2015年7月10日金曜日

村上水軍 釣島箱崎浦合戦

村上水軍研究目次

因島村上氏の誕生は箱崎浦合戦による。
しかし、多くの本がフィクションに属する資料を典拠としているから、本当のところはよくわからないのが現状だと思われる。それを覚悟で、資料を集めてみよう。
主役の村上師清や今岡通任については別にページを設けるので、ここでは釣島箱崎浦の戦いに限定しよう。

1377天授3年11月15日(太陽暦では12月16日)。大潮である。
旧暦15日は昼だたえと言って、瀬戸内海の中央(笠岡・鞆付近)に近い因島では正午が満潮で6時間後が干潮である。さらにその6時間後が満潮である。
だから、大雑把に言って、0時、12時満潮、6時、18時干潮と考えてよい。

このころ因島には、小早川氏にかわって今岡通任が青影山城に入り、因島城頭代としては大島義康などがいた。弓削島では、矢野十郎入道が奉行であったが、伊予河野久枝新蔵人が、海賊衆をひきつれて滞在していた(東寺文書)。
北畠顕成の軍は、天授三年(一三七七)十一月十五日、因島中庄三庄釣島・箱崎浦で戦い、これを降した。この戦さでは、さきに小早川氏の海賊衆にいためつけられ、また伊予の村上残党の海賊衆にと、年中荘園年貢を掠め取られた因島在住のの旧御調郡吉和鳴滝山城主、宮地大炊助明光は、小林政常とともに、北畠顕成の南朝軍に加わって戦った。
村上公一『村上海賊史」p.136

























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