2018年2月12日月曜日

資料

表紙「末廣講 弘化四年丁未歳(三月)発起 写し昭和六一年一月 ご芳名」。
弘化四年は1847年


  (一)末広講の例規
一.  本講は末広講と称し神社仏閣を代参順拝するを以て目的とす。
一.  代参者は抽籤法に依る。
一.  本講の構成及び縁起由緒は別冊に在り就て観るべし。
一.  従来の末広講台帳へ各氏名の欄下に於て所謂(いわゆる)世襲の公儀名に依り記載
    せるを以て明治維新以来 戸主名前切換の今日に於て住人は相当せるや不分明
    の者往々之あり ゆえに従来の台帳は明治参拾五季度を以て世話係協議上
    改正する者とす。
一.  改正の台帳に於ては凡講連名者戸主代替りの際は戸籍法に相当せる名に
    改むべし。
一.  前条の規定に依り氏名改正すと雖も猶相当の氏名に非ざる者あり、
    或は記載洩の者あり 依而本講世話係集会の節は時々其受組に於て
    各代替あるや否や正当の氏名なるや否やを明瞭取調べを要すべし。
一.  抽籤法に依り 代参済の者は其由を台帳各氏名の上欄に記入すべし。
    





一.  代参順拝費及び諸費等は凡て従前の礼行例規に依ると雖も
    将来改成の必要を観るに及ぶ場合ある時は臨時世話係協議を以て
    決議することあるべし。


      改定書(1)
一.   弘化四年之春相企貳百人講追々増長いたし嘉永四年正月廿一日に改て
  末広講と名付今慶応三丁卯之春迄凡四百口にも及尚々除追加之人々も
  先定め通金壱歩之事
一.   代参人䦰入会日 毎年正月廿一日
一.   䦰入之節世話方不残宿本へ集会之事
     但し茶つめし之事尤香料三分宛持寄外に加入之方再香料持参出席
   之時ゟ 世話方同様に取斗可申而宿本へ同時に幟立置候事
一.   加入人別之内代参之䦰当り候人は一通相済候迄䦰引相除候事
一.   加入銀高利息之内に而ハ代参人用可被事
一.   道中入用壱人前金壱両宛差遣可申事
   当時は米三斗三升として時相場にて金子相渡申候
               (明治十一年寅の春記す)
      但し増減は時之通用見合之事     
一、往来手形之義は代参人多人数にても壱通にて為相済可申事
 
一、代参人渡海之節講中より仕立船之事
一、散銭之義は講中人別壱人前は壱銭宛札始と札留へ相納め可申
  外新之固所へは其人見合之事
   但惣而散銭は代参人相弁へ可申尚又壱人数は講本に
   しらべ置候事
一、納経銭之義は代参人之心任にいたし可申事
一、たちもの之義は酒賭場急度相慎可申事
   末広講䦰適当之御方は誰人を問ず神社仏閣へご参詣の砌専一に国
   家安穏五穀豊饒講中安全并村内繁栄等の義丁寧に御祈願
   可有事 但に右書添候事
              末広講連中

   御参詣御方々様
   阿波海部郡表浦町より獅々吼町へ乗船義 土足井田浦より三十八番足摺寺
   へ乗船之儀別して下り悔□右両所の義は波濤隠に〆晴天風なき雖も
   何時難風吹き来なるやも難計地処也往古より出伝え有之実に恐るべし    
   慎むべし依て此段為念御報導に尽置候也願主貞兵衛謹白
   御参詣之御方々様     




   改定書(2)
一、講組へ土産は講札壱枚宛代参より相配可申事
   但世話方十九人へは何成と軽き品お渡し可申事
一、善興寺 宮本 三役会中へ何成共心住むせ代参 より土産可渡事
    伊勢両宮越前永平寺高野山右三ヶ所へ参詣代参ノ立度心得は一同、
    申伝候得共弘化四未ニ企中講録を分け致候御義無本意ニ付又ハ、
    嘉永六二月五日之折濃別三九立候事は治但し相集右之講旅
    相加へ川上ゟ両方同様にいたし已ニ安政四巳ノ春初めて代参相立申す
一、代参弐人相立可申事
  道中入用金壱人前壱匁弐歩宛之事   
   但し増減は時之通用見合之事 通時は米六斗六升として時相場にて
                 金子相渡申候 明治十一年寅の春記  
一、永平寺宿坊の通と高野山坊の通は講本へ来り居り候間参詣之節 

  更新相持可申事    
一、右三ケ所御初穂金弐朱宛講中より相納可申事

   但、伊勢より講中へ御はらい 宮本 僧へは参り候内御初穂は
   同品相渡し置候事
一、右三ケ所散銭は代参人相弁へ候事
一、講中へ土産は伊勢之釼先壱□、相配り可申事
   但し世話方十九人へは四国須□と同様に何成と軽き品を相添可申事
一、善興寺 宮本 三役会中へも同様に取計可申事
一、宮巡之義は船より相廻り可申事
一、同舎巡り之義は宿を昼と夜とにして入用は人別割に致候事
一、御酒上ケ之義も何分手軽に取計可申事
一、惣纂用締会日 毎年極月六日定
   但世話方不成集会貸附金利足分立替此耐相傳為時立年之貸附
   料代参人数之事迄も得候申使相定め候事
   右定書之通相話て心得違無之様ニ可仕四国外三ケ所へ䦰番ニ相成候


   人は別として相慎可申万一御納経は八十八ケ所を始中にも西京御堂御所


東京東叡山其外神社仏閣之御判有之泊り処おのすと上段へ直置
   更□渡□□ニも手より書願刷も従末之取扱致間敷又
   宮寺へ落書不相成新普請は猶更又御本尊并大師堂
   へ納札致候も他方の御札之上へ張申間敷夫々急度
   相心得可申扨又大師之御跡を巡拝の行者として船車
   加篭(かご)等は一切用捨可有之事は勿論慎む病気之節は
   格別尚(なお)同行中口論発して致間敷自然他方之同行者へ
   当り合掛り合は相成候事も難計都て道中関所
   川の渡場は不及申宿屋にても口上出侭雑言吠申間敷
   相守候慎専一ニ致事
一、当講成就之上世話方元締方証文預金引立手能方も定約
  書面之通りハ灰香永代之義は宜敷家名相続人に当る方
  は夫々役割の通相守相勤可申事
一、当講は夫々連名に御納得委細書載之事






口演
 一、私儀眼病にて難儀仕御大師様へ立願いたし速に平癒仕 為 御礼冥加と四国巡拝構う弘化四年之春に相企万人之力にて 増長仕候事は全く当時の庄屋村上美次郎御主を始神主 村上佐渡正善興寺十三世大鳳和尚之御徳引続て十四世大賢 和尚村方庄屋村上八太郎御主組頭柏原平左衛門主同柏原伝六主 之御教并行届并御世話方之御心配にて今慶応之三卯迄年々
  講金□約貸付仕送り諸扣諸費用之観則等迄諸帖面夫々全備仕
  候は目出度複撥に御座候冊状旨之為迄に当講法不義に付ては不足
  筋心掛り無備生依ては御一同へ御礼申上様も可有之候得共蒙御
  免申バ斯大儀之成就繁栄仕事偏に仏陀之御加護且は村内人情
  之穏やかなること他方へ聞え尤難有事御座候此他儀□□ニお□□□
  □此上御大師へ報恩のため隣国他国の信者にすすめ当講末広 
  を奉祈候御役方御世話方にも此□迄加え相成候御高配可有
  就ては各々様御家門返礼として永代世話筋子孫へ為(ため)仕度志願ニ御座候
  已に中之(庄が脱字か)村鶴亀講栄吉主は今生後生に同□何事も同意入魂
  に致し相互に堅く申し伝え□□事も御生間何卒講宿本永続仕
  所義御一同御聞届度被下御申伝へ可被下候併□東宿本も得
  不仕様ニ相成候ハ是状も□□生得共御□にて家名相続仕為時は
  右之理□こと厚御願申上候先は胸中之有掛御礼旁申□老生
  不定之世之中此□相果候とも心掛とも□□□
            願主村上貞兵衛謹書 


























取締方(弘化四年時)
一、帖元  村上八良兵衛
一、証文類 柏原貞八郎
一、金引請 柏原吉平
一、同   白石忠四郎
一、手配方 村上要吉
一、同   藤井藤吉
一、宿本 発起主 村上定兵衛

世話方(弘化四年創立時)
村上多八郎 
村上嘉右衛門 
峯松多三治 
村上米吉 
村上弥六 
柏原金右衛門
村上又左衛門 
村上七松 
村上新輔
柏原林蔵 
村上藤三郎 
村上元右ヱ門