2015年7月20日月曜日

尾道市因島 狛犬

いんのしまみち
因島にある狛犬

2015.3.25.重井八幡神社。狛犬1左。

2015.3.25.重井八幡神社。狛犬1左。



2015.3.25.重井八幡神社。狛犬1右。

2015.3.25.重井八幡神社。狛犬1右。





2014.12.10.重井青木金比羅神社。左側。

2014.12.10.重井青木金比羅神社。右側。




















いんのしまみち

尾道市因島 鳥居

いんのしまみち
因島にある鳥居です。
2014.12.17.重井八幡神社。

2014.12.17.重井八幡神社。上の反対方向。

2015.1.11.重井大疫神社(祇園社)。

2015.1.11.重井厳島神社(明神社)。



2015.1.11.重井厳島神社(明神社)。反対側。


2014.12.10.重井青木金比羅神社。









2015年7月18日土曜日

因島重井町 青木城跡 2

しげいみち
2016.8.11.19:12。右が青木城跡、左が馬神城跡。一本松から。

2015.6.10.竜王社。ここを氏神社として先祖祀りをしているのが、重井の西の村上講である。田中稔「因島史考」p.116、因島村上氏系譜では、因島村上氏4代吉直の弟、修理介を祖とする。これを「重井大元屋系村上氏」としておく。



2015.6.10.



2016.6.3.フラワーセンター駐車場から。

2016.6.14.二の丸付近を出たところ。


2016.6.14.青木城跡二の丸付近から白滝山を望む。

***

因島重井町 重井西港

しげいみち


2015.6.13.13:00。

2015.6.13.13:00。

2015.6.13.13:00。

2015.6.13.13:00。

2015.6.13.13:05。

しげいみち

因島土生町 大土生家                        

はぶみち 
大土生家。因島宮地氏。土生で庄屋を勤めた。

2015.6.20. 大土生家墓地。

2015.6.20.


2015.6.20.


2015.6.20.旧宮地家。因島村上氏の時代には第二家老の稲井氏の住居で、石垣はその当時のもの。江戸時代宮地氏が住んで、庄屋を勤めた。現在は別家。

2015.6.20.



はぶみち
大土生宮地家墓地(對潮院)  

尾道市因島 雲

いんのしまみち
雲 201407-201412


2014.10.14.17:55。重井川口から佐木島方向を望む。

2014.12.7.12:26。重井。一宮史料館。

2015.12.17.13:51。重井。伊浜の金比羅灯籠。











いんのしまみち

2015年7月15日水曜日

因島重井町 細島浜田神社

しげいみち
2015.5.6.17:19。
総覧
160 細島浜田八幡石柱
161 細島浜田八幡鳥居
162 細島浜田八幡併神の碑

しげいみち

2015年7月14日火曜日

尾道市因島 宝篋印塔

いんのしまみち
因島の宝篋印塔

2015.1.7.重井町。善興寺。

2015.1.7.重井町。善興寺。



2015.4.8.土生。対潮院




















いんのしまみち

因島土生町 対潮院

はぶみち

2015.4.8.











2015.4.8.


2015.4.8.
2015.4.8.六地蔵。


2015.4.8.



2015.4.8.



2015.4.8.



2015.4.8.



2015.4.8.



2015.4.8.


2015.4.8.


2022.9.12


卷幡家祖先奥都城 傳說碑 卷幡家連 

(裏面)
卷幡家其先出於藤原泰高泰高父泰衡籍父祖*烈振威奥羽然興 
征夷将軍源賴朝有隙戦敗而没泰高孤影在京師為所某公郷知将
有所為而憚鎌倉聞退備陽因島島前落来巻籍府幡政綱改姓而為 
農巻幡姓回以云起爾来血族繁衍在土生町族黨尤廣称有德神社
者寶祀吾祖泰高今既雖化一教會所尚家傳口碑相符而有事寶 
不可争者在矣我高祖嘉平太居常有家風春秋致禮慇懃而
末至使大方識非吾家尋常称之家主父由德委身神道奔走甚怒
猶未果於是否連族竊思顕彰乎祖先遺風無若修家傳散逸因以建 
碑所以傳後昆也 

大正八年立秋    土生町神職巻幡泰徳敬白
         同醫師巻幡清松謹而書之 



1 * 飠+窻  で読みは「ソウ」
6矣(イ)助字 読まない    于(ウ、おいて)
7竊(セツ、ぬすむ、ひそかに)
8昆)(コン、後継、子孫)

卷幡家其先出於藤原泰高。泰高父泰衡籍父祖*烈振威奥羽然興 
卷幡家其の先は藤原泰高に出る。泰高の父泰衡の籍は父祖のソウ烈、威を奥羽に振るにあり。然に

征夷将軍源賴朝有隙戦敗而没。泰高孤影在京師為所某公郷知将
征夷将軍源賴朝興るに、隙戦有り敗れて没す(泰衡のこと)。泰高の孤影京師の為す所に在り、某公郷知将


有所為而憚鎌倉聞退備陽因島島前落来巻籍府幡政綱改姓而為 
有る所為して、鎌倉聞くを憚(はばか)り、退きて、備陽因島島前へ落来り、巻籍府幡政綱改姓して

農巻幡姓回以云起爾来血族繁衍在土生町。族黨尤廣称有德神社
農と為し、巻幡姓を回り以って云い起き、爾来血族は土生町に在って繁衍(繁栄)す。族党は尤も広く有德神社と称するは、
者寶祀吾祖泰高今既雖化一教會所。尚家傳口碑相符而有事寶 
今既に一教會所に化するといえども、吾祖泰高を宝祀す。なお家伝口碑を相付してある事、宝の

不可争者在矣。我高祖嘉平太居常有于。家風春秋致禮慇懃而
争う者在るべからざる。我高祖嘉平太居る事常に意有り。家風を揚げ、春秋の礼を慇懃に致して、


末至使大方識非吾家尋常称之家主父由德委身神道奔走甚怒。
吾家尋常これ家主と称する父由德、身は神道に奔走し、未だ大方へらせせしむに至らずを、甚だ怒る。

猶未果於是否連族竊思顕彰乎。祖先遺風無若修家傳散逸。因以建 
なお族を連ねる顕彰をひそかに思うもその是否を未だ果たさず。もし家伝散逸修せば、祖先の遺風無
し。
碑所以傳後昆也。 
 よって碑を建を以って後昆(子孫)に伝えんとする所以(ゆえん)なり。
大正八年立秋    土生町神職巻幡泰徳敬白
         同醫師巻幡清松謹而書之

同医師巻幡清松謹みて之を書く。



2015.4.8. 島前城跡(長源寺谷)の耳明神社の隣にあった。



2016.8.16.



2017.1.20.東の堀跡と思われる低地。







はぶみち