2015.4.8.
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2015.4.8.六地蔵。
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2022.9.12
卷幡家祖先奥都城 傳說碑 卷幡家連
(裏面)
卷幡家其先出於藤原泰高泰高父泰衡籍父祖*烈振威奥羽然興
征夷将軍源賴朝有隙戦敗而没泰高孤影在京師為所某公郷知将
有所為而憚鎌倉聞退備陽因島島前落来巻籍府幡政綱改姓而為
農巻幡姓回以云起爾来血族繁衍在土生町族黨尤廣称有德神社
者寶祀吾祖泰高今既雖化一教會所尚家傳口碑相符而有事寶之
不可争者在矣我高祖嘉平太居常有意于揚家風春秋致禮慇懃而
末至使大方識非吾家尋常称之家主父由德委身神道奔走甚怒
猶未果於是否連族竊思顕彰乎祖先遺風無若修家傳散逸因以建
碑所以傳後昆也
大正八年立秋 土生町神職巻幡泰徳敬白
同醫師巻幡清松謹而書之
1 * 飠+窻 で読みは「ソウ」
6矣(イ)助字 読まない 于(ウ、おいて)
7竊(セツ、ぬすむ、ひそかに)
8昆)(コン、後継、子孫)
卷幡家其先出於藤原泰高。泰高父泰衡籍父祖*烈振威奥羽然興
卷幡家其の先は藤原泰高に出る。泰高の父泰衡の籍は父祖のソウ烈、威を奥羽に振るにあり。然に
征夷将軍源賴朝有隙戦敗而没。泰高孤影在京師為所某公郷知将
征夷将軍源賴朝興るに、隙戦有り敗れて没す(泰衡のこと)。泰高の孤影京師の為す所に在り、某公郷知将
有所為而憚鎌倉聞退備陽因島島前落来巻籍府幡政綱改姓而為
有る所為して、鎌倉聞くを憚(はばか)り、退きて、備陽因島島前へ落来り、巻籍府幡政綱改姓して
農巻幡姓回以云起爾来血族繁衍在土生町。族黨尤廣称有德神社
農と為し、巻幡姓を回り以って云い起き、爾来血族は土生町に在って繁衍(繁栄)す。族党は尤も広く有德神社と称するは、
者寶祀吾祖泰高今既雖化一教會所。尚家傳口碑相符而有事寶之
今既に一教會所に化するといえども、吾祖泰高を宝祀す。なお家伝口碑を相付してある事、宝の
不可争者在矣。我高祖嘉平太居常有意于。揚家風春秋致禮慇懃而
争う者在るべからざる。我高祖嘉平太居る事常に意有り。家風を揚げ、春秋の礼を慇懃に致して、
末至使大方識非吾家尋常称之家主父由德委身神道奔走甚怒。
吾家尋常これ家主と称する父由德、身は神道に奔走し、未だ大方へ識らせせしむに至らずを、甚だ怒る。
猶未果於是否連族竊思顕彰乎。祖先遺風無若修家傳散逸。因以建
なお族を連ねる顕彰をひそかに思うもその是否を未だ果たさず。もし家伝散逸修せば、祖先の遺風無
し。
碑所以傳後昆也。
よって碑を建を以って後昆(子孫)に伝えんとする所以(ゆえん)なり。
大正八年立秋 土生町神職巻幡泰徳敬白
同醫師巻幡清松謹而書之
同医師巻幡清松謹みて之を書く。
2015.4.8. 島前城跡(長源寺谷)の耳明神社の隣にあった。
2016.8.16.
2017.1.20.東の堀跡と思われる低地。
はぶみち