2116年2月26日水曜日

因島重井町 丸本屋墓地

しげいみち   善興寺
*****

*****
六地蔵前通路(東へ登る)の左(北)側をAゾーンとする。下から2番目の列をA2とする。南(右)からA2-1、A2-2・・・とする。

2016.2.26.


2016.2.22.



重井 丸本 十八代 村上司 新蔵人吉充の孫某三郎左ヱ門と唱へ、五代迄年代未詳。六代三郎左ヱ門(寛永二十年一六四三死)帰農して以来、三百余年間相継代々大農として今日に至る。
松浦儀作、「因島村上と青影城址」、因島市青影観光会、昭和33年、p.27



***右(南)から1つ目***A2-1
2016.5.7. A2-1前(西)面。「壽山道高庵主 福海妙深禅女」

2016.5.7.  A2-1右(南)面。「主 弘化二巳十一月十六日  女 嘉永二酉八月廿三日」
  *1845弘化二乙巳  1849嘉永二己酉
2016.5.7.  A2-1 裏(東)面。文字無し。

2016.5.7.  A2-1  左(北)面。「村上十兵衞夫婦塚 祠堂夜昼臺久畑施入」。

***霊名碑***

2016.5.7.
18代 三良左衞門 昭和3年1月26日没。51歳。
19代 要     昭和16年2月19日没。39歳。
20代 弘行    昭和63年7月2日没。54歳。



丸本家系譜


2115年10月25日金曜日

2019年7月20日土曜日

2003年1月


2003年(平成15年)
  
2003年1月1日。 水曜日。晴れ。
 はじめて福山で元旦を迎える。娘は風邪気味。
  昼過ぎ、総社の義姉。泰年君と、高屋の義母とともに来る。

2003年1月2日。 木曜日。晴れ。
 昼に雑煮。年賀状の返事。秀蔵の部屋の片づけ。夜、92年に卒業した生徒のクラス会。120名ほど集まった。

2003年1月3日。 金曜日。雨。
  午後、年賀状を書く。

2003年1月4日。 土曜日。晴れ。
 8時半に起きる。パンを食べる。新聞を読んでから髭を剃る。10時過ぎ、庭の掃除を少しする。二階へ上がって年賀状の返事を書く。
 昼食後再び、年賀状の返事を書く。完了すると更に配達されていたので、返事を書いて終わる。3時頃から5時頃まで昼寝。
 夕食は、おせちの残りとハム。夕食後歩く。寒い。15分ほど歩いて帰る。
  インターネットディスクをインスツール。同期をとり元に復す。
  由起子の英語の勉強も見ることにした。
 「オール読み物」の2002.6月号で、小池真理子の「虚無のオペラ」の1回目を読む。また、伊集院静の「眠る鯉」を読む。これはいい短編である。

2003年1月5日。 日曜日。晴れ。
 雪が積もっている。7時半に目が覚める。8時半からパンを食べる。寒い。炬燵で新聞を読む。10時に二階に上がる。
 10時で4.4度。寒い。
  午後昼ご飯を食べてから1時間ほど昼寝。年賀状が来たので返事を書く。
  「オール読み物」7月号で西村京太郎の連載や笹沢佐保の「麗しき吸血」を読む。
   夜、大変寒い。

2003年1月6日。 月曜日。晴れ。
  7時半に起きる。たまっている可燃ゴミを捨てる。8時半に学校に着く。仕事始め。 
 午後も行く。
   2220分に二階に上がると6.1度。昨日ほどではない。

2003年1月7日。 火曜日。晴れ。
 6時半に起きる。二人が始業式。
 10時前に出て、郵便局によってから行く。

2003年1月8日。 水曜日。晴れ。
  10時前に行く。会議資料を作る。昼に帰って食べる。
 植木のゴミを整理。



2003年1月9日。 木曜日。晴れ。
 5時15分に起きて二階に上がる。6.5度。

2003年1月10日。金曜日。晴れ。
 5時に起きるも、5時35分に二階に上がる。昨日と同じく6.5度。
   メールを見て、『サイボーグ・ブルース』を少し読む。6時10分に降りて、ゴミを出し。
    夜一人で30分ほど歩く。

2003年1月11日。土曜日。晴れ。
 平井和正『サイボーグ・ブルース』(角川文庫)終わる。すごい才能だ。Nature 1月2日号届く。
 昼前に石井皮膚科に行く。
 部屋の壁に化粧ベニヤを貼る。一枚で終わる。少しずつやる。
 夜、三人で歩く。
  「オール読み物」7月号で小池真理子「虚無のオペラ」、光原百合「十八歳の夏」を読む。

2003年1月12日。日曜日。晴れ。
 八時半に起きる。日が照っていいお天気。二階に上がると1015ふん。
  「オール読み物」8月号で、西村京太郎「祭ジャック・京都祇園祭」を読む。
  学校へ。
 部屋の壁に化粧ベニヤを貼る。その後、娘の部屋の拡張。
   夜、「オール読み物」8月号で「虚無のオペラ」を読む。

2003年1月13日。月曜日。晴れ。
 5時半に目が覚めるが、寒いので布団の中で本を読んでいるとすぐに寝てしまった。やはり起きなければだめだ。
 次に目が覚めたのは、8時半。 
 「オール読み物」8月号で、加納朋子の「夢の家のアリス」を読む。なかなか才能のある人だ。
 左の背中かと腹の間くらいが痛む。今までもビールを飲んだ次の日に時々軽く痛んでいたところだ。しかし、今回のはひどい。3日間連続してビールを飲んだのがいけなかったのだと思う。
 一人で少し歩く。早く寝ることにする。
  11時20分に寝る。

2003年1月14日。火曜日。晴れ。
 4時半頃目が覚める。起きたのは5時45分。だいぶ背中の痛みは引いている。朝食べようか食べまいかと悩む。軽く食べて体力をつけて、ビールをやめておけば直ると思う。
  「オール読み物」9月号で西村京太郎「祭ジャック・京都祇園祭」を読む。6時17分になった。これから下に降りる。
   夜は9時まで。

2003年1月15日。水曜日。晴れ。
 6時に起きて二階に上がると6度。風も吹いている。寒い一日になりそう。
 「オール読み物」9月号で「虚無のオペラ」読む。6時20分に下に降りる。
   出願料3万円を銀行から払い込む。
  12時から会議。6限が授業。
  夕食が終わってからネーブルを食べた頃から背中がまた少し痛くなる。食べ過ぎるとよくないのか。ワッフルも食べたのがいけないのか。
 ワトソンクリックの論文を由起子に読ませる。
  「オール読み物」10月号で「虚無のオペラ」読む。連載終了。
  

2003年1月16日。木曜日。晴れ。
 5時半に起きる。やや背中が痛い。5時35分で2.3
  「オール読み物」10月号で西村京太郎「祭ジャック・京都祇園祭」を読む。
   背中の痛みは少し薄らぐが咳をすると答える。13日ほどは痛くはないので大丈夫だと思う。


2003年1月17日。金曜日。晴れ。
 6時に起きる。4。20分に下に降る。
 「オール読み物」11月号で西村京太郎「祭ジャック・京都祇園祭」を読む。連載終了。

2003年1月18日。土曜日。晴れ。
 センター試験。明け方雨か。 
 5時に起こる。少し本を読んでから、6時40分に出て、東福山駅へ送って行く。

  「オール読み物」11月号でオール読み物推理小説新人賞の朱川湊人の「フクロウ男」を読む。あまり推理小説にはなっていないが、おもしろかった。単なる犯罪小説である。
   亜希子の部屋にあった本棚を下の倉庫に移す。
   日下君から『クローン人間』送ってくる。

2003年1月19日。日曜日。晴れ。
 5時過ぎに起きる。昨日と同じように、由起子を送る。亜希子を8時過ぎに送ってから寝る。昼に雨が降る。
  亜希子と秀蔵の部屋の坂井の欄間障子の上にベニヤ板を貼る。
  夕方古本市場へ。

2003年1月20日。月曜日。晴れ。
  6時に二階に上がる。7.5。眠い。
 9時過ぎに帰る。

2003年1月21日。火曜日。晴れ。
 入試作業はじまる。

2003年1月22日。水曜日。晴れ。
 7時過ぎに帰る。
  
2003年1月23日。木曜日。晴れ。
 9時過ぎに帰る。
  
2003年1月24日。金曜日。晴れ。
 4時に目が覚める。5時に二階に上がる。5.8。昨夜冷えた割には今朝は寒くない。5時半まで『クローン人間』読む。
  7時前に帰る。
  12時前に寝る。

2003年1月25日。土曜日。晴れ。
 7時半に起きる。
  
2003年1月26日。日曜日。曇り。午後雨。
 朝因島へ。昼過ぎ帰る。
 『クローン人間』終わる。
   12時前に寝る。

K様
福山は朝から曇りがちで寒い日になりました。それに午後から雨になり、益々寒くなりました。
『クローン人間』拝読致しました。まずその構成の妙に感心致しました。クローン動物の研究の概観と生殖医療、それに法律と規制によって、今何が問題なのかということがよくわかりました。基礎的なところを、きちっと書いておられるので、大変読みやすくなっていると思います。
内容的にも豊富で大変有益な知識を得たように思います。
最後のところに書かれておられますように、やがては生殖医療の一部として定着してしまうのではないかという見通しに同意する、結論のようにに達するように


2003年1月27日。月曜日。雨。
 4時半に目が覚めるが起きれない。やはりもっと早く寝なければ。
 6時に二階に上がり6時20分から弁当を作る。

  
K様
 昨日の午後から雨が降って、寒い日が続いております。お元気でご執筆にご精進のことと思います。
 遅くなりましたが、『クローン人間』拝読致しました。とても素晴らしい本で、教えられるところの多い本でした。哺乳類のクローンの話と、生殖医療の話、それにES細胞との関連で、現代のわれわれが置かれている状況がよく理解できます。その上でクローン人間の問題を考えるという展開は最も当たり前なように見えて、専門家以外はこのようには考えなくて、ただクローン人間を作ることだけの是非を考えているのが現状ではないかと思います。小生自身がそういうものと切り離して考えていました。特に生殖医療の発展の流れ中で考えると、やがては当たり前になる技術なのかと、終章で述べられておられることに納得してしまいます。
 それにしても多方面の知識を簡潔にまとめておられるのには、感心致しました。それにNatureなどの論文の紹介やコメントにはほんとうに驚きました。小生にはひとつひとつをチェックする能力はありませんから、ただ書かれておられることを信じるのみですが、最近のものまでよくフォローされてそれを要領よく整理されている上、統計的数値や法律までも同じ調子で俎上に載せておられるのにも驚き感心致しました。
 それでは、おもしろいかというと、それは読者の興味関心しだい、ということになると思います。生物系の大学生やバイオ系の会社に勤めている文系出身の人間などにも、おもしろく読めると思います。小生にもおもしろく読めました。
 次に、貴君の小説の愛読者は、というと、これは小生の感想でもあるわけですが、「神の手」の作者の背景の奥深さを知って、別のバージョンのクローン人間小説を読んでみたいと思うのではないでしょうか。また、『超人計画』の主人公のモノローグが小手先細工などではなく、深くて広い知識をもった作者の表現だということ知ると思います。
 多方面に深い穴を穿ってこられた貴君が、またもさらに新しい穴を掘ってみせたのですから、次の小説に否が応でも期待せざるを得ないと、『クローン人間』を読みつつ思っておりました。
  とりとめのないことを書いてしまいました。
 おかげで、いい読書体験をさせて頂きました。あらためてお礼とともに、素晴らしい本の上梓を心よりお喜びしたいと思います。
 お忙しい日々を送っておられることとは思いますが、機会がありましたら、また直接お目にかかっていろいろなお話をお聞きしたいものだと思っております。
  では、時節柄ご自愛下さい。

2003年1月28日。火曜日。晴れ。 
 5時40分にあがって来て7.3
  8時前に帰る。。

2003年1月29日。水曜日。雪。晴れ。 
  6時前に起きる。雪が積もっている。6時に二階に上がって3.9。やや寒い。
 大雪注意報が出ている。
   島尾敏雄『死の棘』の第一章、終わる。六時一七分になったので下に降りる。


2003年1月30日。木曜日。晴れ。
 5時40分に二階に上がって来る。1.2。石油ストーブの温度では台所も二階も0度になっている。幸い台所は水は凍っていない。パソコンのファンの音がおかしい。
  島尾敏雄『死の棘』の第二章に入る。少し読んで、六時になったので下におりる、今日は凍結しているので歩いて行くことにする。七時四五分頃には出たい。、



2003年1月31日。金曜日。晴れ。 
  5時55分に二階に上がると3.3。昨日よりはやや暖かいものの依然として寒い。

  夜、8時半に娘を迎えに行く。

2019年7月19日金曜日

年代記6



1863年
 六卿都落ち。三条実美らは京都を追われて長州に落ちのびる途中鞆に立ち寄った。保命酒醸造元の中村屋に宿泊した。
 軍議を開いたり、浅野藩にあてて手紙を書いた。
 中村屋は入り母屋造り二階建の本宅の中に一階にある床の間付きの十五畳広間、6畳の和室。三条に同行した公家が感謝を込めて贈った掛け軸「七卿落図」。また「三条公履歴」。部屋から庭園が見える。


7月二十四日。未明。芥川龍之介が亡くなった。雨が降っていた。
 芥川比呂志は八歳だった。竹垣を乗り越えて入ってきた新聞社のカメラマンは、比呂志と弟の多加志を狙って写真をとった。多加志はとうとう泣きだした。
 翌日の新聞には写真が載り遺児と呼ばれた

1939年。昭和14年
。アメリカ日米通商条約の破棄を通告してきた。これは支那事変のためである。

1940年
 6月にドイツによってフランスが降伏した。これを見たん日本は、フランスの手が出ないということをこの上ない機会ととらえフランス領インドシナの北部へへ進駐した。

1941年。昭和16年。
 外務大臣松岡洋右イタリア、ソ連を訪問して、その帰途日ソ中立条約を結んだ。
 これによって北の脅威を一先ず押さえ、いよいよ戦争突入の準備はととのえられた。
 さっそく、前年進駐していた北部フランス領インドシナに続いて南部フランス領インドシナへ進駐した。
 これにより、石油、ゴム、スズが確保できた。

昭和四十五年十一月二十五日。秋にしては温かくよく晴れていた日だったと思う。
 銭湯のテレビで知った。そのとき、とうとうやったか、という思いとともに、これからこの人の書いたものを読んでいこうと思っていた矢先の死で、大きな失望を感じる。

1863年(嘉永6年)
ペリー来航。
勝海舟31才。
 23才ころ蘭学を始める。他に剣と禅を学。蘭学の力で兵学を学ぶ。

1855年(安政2年)
 長崎にて新式海軍術の伝習はじまる。ん
1860年(万延元年)
 カン臨丸派遣。
1863年(文久3年)
 8月。このころから尊皇攘夷運動下火に。
1864年(元治元年)
 勝海舟、軍艦奉行二千石取りとなる。


1866年(慶応2年)
 勝海舟、再び軍艦奉行となる。

1867年(慶応3年)
10月幕府、大政奉還。薩摩・長州に「倒幕の密詔」 
12月「王政復古の大号令」

1868年
3月勝海舟、西郷隆盛と会談して江戸城無血開城。り
「維新の新政府の有力政治家の多くは……彼らは東京を主張先、腰掛け……郷里の糟糠の妻を呼び寄せなかった。そこに……幸田露伴が「一国の首都」で怒りをこめて指摘した」 奥野健男「三島由紀夫伝説」(28)

明治39年
 内務大臣原敬、地方官大更迭


1925年(大正14年)
 ヒトラー「マイカンプ」書き始める。
 トロッキー解任。スターリン独裁。
 孫文死す。

1929年(昭和4年)
 ウォール街の株の大暴落。
昭和7年
 上海事変、血盟団事件、五・一五
昭和8年
 神兵隊事件


昭和11年
 二・二六事件
昭和12年
 支那事変

昭和13年
 近衛、大東亜新秩序宣言

1940年(昭和15年
 新体制運動


1941年(昭和16年
  太平洋戦争

1943年(昭和18年
1944年(昭和19年
1945年昭和20年
 敗戦
 満州の赤い鷲
第一話 張作霖救出指令
    (暗殺阻止)

「張作霖を暗殺しようという計画がある。それを阻止するのが、当面の問題だ」
 若槻五郎が、淡々と言ったとき、百合子はやはり来たか、と思った。
「その、暗殺計画はつかんでいるの?」
「いや、皆目わからない。でもそういう計画があるということは確かなんだ。だから、その計画を事前に掴むとともに、作戦を巧妙に阻止するんだ」
 1928年6月のことだった。6月の満州は初夏である。広くどこまでも続く大陸のあちこちにアカシアの花が赤い花を咲かせている。
 若槻五郎は日本領事館の三等書記である。三等書記官というのは表向きのことで、東亜友好協会の工作員であった。
[ノンフィクション]張作霖
 1928年6月奉天近くの列車内で日本軍によって暗殺された。満州事変に先立つ事件である。日中関係の悪化は既に始まっていたとはいえ、さらにそれに拍車をかけた事件であった。
 多くの点でこの事件は日中戦争のはじまりともいうべき大きな事件であった。
 その一つは、大江志乃夫が述べているように天皇の統率権をふみにじった最初の事件であったということである。大江によれば、軍隊は、もちろんこんときの軍隊だけでなくいつの時代の軍隊でも同じことであろうが、命令系統のもとに統率されており、いかなる小隊といえども勝手に作戦遂行することは許されていない。それがこの張作霖爆殺においては、関東軍が郡発
[背景]

[登場人物]
◎孫文(1866~1925)
1894年ハワイで興中会結成
1895年10月、広東で最初の蜂起
   学生、民族資本家、華僑を
   『馬賊』P.29
1896年9月ロンドン
   『馬賊』P.30
1899年 2度目の来日
   『馬賊』P.31
1905年8月 東京
   興中会・華興会・光復会などが結集し、中国革命同盟会が結成。
    『馬賊』P.44
1911年 辛亥革命
    『馬賊』P.46
1912年臨時大総統
    『馬賊』P.51
1919年5月4日 北京大学学生三〇〇〇人が二一ヵ条撤廃のスト
1921年中国共産党成立
1924年 第一次国共合作
    『馬賊』P.49
1925年3月
 「北京において肝臓癌で死ぬ。」
    『馬賊』P.88
◎エン世凱1859~1916
  エン世凱は軍閥の指導者であったとき、孫文に対抗して起用された。
 エンは革命軍が武力・資金の乏しいのを知った。このとき、蒋介石に、清帝の退位を条件に大総統になることを密約させた。
「野心のかたまりのようなタフな男で……
 詳しく」『馬賊』P.51
1912年2月、宣統帝(1908~12)は退位し清、滅ぶ。
 3月エン世凱臨時大総統に就任。
 国民党を弾圧。
    『馬賊』P.51 
    『馬賊』P.57
1913年第二革命失敗
◎川島芳子(東珍トンチェン)
    『馬賊』P.52、71
◎薄益三(天鬼テイエンコエイ)
 日本人馬賊。『馬賊』P.53
◎山本菊子
 女馬賊、「満州お菊」
       『馬賊』P.55
◎伊達順之助 (張宗援)
 張作霖の第1の子分・張宗昌将軍に負傷させた。  『馬賊』P.74
 出口王仁三郎と会う。
     『馬賊』P.82、87
◎尚旭日(小白竜シャオパイルン)
     『馬賊』P.77~、87、89◎松本要之助
「モーゼル、コルト、なかでもブロージなどを愛用した」『馬賊』P.83
 1903年小樽生まれ。「日本軍諜報機関の雑役のような仕事をする。」
     『馬賊』P.84~86
◎蒋介石
1927年クーデター『馬賊』P.50
1927年4月南京入場。南京国民政府樹立。      『馬賊』P.89

◎張作霖1873~1928チャンツオリン 中国の軍閥。はじめ馬賊の頭目であったが次第に勢力を拡大して1916年(43才)奉天督軍兼省長となり、19年までに満州全部を支配下におく軍閥に成長、日本の援助を得て中央進出を企てた。日本政府は21年5月、満豪権益拡大のため張作霖援助の方針を決めたが、張の中央進出を好まなかった。しかし、張は閣内諸軍閥との抗争を繰り返し27年大元帥と称して北京政府の実権を握ったが、国民政府軍(蒋介石軍)の北伐に敗退し、奉天への帰途関東軍参謀らにより爆破されて死去した。
「民間自衛組織の一環としての馬賊ということになる。張作霖は奉天・吉林を中心にして……」『馬賊』P.23
「ロシア側には張作霖がいた」
   『馬賊』P.37
「張作霖のごときは多分に政治的・謀略的要素をもっていて……以下かなり詳しく」
   『馬賊』P.39~41
1916年7月1日パブジャップの乱
   『馬賊』P.73
1919年
 直隷派は奉天の張作霖と結んで安キ派に対立した。「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
1922年
 「山海関をこえて北京、天津付近に軍隊を駐屯させた。」 「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
 長辛店で破れ、山海関まで退却(第一奉直戦争)  『馬賊』P.81
「このどさくさの最中伊達順之助は奉天の張作霖邸を訪ねた。」『馬賊』P.81
1924年夏・華南
 張作霖。大軍を山海関と熱河にくりだした。       『馬賊』P.87
1924年10月23日
 北京入場。『馬賊』P.88
1925年1月
  郭松齢の反乱。張作霖かろうじて脱出。      『馬賊』P.88
1926年 安国軍総司令になる。
      『馬賊』P.89
1927年4月頃
 「北京に入りて大元帥となる」
      『馬賊』P.89

 しょうかいせきの「南京国民政府は武漢国民政府と合体して張作霖らの軍閥打倒に踏み切った」
      『馬賊』P.89

1928年4月
 第二次北伐決行(蒋介石が張作霖らの軍閥を追う)『馬賊』P.89
1928年4月
 「北京にいた張作霖は、国民革命軍が天津のすぐ近くに迫っているときいて、奉天に戻ろうと決意した。そしていろいろ思案していた。」『馬賊』P.90
1928年
「一方、満州においては、日本の関東軍が、外国資本をもって満鉄包囲線を作り、日本勢力を駆逐しようとしてきた張を、すこぶるにがにがしく思っていた。チャンスがあれば張をたおそうと決定していた。」
    『馬賊』P.91
1928年5月15日
 満鉄総裁・山本条太郎北京で張作霖と別れる。  『馬賊』P.92
「その頃、北京在留邦人間に「二一日会というのがあった。公使、駐在武官を含めての公使館幹部、会社支店長、北京政府顧問。新聞特派員などが月21日に大和クラブに集まって」    『馬賊』P.92
「6月4華の払暁、貴賓車、展望車、食堂車、寝台車を連結した列車がいよいよ奉天に近づき、京奉・満鉄両鉄道鉄道の交サ点の陸橋お通過した。瞬間、突如、爆破された。張は展望車のなかで即死した。
 張作霖爆殺計画の直接の指導者は、関東軍高級参謀の河本大作大佐である。かれは「張作霖頼むに足らず、政府の狐疑逡巡は国策を誤るもの」と断じて、計画をごく少数の腹心だけにうち明け、その実行方法を工夫していたのである。。すなわち工兵隊をして極秘裡に陸橋脚上に仕込ませる一方、……
      『馬賊』P.93~94

粕正彦
 関東大震災当時は憲兵大尉。懲役10年となるが、刑期を3年にして出獄。満州に渡り、満州事変後は満州国協和会幹部となった。田中義一1863ー1929
 1931年満州事変のさいもその近くにいる。『馬賊』P.101、102

 山東出兵を強行。張作霖曝死事件の前後処置をめぐり総辞職。9月病死。


[概略]
 反日運動が続く満州。中国人が日本人軍隊に乱暴される。
 反日運動の一つのグループに正義にあふれた英雄が出現する。「赤い鷲」のグループである。反日運動を中心に行なっているが首領は日本人の大使館員であり、日本人の味方でもある。


事件1 1928(昭和3)5月   済南(サイナン)事件
事件2 1928(昭和3)張作霖暗殺阻止。失敗に終わる。
事件3 29年一月10日張学良、楊宇霆・常蔭槐を射殺する。
事件4 29年12月28日(旧暦)
 尚旭東、奉天占領未遂事件

 どこまでも続く地平線
 夕日が真っ赤に染まって沈んでいく。
 冬はマイナス四十五度にもなる
[時代]
1906年11月
 南満州鉄道創立
   『馬賊』P.43
1916年7月1日
 パブジャップの乱
   『馬賊』P.71
1926
 「北伐」軍が総計十万の兵を八軍にわけ三つのコースをとって北上した。いわゆる「国民革命」
 尾崎秀樹「上海1930年」(岩波新書)p.20
1926年上海
 谷崎潤一郎、内山完造の書店で郭沫若らと会う
1927年 中国
四月 
蒋介石 南京入城、南京国民政府樹立 広東革命を引き継ぐ武漢政府と対立

張作霖 大元帥と称して北京政府の実権を握った。
北京にいた張作霖は国民革命軍が天津のすぐそばに迫っていると聞いて、奉天に戻ろうと決意した。そしていろいろ思案した。
 5月十五日
 6月四日
1927年上海
 佐藤春夫、内山完造と会う。
     「上海1930年」p.32
1927(昭和2) 
 蒋介石、国民党政府を南京にたてる。
 田中内閣、山東出兵(第一次)を行なう。
 「対中国積極政策を標榜して、中国国民革 命軍の北上を妨げるため在留邦人保護の名 目で強行」
 「済南には2200名、青島には12000名の日本人がいた」『馬賊』P.91

 東方会議開かれる。(6月27~7月7)1928年 2月
  郭沫若、妻子とともに日本に亡命
     「上海1930年」p.33  1928(昭和3) 
 2月蒋介石が復職。国民党軍、北伐再開(4月には山東省に至。
 4月19日 田中内閣、再び山東出兵(第二次)決定。熊本の第六師団に出動命令。 4月 奉天総領事、吉田茂から林久治郎に変わる。
 5月済南(サイナン)事件起こる。
 (日華両国軍隊の衝突)
 「中国山東省済南に起こった日本軍と蒋介 石に率いられた国民政府軍との武力衝突事 件。4月、北伐を再開した国民政府軍は5 月済南に入城、当時山東に出兵していた日 本軍が防壁を築いて軍事行動を妨害したし たため、国民政府軍は内政不干渉・防壁撤 去を要求。防壁撤去後、日本軍は警戒区域 境界線を通過した国民政府軍兵士を射殺。 、総攻撃を開始、同時に日本政府は第3次 山東出兵を声明、一方国民政府は国際連盟 に提訴したため、29済南事件に関する協 定が成立し、日本は撤兵した。」(日本史辞典)
 「5月1日済南で日本軍と北伐軍が直接に向かいあう……」(『張作霖爆殺』p.1 2)
 5月16日(東京)「満州地方の治安維持に関する措置案」閣議決定。
 『張作霖爆殺』p.13)
『馬賊』P.91 
 5月17日 閣議決定、田中首相兼外相より天皇に奏上。
 5月18日 覚え書き、張作霖と南京政府に通告。
6月3日
「川合貞吉は李宗仁やショウカイセキを見かけ、外交部へ訪ねてゆくが、応対したのは張群だった。北京を去る張作霖の列車を駅で見送ったが、その直後張作霖は爆殺された」
  『上海1930年』p.120

「内務省北京駐在の調査機関にいた陸士出身の小松重雄や(中略) 小松は川合より一足早く北京(爆殺の)を去り上海へ向った」
  『上海1930年』p.120
 6月4日早朝 関東軍、張作霖暗殺する。1928年12月末
 アグネス・スメドレー中国入り。29年元旦ハルビン到着。青天白日旗がかかげれていた。29年5月上海入り 29年末尾崎秀実と会う。  『上海1930年』p.48
1929年5月
  孫文の遺骸が南京の中山陵に移されたとき尾崎秀実は取材に行った。
 犬養毅、健、頭山満、宮崎竜介に会う。
     「上海1930年」p.43  1929年11月 支那公使佐分利貞夫が箱根宮の下のホテルで殺される。
  『上海1930年』p.43
1930年1月 ゾルゲ上海に到着。
  『上海1930年』p.152
「昭和5年十月か十一月頃から私(尾崎秀実)のもとに、鬼頭銀一なるものが出入しはじめました」
  『上海1930年』p.164
1930年12月1日
 日中戦争すなわち満州事変の原因は満鉄の危機に原因がある。おりからの世界恐慌のあおりを受ていたところに中国側の満鉄包囲網が計画され、膨大な投資をしてきた満鉄が危機におちいることがあきらかになった。これは1930年12月1日の大阪朝日新聞のトップに書かれた。
 (岩波講座世界史27巻215頁)
1931(昭和6)
 柳条溝事件起こる。(満州事変)
1931年1月23日
 松岡洋右(前満鉄副総裁、政友会)衆議院本会議での演説で「日本の生命線」という。  (岩波講座世界史27巻210頁)
1932年1月28日
 上海事変起こる。この日は南京政府と広東政府の合作が成立した日でもある。
  『上海1930年』p.184
1932年1月
 玉井組(火野葦平)五〇人の仲仕とともに上海へ派遣される。「日本の文学51(中央公論社)P.534

1932(昭和7)
 血盟団事件が起こる。
 満州国が独立する。
 5・15事件が起こる。
1933(昭和8)
 国際連盟を脱退する。
 京大事件が起こる。
1934(昭和9)
 満州国帝政を実施する。
 ワシントン条約を破棄する。

[中国の状況]
 1911年(明治44)の辛亥革命の後、内乱が絶えず、軍閥は各地に割拠して


 日中戦争
 当時のことが小林秀雄全集4の社会時評の項に出てくる。昭和一三年の二月頃か。 眼鏡やと歯医者が一緒になっている。
 長崎から船が出てヨウスコウへ行く。
 見せ物や、不具の子供。
 蘇州ではタンポポの綿毛が舞う。秀雄全集四・P.956
 「日本の文学51(中央公論社)P.535 火野葦平の「麦と兵隊」(これは1938 年5月の余州会戦)等の著作


 4・12クーデタ当時
 郭沫若、国民党軍政治部副主任


他の参考
 「道教と拳法」
     『馬賊』P.79
[参考文献]
渡辺龍策『馬賊』(昭和三九年、中央公論社)
大江志乃『張作霖爆殺』中央公論社一九八九年
檀一雄『夕日と拳銃』



 中国年代記

前210 始皇帝死す。


前209年 陳勝・呉広の乱。


項羽前232~前202
 楚の名将の子孫。


劉邦
 農民の子。
前206年劉邦、秦を滅ぼす。項羽と対決する。民心をうまくつかんだ劉邦が優勢になった。前202年、漢がはじまる。首都を長安とした。

 ヨーロッパ年代記

前332年 アレキサンダー大王エジプト制服。
 エジプトは紀元前三千年ごろファラオが統一国家とした。その後三十一の王朝が興亡した。

 アレクサンダーは32歳で急逝。