2026年8月4日
「混沌画眉」
巻上四(右)
点戍(まも)りゃ、戊(つちのえ)無くとも、戌(いぬ)に棒、
64世青蔭雪鴻禅師の略歴
天保2年10月8日(1831)
越前国武生、薄金家で生まれる。幼名「忠吉」 (異説あり)小林無底の子?
天保7年(1836)6歳
大垣、全昌寺二十三世鐵藍無底和尚について得度。安名は「鐵肝童寿」。
(全昌寺25世鴻雪爪(全昌寺25世)の墓が大垣市の史跡に指定)
天保12年秋(1841)11歳
師僧、無底和尚、加賀大乗寺五十四世と転住に伴い童寿も随う。
弘化元年8月13日(1844)14歳
師僧、無底和尚の遷化に遭い、兄弟子の鐵面清拙(鴻雪爪)(注1)の弟子となる。
弘化3年(1846)16歳
師僧、清拙和尚、全昌寺二十五世住職となる。童寿も随う。
嘉永5年(1852)22歳
全昌寺焼失に遭い、清拙和尚を助け全昌寺再建に力を尽くす。
安政6年8月(1859)29歳
岐阜長興寺十五世住職となる。
慶応3年9月3日(1867)37歳
孝顕寺三十世住職となる。
慶応4年(1868)旧9月8日 1月1日に遡って明治元年(1868)とする改元の詔書が出される。
明治5年7月(1872)42歳
環溪禅師より大本山永平寺東京出張所監院職を任命される。
10月、僧侶にも苗字を設けることとなり、「青蔭童寿」と名乗る。
明治6年5月8日(1873)43歳
姓名を「青蔭雪鴻」と改名する。