2015年4月30日木曜日

尾道市因島 村上水軍史

いんのしまみち 村上水軍研究目次
本ページでは因島村上水軍史を扱う。
まず、田中稔、「因島史考」の記述による。(p.XX)は同書の頁数を示す。

1333元弘3年 六波羅探題攻めに、因島本主上原祐彦も参加し、子息以下多くの郎党が戦死して絶家。因島を北朝方今岡通任が横領。(「因島史考」p.6)
1343興国4年 南朝方の広沢五郎、大館右馬亮が伊予から北上し堂崎山へ立てこもる。(p.40)

1377天授3年 信州から伊予能島に下向。霜月15日。釣島箱崎浦で村上師清、今岡勢を破る。(「因島史考」p.10)(これを天授5年とする説もある。森本繁「村上水軍全紀行」、新人物往来社、2009、p.110)

                            師清の三男吉豊、因島本主家を継承して長崎城に住む。(「因島史考」p.61)
       三男吉豊因島本主上原家を継ぐ。田中稔「因島史考」p.121
1392元中9年 南北朝統一。
1378天授4年 新田党の面々、因島に来る。(「因島史考」p.61)
1392元中9年 南北朝統一。
1423応永30年 宮地大炊助明光が尾道鳴滝山城から落ちのび天神山に居城した。(「因島史考」p.18) 
1427応永34年12月11日 村上吉豊、足利義持から感状を受ける。(「因島史考」p.121)
1428正長元年10月28日備後守護山名時𤋮、村上備中入道に備後田島の地頭職を与える。
    森本繁「因島の歴史」p.14
1449文安6年(宝徳元年)8月。宮地大炊助明光・資弘が金蓮寺を外浦から中庄に御堂を引き再建。(p.88)
       宮地大炊助明光、成願寺を創建する。(p.89) 
1549天文18年 竹島城主兼岩城亀山城主の村上四郎左衛門尉直吉が田熊八幡神社を創建。(p.12)




1567永禄10年 村上新蔵人吉充が余崎城から青木城へ移る。(p.30)
1569永禄12年 6代村上吉充、因島全土を掌握し青木城(本城)を築城。本城の控えの要害として白滝観音堂(堂主、常楽院静金)建立。

1569永禄12年 宮地大蔵助忠明が毘沙門天を善興寺に祭祀。(p.93)
1577天正5年 土生長源寺焼失。(中庄に移り長福寺となる。(p.10)
       秋以降。金蓮寺、村上家の菩提所となる。それ以前は土生島前の長源寺。(p.88)

1600慶長5年 村上新蔵人吉充、青木城を去る。(p.30)
1625寛永2年 金蓮寺覚祐房が長福寺に長源寺の堂宇を引き修復。












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