2023年6月25日日曜日

伯方島四国八十八ヶ所 (伯方八十八ケ所)

島四国八十八ヶ所霊場 向島 岩子島 因島 重井村  中庄村 外浦村 田熊村 生口島 大三島 伯方島 大島 弓削島 佐島 生名島 岩城島 佐木島 

 伯方島88ヶ所を巡拝するにあたり、次のホームページを参考にしました。感謝いたします。

http://yumesys.livedoor.biz/archives/13067286.html

 四国八十八ヶ所 御本尊・真言・御詠歌


第1番 霊山寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

霊山の 釈迦の御前に 巡り来て 万の罪も 消え失せにけり

第2番 極楽寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

極楽の 弥陀の浄土へ 行きたくば 南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ

第3番 金泉寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

極楽の 宝の池を 思えただ 黄金の泉 澄みたたえたる

第4番 大日寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

眺むれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷に 墨染めの袖

第5番 地蔵寺 (延命地蔵 勝軍地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

六道の 能化の地蔵大菩薩 導き給え この世のちの世

第6番 安楽寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

仮の世に 知行争う むやくなり 安楽国の 守護を望めよ

第7番 十楽寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

人間の 八苦を早く 離れなば 到らん方は 九品十楽

第8番 熊谷寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

薪とり 水熊谷の 寺に来て 難行するも 後の世のため

第9番 法輪寺 (涅槃釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

大乗の 誹謗もとがも ひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ

第10番 切幡寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる 

第11番 藤井寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし

第12番 焼山寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん ありきゃ まりぼり そわか

後の世を 思へば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも

第13番 大日寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

阿波の国 一の宮とや ゆうだすき かけてたのめや この世後の世

第14番 常楽寺 (弥勒菩薩)おん まい たれいや そわか

常楽の 岸にはいつか いたらまし 弘誓の船に 乗り遅れずば

第15番 國分寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば 流転生死の 秋のもみじば

第16番 観音寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

忘れずも 導きたまへ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ

第17番 井戸寺 (七仏薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

おもかげを うつして見れば 井戸の水 むすべば胸の あかや落ちなん

第18番 恩山寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

子を産める その父母の 恩山寺 訪いがたき ことはあらじな

第19番 立江寺 (延命地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

いつかさて 西の住居の わが立江 弘誓の船に 乗りていたらん

第20番 鶴林寺 (地蔵大菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

しげりつる 鶴の林を しるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈

第21番 太龍寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん ありきゃ まりぼり そわか

太龍の 常にすむぞや げに岩屋 舎心聞持は 守護のためなり

第22番 平等寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

平等に 隔てのなきと 聞く時は あら頼もしき 仏とぞみる

第23番 薬王寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

皆人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ

第24番 最御崎寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきや まりぼり そわか

明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ

第25番 津照寺 (地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

法の舟 入るか出るか この津寺 迷ふ吾身を のせてたまへや

第26番 金剛頂寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

往生に 望みをかける 極楽は 月のかたむく 西寺のそら

第27番 神峯寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

み仏の 恵みの心 神峯 山も誓ひも 高き水音

第28番 大日寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

露霜と 罪を照らせる 大日寺 などか歩みを 運ばざらまし

第29番 国分寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

国を分け 宝を積みて 建つ寺の 末の世までの 利益のこせり

第30番 善楽寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな

第31番 竹林寺 (文殊大菩薩)おん あらはしゃ なう

南無文殊 三世の仏の 母と聞く 吾も子なれば 乳こそほしけれ

第32番 禅師峰寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船

第33番 雪蹊寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月 

第34番 種間寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり

第35番 清滝寺 (厄除薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

澄む水を 汲むは心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣

第36番 青龍寺 (波切不動明王)のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

わずかなる 泉に棲める 青龍は 仏法守護の 誓ひとぞきく

第37番 岩本寺 

  • (不動明王)なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
  • (観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか
  • (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん
  • (薬師如来) おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  • (地蔵菩薩) おん かかか びさんまえい そわか

六つのちり 五つの柱 あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ

第38番 金剛福寺 (三面千手観音)おん ばざらたらま きりく

ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま

第39番 延光寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ

第40番 観自在寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの

第41番 龍光寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

この神は 三国流布の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く

第42番 仏木寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

草も木も 仏になれる 仏木寺 なを頼もしき 鬼畜人天

第43番 明石寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石

第44番 大寶寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の 誓いをぞまつ 

第45番 岩屋寺 (不動明王)なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん

大聖(だいしょう)の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある

第46番 浄瑠璃寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

極楽の 浄瑠璃世界 たくらへば 受くる苦楽は 報いならまし

第47番 八坂寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け

第48番 西林寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

弥陀仏の 世界を訪ね 行きたくば 西の林の 寺に詣れよ

第49番 浄土寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

十悪の 我身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ

第50番 繁多寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ

第51番 石手寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽

第52番 太山寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

太山に 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし

第53番 円明寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

来迎の 弥陀の光の 圓明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

第54番 延命寺 (不動明王)のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな

第55番 南光坊 (大通智勝如来)なむ だいつうちしょう ぶつ

このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても おなじ垂迹

第56番 泰山寺 (地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

みな人の 詣りてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみ置きつつ

第57番 栄福寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏

第58番 仙遊寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

立ち寄りて 佐礼の堂に 休みつつ 六字を唱え 経を読むべし

第59番 国分寺 (薬師瑠璃光如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり

第60番 横峰寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

縦横に 峰や山辺に 寺建てて あまねく人を 救うものかな

第61番 香園寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

後の世を 思へば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白瀧の水

第62番 宝寿寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

さみだれの あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮川

第63番 吉祥寺 (毘沙門天)おん べいしらまんだや そわか

身のうちの 悪しき悲報を 打ち捨てて みな吉祥を 望み祈れよ

第64番 前神寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

前は神 後は仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち

第65番 三角寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

おそろしや 三つの角にも 入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ

第66番 雲辺寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

はるばると 雲のほとりの 寺にきて つきひを今は ふもとにぞ見る

第67番 大興寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

うえおきし 小松尾寺を ながむれば 法の教えの 風ぞ吹きける

第68番 神恵院 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

笛の音も 松吹く風も 琴弾きも 歌うも舞うも 法のこえごえ

第69番 観音寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

観音の 大悲の力 強ければ 重き罪をも 引き上げてたべ

第70番 本山寺 (馬頭観世音)おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか

もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる

第71番 弥谷寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 只かりそめも 良き友ぞよき

第72番 曼荼羅寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

わずかにも 曼荼羅おがむ 人はただ ふたたびみたび 帰らざらまし

第73番 出釈迦寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

迷ひぬる 六道衆生 救はんと 尊き山に いづる釈迦寺

第74番 甲山寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

十二神 味方に持てる 戦には おのれと心 甲山かな

第75番 善通寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび

第76番 金倉寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

まことにも 神仏僧を 開くれば 真言加持の 不思議なりけり

第77番 道隆寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

ねがいをば 仏道隆に 入りはてて 菩提の月を 見まくほしさに

第78番 郷照寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

踊りはね 念仏唱う 道場寺 ひょうしをそろえ 鐘を打つなり

第79番 天皇寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある

第80番 国分寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ

第81番 白峯寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法の声々

第82番 根香寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

よひのまの たへふる霜の 消えぬれば あとこそかねの 勤行の声

第83番 一宮寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしらいふ

第84番 屋島寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

梓弓 屋島の宮に 詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ

第85番 八栗寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

煩悩を 胸の智火にて やくりをば 修行者ならで 誰か知るべき

第86番 志度寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ

第87番 長尾寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて

第88番 大窪寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

南無薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は おおくぼの寺


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1番 阿波 霊山寺 (釈迦如来)20230508







隣に薬師堂がある。


2番 阿波 極楽寺 (阿弥陀如来)  







第3番 金泉寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

極楽の 宝の池を 思えただ 黄金の泉 澄みたたえたる




第4番 大日寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

眺むれば 月白妙の 夜半なれや ただ黒谷に 墨染めの袖




第5番 地蔵寺 (延命地蔵 勝軍地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

六道の 能化の地蔵大菩薩 導き給え この世のちの世




第6番 安楽寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

仮の世に 知行争う むやくなり 安楽国の 守護を望めよ

6番安楽寺(本院)20230623


 


第7番 十楽寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

人間の 八苦を早く 離れなば 到らん方は 九品十楽



第8番 熊谷寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

薪とり 水熊谷の 寺に来て 難行するも 後の世のため




第9番 法輪寺 (涅槃釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

大乗の 誹謗もとがも ひるがえし 転法輪の 縁とこそきけ





第10番 切幡寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる 




第11番 藤井寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

色も香も 無比中道の 藤井寺 真如の波の たたぬ日もなし




第12番 焼山寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん ありきゃ まりぼり そわか

後の世を 思へば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも




第13番 大日寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

阿波の国 一の宮とや ゆうだすき かけてたのめや この世後の世

第14番 常楽寺 (弥勒菩薩)おん まい たれいや そわか

常楽の 岸にはいつか いたらまし 弘誓の船に 乗り遅れずば

第15番 國分寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば 流転生死の 秋のもみじば

第16番 観音寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

忘れずも 導きたまへ 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ

第17番 井戸寺 (七仏薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

おもかげを うつして見れば 井戸の水 むすべば胸の あかや落ちなん

第18番 恩山寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

子を産める その父母の 恩山寺 訪いがたき ことはあらじな

第19番 立江寺 (延命地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

いつかさて 西の住居の わが立江 弘誓の船に 乗りていたらん

第20番 鶴林寺 (地蔵大菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

しげりつる 鶴の林を しるべにて 大師ぞいます 地蔵帝釈

第21番 太龍寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや  おん ありきゃ まりぼり そわか

太龍の 常にすむぞや げに岩屋 舎心聞持は 守護のためなり

第22番 平等寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

平等に 隔てのなきと 聞く時は あら頼もしき 仏とぞみる

第23番 薬王寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

皆人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ

第24番 最御崎寺 (虚空蔵菩薩)のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきや まりぼり そわか

明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ

第25番 津照寺 (地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

法の舟 入るか出るか この津寺 迷ふ吾身を のせてたまへや

第26番 金剛頂寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

往生に 望みをかける 極楽は 月のかたむく 西寺のそら

第27番 神峯寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

み仏の 恵みの心 神峯 山も誓ひも 高き水音

第28番 大日寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

露霜と 罪を照らせる 大日寺 などか歩みを 運ばざらまし

第29番 国分寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

国を分け 宝を積みて 建つ寺の 末の世までの 利益のこせり

第30番 善楽寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな

第31番 竹林寺 (文殊大菩薩)おん あらはしゃ なう

南無文殊 三世の仏の 母と聞く 吾も子なれば 乳こそほしけれ

第32番 禅師峰寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

静かなる 我がみなもとの 禅師峰寺 浮かぶ心は 法の早船

第33番 雪蹊寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

旅の道 うえしも今は 高福寺 後のたのしみ 有明の月 

第34番 種間寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり

第35番 清滝寺 (厄除薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

澄む水を 汲むは心の清滝寺 波の花散る 岩の羽衣

第36番 青龍寺 (波切不動明王)のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

わずかなる 泉に棲める 青龍は 仏法守護の 誓ひとぞきく

第37番 岩本寺 

  • (不動明王)なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
  • (観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか
  • (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん
  • (薬師如来) おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  • (地蔵菩薩) おん かかか びさんまえい そわか

六つのちり 五つの柱 あらわして 深き仁井田の 神のたのしみ

第38番 金剛福寺 (三面千手観音)おん ばざらたらま きりく

ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま

第39番 延光寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ

第40番 観自在寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの

第41番 龍光寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

この神は 三国流布の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く

第42番 仏木寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

草も木も 仏になれる 仏木寺 なを頼もしき 鬼畜人天

第43番 明石寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石

第44番 大寶寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の 誓いをぞまつ 

第45番 岩屋寺 (不動明王)なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん

大聖(だいしょう)の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある

第46番 浄瑠璃寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

極楽の 浄瑠璃世界 たくらへば 受くる苦楽は 報いならまし

第47番 八坂寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け

第48番 西林寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

弥陀仏の 世界を訪ね 行きたくば 西の林の 寺に詣れよ

第49番 浄土寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

十悪の 我身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ

第50番 繁多寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ

第51番 石手寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽

第52番 太山寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

太山に 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし

第53番 円明寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

来迎の 弥陀の光の 圓明寺 照りそう影は 夜な夜なの月

第54番 延命寺 (不動明王)のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん

くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな


55-79



国土地理院地図を改変。





第55番 南光坊 (大通智勝如来)なむ だいつうちしょう ぶつ

このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても おなじ垂迹

第56番 泰山寺 (地蔵菩薩)おん かかかび さんまえい そわか

みな人の 詣りてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみ置きつつ

第57番 栄福寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏

第58番 仙遊寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

立ち寄りて 佐礼の堂に 休みつつ 六字を唱え 経を読むべし

第59番 国分寺 (薬師瑠璃光如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり

第60番 横峰寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

縦横に 峰や山辺に 寺建てて あまねく人を 救うものかな

第61番 香園寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

後の世を 思へば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白瀧の水

第62番 宝寿寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

さみだれの あとに出でたる 玉の井は 白坪なるや 一の宮川

第63番 吉祥寺 (毘沙門天)おん べいしらまんだや そわか

身のうちの 悪しき悲報を 打ち捨てて みな吉祥を 望み祈れよ

第64番 前神寺 (阿弥陀如来)おん あみりたていぜい から うん

前は神 後は仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち

第65番 三角寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

おそろしや 三つの角にも 入るならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ

第66番 雲辺寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

はるばると 雲のほとりの 寺にきて つきひを今は ふもとにぞ見る

第67番 大興寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

うえおきし 小松尾寺を ながむれば 法の教えの 風ぞ吹きける

第68番 神恵院 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

笛の音も 松吹く風も 琴弾きも 歌うも舞うも 法のこえごえ

第69番 観音寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

観音の 大悲の力 強ければ 重き罪をも 引き上げてたべ

第70番 本山寺 (馬頭観世音)おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか

もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる

第71番 弥谷寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 只かりそめも 良き友ぞよき

第72番 曼荼羅寺 (大日如来)おん あびらうんけん ばざらだどばん

わずかにも 曼荼羅おがむ 人はただ ふたたびみたび 帰らざらまし

第73番 出釈迦寺 (釈迦如来)のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

迷ひぬる 六道衆生 救はんと 尊き山に いづる釈迦寺

第74番 甲山寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

十二神 味方に持てる 戦には おのれと心 甲山かな

第75番 善通寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび

第76番 金倉寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

まことにも 神仏僧を 開くれば 真言加持の 不思議なりけり

第77番 道隆寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

ねがいをば 仏道隆に 入りはてて 菩提の月を 見まくほしさに

第78番 郷照寺 (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい からうん

踊りはね 念仏唱う 道場寺 ひょうしをそろえ 鐘を打つなり

第79番 天皇寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

十楽の 浮世の中を たづぬべし 天皇さへも さすらひぞある

第80番 国分寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ

81番から88番まで。20230626

83番、87番は数字の位置。

81番白峰寺






第82番 根香寺 (千手観音菩薩)おん ばざらたらま きりく

よひのまの たへふる霜の 消えぬれば あとこそかねの 勤行の声



第83番 一宮寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしらいふ



第84番 屋島寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

梓弓 屋島の宮に 詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ



第85番 八栗寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

煩悩を 胸の智火にて やくりをば 修行者ならで 誰か知るべき



第86番 志度寺 (十一面観音菩薩)おん まか きゃろにきゃ そわか

いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ




第87番 長尾寺 (聖観世音菩薩)おん あろりきゃ そわか

あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて




第88番 大窪寺 (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

南無薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は おおくぼの寺



YAMAP

伯方島1回目その1https://yamap.com/activities/24156699 伯方島1回目その2https://yamap.com/activities/24156909 伯方島2回目その1https://yamap.com/activities/24441833 伯方島2回目その2https://yamap.com/activities/24442053  伯方島3回目その1https://yamap.com/activities/24855015 伯方島3回目その2https://yamap.com/activities/24855088 伯方島4回目https://yamap.com/activities/25164807


島四国八十八ヶ所霊場

  向島 岩子島 因島 生口島 大三島 伯方島 大島

  弓削島 佐島 生名島 岩城島 佐木島 

村四国八十八ヶ所霊場 

  重井村  中庄村 外浦村 田熊村



2023年6月21日水曜日

温故逍遙2 近世農村社会の建設     (1)

  本館 白滝山 いんのしまみち

1回から100回までは『温故逍遙 ー海の武士団ー』としてまとめた。その時目次のように項目を分けたら、そのままの順序で並べても違和感がなかった。いや、それ以上に我ながらよくできた構成だと思った。その構成(目次)は、全く苦労せずに、まるで鉛筆が勝手に動くような感じで、できた。このことは因島に帰っての最初の仕事、「因島城跡物語」のパネルを作ったときの構成を考えた時と全く同じだった。数分でできたものを後から見ても変える必要を感じなかった。要するに努力したのではなく、父母から受け継いだものに身を任せただけであった。

しかし、101回から200回までをまとめるにあたって、その魔法は効かなかった。その理由は最初の100回に比べて、次の100回の執筆時の緊張感が減ったためである。具体的に言えば、読者も慣れてくれたことだろうから、各回の連続性にこだわることを緩めようと思ったのだ。だから、自分の頭の中だけの連想ゲームのような調子で各回を展開した。だから当然のこととして読者の側から見ればテーマが飛んでいるのだ。ここまでわかれば、この冊子の編集方針はすぐに決まった。その間の溝を埋める簡単な解説文を入れることによって、強引な目次(構成)を作る必要はなくなった。

 ただ、元の連載がメインで、間の解説はあくまでも飾りでなければならない。文章の調子、すなわち文体を変えようと思ったが、その魔法もまた効かなかった。結果として、フォントを変えてみた。



 因島村上氏が慶長5年(1600)の関ヶ原役に負けた毛利氏にしたがって因島を去ると、因島はただの農村になる。とはいえ、村上氏や武将たちの子孫の人たちを中心に近世農村社会が建設されていく。なかでも干拓と廻船業への進出は特筆に値する。やはり、海は宿命であった。

 と、第100回で書いて、この連載を村上水軍の時代に一区切りつけて、101回からは、江戸時代を中心に書いていこうと思った。

 村上水軍の時代と江戸時代をつなぐ象徴として大土生宮地家ほど適したものは私の頭にうかばない。


ふるさとの史跡をたずねて(101)

大土生宮地家跡  (因島土生町郷区)


 変電所近くの小丸城跡が因島村上氏第二家老稲井氏の居城で、麓の宝地谷に宝持寺と須佐神社があった。今は石塔群と神社がある。そこよりさらに西へ下がったところに稲井氏の屋敷があった。

 因島南中学校の東側上の辺りである。因島南中学校のあるところは因島高校のあったところである。その東の高いところに図書館があった。窓の外にはみかん畑があって奥へ行くにつれて少しずつ高くなっているようだった。今はグランドの端の校地と境界をなす辺りには駐車場があり見晴らしはよい。しかし、どの辺りにかつて図書館があったのかは、私にはわからない。

 その駐車場の少し上の方に稲井屋敷があった。すなわち第二家老稲井氏はこの辺りを中心に活躍した。のみならず中国貿易で得た莫大な利益で因島村上氏を支えたのであった。

 しかし、因島村上氏の因島退去とともに、稲井氏も因島を去る。稲井本家は六代吉充に従い長門国矢田間(現下関市)へ。一部の者は広島へと。

 関東で新田義貞とともに蜂起して鎌倉幕府を倒した脇屋義助は南朝の重鎮として戦い、その子は敗退して伊予大島へ逃れた。そこで稲井と氏を改め、村上氏に従い因島に来て二百二十五年。

 稲井氏の流浪はまだまだ続くのであるが、話を稲井屋敷に戻すと、江戸時代には庄屋宮地氏が住んだ。大土生宮地家と呼ばれているから、稲井氏の広大な支配地を引きついだと想像しても大きく違うことはあるまい。今は別の方の所有になっているが、基礎の石組みは稲井氏の時代のものだと言われている。




ふるさとの史跡をたずねて(102)

大土生宮地家墓  (因島土生町對潮院)


 對潮院の境内を抜けて、裏の墓地の前の道路に出る。そこから少し右手の大きな樹木の前に大土生宮地家の墓地がある。そこには、初代清左衛門光時、二代久右衛門光宗以下、八代又次右衛門貞久までの墓がある。

 ここに大土生宮地家の墓があるのは偶然ではない。否、ここになければならないのである。對潮院は因島村上氏の時代には第二家老稲井氏の別邸(下屋敷)對潮閣であったところである。稲井氏の領地を第四家老の宮地氏が引き継いだのなら、当然對潮閣も宮地氏のものでなければならない。では、なぜ宮地氏のものになったのか・・・。

 慶長五年の関ヶ原の戦いは、関ヶ原だけでなされたのではない。因島村上氏は小早川氏の配下だったので西軍である。ところが伊予の高橋氏は東軍についたので、因島村上氏は三津浜の松前(まさき)城へ攻めていき大敗を喫した。その時の戦死者の中に重井馬神城主末永景光、中庄大江城主宮地忠明などの名が見える。末永氏は稲井家の分家で母方の姓を名乗った。宮地忠明は稲井氏と書かれてあるから、稲井家から養子に行ったということであろうか。

 因島時代最後の当主稲井治憲にとっては、父家治が負傷し因島へ帰ってから亡くなり、長子重治も失っている。末永景光、宮地忠明も治憲の兄弟かそれに近い関係であっただろうから、まことに痛恨の極みであっただろう。

 治憲は本邸、別邸等を宮地忠明の遺児に譲って因島を去ったと言われている。對潮院は光時が慶長十三年(一六〇八)に開山したということであるから宮地忠明の遺児というのは大土生宮地家初代清左衛門光時のことであろう。






ふるさとの史跡をたずねて(103)

大土生宮地家墓・二  (因島土生町郷区)


 對潮院の大土生霊銘碑には「九代より大土生旧家墓所」と書かれている。この旧家とは前前回に紹介した第二家老稲井家の屋敷跡で、かつての大土生宮地家の屋敷跡ことである。そこから北側へ少し歩くと、右に山の方へ登る小径があるので進み、左手に注意しておればすぐにわかるだろう。

 九代にもなると對潮院と大土生宮地家の関係もほとんど無くなったと思ってよいだろう。新しい墓地を求めず、手っ取り早く敷地の一角を墓所としたのであろうか。

 十九代宮地毅氏から逆算すると、左端にある霊銘碑には十七代から記されている。従って、右に並んでいるのが九代から十六代までの個別の墓である。

 さて、周囲は竹藪である。この周囲がいつ頃から竹藪になったのか知らないし、まして江戸時代の初期のことなど想像もできないが、一部は古くから竹藪だったのではないかと想像した。

 というのは、大土生宮地の分家の一つに竹之内宮地家というのがあって、竹藪の側にあったのでそう呼ぶようになったと言われているからである。その竹之内宮地家は三庄の干拓をして、後に三庄の庄屋となる。第二家老稲井家と第四家老宮地家のハイブリッドが因島で果たした役割は小さくはなかった。その一つがこの付近の竹藪から始まったと、私は思っている。





ふるさとの史跡をたずねて(104)

青木金比羅神社  (因島重井町青木)


 青木城は因島村上氏六代吉充以降三代の居城であった。この話が本当だとしたら、最後の本拠地であったわけであるが、それらしいものは無く、閑散としていて訪れる人は多くない。今はすっかり内陸部になっているが、当時は白滝山に連なる東側を除いて三方が海であった。北と南の入り江を想像したら北の方がこじんまりして、なおかつ浅瀬が多かったと思われる。それに山もなだらかであるので、こちらを表、南側を裏としても悪くはなさそうである。だから、青木側に裏木戸門があったという伝承は信じてもよかろう。

 裏木戸門、略して裏門が今でも人の口端に上がるのは、そのあたりに江戸時代初期に重井村の庄屋をした長右衛門家の屋敷があったからである。今はその痕跡もないであろうから、長右衛門家の話を始めるにあたって、青木の金比羅神社を訪ねることにした。長右衛門が祀られているし、何よりも、大正時代に裏門辺りからここに移したと言われているからである。こう書くと長右衛門屋敷の中にあって、同家の守護神であったような印象を与えるが、因島で金比羅金信仰が盛んになるのは江戸時代後期だから、長右衛門の屋敷があった辺りにあったというだけで長右衛門家と直接関係があったとは、思われない。

 その金比羅神社には金比羅大明神、住吉大明神とともに二代長右衛門氏が祀られている。二代長右衞門宗徹は寛文十年(一六七〇)に七十三歳で亡くなっているので、江戸時代のはじめを生きた人である。




ふるさとの史跡をたずねて(105)

開化橋  (因島重井町青木)

 重井町の中心を流れ、東西に二分する重井川にかかる橋の名を下流から記すと、明治橋、東西橋、大正橋、昭和橋・・と続く。その昭和橋の東、重井村四国55番南光坊の隣に、「開化橋」と書かれた石柱がある。開化という年号はないから、いつの時代かはわからないが橋ができて、昭和になって建て替えられたのだろう。福沢諭吉の『文明論之概略』が明治8年に書かれ、そこで文明開化という言葉が使われたので、明治10年頃に開化橋ができたと推定しておく。

 さて、ここから東へ直線道路が青木道路まで続いている。この直線道路の右側が、長右衛門新開で、左側は、郵便局までが青木沖新開、さらにその沖が本郷沖新開である。

 新しく開発されたところを新開と呼ぶが、海を開くには二通りの方法がある。埋め立てと干拓である。埋め立てに必要な土を確保するためには、山を崩さないといけないので、堤防を築いて水を抜く干拓が多用された。

 二代長右衛門宗徹は多くの干拓事業を行ったが、なぜここだけが長右衛門新開と呼ばれるかは定かではない。ただ言えることは、長右衛門屋敷があった新開ではある。





ふるさとの史跡をたずねて(106)

長右衛門の碑  (因島重井町青木沖)


 青木道路を北へ向かって歩くと重井郵便局に至るが、その少し前、青木城跡の麓に長右衛門の碑と呼ばれる、文字を掘った岩がある。岩というよりも砂の塊のようなものであるから、風化が激しい。かろうじて次のように読める。

「備之後州御調郡因嶋重井村之住 前長右衛門尉法名宗徹□□寛 永万治之間 □全村中田畠□九拾 町□□□□□□テ寛文年中自此 西之三新開田畠拾町余為子孫 十一□□□□公之者也」。(空白は改行、四角は判読不能。)

 やはり、二代長右衛門宗徹のことである。宗徹は元和二年(一六一六)に十八

歳で庄屋になっているので、「元和寛永万治之間」かもしれない。生涯を干拓事業に費やしたことがわかる。

 この石碑より西の三新開というのは、どこのことだろうか。単純に考えて、この石碑のある青木沖新開、上流の長右衛門新開、重井川の西の郷新開ではなかろうか。そうであるならば、寛文十二年(一六七〇)までには重井町の東西橋あたりまでができていたことになる。

 こんなに昔から陸地になっていたのだから、川沿いに住んでいる人を除けば、干拓地であるということを普段は意識しない人の方が多いだろう。「災害は忘れた頃にやって来る」というのは、過去の災害の歴史を言うのであるが、災害の歴史のみならず、自分たちの住んでいる所の歴史という意味もあるように思われる昨今である。




ふるさとの史跡をたずねて(107)

長右衛門の墓  (因島重井町善興寺)


 重井町善興寺に長右衛門の墓がある。本堂裏山の通路沿いで、赤茶けた木製のお堂の中にあり、引き戸を開けると見える。白いペンキで「環應院」(環応院)と書いてあるが、旧漢字の草書で書かれているので、その気になって探さないとわからない。7月豪雨での崩落はかろうじて免れているいるが、現在は近くまで行けない。

 環応院というのは初代長右衛門元照のことで、戒名が「環応院心月元照居士」である。因島割庄屋を勤めた。庄屋というのは百姓身分でありながら、行政組織の末端を勤めた人をいう。東日本では名主と呼ばれた。各村にあったようだが、ある地域の代表を割庄屋と言った。福山藩では大庄屋と呼ばれた。因島割庄屋としては最初の人だったのではないかと思われる。

 二代長右衛門宗徹の墓は近くにあるはずだが、見つけることはできなかった。戒名は「通眼宗徹居士」と言い、夫人は岩城村庄屋白石孫右衛門の娘で、戒名は「金光浄真大姉」である。

 長右衛門家は六代まで庄屋をしたが、因島の割庄屋となったのは初代長右衛門元照と六代長右衛門知義である。




ふるさとの史跡をたずねて(108)

長右衛門の供養像  (因島重井町善興寺)


 重井町善興寺の墓地入口の六地蔵は7月豪雨での崩落で倒壊した。六地蔵の隣に長右衛門を供養する地蔵尊があった。四角な基台に「見岩壽(寿)性信士」と彫ってある。重井村の庄屋、後に因島割庄屋を勤めた六代長右衛門知義の供養像である。

 知義は父と共に伊浜新開を開いた人であるが、安永二年八月二十二日に亡くなっている。二代宗徹からおよそ百年、明治まで百年足らずの一七七三年であるが、以後、長右衞門家は庄屋をやめ、子らは大坂へ移住する。六代知義に何が起こったのであろうか。そのことを伝える資料はない。

 ところで、翌安永三年の村立実録帳がある。そこに「猟師鉄砲持主徳右衛門儀安永二巳八月御仕置被為仰付」とあり、後この鉄砲を望むものがなく村庄屋勘右衛門が預かっている、と書かれている。「徳右衛門」が「長右衞門」の間違いだとしたら、仕置になったということであろう。

 これが人口一三八九人、家四四四軒、牛七二頭、船十七艘の重井村で、前年に起こった「事件」を伝える唯一の資料らしきものである。

 そしてその理由が、長右衛門物語によって説明されてきた。その多くは明治になって学校で教えるために作りなおされたものだろうから、どこまで信じてよいかわからない。





ふるさとの史跡をたずねて(109)

重井八幡神社  (因島重井町伊浜)

 長右衛門家の事業は干拓だけではなかった。寺社の増築維持も庄屋として欠かせない事業であった。重井八幡神社も長右衛門家六代に渡って営々と造営されてきた。棟札に「大旦那 源吉充 永禄十二年九月廿一日」の文字がある。一五六九年に中庄八幡神社から勧請したもので中庄側の史料の写真が『因島市史』に掲載されている。古くは色々な神が祀られていたのだろうが、八幡神社としてはこの年から始まったと考えてよい。

 因島村上氏六代吉充が向島余崎から重井青木に移ったのがこの年であると言われているが、そのことを示す文書は見当たらず、棟札は吉充が遅くともこの時までには重井に居たことを示すから、このことから推定されたものかもしれない。ここから起算すると来年は青木城、馬神城、細島茶臼山城が築城四五〇年ということになる。八幡神社としての創建四五〇年ということでもある。

 八幡神社は九州宇佐氏の氏神であったが、弓削道鏡事件の頃は御神託を伺うほどの重要な神社に昇格していた。菩薩号も与えられ八幡大菩薩と称された。後に武家の氏神、中でも源氏の氏神となり、岩清水八幡宮、鶴岡八幡宮などが有名である。重井八幡宮は村の氏神ととして勧請されたのであろうが、源氏姓の因島村上氏にとっても、またその子孫と称する長右衛門家にとっても自分たちの氏神でもあった。

 重井村上氏は長右衛門家とさらに大元屋(備前屋)、丸本屋の三系統があると理解しているが、それが因島村上氏のどこから分かれたのか釈然としない。宮本常一氏の労作『瀬戸内海の研究1』はその辺の事情を案外うまく説明しているかもしれない。




ふるさとの史跡をたずねて(110)

一本松  (因島重井町一本松)

 干拓地の周辺をを注意して見ると、様々な干拓の名残りを見つけることができる。

  因島村上氏は海賊行為だけでなく経済活動も行なっていたと言われるが、その経済活動の中に干拓や殖産振興が含まれていたのだろうか。そうでないとすると、一本松より南が干拓されたのも江戸時代になってからであろう。その干拓の堤防の上に築かれた土手が写真の松のあるところである。

 松の木の下には小さな川があったが現在は暗渠になっている。その川は白滝山の南西の沢に発し、西下して途中で南に曲がり、ここを西進して重井川に注ぐ、という複雑な構造をしている。

 一本松より北がまだ海の時は、その川は西下してそのまま海に注ぎ、重井川も一本松のところで海に注いでいたはずである。それが二代長右衛門宗徹によって干拓が行われ、川口新開一町田ができた時、この川が南へ迂回し、それが注ぐ重井川も西に曲がって延長された。言うまでもなく新しい干拓地へ不要な水が流入しないようにするためである。

 さて、一本松の下にあった小さな川は、松の根元に接して南側にあった。そして流れは松によって少し曲げられていた。この状況から、松と川のどちらが先かということを考えてみよう。一見、川が後のように見えるが、松にぶつかるように川を作るとは思われない。川があってその北側に松が植えられた。そして松が南へ傾きながら成長するにつれ、今のようなコンクリート製でない川を南へ押した、と私は考える。これ以前に、近くに別の松があったのならばともかく、写真の松を初代と数えるのなら、それは川口新開一町田ができてから後に植えられたものと推定するのが妥当である。(写真は昭和50年頃写したものです)。





写真・文 柏原林造

本館 白滝山 いんのしまみち

2023年6月8日木曜日

水軍伝説


師清伝説。因島村上氏に関する伝説はたくさんあるがその最大のものは、師清伝説である。師清伝説というのは、村上義弘の跡を継いだということ、北畠氏であったということ、新田、脇屋の遺児を引き取り成人させ舎弟にしたこと、三人の息子を来島、能島、因島の三家の祖としたこと、釣島箱崎浦の合戦で今岡通任に勝ったことなどである。これらの事象は独立に存在しているのでなく関連している。一方、これに関連した人物の存在と事象の存在は別問題であることである。すなわち、北畠師清なり村上師清という人物の存在が確認されたからと言って、上記の事が史実だとは言えない。別問題である。さて、こんなことを書いたら、自分はどこまで史実だと思っているかということが問題になる。しかし、それは本当はどうでも良いことではないかと思う。我々が読んだり書いたりする文書の情報量に比べて人間の活動の歴史は時間的にも空間的にも無限大に近い。すなわち記述される歴史などというのは人間の全活動の極めてわずかに過ぎない。だから、記述されていない人類の活動の方がはるかに多い。その記述されなかった活動から漏れ出たものが伝説である。漏れ出て、記述された領域に入るか入らないかのところにあるのが伝説である。だから、結論から言えば、史実であったかも知れないし、そうでなかったかも知れないものが、伝説である。だから、史実であったとしてもかまわないし、史実でなかったかも知れないのである。学問の世界では、実証性とか客観性が重視されるが、幾分かの主観性から逃れられるものではない。 



城跡伝説。村上海賊関連史跡が日本遺産になって何年か過ぎた。因島を出て、よその島へ行っても、観光するほどの遺跡はない。海賊という呼称が尾道市の学芸員がいつも言うようにパイレーツのような海賊ではないとしても、海賊という言葉が示しているように、日常的には海上生活者であり、時に根拠地とする島に帰ってくるとしても、そこが定住地とは限らない。海賊行為がアウトローである限りにおいては、根拠地は移動するものであろう。子供の頃から繰り返し聞かされた桃太郎の話では盗賊団の本拠地は一人の少年によって征服されてしまうが、瀬戸内海の島で城砦を作っても似たようなものであろう。難攻不落の城砦などを瀬戸内海の島々に作ることはむずかしかろう。逆に言えば、瀬戸内海の船乗りを、時にアウトロー的な行為があったとしてもそれを海賊と呼ぶのは間違っている。本拠地を襲おうとしても遠すぎるぐらいに遠征するのが真の海賊であろう。だから瀬戸内の海賊衆と言っても海賊らしからぬ海賊であるから、その本拠地も城砦らしからぬ城砦ということになるのは当然であろう。そういう意味で見れば、近世の城下町というのは良くできた防災都市であった。長年の戦国時代の経験から人災へ備えた防災都市であった。それに比べると、現代の地方都市の体制はお粗末である。県庁の周辺に幹部級の官舎を作り地下で結ばれてすぐに集合できるようでなければならない。さて、海賊ならぬ海賊衆の根拠地であるが、斯様な次第であるから、城郭らしからぬ城跡であることは当然であろう。それは瀬戸内海に限らず、本土でも戦国時代初期の城跡などと呼ばれているものは、三日ほど陣を張った丘なども含まれるのであろうから、必ずしも住居を兼ねたものではなかったと思われる。海上生活が中心であればなおさら、水、食料に不便な山の上に住む必要はないのであるから、我々が普通考えるお城とは全く異なるものを城跡と呼んでいると思えば良い。すなわち海から離れた城跡はシンボル的な意味を除いては意味はなかったのではなかろうか。しかし、一方では能島城跡のようなものがある。国史跡というだけあって変化に富んでいるし、ある時代には重要な役割を担っていたことは確かだろうが、不思議な場所である。海の城砦のような印象を受けるが生活の場ではなかったと思う。そして戦いを想定した城砦でもなかったと思う。周囲の急流はあたかも自然の防御壁のような印象を受けるが、そうではない。海流は潮の干満の逆転する時、必ず止まる。その時襲われれば、急流の役目は果たせない。しかし、流れが止まる時に特別に警戒を強め、他の時はそれほど注意しなくても良いと考えれば、城砦としての役割があったのかもしれない。それにまた、水は対岸の大島に水場跡が残っているように、島内に貯蓄できる水は限られている。従って籠城戦には向かない。長所と短所を備えた不思議な場所である。いずれにしても長い間利用されたのではなく、いっとき活用されたのであろう。


水軍伝説。仮に因島村上氏の時代を230年ほどと考えてたとしてもその間に国内の状況も村上氏の状況も大きく変わっている。しかし、何かの根拠となるような話があると、それが230年間全ての時代にわたって行われていたような錯覚をもつ。特にそれ以外の情報がないのだから。まさに針小棒大である。たとえば因島の各城跡について、その城主がいわゆる五家老に割り当てられている。これについては本来は城主は村上氏であり五家老は城代家老というのが適当なのかもしれないが、それは今は置いておく。さて、その五家老が何代にわたって、あるいは何年城主を勤めたのであろうか。村上本家の記録もほとんど残っていないのだから、まして家臣団の記録を期待する方が無理であろう。するとこれも伝説の域を出ないのであろうか。さらに難しいのは伝説にせよ残された名前が世襲されたものであれば、その名前の意味する人が何人いるのか我々には決められないということである。このようなことを考えると、我々が記述によって確かめられる事柄は長い歴史のほんの一部のことかも知れない。

波濤万里 増補編

 

移民小説は好きである。井上靖『わたづみ』(岩波書店)はまだ文庫本になっていない。サンフランシスコの初期アメリカ移民を描いたもので、帰国二世と呼ばれるものについても書かれている。序章のシュネール移民と言われるワカマツコロニーの失敗の小史はとりわけ印象的であった。シュネールというのは武器商人で、維新後、会津人を連れてアメリカに渡ったが資金不足を補うために一人日本に帰るが、アメリカに戻ってこなかった。悪意はなかったものと思うが資金は集まらず、本人がアメリカに戻る旅費さえ集まらなかったものと思う。これが負け組の結末である。勝ち組の武器商人の筆頭はグラバーである。修学旅行で長崎の平和公園へ花輪を供えたその足でグラバー庭園へ行く。彼らは何も思わずに。私はいつも複雑な気持ちになる。

ロスコウ・ノート

 ロスコウが書いたノートではない。私のロスコウについてのメモである。「小学化学書」と書かれた教科書が(一)(二)(三)と3冊ある。中表紙には「明治七年十月 小学化学書 文部省」と書かれており、前書きである「原序」があり、その末尾に「千八百七十三年 ロスコウ 識」とあり、この本がロスコウが1873年に書いた本の翻訳書であることがわかる。現在の生徒では中学校理科の第一分野の化学分野に該当するが、戦前には現代の中学校はなかったので小学校の高学年で教えられたのであろうか。すなわち、日本の初等教育の化学の教科書がロスコウという人が書いた本の翻訳書だったということになる。あくまでの小学校用の教科書であって、一般向けの化学書の初めではない。化学書は江戸時代に蘭学者・蘭方医によって訳されていた。しかし、長い伝統はなく初等教科書を書くだけの人材は育ってなかったということである。それでは、なぜロスコウの著作が翻訳され使用されたのか、ということが問題となる。

ロスコウの「小学化学書」については、板倉聖宣『日本理科教育史』、第一法規出版、昭和45年が詳しい。

 同書p.95  「小学化学書」の原著はScience Primer叢書の第2冊 Roscoe : Chemistry であって、当時一流の科学者が書いた最初の初等科学入門書ともいえるものであった。

 

このシリーズについては以下のアブストラクトに示すようにNature誌でも紹介されている。

Science Primers

Abstract

THESE little books illustrate an imperfectly accepted truth, that systematic elementary teaching is a late and not an early product of educational energy. The best headmasters of our schools have discovered the fallacy latent in our ancient belief that the ablest men are required to teach the oldest boys, and have in one or two famous cases acted on their discovery. It is easy for a young man fresh from University honours to pour his knowledge into minds which have been well prepared, and which approach more or less to the level of his own; but to teach a class of little boys, to realise their difficulties and to appreciate their ignorance, to understand the perplexity which oppresses them in the presence of statements long since axiomatic to ourselves, requires a mature and versatile intelligence, a mind which can communicate childish knowledge as readily and as joyously as it solves recondite problems; a combination of rare gifts with long and conscientious training.

Science Primers:

“Chemistry,”. by Prof. Roscoe.; “Physics,” by Prof. Balfour Stewart. (London: Macmillan, 1872.)


寺川智祐著『アームストロングの理科教育論の研究』(1985、風間書房)は、我が国の中学高校の理科の授業で生徒実験と呼ばれているものを提唱したイギリスの化学者、教育者アームストロングに関する包括的な研究であるが、その索引によると4箇所でロスコウが言及されている。ロスコー(1833生)はアームストロング(1848生)の半世代前の化学者で、それぞれの時点でロスコーがどういう地位にあったかがわかる。p.25、65、122、310。

荘園


荘園の成立経路は、「大別すれば、墾田型、雑役免(ぞうやくめん)型、寄進地型の三類型とすることができる。」永原慶二『日本経済史』、有斐閣双書、p.65、昭和45年、

領主農民関係は「大別して、①荘園領主、②在地領主・荘官、③農民、としうるが、そのそれぞれもまた階層的構成をとっていた。」永原慶二『日本経済史』、有斐閣双書、p.67、昭和45年、

以下にその三者について詳しく書かれている。特に③農民の構造については、名主という存在が、江戸時代の庄屋制と似ており、(名前も東日本では庄屋のことを名主と呼んだ)その連続性が興味深い。

上記3種の役割と対応について、関口恒雄は「中世前期の民衆と村落」(岩波講座日本歴史5、1980 )のp.121で説明している。








「荘園は最初は、神仏の権威を借りて他者を排する寺社領の形式をとっていた。しかし間もなく、摂関家などの上流貴族が、次々に領域型荘園の立荘を開始した。」武光誠『荘園から読み解く中世という時代』、1922、河出書房新社、p.89 


周辺の荘園

 大田荘 工藤敬一『荘園の人々』、教育社、p.87

 弓削荘

 新見荘   工藤敬一『荘園の人々』、教育社、p.161

2023年6月1日木曜日

夕凪亭閑話 2023年6月

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2023年6月1日。木曜日。晴れ、夕方より雨。3240歩。66.55kg。朝、プラごみ、古紙を出してくる。午後、山の草刈り、夕方雨が降り出した。寒い。


2023年6月2日。金曜日。雨。1199歩。朝、中国トラベル。午後、古文書学習会。夜、解読文入力、送る。


2023年6月3日。土曜日。晴れ。3904歩。65.9kg。10時から文化財協会役員会。午後、歯科医院。夕方、山の草刈り。 


2023年6月4日。日曜日。晴れ。2427歩。66.5kg。朝、買い物。今日山へ行って蛇にでも噛まれて旅行に行けなくなったらみんなに笑われるだろと考えて、今日は一日中家の中でゴロゴロしていた。やはり運動不足になり体調のためにはよくない。仕方がないが我慢した。秋月龍珉『一日一禅 上』、講談社現代新書、終わる。


2023年6月5日。月曜日。晴れ。8662歩。67.8kg。文化財協会の日帰り研修旅行へ行く。41名参加。書写山は何年ぶりかで、すっかり忘れていた。それにしてお良いところだ。でも、もう行くことはないだろう。姫路城は行くたびにその素晴らしさがわかる。ただ大きすぎて、皆写真にも取れないし、「手が届かない」という感じ。


2023年6月6日。火曜日。雨。3189歩。66.8kg。一日中雨。昨日の天気が嘘のように僥倖であった。やや寒く、今日は一日中家の中でゴロゴロ。運動不足。少しづつ色々な本を巡る。こういう読み方もあっていい。


2023年6月7日。水曜日。晴れ。2200歩。外に出ないとどうも調子が良くない。朝、買い物に出た程度。

2023年6月8日。木曜日。曇り時々雨。3581歩。66.65kg。ゴミ捨て。郵便局。雨が降る前に山へ行き小竹を切る。刈り込み鋏で切れるうちに切っておかないとすぐに伸びる。久々に郵便物の宛名を書いたら字が踊った。考えて見れば、ここ何日もパソコンで書くことはあっても、字を書くことがなかった。中には天声人語や中国新聞の天風録を毎日書き写している人がいるが、高齢になると確かに良いことだと思わざるを得ない。そこで、中断していた論語の書き写しを再開する。中断の理由は、2回目の書き写しを世界の名著版にしたら面白くなくなったという単純な理由だった。そこで再び加地信行「論語 全訳注 増補版』(講談社学術文庫)に戻る。訓読文を読んで白文(返り点のないもの)を書き写す。旧漢字は新漢字で。初めから。すなわち「学而 第一」の1章から6章まで。論語の場合は短文の方を一章、二章・・・と呼んでいる本が多いので、そう書いておこう。

2023年6月9日。金曜日。晴れ。4429歩。66.6kg。朝はまずまず。快晴とは言えないが、雲が多くても明るい。その後よく晴れる。暑くはない。昼過ぎ、山へ竹切り。夕方庭木の剪定。「学而 第一」の7章から13章まで。


2023年6月10日。土曜日。晴れ。2767歩。66.6kg。午前と午後、2回山の小竹刈り。「学而 第一」の14章から16章まで。「為政 第二」1章から4章まで。星占いをする人はタウルスが牡牛座だと言うことは知っていると思いますが、牛の胆汁から見つかったタウリンというアミノ酸によく似た物質があります。そう、あの、リポDのコマーシャルでよく言われてた言葉です。そのタウリンが老化予防に役立つと今朝の新聞に書いてました。チオビタにも入っています。でも飲みすぎは良くないと思います。先日、調剤薬局でどこかのおばさん(年齢は私と変わらない)が毎朝リポDを1本飲まないと体が動かないと話してました。習慣性があるのでしょうか? コーヒーと似たもので、朝飲めば目がさめるのと似ているのかもしれないですね。猫はタウリン不足にならないようにペットフーズの中に入っているようです。


2023年6月11日。日曜日。曇り。3466歩。66.5kg。朝、買い物。竹切り。「為政 第二」5章から14章まで。吉川英治『新平家物語(三)』(吉川英治全集35)、講談社、p.307まで。


2023年6月12日。月曜日。曇り。13019歩。「為政 第二」15章から19章まで。8時前に出て、伯方島四国3回目。12人参加。80番まで。少し残った。雨が降らなかったのは幸い。「為政 第二」15章から19章まで。


2023年6月13日。火曜日。晴れ。5983歩。66.8kg。ジュンテンドーで川砂と牛糞、鯉の餌を買ってくる。午後、重井村四国YAMAP記録。歯科医院。山の竹切り。セメント塗り。「為政 第二」20章から23章まで。


2023年6月14日。水曜日。晴れ。2661歩。65.9kg。朝、買い物。帰って山へ竹切り。午後、論語を読む会。法華経、4人。帰って、せとうちタイムズ原稿、書いて送る。「為政 第二」24章まで。「八佾 第三」1章から4
章まで。


2023年6月15日。木曜日。雨のち晴れ。3326歩。66.4kg。午後、竹切り。「八佾 第三」5章から9章まで。


2023年6月16日。金曜日。晴れ。1833歩。暑い。真夏日。午後、古文書学習会。夜、解読文入力。「八佾 第三」10章から15章まで。


2023年6月17日。土曜日。晴れ。3114歩。65.7kg。今日も快晴。暑く成りそう。夕方、山へ。「八佾 第三」16章から20章まで。


2023年6月18日。日曜日。晴れ。2879歩。65.65kg。朝、買い物。昼と夕方、山へ竹切り。萩原延壽『遠い崖ーアネスト・サトウ日記抄』(朝日新聞社)、読み始める。p.46まで。久々の長編。『新平家物語』が終わっていないが・・。「八佾 第三」20章から26章まで。終わる。
。

2023年6月19日。月曜日。晴れ。朝、畑の草取り。2582歩。65.65kg。「里仁 第四」1章から5章まで。


2023年6月20日。火曜日。晴れ。2867歩。65.5kg。朝、草取り。8時半から公民館。ふるさとの歴史を学ぶ会。20人。枇杷の収穫を終わる。「里仁 第四」6章から10章まで。


2023年6月21日。水曜日。曇り時々小雨。3087歩。65.6kg。朝、草取り。10時半から因島図書館で因島文学散歩の会。8人。「岬の風景」終わる。帰りに買い物。「里仁 第四」11章から15章まで。


2023年6月22日。木曜日。曇り。2446歩。66.65kg。朝、草取り。「里仁 第四」16章から20章まで。秋月龍珉『一日一禅 下』、講談社現代新書、終わる。


2023年6月23日。金曜日。晴れ。1679歩。午後、古文書学習会。夜、解読文を入力してメールで送る。「里仁 第四」21章から26章まで。終わる。


2023年6月24日。土曜日。晴れ。5937歩。65.9kg。畑の草取り。夕方、山へ竹切り。古文書。「公冶長 第五」1章から5章まで。


2023年6月25日。日曜日。晴れ。歩。66.9kg。朝、畑の草取り。日中は暑い。「公冶長 第五」6章から10章まで。


2023年6月26日。月曜日。曇り時々小雨。11489歩。66.85kg。朝から伯方島四国4回目。結願。6番本院へいき、昼食。生口島へ。7番まで。10人。「公冶長 第五」11章から15章まで。


2023年6月27日。火曜日。晴れ。2689歩。66.4kg。朝、畑の草取り。日中は暑い。公民館だより原稿書いて送る。夕方。歯科医院。「公冶長 第五」16章から20章まで。


2023年6月28日。水曜日。晴れ。3875歩。66.7kg。朝、畑の草取り。朝食後山へ竹切り。午後、公民館で論語を読む会。方丈記。4人。夜、伝統文化基金会合。二階への疎開をやめて夕凪亭に戻る。行ったりきたりで落ち着かないが、省エネ対策であるので、上手に活用するしかあるまい。二階の方は開かずの間であったのだから、使えるように掃除しただけでも効果はあった。また涼しくなれば、あちらに移っても良い。「公冶長 第五」21章から25章まで。


2023年6月29日。木曜日。晴れのち雷雨。3233歩。66.15kg。朝、畑の草取り。朝食後、竹切り。夕方竹切り。「公冶長 第五」26章から28章まで。終わる。「雍也 第六」1章から3章まで。


2023年6月30日。金曜日。雨。一日中雨。草取りもせず、どこにもいかず。午後、来客。7月資料作り。「雍也 第六」4章から10章まで。



読書の記録
6月4日
秋月龍珉『一日一禅 上』、講談社現代新書
6月22日
秋月龍珉『一日一禅 下』、講談社現代新書

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