2015年7月3日金曜日

因島鏡浦町 平田城跡物語

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伝説とロマンの島 因島城跡物語  著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

平田城跡物語

2015.7.19.

2015.7.19.


鏡浦峠の久保田権四郎翁の寄附記念碑のところから、梶の鼻へ向かう尾根筋は、峠の切り通しがなければ、堂崎山城から鏡浦方面に通じる道と直接繋がる。そこから少し降りたところに平田城はあった。同様に、水軍スカイラインで分断されていなければ、梶の鼻の玄武岩の露頭の所へと尾根筋は続く。すなわち、平田城は備後灘を見張る堂崎山の出城だった。

ここで内輪話を少し書いておこう。この平田城はわれわれの創作である。とはいえ、決して根拠のないことではない。

あるとき、著者らの一人が、島内に24城あることにこだわっている人がいると言った。そのとき、細島茶臼山城跡を入れ、愛媛県に属する竹島城跡を除くと23城になっていた。もう一つ増やせないか、というのだ。
候補はいくらでもあった。ついその前日、確認した土生小丸山近くの日野山砦も立派な城跡であった。
しかし、因島各町に城跡があるのに鏡浦町は取り上げていないので、是非鏡浦町で、というのだ。
鏡浦町については、日本城郭大系13巻(広島・岡山)p.164  の堂崎山城に関しての記述中に

この城を南に下ると鏡浦に至るが、その地の岬にある「古城」と一連のものだったと思われる。

とあることを紹介して、議論したことがあった。
一つは鏡浦町内を走り抜けて、厳島神社南の岬上へ走れば速い。あるいは鏡浦峠からさらに梶の鼻方向へ登って下るという尾根筋上のどこかだろうと、相談した。結局後者だろうということになった。


それを裏付けるように、中島忠由「因島地方一万年史」p.110の地図では、鏡浦町に城記号が二カ所ある。堂崎山城に近いほうが後者であるということは言うまでもない。そして、その地の字名・平田をとって平田城と勝手に命名した。
展示用パネルには、町内にある地蔵院の内部の五輪塔の写真を載せた。