2021年6月28日月曜日

第16回エクスカーション 弓削散策

20160701



昨日までは暑かった。明日からは一週間雨マークがついている。朝から曇って涼しい。7時50分に出て、重井ローソンで昼食を買って8時に出る。8時20分に家老渡に着く。12人。フェリー代は往復一人180円。あっという間に上弓削港へ着く。南へ山を越える。上弓削港で一人合流。13人となる。

右へ曲がり車道を通って下弓削を目指す。

全行程11000歩。レベル3。

8:48

8:48 右生名島、左佐島

9:06
小学校へ一、三
下弓削へ二、八
鯨へ  一、八

9:07
八十六番志度寺

9:10
肩こり かゆみ クリーム ワーム

9:20
真言宗 浄泉山 願成寺 
弓削四国第八十一番札所
9:45
第八十三番一宮寺

10:04
第十六番 観音寺

10:11
無量壽 甲子春 沙門哲苑(啓苑?)




  






 


2021年6月23日水曜日

街角古文書 その4

 坂本龍馬

海援隊規約




  海援隊約規
凡嘗テ本藩(土佐)ヲ脱スル者
及佗(他)藩ヲ脱スル者、海
外ノ志アル者、此隊ニ入ル
運輸射利開柘(拓)投
機本藩ノ応援ヲ為ス
ヲ以テ主トス今後自他
ニ論ナク其志ニ従ッテ撰


なお、続きは以下のようになる。



  入之凡隊中ノ事一切隊長ノ処分ニ任ス。敢テ或ハ違背スル勿レ。
  若暴乱事ヲ破リ妄謬害ヲ引ニ至テハ隊長其死活ヲ制スルモ亦許ス。
  凡隊中忠難相救ヒ困厄相護リ、義気相責メ条理相糺シ、若クワ独断果激、儕
  輩ノ妨ヲ成シ、若クハ儕輩相推シ乗勢テ他人ノ妨を為ス、是尤慎ム可キ所敢
  テ或犯ス勿レ。
  凡隊中修業分課ハ政法、火技、航海、汽機、語学等の如キ其志ニ随テ執
  之。
  互ニ相勉励敢テ或ハ懈ルコト勿レ。
  凡隊中所費ノ銭糧其の自営ノ功に取ル。亦互ニ相分配シ私スル所アル
  勿レ。
  若挙事用度不足、或ハ学科欠乏を致ストキハ隊長建議シ、出崎官ノ給弁
  ヲ竢ツ。
   右五則ノ海援隊約規、交法簡易、何ゾ繁砕ヲ得ン。モト是翔天ノ鶴其ノ飛
   ブ所ニ任ス。豈樊中ノ物ナランヤ。今後海陸ヲ合セ号シテ翔天隊ト言ハン。
   亦究意此ノ意ヲ失スル勿レ。

      皇慶応三丁卯四月

街角古文書 その3


菅茶山

調べていたら、菅茶山記念館のホームページに画像と解説が載っていました。

https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3124.html


まず、七言古詩の「田家」

『黄葉夕陽村舎詩』前編2巻-16 (p.99)

 


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葛覃藤[ ]夏木瞑牧犢隔林聲相應陂塘閘
開風始薫野川堰成路正濘揚柳貫魚三両童累騎
老牛入竹叢竹叢数里擁閭巷屋影參差嫩翠中
僻郷人僕[ ]爭少相通乞假新隣保東家鑿井常
共汲北舎生兒時更抱嗟我平生懐憂虞目耕何似
躬耕好

隔下脱林字北上脱共汲二字
衰旄経写到此紕漏覧老[ ]嗤
  七十翁晋帥


葛覃藤[ ]夏木瞑
牧犢隔林聲相應
陂塘閘開風始薫
野川堰成路正濘
揚柳貫魚三両童
累騎老牛入竹叢
竹叢数里擁閭巷
屋影參差嫩翠中
僻郷人僕[ ]爭少
相通乞假新隣保
東家鑿井常共汲
北舎生兒時更抱
嗟我平生懐憂虞
目耕何似躬耕好

隔下脱林字北上脱共汲二字
衰旄経写到此紕漏覧老[ ]嗤
  七十翁晋帥



読み

葛覃(かったん)藤[ ](とうぼう)夏木瞑(くら)し
牧犢(ぼくとく)林を隔てて聲相(あい)應ず
陂塘(はとう)閘開(かんかい)風始めて薫る
野川(やせん)堰成(えんせい)路(みち)正に濘る
揚柳(ようリュウ)魚を貫(つらぬ)く三両の童
老牛に累騎(るいき)して竹叢(ちくそう)に入(い)る
竹叢数里擁閭巷
屋影參差嫩翠中
僻郷人僕[ ]爭少
相通乞假新隣保
東家鑿井常共汲
北舎生兒時更抱
嗟我平生懐憂虞
目耕何似躬耕好

隔下脱林字北上脱共汲二字
衰旄経写到此紕漏覧老[ ]嗤
  七十翁晋帥

…葛覃(かったん)藤(とう)[まん]夏木(かぼく)瞑(くら)し 

牧犢(ぼくとう)林(はやし)を隔(へだ)てて声(こえ)相応(あいおう)ず 

…陂塘(はとう)閘(こう)開(ひら)いて風(かぜ)始(はじ)めて薫(くん)じ 

…野川(やせん)堰(せき)成(な)って路(みち)正(まさ)に濘(ぬか)る 

…揚柳(ようりゅう)魚(さかな)を貫(つらぬ)く三両(さんりょう)童(どう)

…老牛(ろうぎゅう)に累騎(るいき)して竹叢(ちくそう)に入(はい)る  

…竹叢(ちくそう)数里(すうり)閭巷(りょこう)を擁(よう)し 

…屋影(おくえい)參(しん)差(し)たり嫩翠(どんすい)の中(なか) 

…僻郷(へききょう)人僕(じんぼく)にして[かい]争(そう)少(すく)なく 

…乞假(きっか)相通(あいつう)じて隣保(りんぽ)親(した)しむ 

…東家(とうか)井(せい)を鑿(うが)てば常(つね)に共(とも)に汲(く)み 

…北舎(ほくしゃ)兒(こ)を生(う)めば時(とき)に更々(こもごも)抱(だ)く 

…嗟(ああ)我(われ)平生(へいせい)憂虞(ゆうぐ)を懐(いだ)く 

…目耕(もっこう)躬耕(きゅうこう)の好(よ)きに何似(いずれ)ぞ 

街角古文書 その2

2021年6月21日月曜日

街角古文書


 いろんなところに古い文字があります。いずれも古文書学習の教材です。

歌川広重


お中元にいただいたお菓子の箱(金属製)に見事な絵が印刷されていました。東京国立博物館 月に雁 歌川広重筆 と横に書いています。あの、北斎、広重の広重です。私たちの時代は安藤広重と覚えたものですが、今は歌川広重と表記するそうです。安藤は本名、広重は雅号で一緒に並べるとおかしいのだそうです。へぇーえ? 夏目漱石だって森鴎外だって、本名の姓+雅号だったと思うのですが・・。それはさておき、師匠が歌川豊広で安藤重右衛門が本名で、師匠が自分の広に本名の重を足して歌川広重と名付けてくれたのだそうです。そして作品は歌川広重名で発表したということで、今は歌川広重と表記するそうです。世界的な画家の名前をそんなに変えていいものでしょうか??

左上に文字があります。「讃」と言います。

 こむ奈 夜可 又も 有うか 月尓雁 で変体仮名を現代表記の仮名にすると。

 こむな 夜か 又も 有うか 月に雁 で

 こんな夜がまたもあろうか月に雁 


落款は読めません。右下は馬と鹿の絵で馬鹿という意味でしょうか?

その上には廣重筆と書いてあります。

雁は家族で飛んでいるのでしょう。先頭が父で残り2羽が子供でしょうか? それとも3番目が母親で、遅れたもう1羽を安じて振り返っているのでしょうか。

月を背景に雁が飛んでいるのを見るような夜に二度とめぐり合うことはないだろう、というのが本心でしょう。



同じく広重の菊花雉子です。左上の讃は、

菊の香や ふく免る露能 ち類度尓

菊の香や ふくめる露の ちる度に

菊の香や ふくめる露の 散るたびに

ということです。 



同じく広重の牡丹と孔雀です。



牡丹花 富貴者 也 幽斎

牡丹花 富貴のものなり

牡丹の花は 富貴のものなり

牡丹は富貴の花なり、と言われます。


廣重筆


次は佐久間象山の作品です。


斯花有性気愧与凡 
葩君半末君子佩幽 
谷守意芳     
    象山印    
五言絶句ようなので五文字ずつ並べてみましょう。
斯花有性気
 愧与凡葩君 
 半末君子佩 
     幽谷守意芳     
    象山印





               造化密移春復秋此心
               常ゟ故人遊前身應是華
               陽光萬巻持壽不下楼
                  象山

これは七言絶句になっているようなので、七言ずつ書いてみましょう。
               造化密移春復秋
               此心常ゟ故人遊
               前身應是華陽光
               萬巻持壽不下楼
                    象山
読んでみましょう。
               造化密(ひそ)かに移る春また秋
               此の心常より故人遊ぶ
               前身これに応じて華陽光る
               万巻持つも寿(とし)楼を下らず


島崎藤村の「千曲川旅情の歌」


小諸懐古園へ行った時、詩碑の拓本を買ってきました。千円だったと思います。今も売っているでしょう。封筒へ入れておくのも勿体無いので、西文明堂へ持って行って額装にしてもらいました。4万円でした。物は大きいです。

千曲川旅情之うた
小諸奈留古城之の本と里 雲白く遊子
か奈しむ みど里奈す者こへ者もえす
王可くさも志く尓
よし無し 志ろ可ね之
不すま之お可へ 日尓とけてあは雪流る
あたゝ可き光者あれと 乃尓み津る香里
志らす あさく乃み春者可すみて むき之色
僅可尓靑し 旅人乃のむれ者以く津可 畠中之
道越以曽急きぬ 暮れゆけ者あさまも見えす
うた可奈し佐久の草笛 千曲川以さよ不
波之 岸近きやと尓乃本里津 尓こ里酒
尓これる飲みて 草まくら志者し奈くさむ

              島崎藤村

 信濃路之おもひて尓旧詩之
 一つ越志るす印


今風では次のように書かれる。


千曲川旅情の歌

小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子
(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞
(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾
(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香
(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む 


日本語の詩は韻が無いので、外国の詩に比べるとちょっと詩という概念が違うのでは無いのかと思う。
そんな中で、詩らしい詩だ。ほとんどの行にカ行が入っているのが詩らしい韻律をなして5・7音の繰り返しの単調さを救う。
よく言われるようい、朝から夜へと時間が経過する。その時間の流れに乗って景色が展開し、それに呼応して、心がすなわち青春の旅情が深まっていく。
濁り酒濁れる飲みて、というのは土の沈んだ水をかき混ぜると、水が濁って視界が悪くるなることを連想させる。暮れ行けば淺間も見えず、の視界がさらに悪くなって、時間がさらに経過したことを暗示させる。


熊沢蕃山


学問之道無他?  其放心而已
学問之道無他 求其放心而已だったら1行目の下は求にならないといけないのですが。

2021年6月18日金曜日

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 2022 vol.7 総目次

 






因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第81回