アブ

夏の畑や山ではアブはつきものである。因島では ぶと と言う。刺すのではなく咬むのだ。かまれた痕がいつまでもかゆい。タオルで叩いて落としてもすぐに飛んで逃げるから、素早く足で踏み殺す。
2013.7.17.井原市
弘法大師伝記一
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弘法大師御伝記序
檐(のき)のしづくのとくとくときよきをあがめてこれをこひ
あしきをこばみてそれを捨、二つのものはいづれか
勝、いづれか劣れる。されは詩には見だれるを削て、
門なみにうたひ、書にはおさまれるをほめて、家一と
におこなふ、実に故あるかな、こゝろみに是をことはらん、
それ㐧一上にのぼり、下にくだつて、月日よべにめゞり
あしたにはこび、山河高にそびえ、長きになかれてか、
人畜験にあゆみ、横にはしりちじの名まへはりつらな
つて万の物かぎりなき中に貴して旦うやうやし
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きは、人にならへるわるし、然れ共その心をうしなへる
僕は砂よりも多く、その徳を盛にする賢きは玉には
よりもともし故に五百にも得かたく、千載にも遇こと
まれ也、昔光仁天皇の御宇宝亀五年甲寅
の年なみに当て讃岐の国多度の郡に妙に
挺生せる大士あり、人の形にして仏のさとります法
の諱は空海和尚、登壇散花の御名は遍照金剛、
後に延喜の帝弘法大師とをくり給ふ、天精粋
をゆるして、四表におよひ、地虚霊を見がいて申方に
かゝやき、生なかに寂薄の生石蹟を慕ひづとめざる
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に真常の大妙にふける兼に則野主その願
ひに随てはして法をもとむる人に櫂じ延暦の
末に纜を解て入唐し大同の始に猿をめくらして
帰朝す召身即仏の道此日にいたり頓悟頓満風
是時にしく六凡親すればわれかれ睦して万蓋
ぬれはこゝかしこ静也況や又通を飛せば目連身侭
り定を修すれは除疑念噪ぎ智を振へは文殊諍
唇を沽し悲を倩へば観音青眼を期す若夫照学
に出れば襁襴にして文翁之すゝまざるにとりひし
き草聖につけは、兮角にしも伯英て猶いやしきに
重井教育史抄 第1回
150年以上の歴史を持つ重井小学校と、併せて戦後の重井教育のもう一つの柱であった重井中学校が来年3月末で閉校する。そこで重井教育について振り返ってみたい。井上一次先生が編集された『白滝教育百年のあゆみ』には、なぜ白滝教育と呼ぶのかは、書かれていない。そこで思いつくのは白滝山伝六のことである。
先月紹介した「反省の泉」に連載された柏原舒延先生の論考によると、伝六さんの初期の仕事に「功過自知録」という道徳の点数化を広めたことがある。これは伝六と同じ頃生まれた広瀬淡窓が天領日田(現大分県日田市)の漢学塾で塾生たちとともに実践したものと同じものである。その根底には「積善余慶」の思想があり、白滝山の石仏に寄進するのも積善であった。その伝統は明治以降も連綿と続き、村の経済では考えられないような立派な木造校舎が次々と建てられていった。もちろん日常生活を貫く道徳心も同様であったと思われる。このように伝六さんの仕事が重井教育の根底にあると考えるのであれば、重井教育を白滝教育と呼ぶ意義は十分あると私は思う。さて、明治以降の公教育は、十六小区因島では重井村の「振徳舎」と田熊村の「研幾舎」の2つが明治6年4月に県によって認可された。場所はそれぞれの村のお寺であったから、寺小屋と紛らわしい。もちろん長い寺小屋教育の地盤の上に認められたのであろうが、それ以前の寺小屋や私塾とは違う。明治5年8月の明治国家の法律「学制」に基づく公教育の始まりであった。このことは重井村や重井小学校の歴史であるのみならず、因島の公教育の記念すべき歴史である。「村立」とか「小学校」と言う言葉が一般的でなかった時代であったので、校名や制度は新しい法律とともにめまぐるしく変わるのであるが、とにかく明治近代国家における公教育は、このようにして始まった。図は認可を伝える文書の一部。(『因島市史』、p. 892による。)
第2回
昭和28年に何が起こったか? 因島市が誕生した。御調郡重井村から因島市重井町に住居表示が変わった。一見、村が町になっただけのように見える。しかし現実は重井村と言う地方自治体は消滅し、重井町は住居表示であっても地方自治体ではなくなったのである。だから小学校も中学校も重井町立ではなく因島市立となった。このことは従来の重井教育・白滝教育という言葉が根本的に意味をなさなくなったと考えてよい。あえて言えば、重井教育ではなく因島教育の時代になったのである。因島市を構成する他の町村でも事情は同じであった。歴史と児童・生徒数に違いがあるものの、因島教育というべき普遍化に向かうのが法の上での平等というものであろう。さて、ここで因島市立重井小学校へ目を向けると、
(因島重井町文化財協会・柏原林造)
2026年1月1日。木曜日。晴れ。4020歩。73.7kg。
穏やかな新年。少し庭木の剪定。マドンナの取り入れ。
2026年1月2日。金曜日。晴れ。1843歩。73.7kg。
今日は気温が低く、風も強いので、庭木の剪定はせずに家の中。閉校記念誌少し。
2026年1月3日。土曜日。晴れ。2180歩。72.4kg。
寒い。午後、庭木の剪定。
2026年1月4日。日曜日。曇り時々晴れ。1165歩。72.4kg。午後庭木の剪定。高い木を切る。かなり進む。古文書が進まない。化学の本を気分転換に読む。やはり面白いので、老後の余暇として読みたい。
2026年1月5日。月曜日。曇り時々晴れ。2850歩。72.4kg。今日は朝から年賀状の返事。昼過ぎ終わる。
新年 一東
新春天地又春風
山色吉祥万古固
草木浮生身王台
昭和景物五運中
2026年1月6日。火曜日。晴れ。2669歩。72.2kg。
朝燃えるゴミを出す。タイムズ原稿。昼過ぎに終わる。バベの大きな幹を切る。
書懷 下平七陽
風雲和気吐満香
旭日満天一草堂
白髪浮世身好在
汪然別有記星霜
2026年1月7日。水曜日。晴れ。3104歩。72.2kg。
朝、買い物。一日中古文書。灯油1万円買う。
新春 下平六魚
東山佳気曙光初
旭日紅粧感有餘
山色眼前身壮大
海波告暁愛吾居
2026年1月8日。木曜日。晴れ。2156歩。72.15kg。
寒く何もしない。部屋の中で閉校記念誌の原稿を書く。
深夜思 侵
耿然灯火夜方深
従事詩音学海沈
書架図書猶不倦
深更破壁夜寒侵
2026年1月9日。金曜日。晴れ。3114歩。72.4kg。
今日は朝から閉校記念誌の原稿かき。タイムズ配る。寒い日。
2026年1月10日。土曜日。曇り。1386歩。72.2kg。
寒波到来風強。早朝読書食後又眠。起編閉校誌。夜漫然無為成事。
偶感 下平七陽
春光和気亦尋常
詩句鏡中入酔郷
相英草覚既老大
星移感慨已無望
2026年1月11日。日曜日。曇り時々雪。1591歩。72.4kg。
朝、買い物。大変寒い。風強し。雪も。
2026年1月12日。月曜日。晴れ時々曇。2990歩。72.8kg。
風は止んだが気温が低い。少し庭木の剪定。古文書。
2026年1月13日。火曜日。晴れ時々曇。6879歩。72.8kg。よく晴れた。庭の木を切ったり、一町田へ行って雑木を切って帰る。古文書。タイムズ書いて送る。
2026年1月14日。水曜日。晴れ。2697歩。72.8kg。
朝、買い物。午後、論語の会。4人。
2026年1月15日。木曜日。晴れ。3318歩。72.9kg。朝、午後、山へ竹切り。庭木の剪定。イチジクの剪定。
2026年1月16日。金曜日。晴れ。7351歩。72.4kg。
朝、文化財協会役員会の打ち合わせ。2時間ほど山のたけきり。」
タイムズ配布。閉校記念誌原稿。
2026年1月17日。土曜日。晴れ。3235歩。73.1kg。