2020年12月16日水曜日

鞆の浦

1997.5.31.沼隈半島・グリーンラインより。

  福山市鞆の浦で大伴旅人(おおとものたびと)が歌った万葉集の歌がある。


 天平二年庚午冬十二月太宰師大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向かひて上道(みちたち)する時、作る歌五首


我妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人そなき(3-446)

鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも(3-447)

礒の上に根這(は)ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか(3-448)


 右の三首は、鞆の浦を過ぐる日作る歌。(岩波・日本古典文学大系4、p.213)


 727年・神亀4年、太宰師となって九州筑紫へ船で赴任した。翌年夏頃妻・大伴郎女(おおとものいらつめ)を失った。730・天平2年12月大納言になって船で帰京した。その時の歌。旅人は66歳で、当時としては老齢。翌3年、67歳で亡くなっている。


「上京はなによりの喜びであるはずだが、上京の途次目にする風物は、相携えて赴任した日の妻への回想にむすびつかないものはない。当時鞆の浦で知らていていたむろの木の変わらぬ姿を見て、いまひとり身となった寂寥を訴え、亡妻を思慕し、木にさえも問いたずねて亡妻を追いもとめようとする。老齢純情の旅人の心根のよみとれる哀切の歌だ。」(犬養孝『万葉の旅(下)』、現代教養文庫、p.74)


 なお、3-448はどちらにいるだろうかと聞いたら、教えてくれるだろうか、の意。

「むろの木」はネズのこと。常緑高木。葉は先が尖っている。花期は4月頃。長さ5cmの卵形。果実は径約1cm弱。マル形。緑~黒紫色に変化し、表面には白いロウ質がある。 



他に鞆の浦を詠んだ歌がある。いずれも7巻にあり、作者不詳。 


 海人小舟(あまをぶね)帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻(うらみ)に波立てり見ゆ(7-1182)

ま幸(さき)くてまたかへり見む大夫(ますらを)の手に巻き持てる鞆の浦廻(うらみ)を(7-1183)