場合は、駐車場がないので見性寺に駐めてから戻るのが良いだろう。歩き遍路の場合は地図の通り細い道を南下する。



斎島神社の前を過ぎて右折し、旧久保田邸の前で左折するとゴミステーションの前に細い路地がある。ここを右折して登れば良い。正面が福泉寺、左奥が大日寺である。








 狭い登り道の左下の畑地が旧大浜小学校のあったところである。平地だけでは狭く見えるが、今は民有地になっているこの辺りに校舎、講堂、校庭などがあった。大浜町文化財協会発行『ふるさと』の昭和2年ごろの写真では、左上の三角形の屋根が福泉寺である。





久保田権四郎氏の生家は左中央付近。電柱の真上に大出先祖碑。

ふるさとの史跡をたずねて(455)

               

旧大浜小学校跡(尾道市因島大浜町八区)

 前回地図を載せたため、古い大浜小学校の写真を載せられなかったので、再度書いておきたい。

 旧久保田邸の前で左折する。その後旧久保田邸に沿ってそのまま右折して狭い狭い路地を登るのである。その左手は畑地で小さな段はついているが平地で、だんだんとその畑地から高い位置へ登っていくのである。その畑地のところに旧大浜小学校があった。旧と言っても元と言っても良いのであるが、どちらにしても紛らわしい。

 大浜小学校はこの位置からさらに3番札所金泉寺の西に移転するのであるが、そこもすでになく今は尾道特別支援学校しまなみ分校となっている。だから、そちらも元大浜小学校跡とか旧大浜小学校跡とか呼んでも誤りではない。

 さて大浜小学校の校舎の変遷は、明治6年の酒井氏宅から8年に見性寺に移り、15年に酒井氏の宅地を購入して移り、さらに明治28年に移転し、昭和2年に本稿で言及している地に旧校舎2棟を移転するとともに、新築校舎と講堂ができた。その後昭和60年に、後にしまなみ分校となる所へ新築移転した。そして平成19年に因北小学校へ統合された。

 昭和2年頃の写真には左奥の丘の上に三角屋根の福泉寺が見える。手前の右2棟が旧校舎を移築したもので、左の山側にあるのが新校舎とその向こうが講堂であろう。現在の畑地は講堂のあったあたりであろうか。

 



            写真は大浜町文化財協会発行『ふるさと』による。


ふるさとの史跡をたずねて(456)

 五番札所地蔵寺(尾道市因島大浜町五区)

                


 大日寺の次は五番札所地蔵寺である。車を見性寺に駐めておられる方は、見性寺の方へ帰って行くのではあるが、もう一つ寄り道をして帰る。来た道を少し後帰って、東の方へ寄って帰るのである。と言っても路地の間を縫うように歩くので、やはり地図を見ながら歩くのが良いと思う。



 4番大日寺から元の登り口まで出たら、南下し、楢原家先祖碑のある四角(よつかど)で左折して海の方へ向かう。郵便局を過ぎたら最初の路地を右折する。2軒目の個人宅の一部である。

 あるいは海側から説明すると、海岸通りの国道317号線の、民宿布刈と天理教教会との中間あたりの路地を入ったところ、と言うことになろうか。

 時間があれば海岸通りに出て備後灘を眺めるのも良いだろう。




ふるさとの史跡をたずねて(457)

 六番札所安楽寺(尾道市因島大浜町六区)



 六番札所安楽寺は見性寺の境内にある。だから誰に尋ねても、お寺の場所は教えてもらえる。そうしなくても南西の方角の山の方を見れば墓地の墓石かあるいは山門などが目に飛び込むだろうから、そちらの方向を目指せばよい。具体的に言えば、五番地蔵寺から南へ歩き、突き当たれば右へ、という動作を繰り返す。その時右を向いた時西の方を注意すれば、ほどなく見性寺を見つけることができるだろう。

 それでも見性寺にたどり着くことができなければ、もはや島遍路は断念するか、適当な先達を頼むほかはあるまい。

 見性寺、正確に書けば見性禅寺の山門をくぐれば、左折して突き当たりまで進めば、境内というよりも境内の外に近いところに六番安楽寺がある。隣に無縁墓地があるので、やはり境内と書くのが良いのだろう。

 すぐに安楽寺を目指すのも良いが、ここは山門をはじめ久保田権四郎さんの多大な寄進の跡を留める寄付石がたくさんあるので、それらを探しながら散策するのも良いだろう。そのいくつかについては以前にも書いたことがあるので、今回は触れない。

 安楽寺の堂内には立派な阿弥陀如来像がある。彩色木像である。





ふるさとの史跡をたずねて(458)

 七番札所十楽寺(尾道市因島大浜町十区)

           



 大浜町最後となる七番十楽寺は、遍路道がかつて峠道を越えていたために、かなり高いところにあった。最近では、その峠道が通れなくなったので、わざわざ高いところを遠回りすることになっていた。そのことを考慮して低いところに移して新築された。令和七年四月のことである。そのことは本紙でも報じられた。(四月十二日号)

 本堂前の石柱に書いてあるように地元出身の大黒信治さんが寄進され、地元の大工木本日出夫さんが建てた。

 六番札所安楽寺からは地図を頼りに路地を進むのも良いが、国道へ出て、少し南下して、集会所の手前にある大楠山の登山口から舗装された車道をまっすぐ上ると正面に見えてくる。なお、このお堂の前を左のほうへ入ると土井城跡(連載63回)へ至るので、土井城跡入口の格好の目印にもなった。








ふるさとの史跡をたずねて(459)

 旧七番札所十楽寺(尾道市因島大浜町十区)

              

 せっかくなので、かつての七番札所十楽寺について書いておきたい。耕作する人がいなくなった畑は草に覆われ、いつの間にか樹木も生えて自然に戻ってしまう。平地の耕作放棄地ですらそうであるのだから、かつて耕して山頂に至ると言われた段々畑においても、山林・竹藪に戻ってしまう。

 以前の七番札所十楽寺も、元は竹藪の中ではなかったと思われるのだが、私の記憶にある札所は周囲を竹藪で覆われ、かろうじて入口のところが残っているような雰囲気であった。

 さらに歩き遍路道であった大楠山へ至る農道もイノシシが掘り返した土や小石の間に草が生えていて、消失寸前であった。大楠山へ登る人以外が通らなくなったら大浜側の峠道も無くなる。

 そして今後はこの旧札所も竹藪に覆われてしまうことだろう。入口近くにあった遍路道標も。

 これまで管理されてきた方々への、感謝の気持ちを込めて古い写真を載せておく。










ふるさとの史跡をたずねて(460)

 十番札所熊谷寺(尾道市因島中庄町新開)

            

 いよいよ中庄町に入る。場所は簡単だ。丸池の隣の集会所の隣と書けばわかりやすい。丸池についても、その隣にある道路改修碑についても以前書いたので場所は説明するまでもないと思うが、丸池と言っても広いので、そのどの辺りかと言うと、北東である。

 因島八十八箇所霊場が出来た時には、海沿いの道は無かったので、船でお参りするか、峠超えの山道を通るしかなかった。でも、現在と違い峠道の周囲は畑で、遍路道といっても畑道であったので心配する必要はなかった。そして降りたところもまだ大浜町で、一面干拓地であった。  我々がその当時のことを想像できないように、初期の参拝者には現在のような舗装道など想像の埒外であっただろう。

 ただ、我々は注意して見れば、まだまだ至る所に干拓地の痕跡があり、初期の干拓地は想像できなくても、その面影を感じることはできる。













( 写真・文 柏原林造)

2026年6月1日月曜日

夕凪亭閑話2026年6月

2026年6月1日。月曜日。晴れ。2371歩。70.7kg。朝1時間草取り。来客。午後閉校記念誌。夕方藤井医院。

2026年6月2日。火曜日。雨。822歩。69.7kg。台風による雨。外作業はできない。夜になって雨風ともに強くなる。閉校記念誌。

2026年6月3日。水曜日。晴れ。2459歩。70kg。

朝買い物。散髪。午後、閉校記念誌。明治大正昭和初期の卒業写真の整理終わる。夕方、大師堂。トルストイ、中村白葉訳、『戦争と平和』(河出書房)終わる。

2026年6月4日。木曜日。曇り時々雨。1773歩。70.3kg。閉校記念誌。

『アンナカレーニナ』読み始める。厳密に言えば再開。

2026年6月5日。金曜日。曇り。4615歩。71.1kg。

朝から閉校記念誌。午後、大師堂。タイムズ配る。夜も閉校記念誌。

2026年6月6日。土曜日。晴れ。2591歩。71kg。

朝から閉校記念誌。一町田、広道へ除草剤。午後、大師堂。

2026年6月7日。日曜日。雨。2122歩。71kg。

朝買い物。来客。後、閉校記念誌。

2026年6月8日。月曜日。晴れのち雨。7529歩。69.9kg。

因島遍路三回目。11人。47番から71番まで。帰って閉校記念誌。

2026年6月9日。火曜日。晴れ。4921歩。70.9kg。

朝、ゴミ捨て。一町田。フェンス外の草取り。夕方、大師堂。閉校記念誌。

2026年6月10日。水曜日。晴れ。7529歩。70.1kg。

朝、買い物。大師堂。一町田。午後、論語の会。4人。夜、閉校記念誌。

2026年6月11日。木曜日。晴れ。2993歩。70.2kg。

朝、大師堂。一町田。庭木の選定。閉校記念誌。

2026年6月12日。金曜日。晴れ。4658歩。69.95kg。

大師堂。一町田。庭木の選定。閉校記念誌。

2026年6月13日。土曜日。晴れ。5088歩。69.35kg。

大師堂。一町田。庭木の選定。閉校記念誌。まるで浦島太郎。

2026年6月14日。日曜日。晴れ。5394歩。69.3kg。

朝、買い物。大師堂。一町田、除草剤。昼寝。夕方剪定。家の周囲を乾燥させるべく植木を切る。これだけ温暖化が進めばおそらく因島全体がヤマトシロアリの生息域になっていると思う。できるだけ用心したい。漢文でもなんでもとにかく写すことである。意味がわからなくても構わない。リンデル、スコットのLexiconを少し写す。

2026年6月15日。月曜日。晴れ。5144歩。70.1kg。

7時前に出て尾道JA病院。高齢者補助券を使う。11時25分のバスで帰る。午後、昼寝。大師堂。夕方庭木の選定。

2026年6月16日。月曜日。晴れ。3711歩。69.5kg。

朝、公民館で定例会。11人。第1火曜日に定例会第2部をすることを決定。第2部は鴻雪爪を読むことにする。午後昼寝。夕方、大師堂。夕食後庭の剪定。夜、タイムズ原稿送る。

2026年6月17日。水曜日。晴れ。3596歩。69.3kg。

朝剪定。10時過ぎから因島図書館。文学散歩。7人。午後昼寝。ジュンテンドー。鋸の歯を交換。大師堂。夜、閉校記念実行委員会。

2026年6月18日。木曜日。晴れ。4606歩。69.5kg。

朝から庭木の剪定。畑に除草剤。大師堂。閉校記念誌。明治卒業写真完了。

2026年6月19日。金曜日。晴れ。6866歩。69.3kg。

庭木の剪定。大師堂。閉校記念誌。大正卒業写真完了。昭和途中まで。

2026年6月20日。土曜日。晴れ。3161歩。69.9kg。

買い物。大師堂。庭木の剪定。記念誌。昭和卒業写真完了。

2026年6月21日。日曜日。曇り。5134歩。69.5kg。

大師堂。庭木の剪定。校記念誌。沿革。

2026年6月22日。月曜日。曇り時々小雨。のち雨。6337歩。69.8kg。

因島遍路四回目。13名。重井。結願昼食会。重井「大笑」にて1300円。

2026年6月23日。火曜日。曇りのち小雨。4634歩。69.8kg。

朝から庭木の剪定。大師堂。夜タイムズ原稿送る。

2026年6月24日。水曜日。雨。1501歩。69.8kg。

朝から雨。朝、買い物。午後論語の会4人。

2026年6月25日。木曜日。雨。2041歩。68.7kg。

朝から雨。閉校記念誌。

2026年6月26日。金曜日。雨。4497歩。68.3kg。

朝から雨。午後タイムズ配る。校記念誌。

2026年6月27日。土曜日。雨。5398歩。68.5kg。

一日中雨。校記念誌。庭木の伐採。

2026年6月28日。日曜日。曇り時々微雨。4895歩。68.5kg。

朝、買い物。校記念誌。庭木の伐採。今日から語学のCD再開。

2026年6月29日。月曜日。晴れ。4966歩。69.1kg。

朝から校記念誌。庭木の伐採。ゴミ捨て。午後、来客。ロシア語、中国語、CD聞く。

2026年6月30日。火曜日。晴れ。4683歩。69.6kg。

朝から校記念誌。庭木の伐採。ゴミ捨て。ここまで昨日と同じ。朝、公民館へ印刷依頼。













2026年5月1日金曜日

夕凪亭閑話2026年5月

 クリスタルホーム

2026年5月1日。金曜日。雨時々曇り。4112歩。71.05kg。

時々畑の草取り。夕方タイムズ配布。


2026年5月2日。土曜日。晴れ。3213歩。70.5kg。

朝、来客。タケノコ掘り。その間に伸びた筍を切る。午後、大師堂。サビダニ予防。再び、筍切り。


2026年5月3日。日曜日。雨時々曇り。1731歩。70.85kg。

朝、買い物。昼も夕方も昼寝。


2026年5月4日。月曜日。晴れ。3028歩。70.5kg。

朝、畑の草取り。午後、大師堂。少し閉校記念誌。風邪はやや快復。昨日より調子が良い。間も無くk難治するだろう。


2026年5月5日。火曜日。晴れ。3360歩。71.1kg。

子供の日なのに、子供はいない。沈黙の春で、子供の話声もない。上に3人、3人、2人、3人。前に3人、その下に2人。こちらへ回って1人、4人、背戸に3人・・・、上の3軒は空き家。

朝、夕草取り。除草剤。剪定。ジュンテンドーで乾燥牛糞を買ってくる。

現有不足で何もカニも高くなっている。20世紀が文明の最高段階で、総体として文明はしたいすると思う。


2026年5月6日。水曜日。晴れ。2509歩。70.8kg。

朝は寒い。次第に暖かくなって、ついに熱くなる。草取り。午後は閉校記念誌、かなり進む。夕方ツツジなど剪定。

 お互い死期が近づいたね。あの世へ行ったら16年後に会いたいな。私もそうしたいな。じゃあ待っているからね。これが最後に話したことの全てであった。・・・あれから16年が経ったが一向に彼女が現れる気配がない。3年も経ったであろうか。少々待ちくたびれたので、何でも知っている壽白老人に尋ねてみた。この世では前世の約束は通用しないのですか、と。そんなことはないよ。一体どんな約束をしてきたのだい? 壽白老人は丁寧に相談にのってくれた。ああ、そういうことなら私には確認ができないから、壽黒仙人に今度あったら聴いてきてあげよう。そう言ってその日は別れた。数日して壽白老人が訪ねてきた。わかったよ。全てが理にかなっている。彼女は約束のことを忘れてはいないようだ。しかしまだ、この世には来ていないんだ。「あの世に行けばきっと16年後に会いに生きますわ、と言ってたそうだ。こう言って壽白老人は笑った。そして踵を返して2、3歩行ったところで振り返って、ところで何故16年後なのかね、と聞いた。最初に出会ったのが16歳のときだったのですよ、と答えたがその時には壽白老人は消えていた。

 静かな呼吸。弱々しい呼吸。人が死ぬということはこういうことだと思った。もうお別れしないといけない時間が来る。また明日会えるという可能性は全くないとわかっていた。最後の呼吸が止まるのを見届けたいと思っても、このコロナ禍では無理なのだ。やっと二人きりになれた。賢く産んでくれてありがとう。これだけ言うのが精一杯だった。聞こえているのだろうか。小さな涙が目の端に浮かんだ。おそらく母の期待の十分の一も満たしてないのだろう。でも喜んでくれたと思った。やがて施設の人が時間を告げに来た。心の中でさよならと言って別れた。

人間はどうせみんな死ぬのだと思っても、やはり死は怖い。なんと言っても全てが終わるのだから。

生まれた時から人間は死に向かってみんな歩き続けているんだ。なんで怖いことがあろう。

明日の寿命を考えることよりも、今日一日生きれたことを考えよう。

もうじゅうぶん生きた、と思っても、いやまだやりたいことがある。もう少し生かして欲しいと思う。

今日寝ると、明日はもう起きてこないのではなかろうかと、何度思ったことか。

星新一のSS。川端康成の短編。芥川の断想。井上靖の詩。ニーチェの断章。短いものを記す。それなら死ぬまでつづけられるかもしれない。

エージャンとか、ひとつもいいことない。あんなの嫌い。全員参加? 軍国主義と同じでは? こんな時代に生まれて来る子はかわいそう。こんな時代に学校生活を送らずに済んだことは最大の幸せ。

葬式なんて行くのも嫌い、来てもらうのも嫌い。静かに死んで行きたい。

死は孤独なものだ。だから葬式も孤独な門出で結構。


2026年5月7日。木曜日。晴れ。6951歩。70.7kg。

朝、買い物。帰って公民館。USB印刷へ。閉校記念誌。ずっと。息子の吉報。

インターホンを付けてもらう。録画機能があることを初めて知った。よその家に行って不在だったら話していることが録画されていると思うべし。

あれは副校長選挙の時だった。周囲も自分もなんら不安もなかった。しかし結果は予想外の逆転。何か不思議な気がした。どこかで見たことのあるような・・。こう言うのを既視感という。確かにどこかで経験したような・・。思い出した。記憶の奥底に封印はしてなかったが、沈んでいた。お全く同じことだった。2学期の市長選挙だ。やはり自分も周りも圧倒的に自分が有利だと思っていた。そこに選挙運動の甘さがあった。見事な逆転敗北。

全く逆の話。祖父の伝言。ライバルとは戦う必要はない。コツコツと努力しておれば一人でに去っていく。努力とは読書。

祖父が言った。人生で失敗する人の例、博打、株、付印。この三つはしないこと。

あまり先を行かないで少しだけ先を行く。


2026年5月8日。金曜日。晴れ。4292歩。70.7kg。

歩いて朝ごみへ。畑の草取り。大師堂。閉校記念誌閉校記念誌。

風が吹くと少し寒い。日が当たると暑い。

あの山もこの山も緑の葉、白い花、幾年も幾年も、人々の健康を支えて来た

その野の花に感謝を

105歳になったら、知人はもとより、子供も孫も生きてはいない・・・、こんな孤独があろうか

思い出した、浦島太郎だ。あの話は神仙的な道教的な話であるが、極端な長寿の人の孤独について書いたものだ。これほど寂しいものはない。

荒れて行く大師堂。かつての人々の情熱はどこへ消えたのであろうか。今見捨てられると、もう戻っては来ない。

 

2026年5月9日。土曜日。晴れ。3246歩。71.5kg。

朝、畑の草取り。大師堂。前回から石段側面に力を入れる。

守離反。そのプロセスを取らずに当然反ができるのは天才だけである。

成功者は運鈍根を兼ね備えている。

できる子供は良い結果が得られた時は、他人のせいや偶然にし、悪い結果の原因は自分に求める。できない子供は逆である。こういう結果が教育センターでの共同研究の途中経過で明らかになった。当たり前だが、真実であろう。伸びる子供、伸びる会社のメンタリティーである。

新興宗教を支える人たち。成功すれば信仰のおかげだと思い益々献金する。失敗すれば自分の努力の足りなさを反省する。それに対して失敗してもその責任を自己ではなく信仰しているもののご利益の欠如だと思う人は去っていく。

他人に優しく、自己に厳しく。・・伸びる人間の条件。

和光同塵。己の知恵を和らげ、知恵の劣る人に自らを合わす。


2026年5月10日。日曜日。晴れ。4206歩。71.9g。

朝文化財環境整備。青木。帰って買い物。それから大師堂。石段の側面に少しずずセメントを塗る。梅雨までに大部分を仕上げたい。

祖父は18歳の時に三原の教員養成所を出てそれからずっと教員をした学歴のないことは何も思わなかったが退職公聴会などで行くと同窓生同士が仲良くやっているのを見ると寂しかったと言っていた。

あれは井上校長が転勤して来られた時のことだった。4年生か。担任が休まれて自習の時間にやってきて、名簿を見ていたが、急に立ち上がって私の所に来て名前を確認すると、お父さんは誰で母親はどこどこからきた子かと聞いた。皆あっていたのではいと言った。私の名前を見ればわかるのである。しかし、私の名前の漢字は読みは一緒でも一時だけ白滝さんの林蔵と違っているのだが。そのことを知らなかったのか「白滝1教育00年の歩みでは、わが先祖を私のじで書いている。


2026年5月11日。月曜日。晴れ。13149歩。71.75g。

朝から島遍路、因島。11人。大浜から外浦まで。気温も上がりかなり過酷な条件。

同じところを歩いていてもかつての時と随分違う。年を重ねたということだろう。かつてはなんとも思わなかった距離が、今では長く感じられる。75歳なのだ。十分すぎるほどの老人なのだ。

A という現象とBという別の現象が同時に起こった。単なる偶然に過ぎない。これらにはなんの因果関係もない。なのにこれに意味を見つけようとする人がいる。特に宗教的な意味を。

『戦争と平和』が終わったら・・・。次は『アンナカレーニナ』。そのあとは順序はともかくあげてみると、『れ・ミゼラブル』『風と共に去りぬ』。


2026年5月12日。火曜日。晴れ。3364歩。71.6g。

朝、向島の尾道自動車学校で高齢者講習。午後、大師堂。夜、タイムズ原稿書いて送る。

間も無く75。あと5年生きられるか?5年生きても孫たちは成人しない。

記憶力がどんどん弱くなる。いっぺんに覚えられないのだ。過去に覚えたものはどうか・忘れたものも多い。思い出すのに時間がかかかることも多い。両方なのだ。

若いうちに読んだものはどんどん忘れて行くが読んだ体験だけは蓄積されたはずだ。


2026年5月13日。水曜日。晴れ。2503歩。71g。

朝、来客。買い物。午後論語の会。4人。

日々記憶力が衰える。これはどうしょうも無い。何でもいいから書き写し絶えず何かを覚えて行くしか無いのかもしれない。



2026年5月14日。木曜日。晴れ。3051歩。70.4g。

朝、畑の草取り少し。夏モードに移りたいので、本を何度も運ぶ。大師堂。毎日少しずつだけど、随分進んだと思う。この調子で1ヶ月やれば梅雨前に肝心のところはなんとかなるのではなかろうか。

夕凪亭で色々と本を開いて努力はするのだが、頭の働きの低下はなんとも言いようがない。


2026年5月15日。金曜日。晴れ。4361歩。70.6g。

朝、草取り、大師堂、山の竹切り。本格的に夕凪亭へ引っ越し。日中は暑いが、夜は寒くなる。寝るのはやはり二階の風蕭庵が良いと思う。


2026年5月16日。土曜日。晴れ。4833歩。70.7g。

朝畑の草取り、山の竹切り、大師堂。午後、広道と一町田へ除草剤を撒く。


2026年5月17日。日曜日。晴れ。5059歩。71.3g。

朝、5時から草取り。山の竹切り。買い物。帰って大師堂。暑いので二階は寝るときだけ。


2026年5月18日。月曜日。晴れ。4833歩。70.7g。

5時から草取り。山の竹切り。午後大師堂。暑い。


2026年5月19日。火曜日。晴れ。3089歩。70.6g。

定例会11人。午後、文化財協会役員会。返って大師堂。山へ除草剤。夜、閉校記念誌。


2026年5月20日。水曜日。晴れ。3087歩。70.4g。

朝、配布して図書館。文学散歩6人。買い物。午後も配布。来客。上側の排水パイプの掃除。


2026年5月21日。木曜日。小雨。1882歩。70.5g。

昨夜から1階で寝る。朝から曇り空、小雨が断続的に降る。昨日から空気に湿気が高まり梅雨になったような雰囲気。


2026年5月22日。金曜日。晴れ。4780歩。70.8g。

10時から中庄公民館。因島文化財協会総会。午後、閉校記念誌。。


2026年5月23日。土曜日。晴れ。4094歩。70.3g。

朝からずっと閉校記念誌。


2026年5月24日。日曜日。晴れ。3881歩。70.45g。

朝、畑の草取り。9時から買い物。閉校記念閉校記念誌。夕方、大師堂。庭木の剪定。

義務でする仕事と楽しみでする仕事。傍目には同じように見えるだろう。だが、僕の心の中では大違い。一つは上昇しているようで、一つは下降してようだ。

限られた命。最後の最後まで上昇の意思を貫きたいと思う。

それが若き日の夢が成長した結果。だから、それから離れられない。離れる必要もない。

古い写真の数々。私とは全く関係のない写真でも、そこに歴史を見ることができる。楽しいだけではない。そんな機会を持てることを幸福だと思う。

トルストイの歴史論は面白い。要するにどんな歴史家の見解も真実から程遠いということである。すなわち、歴史の流れは理性の論理では理解できないということに尽きる。


2026年5月25日。月曜日。晴れ。9293歩。70.35g。

因島遍路二回目。10人。浄瑠璃寺まで。夕方来客。


2026年5月26日。火曜日。晴れ。3421歩。70.75g。

免許の更新に行ったら曜日が違っていた。閉校記念誌。


2026年5月27日。水曜日。雨。1831歩。70.95g。

朝、買い物。帰ってから免許の更新へ。午後論語の会4人。夜、閉校記念誌編集員会。



2026年5月28日。木曜日。曇り。2913歩。70.95g。

閉校記念誌。



2026年5月29日。金曜日。晴れ。4317歩。70.8g。

閉校記念誌。午後、大師堂。


2026年5月30日。土曜日。晴れ。5801歩。69.5.kg。

朝、草とり。9時過ぎから小学校。最後の運動会。午後、閉校記念誌。


2026年5月31日。日曜日。晴れ。3772歩。70..6.kg。

朝、買い物。午後、臨時役員会。旅行の中止を決める。連絡。返却。





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