2016年3月6日日曜日

虹の都 光の湊~キネマの話

私のベスト3
1ルイス・ジョン・カルリーノ監督作品。三島由紀夫原作の『午後の曳航」

2「猿の惑星」

3「007は二度死ぬ」

「午後の曳航」は、初めて見る三島作品であったので胸が高鳴った。私はこの映画が永遠に終わらなければいいと思っていたが、あっという間に終わってしまった。
 あれは晩秋の午後だった。まさに人生の栄光の時だった。午後の栄光だった。私はこの日のことを生涯忘れない。 




ケネディ暗殺事件を真正面から扱った「JFK」は,オリバー・ストーン監督。ギャリソン検事役がケビン・コスナー。その妻リズ・ギャリソンにシシー・スペイセク。落合信彦の「2039年の真実」(集英社文庫)で事件の概要は知っていますが,クーデターだと言い放つところが見物。
マクティアナン監督の「トーマス・クラウン アフェアー」(1999)はスティーブ・マックィーン主演の「華麗なる賭け」(1968)のリメイク版である。主演のトーマス・クラウン役はどこかで見たことがあるようだと思ったら007のP・ブロスナンである。盗まれた名画を追い,ミイラ取りがミイラになる保険調査員キャサリンがレネ・ルッソ。「リーサル・ウエポン3」のローナ役でも出ていたと思うがなかなかのアクションスターだ。「華麗なる賭け」の印象は今でも鮮烈に思い出すことができる。いい作品だと今でも思っているので,そのリメイク版というのに抵抗はあったが,なかなか善くできていて,これはこれでいいと思った次第。
「理由なき反抗」のナタリー・ウッドは,「草原の輝き」(1961)「ウェスト・サイド物語」(1961)でも大活躍した女優だが,惜しいことに1981年11月29日にヨットから落ちて亡くなっている。43才。ウエストサイドというのはプエルト・リコからの移民の多いところで,その若者たちの話しだが,ダンスはいいにしても,ロミオとジュリエットからとってきたというテラスを経てのデュエットはやはりおかしい。「ウェスト・サイド物語」のロバート・ワイズ監督は2005年9月14日、ロサンゼルスで死去した。91歳。「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)も同氏の作品。
「理由なき反抗」のジェームズ・ディーンの出ている「ジャイアンツ」(1956)はエリザベス・テーラーも出演する大作で,監督はジョージ・スティーブンス。日本で封切りされたときにはコカ・コーラの意味がわかならなかった人が多かったそうであるが,ビデオで見る世代にはそんな話しすら夢のように聞こえる。牧場から石油が出るというアメリカンドリームの一端を彷彿させる。
デヴィッド・リーン監督の「戦場にかける橋」(1957)は,名作の誉れ高く,確かに演技は細かく丁寧に仕上がった作品だとおもうが,あまり好きにはなれない。やはり「アラビアのロレンス」(1962)や「ドクトル・ジバゴ」(1965)が凄い。長いのに何度見てもおもしろい。「ドクトル・ジバゴ」は,どういうわけか,高校の時と大学の時と,二度も劇場で見ている。
「ミッドナイト クロス」(Blow  Out)(1981)には,「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)のトラボルタが主演している。ラストの映像と音楽が美しい作品だが,残念ながらトリックが複雑すぎて,ミステリーとして楽しめない。その結果最後のオチが浮いてしまう。ブライアン・デ・バルマ監督。J・トラボルタ,N・アレン主演。音楽P・ドナジオ
スチーブン・セガールの「沈黙の要塞」(1944)「沈黙の断崖」を見た。「沈黙の戦艦」「暴走特急」(1995)とともに,十分楽しめる。アメリカ社会の悪い面も描き,一風社会派的なのがいい。見事な日本語が入るが,大阪で合気道の先生をしていたというから,それならわかる。
「北北西に進路を取れ」(1959)はミステリー風でおもしろいが「ダイヤルMを回せ」のほうが迫力があった。「サイコ」(1960)は,まずは佳作か。
「ベニスに死す」(1971)は有名なトーマス・マンの短編が原作なので,一度見てみようと思っていた。それにブィスコンティ監督作品でもあるし・・・。原作と同様ストーリーはおもしろくないが,少年の演技が素晴らしい。ビョルン・アンドレセンというそうだが,映画というのは不思議な世界を作るものだと思った。
スタンリー・クーブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(1971)は,その奇抜なタイトルに惹かれて楽しみにしていたものだが,私にはまったくといっていいほどおもしろくない。原作も途中で読むのをやめてしまった。
清張作品はどれも面白い。
「天城越え」(1983)は三村晴彦監督作品で,田中裕子の冴えた演技が光る。主人公の小野寺建造役は平幹二郎と少年時代を伊藤洋一がやり伊藤の表情も主題によくあっている。三村監督の「夜叉ヶ池」は玉三郎主演の鏡花物である。
吉永小百合の「キユーポラのある街」(1962)は浦山桐郎監督の名作である。これは小学校の許可映画だったのか,それともみんなで行ったのか忘れてしまった。小学校の12年というのは考えられないから,3年生かあるいは4年生以上か,よく学校から映画を見に行っていた。大人の足で10分くらいのところに映画館があり,ぞろぞろと並んで歩くわけ。午後か,2時間目くらいか,よく映画鑑賞というのがあった。それと許可映画というのがあって,それは日曜日の朝,行くので,希望者がということだが,許可映画=推薦映画というような雰囲気があり,許可映画は皆見ていたように思う。「にあんちゃん」とか「月光仮面」とか「赤胴鈴之助」とかとか。
「二十四の瞳」(1954)は確か白黒だったと思うが,海の景色がのどかで,カラーのような印象があるが,やはり,白黒である。この昭和29年の作品が初代で高峰秀子主演で木下恵介監督。
我が国初のカラー映画は木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」(1951)ということらしいのだが,こちらのほうが白黒のような印象であった。
「砂の器」は不治の病に冒された父と子が白装束の遍路姿で故郷を出る。四国遍路も同じように不治の病故郷を追われて遍路する一面もあったようだ。暗いイメージになるので、そいうことは最近はあまり書かないが、遍路宿でもそういう人たち専用の部屋とか棟があったようだ。