2020年8月31日月曜日

夕凪亭閑話2020年9月

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2020年9月1日。火曜日。晴れ。
4時に起きる。5時すぎから庭の手入れ。朝、散髪。午後、買い物。日差しがきつい。夕方、畑の手入れ。資料の整理。古文書。

吉川英治「新書太閤記(九)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「位」「毛受家照」「途上一別」。



2020年9月2日。水曜日。晴れ。

4時半に起きる。古文書。

夕方草取り。夜、古稀の会。瀬戸内タイムズ原稿。

吉川英治「新書太閤記(九)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「良き家、良き妻」「虞氏と楚王」。



2020年9月3日。木曜日。晴れ。

4時に起きる。5時過ぎから草取り。朝、来客。10時から大学生へ化学の講義。午後来客。夕方、草取り。夜、古文書。



2020年9月4日。金曜日。晴れ。一時雨。

朝から福山。古文書。午後、福山泊。



2020年9月5日。土曜日。晴れ。

朝、少し草取り。潮騒荘へ。ビロードの丘。買い物。夕方草取り。古文書。



2020年9月6日。日曜日。晴れ。夕方、夜雨。

台風風強く蒸し暑い。家で古文書。午後、少し雨。早めに片付け家に篭る。台風10号ははるか西の鹿児島の方なのに、かなり風が強く、その大きさが思いやられる。普通の台風が近くを通過するような規模だ。午後、9月資料印刷。



2020年9月7日。月曜日。晴れ。

台風一過、といっても、まだ風が吹くとの予報。その通り、いつまでもかなり強い風が断続的に吹いている。雨も無く、日差しは強い。いつまでも涼しくならない。

朝、公民館へ9月資料の印刷を頼む。大学生へ化学を教えに行く。午後、昼寝。夜、古文書。



2020年9月8日。火曜日。晴れ。

やっと朝夕が涼しくなったが、日中は暑い。4時に起きて5時半から庭仕事。朝食後8時まで。10時から田熊公民館。

午後、ビロードの丘。買い物。昼寝。夕方、庭仕事。夜、古文書。吉川英治「新書太閤記(九)」吉川英治歴史時代文庫、講談社(青空文庫)で「童女抄」「阿修羅の伜」を読んで、終わる。



2020年9月9日。水曜日。晴れ。一時雨。

4時に起きる。5時半から庭の手入れ。朝食後8時半まで。10時から化学。午後、はと印刷。のち、来客。夜、古文書。瀬戸内タイムズ原稿。



2020年9月10日。木曜日。晴れ。

4時に起きる。5時半から庭掃除。朝食後も8時半まで。蛇が出る。10時から化学講義。午後、公民館へ原稿を取りに行く。昼寝。古文書印刷原稿を作る。



2020年9月11日。金曜日。晴れ時々雨。

9時から福山。午後、文学館で古文書。福山城事務室でコピー。井原墓参。



2020年9月12日。土曜日。晴れ時々雨。

朝、棗取り入れ。ビロードの丘。買い物。古文書の整理。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「初花」「予譲の車」。



2020年9月13日。日曜日。晴れ。

朝4時に起きる。5時半から庭の草取り。朝食後も。昼寝。古文書。夕方、草刈り。夜、古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「大坂築城」「中庸」。



2020年9月14日。月曜日。晴れ。

5時半から草取り。10時から化学講義。

午後は古文書整理。



2020年9月15日。火曜日。晴れ。

4時に起きる。5時半から草取り。8時半からふるさとの歴史を学ぶ会。午後、ビロードの丘。買い物。古文書整理。



2020年9月16日。水曜日。晴れ。

5時に起きる。5時半から草取り。10時から因島図書館。文学散歩の会。6人。午後、古文書整理。夜、瀬戸内タイムズ原稿を書く。


2020年9月17日。木曜日。晴れ。夜雨。

朝4時に起きる。瀬戸内タイムズ原稿送る。5時半から草取り。10時から化学講義。午後ビロードの丘。帰って昼寝。古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「九年母」「同憂」「名門禍」。



2020年9月18日。金曜日。雨。午後から晴れ。

朝、古文書。午後ビドードの丘。買い物。

夕方、草取り。吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「小牧の序」「泣虫甚内」。



2020年9月19日。土曜日。晴れ。

朝夕草取り。朝、化学講義。午後、古文書。夜、10月資料。吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「構想」「花・ふた色」。



2020年9月20日。日曜日。晴れ。

朝、5時半に起きる。畑の草取り。10時前から来客。午後昼寝と古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「静夜騒客」「さすらい人」。



2020年9月21日。月曜日。晴れ。

6時半に起きる。朝食後草取り。10時から化学講義。終わる。午後昼寝。夕方、買い物。畑。夜、古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「去就」「青さぎ」。



2020年9月22日。火曜日。晴れ。

朝食後草取り。古文書。午後、昼寝。夕方、庭の手入れ。夜、古文書。10月資料。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「のら息子」「犬山・陥つ」。



2020年9月23日。水曜日。晴れ。

朝食後9寺まで庭の手入れ。9時まで。古文書。午後、ビロードの丘。買い物。昼寝。夕方1時間ほど大根撒いて、のち庭の剪定。夜、瀬戸内タイムズ原稿を書く。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「二つの世」。




2020年9月24日。木曜日。曇り時々小雨。夜雨。

朝食後剪定、草取り。来客。午後、昼寝。古文書。夕方、松の剪定。夜、古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「地図屏風」。

沖村雄二『シルクロードにさんご礁を探して』終わる。



2020年9月25日。金曜日。雨のち曇り。

朝から雨。9時に出て福山へ。午後福山文学館で古文書講座。帰りにコアで本を三冊買う。帰って棗を取る。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「小牧山」。



2020年9月26日。土曜日。曇り。

9時過ぎにビロードの丘へ。買い物。夕凪亭の模様替え。午後、昼寝。片付け。夜、古文書検討結果送付。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「小牧の蝶々」「病める鬼」「陣中の一花」「虚実」。



2020年9月27日。日曜日。晴れ。

朝、草取り。古文書。午後、昼寝。古文書。夕方、庭木の剪定。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「みだれ笹」「金扇来」「薫風陣」。



2020年9月28日。月曜日。晴れ。

朝、公民館だより原稿。写真を写しに行く。午前中、来客。午後、古文書。

吉川英治 「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「山つつじ」「達人眼」「龍泉寺川」を読んで終わる。



2020年9月29日。火曜日。晴れ。

5時に起きる。朝食後、庭木の剪定。10時はと印刷。午後、ビロードの丘。買い物。古文書。夕方、剪定。夜、10月資料作り。

吉川英治「新書太閤記(十一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「黒石・白石」「戦算」。

梅棹忠夫『モゴール族探検記』(岩波新書)終わる。



2020年9月30日。水曜日。小雨。曇り夜雷雨。

朝から小雨。外の作業はしない。古文書。

午後庭木の剪定。夜、瀬戸内タイムズ原稿書く。

吉川英治「新書太閤記(十一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社、「大蟹・小蟹」「老いらくの将」「女弟子」。








読書の記録

9月8日。

吉川英治「新書太閤記(九)」吉川英治歴史時代文庫、講談社(青空文庫)

9月24日。
沖村雄二『シルクロードにさんご礁を探して』
9月28日。
吉川英治「新書太閤記(十)」吉川英治歴史時代文庫、講談社(青空文庫)
9月29日。
梅棹忠夫『モゴール族探検記』(岩波新書)




2020年8月30日日曜日

一谷嫰軍記 三段目

  一覧 ▶️因島重井町文化財協会 


大阪船町
加嶋屋清助板
再版
熊谷陣屋の段
一谷嫰軍記 三の切
 一谷嫰軍記 三の切
奥へ連て行。相模ハ障子。
押開き。日も早西に傾きしに
夫の帰りの遅さよと。待間
程なく。熊谷次郎直實。花の
盛の敦盛を打て無常を
悟りしが。遉(さすが)に猛き武士も。
物の哀を今ぞ知る。思ひを胸
に立帰り。妻の相模を尻目
にかけて座に直れバ軍次ハ

やがて覆(おほひ)に成。先達て平次


******
(段切り)
長居ハ無益(むやく)とみだ六ハ鎧櫃
にれんしやくをかけた思案の
しめくくり。これこれこれ義経殿。もし又

敦盛生返り。平家の残党
駆あつめ。恩を仇にてかへさはいかに
ヲヲそれこそハ義経や。兄頼朝か助り
て。怨(あだ)を報ひし其如く。天運(てんねん)次第
恨を請(うけ)ん。けに其時ハ此熊谷

浮世を捨て不随者と源平
両家に由縁(ゆかり)ハなし。互に争ふ
修羅道の。苦患(くげん)を助る回向の

やく。此みた六ハ折を得て又宗清

と心の還俗。我ハ心も墨染


に黒谷の法然を師と頼ミ

おしへを請ん。いざさらバ。君にも

また(繰り返し記号)御安泰。おいとま申   

と夫婦づれ。石屋ハ藤のお局(つぼね)を

伴ひ出る陣屋の軒。御縁か有ハと



女同士命があらバと

堅固でくらせの御上意に

有がたなみた名残りの涙。 

又思ひ出す小次郎が。首を

手つから御大将。須磨寺


に取おさめ末世末代敦

盛と。其の名はくちぬ金札(コガアネザネ)

武蔵坊が制札もはなと

おしめど、花よりも、おしむ

子をすて、武士を捨、住所(すみどころ)


さへ定めなき有為転変

の世の中やと互ひに見

あわす顔と顔、さらば(繰り返し記号)、

おさらばの声もなみだに

かきくもり分れて。こそハ出て行。













2020年8月28日金曜日

頼山陽

頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日1781年1月21日) - 天保3年9月23日1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家思想家漢詩人文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は(のぼる)、字は子成山陽、三十六峯外史と号した。

 

咄汝海龍王敢拒王師東 運糧咄汝北條虜比 
我平家白面豎天子節刀在手中陸屠猾 
賊海屠龍莫嗤相公面假鬚猙獰猶存舊 
人奴々握


龍戦曽経八州迹 鶴巣終審一
枝安卻収当日余筆自
写千兵万馬看
山陽外史


平地生雲気横天畳木陰
万年神在處兆庶子来心此
水流今古何人測浅深姦
雄欺裔冑不遁大陽望
    草莽臣㐮

平地生雲気
横天畳木陰
万年神在處
兆庶子来心
水流今古
何人測浅深
雄欺裔冑
不遁大陽望
  草莽臣㐮






鴨何月暗 春長留家何亭

帰来勉一 秋川弓夕陽
  今日訪居
  世息
  冨也
     山陽外史㐮








目録

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大正十二年十一月
六十五翁謝寅写
咄汝海龍王敢拒王師東 運糧咄汝北條虜比 
我平家白面豎天子節刀在手中陸屠猾 
賊海屠龍莫嗤相公面假鬚猙獰猶存舊 
人奴々握


龍戦曽経八州迹 鷦巣終審一
枝安卻収当日投余筆自
写千兵万馬看
山陽外史








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2020年8月27日木曜日

女庭訓御所文庫

  一覧 ▶️因島重井町文化財協会 

発行者:
発行年:
寄贈者:


柏原◻︎之
廣嶋県備後国御調郡
重井村字峯越第四拾壱
番屋敷農職業大脇田
出家先祖柏原浅松

御家当流女躾方
女庭訓御所文庫
万葉教訓女宝鑑

總目録


紫式部石山記
紫式部ハ越前守ためときが
娘にて上東門院の官女、はじ
めは藤式部といひたるが、源氏
物語を作りて紫のうへのことを
よふいみじくかきなしたり。
このあとからは紫式部と号し
たり。それをそれを此式部ハようがん
うやたしきのみにあらずと待歌
の為にわろし。
ふむるに    ある時
村上天皇のむすめ大斎院
より上東つ院へ御使あって、世に
めづらしき冨子なと侍り と
こひをとってさせ給ひなり。上な
つ院式部めされがたり あり。



折ふし八月(はづき)十五夜なれば、かわらぬ
月かげ湖畔にうかぶ千里のな
がめもさはりなく、まづははきぎ
あかしの二巻かきはじめたく
ついに六十帖の功おはりぬ。
今の源氏物語これなり
そのことばうるわし
色欲不義の  つれをとく
   無常の 理と人
にさとり       是
より 朝第一のさうし
とはなり侍るとかや



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伊勢講帳

 一覧 ▶️因島重井町文化財協会 

発行者:伊勢講
発行年:明治29年(昭和17年まで記入)
寄贈者:柏原九三郎


大神宮
明治廿九年
正月吉日


伊勢講中


明治弐拾八年四月一日
十銭     たこ
十五銭    肴
八十銭    酒五升
二銭     さとう
二銭     からせ
九銭     こんにゃく十
五十三銭   おば十五

四分    わかめ
二十銭   さとう
六銭四十八分 肴
三十五銭   まて
十五銭
五十五銭   揚もの

  大正十四
   宿元   柏原
   世話人  村上
        村上
六円      酒五升
二円四十五銭  米五升
五十銭     連根
二十銭       さとう 
                                  一斤
十五銭      酢三合
八十銭     松茸
         二百目
十五銭     白味噌
三十銭     あげ
一円六十五銭  肴
〆拾弐円二十銭
 十人割
一人壱円二拾二銭づゝ 





2020年8月26日水曜日

常会必携

発行者:御調郡重井村 
発行年:昭和15年頃
寄贈者:村上忠五郎





被寄贈資料・図書

▶️因島重井町文化財協会 

古文書

 伊勢講中

 北浜道路改修一件

 西部接待講一件

町内関係資料

 常会必携

 みんぐ

漢文・漢籍

 論語

 孟子

 十八史略

浄瑠璃本

 一ノ谷嫰軍記 三段目


明治以降教科書


教養書

女庭訓御所文庫


図録・カタログ

目録






▶️因島重井町文化財協会

2020年8月23日日曜日

小早川隆景

 宮窪(p.33)

追而御折帋拝見候
今度上口御行付而
諸警固指上候、就夫
御馳走之事申入候、
条々之理之通承知候、
於旨儀者万端御両使
御返事申入候条、可有
御披露候、随而郡内
表鉾楯之儀付而
従湯付無事被成、御
下知由候、尤肝要候、
但通倚武吉被仰
談弥無異儀様御才
覚専要候、於我等茂
不存疎意候、将又豊
前蓑島之内御本知


(折り目)反対
之事蒙仰無余
儀存候、児周被仰談
弥吉田可被仰届事
肝要候、猶毎事御
両使申含候間不能
細筆候、恐々謹言
   左馬佐
三月三日 隆景(花押)
(上書)
武吉 御辺報


 宮窪(p.34)小早川隆景宛行状
就御進退之儀自湯月重畳
御懇被被渡通得其心候、然間
於備中東庄之内百貫之地
先以進置候、全可有御知行候
何茂連々可申談候、恐々謹言
 九月廿日  隆景(花押)

 村上源八郎殿  
        御宿所




 宮窪(p.35)小早川隆景宛行状
今度通昌不慮之御覚悟不及是
非候、然処御父子三人之御事以無
二之御心底被引分御入魂之段外実
大慶候、仍御方連々申談候辻誠 
此時候条一所可進之置候、聊以不
可有相違候、猶久修江申渡候、恐々
謹言 已上
 卯月十四日    隆景(花押)

村上源八郎殿
     御宿所


差出人 小早川隆景
名宛人 村上源八郎(景親)
発行日 天正10年(1582)卯月14日


小早川隆景書状(p.45)


  尚々掃部殿無何事候、
  可心安候
幸便之条令申候
幾度申候而も去夏
中川橋あさとの
所ニ御在陣候て毎事
唐人と御取相御紛
骨之段併外実珍
重候御辛労之通細々
可申入を遠国在陣
之故相過候、当時開寧
御出之由候、何篇弥無御

(2行重ね)
油断御肝煎尤ニ候、恐々
謹言
      左衛
 十二月十七日  隆景(花押)

 村三兵
    御陣所


以下因島村上家文書
15小早川徳寿隆景書状(p.26)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.557
寔(まこと)青陽之御嘉祥、
千秋万歳自他以幸
甚ニ候、仍御太刀一腰畏
悦之至候、何様御祝儀
従是可申入候、猶御使
者申候、恐々謹言

 正月十一日  徳寿
 村上加賀守殿 
      御返報

因島村上家文書20小早川隆景書状(p.33)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.560
向島一円之事、任承旨致
同心候、以宇賀島一着之上可有
御進退候、神茂御照覧候へ
聊不有相違候、弥御入魂
此節候、恐々謹言
  卯月十日   隆景(花押)
村上又三郎殿
     御陣所 

(礼紙切封)上書き
-  ー           小早川又四郎
村上又三郎殿 御陣所       隆景



因島村上家文書21小早川隆景官途吹挙書下(p.35)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.561
新蔵人御所望之事
可令吹挙京都
之条如件

弘治三年正月十二日      散位隆景(花押)
  村上又三郎殿



因島村上家文書22小早川隆景書状(p.36)、広島県史古代中世資料集Ⅳp.561