静かにたたえる みどりの海の
潮のかおりの かよう窓べ
やさしく われらに ささやく声よ
われらは われらは 重井の健児
船の絵を描くとき、島の山に緑色を使うので、海は青色となる。これはもう幼稚園の頃かそれ以前からの定番で、海は青いものと決まっている。しかし、実際に見る海の色は緑色だった。それは重井の桟橋でも、尾道の桟橋でも上から見れば、緑色で底に行くにつれて次第に濃くなっていた。
福山で薬局を経営しながら詩を書いていた木下夕爾さんが、重井小学校の校歌の作詞を依頼されて、それでは一度行ってみましょう、と重井町を訪ねたのは昭和34年の初夏だった。尾道から船に乗る。海が緑色だということに驚いたと思う。
校内を一通り案内されたあと、学校を見渡せるところへということで、学校の近くの丘へ登った。かつて無量寺というお寺のあったところ。墓地は移転して荒神社になり、柏原氏の先祖が祀られ柏原神社とも呼ばれている。ここには島四国81番白峯寺と村四国7番十楽寺もある。
東に見えるあのあの山は?
白滝山と言って、多くの石仏があって・・・横田徳造教頭の説明は遠慮がちであったが、町民の抱く思いは伝えておいた。
これは、はずせない、しかし、どこまでのせるか。目を転じると、さっき来た海の上には青空を背景に白い雲が浮かんでいる・・・。
朝(あした)も夕(ゆうべ)も 白滝山(しらたきやま)に
仰ぐ真白の 雲のつばさ
明るく われらを さそう光よ
清らかに 清らかに 夢をそだてて
われらは われらは 重井の健児
あの山肌の畑は?
ほとんどの家庭が農家で、特産物の除虫菊とさつま芋。
一応、メモする。使えそうにないな・・・。
平和なふるさと わが因島
心ひとつに つどう窓べ
力ある 力ある 足ふみしめて
われらは われらは 重井の健児
自動車も鉄工団地もない静かな農村を、平和という文字で表現しても不自然でない自然に溢れていた時代であった。