2015年4月1日水曜日

尾道市因島 古地図

いんのしまみち
青木茂編、「因島市史 全」、因島市史編集委員会、昭和43年、「p.258より。江戸時代末期。
中庄鹿穴・重井大石線が幹線ではないが太い実線。往来があったのだろう。
重井からは大浜往還(古道)、大浜往還(旧道)がある。
重井から因南に行くには中庄まで行けば、中庄から各地へのルートに従えばよい。
大浜・中庄線では大楠山の東を通り、新開へ出る峠道、さらに北を通る峠道がある。
中庄の大山峠までが太い線。
中庄から鏡浦までが、平田道路(鏡浦峠)で太い線。梶の鼻までしか太い線が延びていない。
椋浦から三庄へは椋浦峠(長戸庵大師堂があるところ)を通る道が太い線である。
中庄山口から大山峠方面へは行かず、東寄りに現在の奥山ダム方面へ行く沢道が伸び、その先が破線で奥山頂上まで延びている。その手前で外浦から沢道を南へ来た道と尾根で合流し奥山頂上付近へ続いている。これは土生から大山峠まで来て、東の奥山頂上を目指す道とつながる。
このルートからは、次のような往来が考えられる。
土生中庄は大山峠越え。
土生外浦は、田熊から大山峠で右折して奥山頂上で左折してほどなく中庄へ行かず外浦へ降りる。
中庄三庄は、中庄から大山峠には行かず、このルートを通り奥山頂上で椋浦峠に下りてから三庄へ。椋の浦峠からは海岸沿いではなく船方道を通るのが主流だろう。
土生椋浦は、大山峠を経て奥山頂上を通過して椋浦峠へ降りて左折。


「大日本分県地図」(昭和35年度版)より。


いんのしまみち