2019年6月11日火曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第125回 大浜中庄村界碑  (因島大浜町新開・因島中庄町新開)


 唐樋のところは東西南北に道が分かれるのだが、少しずれていて、純粋な交差点とは言えない。だが、大浜町の方にも行かず、外浦町の方へも行かず、ジュンテンドーの方へも行かず、北側への最も小さい道を進んでみよう。この道より右側が大浜町で、左側が中庄町です、と書けばわかりやすいのだが、そうではないので、もうこれ以上説明はできない。住宅地図などを見てください、としか書きようがない。ということで、そのようなことは考えないで、まっすぐ進み、突き当たりを左折して注意深く右端を探すと写真のような石碑がある。
 この場所では右側が大濱村、左側が中庄村ということになる。あくまでも、この位置での話で、先ほど唐樋のところから進入してきたところではそうではないので注意が必要だ。
 何ともわかりづらい説明になって恐縮であるが、丸池からまっすぐ東へ歩くと山を越える前に大浜町になってしまうというわけだ。これには初めて訪ねたとき、驚いた。
 これは西の方から埋め立てたら・・と書けば、話がわかりやすいが、ここは埋立地ではなく干拓地である。鼠屋新開という。だから、唐樋に近いところに堤防を築き、水を抜いたら、新開地ができて大浜村とつながった、ということであろう。

 せっかくだから、ここを起点として、二つの峠道を記しておこう。まず、写真の右方向へ来た道を引き返し、唐樋の方へ行かず山の中へ入る。これが島四国の遍路道で大浜町最後の7番十楽寺から中庄町丸池傍の8番熊谷寺への道である。途中竹藪の中に手入れされた歩道があり、素晴らしい景色だった。しかし、残念ながら今ではイノシシに荒らされこの先、多くのところで道は壊されているだろう。