2019年6月28日金曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第135回 陸軍境界石(因島大浜町) 

ふるさとの史跡をたずねて(135)
         
陸軍境界石(因島大浜町)

 軍用地と民有地を隔てるものが陸軍境界石である。大日本帝國陸軍は法的にはしばらく後のことであろうが、昭和20年の敗戦とともに実質解体したのであるから、境界石はその存在価値を失った。あるものは撤去され、あるいは単なる石材として利用されたりして、目にすることはなくなったのではないか。ところが、山の中では撤去する理由がなかったのか、そのまま放置されていた。別の目的で山へ入った時、たまたま目につき、これが以前聞いたことのある陸軍境界石かと納得しただけである。
 民有地側には「陸軍」と彫られていた。そしてその反対側、すなわち軍用地側には漢数字で番号が書かれている。また頂部には、境界に沿った線が彫られており、曲がるところでは、そのように線が折れている。
 さて、軍用地という言葉は最近では聞くことはないが、かつてそこに畑を持っている家ではよく使っていた。今でも使われているのだろうか。
 畑にはその家独自の名前が付いていることは、湊かなえさんの『望郷』中の最初の短編にあったことを覚えておられる方もおられるだろう。おそらく多くの農家は複数の場所に畑を持っている。一カ所だけであれば名前はいらない。「畑」で済む。
しかし、作業予定を伝えるにしてもそれぞれの畑が区別されてなければ会話が成り立たない。だから、個々の畑に名前がついているのである。その土地の字名が伝統的によく使われたようである。しかし家族内でわかればよいのであるから簡略されたものもあったであろう。例えば干拓地が一カ所だけであれば「新開」と言えば、その家では十分に通用する。
 その軍用地は戦後、農事試験所の農地や、中学校になっていた。農事試験所の方は土地交換等で現在のフラワセンターの方へ集約された。その他の民間への払い下げや、あるいは軍用地としての民有地の接収または購入がどのようなものであったのかを知る資料は現在のところ知らない。(  写真・文 柏原林造)