2018年12月14日金曜日

夕凪亭閑話 2006年7月

2006年7月1日土曜日
 最近の読書から。島田荘司「魔神の遊技」(文藝春秋)。これも図書館から借りてきて。終わりまで読むには,図書館から借りてくるに限る。夕凪亭にある本は,いつでも読めると思うせいか,最後までなかなか行かない。次から次へと新しく求めたものへ移るので3日ほどで忘れられてしまう。ということで,長い小説は借りて読むといいことがわかった。何故本を読むか--返すために読む。という目的が明確になって,まことによろしい。
 さて,島田さんのこの本はスケールの大きな話しで,スコットランドのネス湖の近くが舞台である。出エジプト記の話しがでてくる。旧約は読んでいるし,長い映画「十戒」も何度か見たので,(10回も見てはいないが・・)今更驚く話しではないが,うまく書かれている。まことに不思議な画家の話しで,絵の中に巨人が出てくるので,「奇想,天を動かす」を思い出した。意表を突くトリックを期待したが,それは無理だった。一応,提示されたすべての謎は解決される。当たり前だが。アセトアルデヒドの話しはp.179にある。
2006年7月2日日曜日
 今日は朝方激しく雨が降ったようだが,その後は止んで,夏の太陽が照りつけている。夕凪亭の窓の下にヤブカンゾウ(藪萱草)のあざやかな赤味がかっただいだい色の花が咲いた。図鑑を開けて見ると,6/30と鉛筆による書き込みがあった。去年のことである。「直立した花茎の先に径約8センチの橙赤色の花が数個つく。雄しべと雌しべが花弁化し,八重咲きになっているので結実しないが,繁殖は根茎で分裂していく。一日咲きである。」と成美堂出版の野草・雑草観察図鑑には書いてある。ということは,今咲いているのは今日で終わり,次は隣の蕾に期待せよということらしい。
 木蓮が一輪花を咲かせている。春に咲いたり,秋に咲いたり,変な木蓮だ。
  夜になって,江藤淳「漱石とその時代 第二部」(新潮選書)が,終わった。なぜ今頃「漱石とその時代」か? というと,それにはあまり深くない訳がある。実は,この評伝が刊行されるかなり以前に,若々しく髪も黒々としていた頃の江藤淳さんの講演を聞いているのだ。その時の演題が「漱石とその時代」。集英社の高校生のための文芸講演会というもので,毎年3校くらいで行われていた。現在のことは知らない。あの頃は生徒は一応静かに聞いていたから,こういうのが成り立っていた時代である。今ではどうなのだろうか。
 田舎の高校二年生のときである。江藤さんは開口一番「太陽が一杯って,感じですね」と言われたが,毎日紫外線一杯の太陽を浴びている身には,当たり前のことで,ほとんどの生徒が笑わなかった。講演は「こころ」の話しが多かったが,実に流暢で心に響く話しだった。また,講演から数日後,図書館で文藝春秋社の封筒で色紙が贈られてきていたのを見た。その後,テレビや,新聞で写真を拝見するごとに,髪は白くなり,だんだん少なくなっていった。・・・・というようなことだから,この本を読むのが,いわば宿題のような感じで,ずっとひっかかっていた次第。第二部は,熊本からロンドン留学を経て,「猫」発表まで。
 漱石も鴎外も,日露戦役讃歌を書いているではないか。もし負けて日本が占領されていたら,公職追放だろう。ということで,太平洋戦争敗戦後の公職追放というのは,勝った側の価値観であるから,取り消さないといけない。東京裁判も。それができてはじめて日本も独立したことになる。それはさておき,日本一有名になった黒猫について,
 ある日,按摩をしに来る老女が鏡子に言った。「奥様,この猫は全身足の爪まで黒うございますが,これは珍しい福猫でございますよ。飼っておおきになるときっとお家が繁昌いたします」 (p.339)
ということであった。この予言は当たり,借金だらけの夏目家にも運がめぐってきた。「爪まで黒い猫」は福猫だそうですよ。 
2006年7月3日月曜日
 小松左京さんの「日本沈没」が二度目の映画化となった。昔のそれは,大変面白い本だった。映画も見た。装いも新たなものが作られるというのはいいことだ。が,それよりも,今,この題が今の日本の現状を示していないだろうか。まさに,日本は沈没しかけている。という意味で,まことに象徴的である。時代のキーワードは不平等社会から日本沈没へ。
 昨日の中国新聞に柳田邦男さんが「激減する産婦人科医師」問題について書かれている。「この国は壊れつつある。」「安心して子を産めない地域は若者に見捨てられ,荒廃する。それは国土と精神の荒廃につながる。」と。
2006年7月4日火曜日
 今日はアメリカの独立記念日。独立宣言の文書はどこにでもあるのだろうが,今,目の前に「音読王」があるので,開いていみると,トマス・ジェファソン「独立宣言」の一部が載っている。1776年7月4日にアメリカ議会で採択されたということである。そこには,it is the Right of the People to alter or to abolish it  政府が生命・自由・幸福追求の権利を確保するとという目的を損なう存在となったとき,国民はそれを改めるか廃止することができるのは国民の権利だと書いてある。
 最近の読書から。ロバート・B・パーカー「忍び寄る牙」(菊池光訳 早川書房)。本は返さないといけない,返すために読む,という崇高な目的のために読んだ。強盗と警察署長の話である。はじめばらばらだった,登場人物が,投網が締められていくように,じわりじわりと事件へと集中する。併せて,元アル中の警察署長と別れた妻や他の女たちとの心模様が描かれ進展していく。どうでもよいような関係だが,これがアメリカの一風景かと思うと,ぞっとする。しかし,小説としてはよくできている。
2006年7月5日水曜日
 リドリー・スコット監督の「グラディエーター」を見る。羅和辞典を見ると,gladiatorは,  剣客,山賊,追い剥ぎとのことである。拳闘士でいい。『ベン・ハー』や『スパルタカス』並のスケールの大きい作品であった。西暦180年のローマ帝国。哲人皇帝マルクス・アウレリウスの末期からの話し。ガリアでの戦いから始まる。あのカエサルの「ガリア戦記」のガリアである。ローマから見れば,蛮族である。「キング・アーサー」にもでてきたが,ローマの版図は広大だから兵士は,遠い遠い異国へ遠征することになる。
2006年7月7日金曜日
 七夕である。新暦での。幼稚園のころは,笹竹にいろんなことを書い紙を結んで,海に近い川に流しに行っていた。今でいえば,ゴミを川へ捨てるようなもので,推奨できないことだ。海は広くて包容力があった。浄化力といってもいい。少々のゴミは,分解してくれていたのだ。だから,七夕飾りを川に流すことも,決して悪いことではなかった。ただ,その後,世の中は,人工物に溢れ,海の浄化能力を超えるほどのゴミを出しただけである。かつては,どこへ行っても白砂青松の海岸が見られた。たった50年ばかり前のことである。
 「ダ・ヴィンチ コード」(中)(角川文庫)を読んだ。相変わらず退屈な小説だが,131頁のコンスタンティヌス帝とキリスト教との関係は面白く読んだ。それから後,少し面白くなった。イエスの死後,キリスト教がどのように成立したのかは,よくわからない。このいわゆる原始キリスト教に何らかのストーリーをつけると,歴史ミステリーとして生きてくる。しかし,その高揚も束の間で,ディズニーがダ・ヴィンチと同じように聖杯のメッセージを伝えることを,ライフワークとした,というくだりにまでくると,頸を傾げたくなる。ファンタジーには種々の伝説の変容が含まれるから,象徴と言えばすべてが繋がるのはあたり前のことだから。スターウオーズだってそう言って言えないこともない。小説なのだから,全てが真実ではないといえばそれまでだが・・・。
2006年7月9日日曜日
 暑い日だった。雨がしばらく降りそうにないので,水道の工事をすることした。工事といってもたいしたことではない。パイプを切って散水栓(蛇口)をつけるだけである。外径18と26の塩ビ管をつなぐので,ジョイントと接着剤を買ってきて,止水弁を止めて接着したら完了である。
 現在では各サイズのジョイント,エルボなどがホームセンターへ行けば容易に入手できて便利である。子供の頃は,そんなものはなくて,ガソリントーチで加熱して曲げたり,テーパーリーマーで削って押し込んでいたから,トーチとリーマーを持っていない素人には手がでなかった。
 塩ビ管は,ポリ塩化ビニルの略で,熱可塑性樹脂であり,少し加熱すると柔らかくなるし,塩ビ用接着剤で容易に固定できる。それに強くて,地中で太陽光線に当たらなければよりよいが,戸外で風雨や太陽光線にさらされても,それでも結構持つ。しかし,機械的な強度は弱いようで,岩があたったりすると割れる。
2006年7月10日月曜日
 「トロイ」を見た。アキレウス中心の壮大な歴史ドラムだ。ワイダ監督の「トロイのヘレン」も大作だったが,それをはるかに上回る豪華な映画だ。いずれもホメーロスの「イーリアス」の映画化だが,視点が異なればこうも違うものかと,思った。なお「イーリアス」の最後,第24巻の掉尾は,「このようにして,人々は,馬を馴らすヘクトールの葬式を執りおこなっていったのだった。」と終わる。(呉茂一訳 ,筑摩古典世界文学)
2006年7月11日火曜日
 最近の読書から。マイクル・コーディ「クライム・ゼロ」(内田昌之訳,徳間書店)。バイオサスペンスである。クライム・ゼロというのは犯罪をゼロにするという,プロジェクトの名前である。遺伝子治療で暴力的な因子を改変するという名目の下に,男性を抹殺し,暴力をこの世から無くしようという狂信者の謀略を暴き,阻止するという,ありそうもない話しであるが,スリルとサスペンスに溢れた傑作であった。追うほうも追われるほうも(途中で反対になるのだが)FBIだから,ドンドンパチパチと鉄砲のの玉が飛び交うのは当たり前。冷戦時代のスパイ小説で培った派手なアクションと,一難去ってまた一難と,これでもか,これでもか,と危機の到来と回避は,充分に楽しめる。最後に出てくる,エボラ,マールブルク,ハンタのウイルスを撒き散らすというのは,読者へのサービス過剰というものであろう。そこまで書かなくてもいいのに・・・。しばし,暑さも忘れ・・・・。
2006年7月16日日曜日
 髪の毛が発火しそうな暑い日が続いて,ぼーっとしている。その暑さの中,昨日は,西国三十三ヶ所観音霊場巡りに,折しも祇園祭りの京都へ行ってきた。この暑いのに?といぶかる方々もおられることと思うが,福山京都高速バスが往復四千円キャンペーンを行っていたので,行くことにした。京都市内をタクシーで廻ろうという計画。
 まず京都駅に着き,タクシーで,東山区泉涌寺山内町の第十五番 観音寺(今熊野観音)へ。ここは真言宗で,弘法大師ゆかりのお寺。大師堂もちゃんとある。
 帰りは,少し歩いているとすぐにタクシーが来たので,東大路通りを北上して第十六番 清水寺へ。着いた頃急に雨が降り出したので,雨宿りを兼ねて昼食。それから参詣。たくさんの人。舞台も,舞台からの景色も見事でさすがに人気スポット。
 次の六波羅密寺へは歩いて行く。途中六道の辻の六道珍皇寺の前を通ると,有名な家人小野篁の旧居の石碑がある。六波羅密寺は平家の屋敷跡とか。
 また,タクシーで,革堂(こうどう)の異名をもつ,行願寺へ。さらにタクシーで,池坊の六角堂・頂法寺へ。ここは隣のビルの展望エレベーターで,上から見ると,六角形の建物が美しい。
 予定通り廻って時間があったので,山科へ行く。地下鉄東西線で,山科の1つ手前,御陵(みささぎ)で降りて,タクシーで番外・元慶寺(がんけいじ)へ。ここは, 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ おとめの姿しばしとどめむ というモダンな歌で有名な,六歌仙の一人,僧正遍昭の開いたお寺である。帰りは,タクシーで天智天皇陵へ行ってもらい,参拝。天皇陵というのは宮内庁が定めたところで,考古学的検証は墓を暴くということで,なかなか難しく,全ての天皇陵が,そのものであるとは限らない。その中でも,天智天皇陵は,正しいものであるということだから,一応信じておく。長い参道の奥にあり,参道も,御陵もよく整備されていて気持ちがよい。帰りは,東西線御陵(みささぎ)駅まで歩いても,わずか。
 と予定通りまわって,最後は高島屋の地下でいつものように夕食を仕入れて帰路へ。ということで,宵々山のにぎわいの中,多少の時間的ロスは致し方ないとしても,暑さを忘れた一日でございました。
2006年7月18日火曜日
 さて,今日一日仕事をすると,三連休の疲れがとれた。こういう発想は21世紀型の思考の典型であろう。
 昨日は,リドリー・スコット監督の「キングダム オブ  ヘブン」を見た。十字軍に材をとったレキシスペクタクルである。何よりも,映像が美しい。「グライデイエイター」も美しかったが。少し歴史の復習をしようと思って,大昔に読んだ岩波新書の「十字軍」(橋口倫介著)を開けてみた。バリアン・ディブランのことはp.154頁に出てくる。サラディンとの休戦協定,エルサレム側の降伏条件は,「男一人につき10ディナルの身代金を40日以内に支払って市外に退去することになっており,その能力のない者は捕虜として留めおかれ,そのうち身分の高くない者は奴隷化される運命にあった」とある。その一部をバリアンが立て替えたということだ。
2006年7月19日水曜日
 暑さは遠ざかったが,今度は激しい雨である。
 夕方,蝉が鳴いていた。アブラゼミだ。小学校の頃は,梅雨明けと,夏休みと,蝉と,海開きと,だいたい一度にやってきたものだ。夏休みには,宿題帳が一冊あった。習っていない漢字の読みなどがあって,8月の終わり頃に苦労したものだ。そして,原爆の作文も,必ず載っていた。
 あの頃は昆虫もたくさんいた。そういえば,キリギリスが特に最近少なくなったようだ。あのチョン ギースという素晴らしい鳴き声を聞く機会がめっきり減った。今年の夏は,もっと昆虫と親しみたいものだ。
2006年7月20日木曜日
 今朝は早朝散歩をしようと思って5時に起きたが,生憎の雨で,諦めた。昨日と同じように激しい雨で,また警報か,と思って調べてみても雷注意報が出ているだけだった。その後も雨は多少の強弱の変化はあったものの降り続いて,9時20分になってやっと,大雨洪水注意報が出た。
 こう雨が降ると必要ないが,これからの晴天に備えて,エアコンから出る水をメダカ池へ入るようにした。少し距離があるので,塩ビ管で伸ばした。エアコンの水は室内の水蒸気が,室内機の熱交換器に当たって凝縮したものだがら,大変きれいな,蒸留水に近いものである。しかし,室内機の交換器を脱臭の目的で洗浄してあると,多少はその残滓が溶け込むかもしれない。それにわずかの埃と。またパイプの水垢と。以上のことさえ,気をつければ,植木に散水しようと,掃除に使おうと問題はないだろう。
 ただ,室外に誘導された排水パイプから水を集めるとき,閉鎖系にしないことが肝心だ。すなわち,排水パイプの先端が水中に没してあったり,途中で撓んで水が溜まってはいけない。このような場合は,それより前に,小さな穴を開けておくことが必要だ。
  ヴィヴィアン・リー主演の「アンナ・カレーニナ」を見た。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品。1948年,イギリス。ヴィヴィアン・リーの演技が見事。「風と共に去りぬ」とはまた異なる顔を作れるところは,さすがである。
 映画でも最初に出てくるが,原作の冒頭は有名だ。手元にある河出の世界文学全集を開いてい見ると,「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが,不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。」(中村白葉訳)とある。これは嘘である。幸福な家庭もそれぞれに異なることは誰でも知っているし,トルストイがそんなことを知らない訳がない。要するに,幸福な家庭のことを書いても同じようなものだから,不幸な家庭のことを書くことこそに意義がある,というような宣言のようなものでしょう。
 その次にくる「オブロンスキイ家では,何もかもが乱脈をきわめていた。」というのは,いかにも不倫小説の冒頭にふさわしい。オブロンスキイはアンナの兄で,ここではオブロンスキイのことが紹介されるのだが,カレーニナ家に嫁いでいるアンナの不倫が始まるのだから,日本的感覚では,こちらも,オブロンスキイ家に連なるので,乱脈をきわめていた,というのに含まれてくるから,小説の冒頭のこの文章もなかなか意味深長である。
2006年7月21日金曜日 
 イングリッド・バーグマン主演の「ジャンヌ・ダーク」(監督,ヴィクター・フレミング,1948年アメリカ)を見た。オルレアンの少女 ジャンヌ・ダルクのことは,有名な話しだが,不思議なことがいっぱいある。伝説の人だから,誰かが想像で書いた物が,史実として流布されたりする。
 昔読んだ村松剛さんの「ジャンヌ・ダルク」(中公新書)を開いてみると,彼女の行動が合理的であったし,裁判記録からも聡明な少女だったことがわかる。ただ,理解に苦しむのは,神のお告げである。神のお告げだけで戦争に勝てるものではない。軍隊というものは,ややもすると烏合の衆に堕す。逆に求心力のある指揮官のもとに実力以上の力を発揮することがある。ジャンヌの宗教心がそのような求心力を発揮したのは事実であろう。
2006年7月22日土曜日
 5時半に起きて30分ほど散歩してきた。県境に近いミミズク谷(夕方に行くと,ホウホウとミミズクの鳴いていたので,これからはこう呼ぶことにする)までいくと,夏鶯の囀りに混じって,ピーチクピーという可愛らしい鳴き音がしている,姿は見えない。本当なら早朝から焼けるような太陽に照らされている筈なのに,晴れていても暑くないのが不思議だった。
 一週間前ほどは蒸し暑くはないが,やはり梅雨が開けたという感じはしないし,まだなのでしょうね。21世紀末には梅雨明けが8月の終わり頃になるそうです。地球温暖化の影響です。そうなると,梅雨と呼ばず,雨期と乾期と呼んだほうが適切かもしれませんね。それににわか雨などと呼ばず,スコールと呼びましょう。
 夕凪亭の窓の下に,小さな池を作って,ヒメダカを入れても大丈夫なほどになったので,コアカという一番安い金魚(というよりはヒブナと呼んだほうがいいくらいの)を10尾420円で買ってきて入れました。セメントの影響でややアルカリ性だが,何とか泳いでいる。メダカと仲良く共存して,あちらへ行ったり,こちらへ来たりと,跡をついて行く。浅いところが好きなようだから,猫の襲撃が心配だ。
2006年7月23日日曜日
 本日8時18分に太陽黄径120°で24節気の大暑となりました。しかし,梅雨は開けず,朝から小雨と曇り。午後雨で気温は上がらず。例年なら暑い頃で,海に行けばいい時節です。子供の頃,夏に海水浴でよく日焼けしておけば冬に風邪を引かないと言われており,海へ行ったら背中を焼いていたものです。朝6時半に起きてラジオ体操をして昼前か昼過ぎから海へ行き,帰って昼寝をして・・・・。昔の話しです。
 最近の読書から。「ダ・ヴィンチ コード 」(下)(角川文庫)。面白くもあり,また退屈でもあり・・・・。推理小説・パズル小説・キリスト外伝もの,それぞれの好みに応じて楽しめるのではないかと思います。聖遺物とか聖杯とかいろいろな歴史上の事柄があります。時に偽物だ本物だと世間では話題になりますが,人間の為すことですから利害もあろうし,100パーセント信ずる必要はないでしょう。荒俣宏さんの解説に出てくる,レンヌ・ル・シャトーとシオン修道会については,何が真実か断定しないほうがいいと思います。ただ,ソニエール神父がマグダラのマリア教会で,何かを見つけて大金持ちになったというのは事実のようです。それは教会の再興からもわかります。しかし,それ以上のことは想像にすぎないわけで,幾多の物語が生まれてもいいと思います。そういう諸説を取り入れてこういう作品を作った作者の才能には脱帽です。
2006年7月24日月曜日
 昨夜,NHK特集の「ワーキング プアー」を見た。ここにも,日本沈没の兆しが・・・嗚呼。
 最近の読書から。吉川英治「自雷也小僧」(講談社 吉川英治全集第14巻)。義賊自雷也小僧坊太が田沼意次相手に父の仇,と大活躍の勧善懲悪大活劇。戦前のヒーローなのでしょうね。なお,1937年に日活京都で映画化されております。この映画は見ておりません。
2006年7月26日水曜日
 なかなか梅雨が開けませんが,大きな入道雲が夕日を浴びて輝いていました。
 最近の読書から。マイクル・コーディ「イエスの遺伝子」(内田昌之訳,徳間書店)。奇跡についてのサイエンスフィクションですから,超荒唐無稽なお話しです。それでもおもしろいので最後まで読みました。そもそもイエスのDNAなんてものが存在するのか? ありえませんよね。
 遺伝子学者トム・カーターが娘の脳腫瘍を救うために,イエスの遺伝子を解読すれば,イエスが奇跡を起こしたように,病気を救えるのではないかと考える話しである。後の展開は読んでからのお楽しみに,ということでここで書かないほうがいい。意外な展開が次々に準備されていて,なかなかよくできたバイオミステリーに仕上がっている。
2006年7月28日金曜日
 蝉の声,強い日射し,高い気温。夏ですね。中国地方はまだ梅雨明け宣言が出ておりませんが,もう夏です。
 最近の読書から。熱帯のアマゾンの話しでありながら,その暑さよりアマゾン川の冷たさが伝わってくのが,角田房子さんの「約束の大地」(新潮社・1977)である。ブラジルの日本人移民の話しである。ブラジル移民でもサンパウロ周辺とアマゾン川流域ではまた,話しが違う。アマゾン川流域における日本人開拓史の二大成果が,トメアスー移住地のピメンタ(西洋胡椒)と,ヴィラ・アマゾニアのジュード(黄麻)産業である。いずれも,日本人移民が,長い苦闘の末,切り開いたものである。
 そのジュード産業に関わった男の物語である。小説として書かれているので,実在の人物でありながら,別名になっている。実名と史実は,同じ著者による「アマゾンの歌」(中公文庫)のp.129以降に詳しく書かれている。ヴィラ・アマゾニアが高等拓殖学校の卒業生によって入植され,ジュード栽培が行われたが,丈も短くインド産のものに到底太刀打ちできるものではなかった。ジュードに見切りをつけて出ていく者が後を絶たない中で,家族移民で来ていた岡山県出身の尾山良太の撒いた種の2本が長く成長した。尾山はこの2本を大切に育てそのうちの1本が4メートルになった。これから12個の種が取られた。・・・・後にオヤマ種として名付けられ,植民地を救うことになった。しかし,長いジュードが収穫できたからといってすぐに産業として成り立つわけではない。集荷,加工,販売というルートが必要だ。そのために奔走した男が辻小太郎である。その辻小太郎の話しが「約束の大地」である。
2006年7月29日土曜日
 今日も猛暑。とは言え,ちょうど最も暑い頃には昼寝をしておりましたが・・・。今日は辻邦生さんの命日なので,何か読もうと思って本棚を見ていたら「言葉の箱」(メタローグ)という小説論の遺著が読みかけになっていたので,最後まで読んでみました。講演録ということで,ユーモアたっぷりに,小説を書くということと生きるということの情熱がひしひしと伝わってきます。
2006年7月30日日曜日
 やっと梅雨が開けた。もう7月も残り少ないが・・・・。  
 メダカ飼育記。春先に発泡スチロールに水をはって黒いメダカと黄色いメダカ(ヒメダカ)を分けたということは,以前に書いた。餌だけやって,しばらく放置していた。勿論,そのままだと水も濁るし,メダカの健康上もよろしくないので,ヒシとウォーターレタスを入れてある。特にウォーターレタスは夏の日を浴びてぐんぐん成長して子というのか新しい芽をいくらでも作る。本当なら卵と親を分けてやればいいのだがそうしなかった。それが,黒メダカのほうを見ると,いつのまに親がいなくなって(多分ヤゴの餌食となったのだろう),夥しい数の稚魚で溢れている。そして,そして驚くことに,明らかにヒメダカの稚魚が何匹かいる。ヒメダカと黒メダカとの雑種の黒メダカどうしから三分の一の割合でヒメダカが生まれると,飼育本には書いてある。もちろん,今回の親が純粋な黒メダカか,雑種がはっきりしないので,数の上では何とも言えないが,確かに黒メダカどうしからヒメダカは誕生したのである。
2006年7月31日月曜日
  真夏の太陽の下,7月も今日で終わりだ。
  最近の読書から。松本健一「三島由紀夫亡命伝説」(河出書房新社)。1987年の本である。発行されたときのことは覚えている。タイトルが気に入らなくて買わなかったが,近頃気になりだしたので読んでみた。亡命というのは,普通に考えれば,外国にいって,元の国から政治的干渉を受けないことを意味するが,ここでは,その意味ではない。「亡命」と書いて「カケオチ」と読ます。そう,あの周囲の反対を振り切って,行方をくらまして一緒になるというあの駆け落ちのことだ。それも言葉本来の意味での駆け落ちのことである。まあ,どちらも戸籍を捨てることであり,「戸籍・地位・身分を擲っての出奔である」(p.13)から,通じるものがある。ここまで書けば,三島さんの自殺も,それに近いほどの出来事であった。
  松本健一さんは,この言葉(亡命=カケオチ)を建部綾足(たけべあやたり) の伝記から説き起こすが,建部綾足については,新日本古典文学大系の79巻が「建部綾足」になっていて「本朝水滸伝」などが収められている。それはともかくとして,希有な三島論であるが,その白眉は,「金閣寺」「憂国」論あたりではなかろうか。
   夕凪亭閑話 2006年7月おわり・・・