2019年9月16日月曜日

ふるさとの史跡を訪ねて 第149回 厳島神社(因島重井町明神) 

 水軍祭りとかフラワーフェスティバルのような新興のお祭りは別として、昔は最大の祭りといえば秋祭りであった。尋常小学唱歌(3年)「村祭り」の歌詞の一部に「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日」「年も豊年万作で村はそうでの大祭り」「実りの秋に神様のめぐみたたえる村祭り」とあることからもよくわかる。そして秋祭りが収穫祭であったことも伺える。
 村の鎮守といえば多くは八幡神社で、九州の宇佐氏の氏神であったものが、武家の氏神などを経て源氏の氏神になる。重井の伊浜八幡神社は6代吉充が作り、江戸時代には村上長右衛門が増築した。
 村上氏も源氏だから、八幡大菩薩の旗を立てて航海したという話は理にかなってはいるが、真偽のほどは疑わしい。しかし、村上氏が八幡社を造営したのは、村のためでもあり、自分たちのためでもあったと思われる。
 その八幡神社の秋の大祭の起源は収穫祭である。宇迦魂(うがのみたま)が祀られているから、秋祭りの祭神であろう。宇迦魂があるのに、田熊町の宇賀の神には重井町からもお参りしていたというから宇賀の神のご利益が大きかったのだろうか。
 夏祭りは虫送りと関連するのか、疫神鎮護で神輿を激しく振って神威を高める。また、疫神に神輿で十分に楽しんで出て行ってくださいという意味もあるという説もある。前者の進化したものが喧嘩神輿であり、後者の発想がお旅所ということになる。
 これと重なるように瀬戸内地方では厳島神社の管弦祭がある。これは旧暦の6月17日の大潮の日である。旧暦で同じ日にすれば潮位が同じで、船を利用するのには都合がよい。

 重井町に大疫神社(祇園さん)と厳島神社(明神さん)があり、明神祭の方でより盛大に神輿が繰り出されている。これは両社の祭りが融合した形であり、船で神輿が渡御する間、賑やかに祭囃子を奏でるところに管弦祭の面影をとどめていると言えるだろう。(写真・文 柏原林造)